知足

自然と共に素敵に生きたい

正見

2008年04月23日 | 好きな言葉

 「マスコミに踊らされている」ということをよく耳にしますが、情報化社会と言われる現代において「正しい情報とはなにか」「偏った見方になっていないか」ということを常に意識することがとても重要だと思います。

 国際青年環境NGO「A SEED JAPAN」の広報誌にオルタナティブメディアについて特集が組まれていて、日本のマスメディアの問題点を鋭い視点で指摘していたので一部を紹介したいと思います。

  •  新聞の宅配サービスは、日本では当たり前な便利なサービスですが、海外にはこのような制度はなく、新聞は駅や街頭で買うのが一般的です。日本のこの便利な制度によって新聞は、欲しい記事を自分で選択して読むものではなく、受動的に与えられて読む記事になっている。そのため、「よい記事を載せれば売れる」という市場の原理が働かなくなり、よい記事を載せるインセンティブが働かなくなり、情報が劣化していく危険がある。
  •  また、日本では「新聞-テレビ-地方ローカル局」が系列で繋がっている(クロスオーナーシップ)ために、独立してお互いを監視することが機能しなくなっている。テレビは政府の許認可事業であるため、政府が許認可権をたてにテレビに圧力をかければ新聞社にも影響が波及してしまうため、メディアの構造として脆弱である。

 このような日本のマスメディアが持つ体質、構造的な問題は、なかなか問題視されにくいですが、知っているのと知っていないとでは情報を取り扱う上で大分違ってくると思います。

 私は みのもんた があまり好きではないのですが、彼のコメントは事件に対してある意味わかり易くきっぱりとしているので万人受けするのだと思うのですが、その事件が発生した背景や例えば加害者がどうして事件を冒すことになったのかその社会的、あるいは精神的な背景には触れず、表面的な捉え方をすることが多いように思います。

 何かの事件やニュースを聞いた際には、「物事には必ずその背景がある」「文化や宗教など価値観が変われば、必ず違う見方が存在する」「出来事は、原因があり、常に変化している」といった視点を常に持っておく必要があると思います。またメディアリテラシーの重要性も指摘されています。

 仏陀が最初の説法(初転法輪)で説いた八正道の最初に来るのが「正見(しょうけん)」です。真実を追究し、物事を「正しく見る」ということ。そこから真理が見えてくるのだと思います。
とても難しいことですが、日々心がけておきたいですね。


筆をとる

2006年03月19日 | 好きな言葉
あったまる禅語

アスコム

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 時々、ふとこの本を読みたくなる時があります。何かせつなくなった時、心浮き立つ時、やるせない時、静かな気持ちで音楽を聴いている時、、、いろいろな感情が日々の暮らしの中で動き回るけれど、ふとこの本に立ち返るとすごくほっとします。

 今日もまたいつものように好きなページをめくっているとなんだか筆をとりたい気分になりました。筆をとるなんておそらく高校生の時以来かも。

 はっきりいって字は汚くて恥ずかしい限りなんですが、でもそんなことはお構いなしにとにかく筆をとってみました。

 背筋を伸ばし、息を沈め、心を整え、正座し、無心で筆をとる。
 とても、すがすがしい気持ちになれました。


 「八風吹けども動ぜず」:
  何があっても、振り回されない心。八風とは「利」「衰」「毀」「誉」「称」「譏」「苦」「楽」の八つのこと。人は、悪口を言われれば落ち込み、誉められれば機嫌がよくなるもの。いちいち心を波立たせていたら、心が疲れるだけ。どんな風に吹かれても、平常心でいたいものですね。

「喜心」:
「喜心、老心、大心」の三心のひとつ。喜びをもって行う心のこと。

「天真に任す」:
欲に心を煩わすことなく、天のまことにしたがって自然のままに生きればよいのです。勇気を奮い起こし執着を捨てて、自分の本物の姿を掘り起こしてみてはいかがでしょう。

※「あったまる禅語」(渡会 正純 (著), 石飛 博光)より抜粋


相田みつを

2006年03月14日 | 好きな言葉

 菅平高原スキー場に行くことが多いのですが、菅平での常宿としている宮前荘に「相田みつを」さんのポスターが貼ってあって、とっても心に響くことばだったので写真を撮ってきました。


アノネ
親は子供を
みているつもりだけれど
子供はその親を
みているんだな

親よりも
きれいな
よごれない
眼でね

みつを

 


未来を作る

2006年01月06日 | 好きな言葉
 五井平和財団のHPに私の恩師 佐治晴夫教授の講演会の内容が載っていて、とても感動したので引用したいと思います。(最後のコメントの部分です。)

