知足

自然と共に素敵に生きたい

不自然な自然

2005年05月23日 | 環境問題
私の職場は品川にあるのですが、毎日品川インターシティビルと三菱ビルの間にある緑化スペース「品川セントラルガーデン」を見ながら通っています。シラカシ、カツラ、ソメイヨシノといった樹木が植えられていて、一見すると小さな森のようになっています。

でも私はどうもこの公園が好きになれません。確かに高木、低木、池、小さなビオトープ、などがきれいに整備されているのですが、何かおかしいのです。

例えば、桜の木に目をやると新緑がとてもきれいなのですが、その足元を見ると根元にじゃりが敷き詰められ、周りは歩きやすいようにタイルになっています。

そう、土が見えないのです。

秋には紅葉し落ち葉が振ってきますが、私はこの公園で落ち葉を見たことがありません。なぜなら落ちるとすぐに、掃除されてしまうからです。

落ち葉、土がないのでそこにいるはずのバクテリアや虫たちもいない。虫がいなければ、捕食する鳥や小動物もいない。ただ木だけが整然と並んでいるだけで、命の息吹が感じられないのです。

緑地化という名の「不自然な自然」作りがいたるところで行われているように思います。

緑を大切に!、自然を大切に!といった声は、とてもよいことですし、こういったことに反対する人はあまりいないと思います。しかし、「自然を大切にする」ということがどういうことか、きちんと考える必要があると思います。

新芽が出て葉が開き、花が咲き、実がなる。太陽と大地の恵みを取り込んで大きくなり、幹を太らせ、葉を広げて光合成を行う。秋には紅葉するものもある。落ち葉は、バクテリアや昆虫によって分解され、花や実や葉は、昆虫の餌となり、その昆虫を餌とする鳥たちがやってくる。自然界ではすべてが繋がりあい、共生しあい、生態系を作っています。

「自然を大切に」することは、特定の植物や特定の動物だけを大切にすることでは成り立ちません。

  昆虫は気持ち悪いから、、、
  落ち葉は景観を乱すから、、、
  枝が電線にひっかかるから、、、

昆虫や落ち葉も含めて許容することが「自然を大切に!」の言葉に含まれていることを私たちは真剣に考える必要があると思うのです。

近所の雑木林

2005年05月16日 | 環境問題
先日久しぶりに実家(川崎市麻生区)に帰り、親兄弟、甥っ子、姪っ子に会ってきました。

私は3人兄弟の末っ子なのですが、一番上の姉の子供がこの春で小学校に入学しました。私も兄も姉も通った小学校に甥っ子が入学するというのは、なんとも言えない感動がありました。

近くの公園で久しぶりに甥っ子、姪っ子と遊んだのですが、その公園は敷地の半分くらいが立ち入り禁止になっていて、そこは樹木がうっそうと生い茂る雑木林になっています。壁画には動物の絵が描かれていて、滑り台と小さな砂場と鉄棒しかない、素朴な公園です。

自分が小さかった時から殆ど変わっていない緑豊かな公園を