 未来に夢見る少年のような心を持った佐治教授ならではのお言葉だなぁと思いました。私も未来に向かって歩んでいこう!!と思います。

--- ここから ---

 最後に数学者の立場から一言。人は過去にこだわりやすく、未来に不安を抱きやすいといいますがそれは逆です。過去は過ぎ去ってしまい見えないものです。現に皆さんがこの会場にいらしたルートは私には分からない。しかし私の講演が終わった後、皆さんが出て行くのは、入って来たドアからでしょう。つまり未来は分かっています。過去は分かっているからこだわって、未来は分からないから不安だというのは、数学者の立場から見れば全く反対です。もちろん過去に意味がないというのではなく、いまのあなたは過去の蓄積の結果として存在しているわけですが、そこをスタート地点として、あなたの未来をデザインするのはあなたご自身です。
すべてはあなたの選択次第でどうにでもなります。未来を作るのは、いまのあなたです。それが人間が持っている自由なのです。

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命果てるまで

2005年10月03日 | 好きな言葉
大好きな曲、ゆずの「命果てるまで」です。

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同じゴミならどうせ 燃えるゴミでいたい
潰されて固められて もみくちゃにされるなら
煙になって空に 消えて行きたい
燃え尽きて空に 消えて行きたい

同じ花ならどうせ 野に咲く花がいい
買わられて飾られて 枯らされてゆくよりも
冬を越える名もない 野花になりたい
そして君のそばに咲きたい

命果てるまで 灯火が消えるまで
強く もっと強く 魂を焦がしたい

同じ夢ならどうせ 果てしない夢がいい
諦めてごまかして 言い聞かせてゆくよりも
時には冷たい風に 吹かれたとしても
願いが叶う その日まで信じていたい

命果てるまで この心が枯れるまで
強く もっと強く 君を抱きしめたい

生きられるのに死んだ人がいる
死にたくないのに死んだ人がいる
生きているのに死んでいる 死んでいる人がいる

命果てるまで 灯火が消えるまで
強く もっと強く 魂を焦がしたい
命果てるまで この心が枯れるまで
強く もっと強く 君を抱きしめたい
魂を焦がしたい
命果てるまで


あふれんばかりの空っぽ

2005年08月22日 | 好きな言葉
  あふれんばかりの空っぽ

思わずって思えちゃうのはどうしてだろう。

空っぽなのに満たされている。
愛、感動、やさしさ、元気、素直、思いやり、、、、いやいや、それらも超えた空っぽ。

あふれんばかりの空っぽ

「もったいない」

2005年02月26日 | 好きな言葉
「もったいない」

「もったいない」という言葉がクローズアップされていて、なんだか嬉しくなってしまいました。ちょっとネガティブな印象もあるかなぁと思われがちな「もったいない」。改めて考えてみると、すっごくいい言葉ですね。物を大事にし、質素だけど豊かな暮らし。自慢できる日本の文化ですね。

目覚め

2005年02月17日 | 好きな言葉
朝が苦手な方に、

ヘンリー・D・ソロー「森の生活」より
天体の音楽の調べと大気を満たす香りにつつまれ、新たに貯えられてきた活力と精神が心のうちから高められたときに、やがて目覚めてゆく。前の晩に眠りについた時よりも、さらに高い生活へと目覚めてゆく。<中略>時計が何時を刻んでも、人々がどのような生活をし、仕事をしようとも問題ではない。私が目覚めているのは朝であり、心には曙が輝く。睡魔に打ち克つ努力こそ道徳的向上の始まりである。人間が一日の生活をかくも貧しいものにしてしまうのは睡魔に取り付かれてしまったからであろうか?人間というのはそんな哀れなことを考える人種ではない。睡魔にやられてはいけないと思えば、他に何かを成し遂げることもできたであろう。

睡魔との戦いに悪戦苦闘する毎日ですが、「睡魔に打ち克つ努力こそ道徳的向上の始まりである。」という言葉にはものすごく説得力があると思いませんか。毎日の生活の中でついつい流されてしまっている自分がいる。せめて朝は睡魔に打ち克ち、さわやかに目覚め毎日を充実させたいですね。


知足

2005年02月09日 | 好きな言葉
足るを知る
「少しの「足りる」で満足していることを言っています。足りていないと思っている方に言いたい。本当に足りていませんか。足りていると感じられたら、あなたはすぐに幸福になれるのに。<中略>足りていることに気づく「知足」。楽な気持ちで幸せを感じられる方法でもあるのです。贅沢に切りがない人は弱い。ほんのちょっとでも満足できる人は柔軟でパワフルです。足るを知る人は幸福に最も近い人なんですね。」

この言葉は、「ほっとする禅語70(二弦社)」の中に出てくる禅語の中で一番好きな言葉の一つです。こんな豊かな気持ちでいつもいられたら素敵ですよね。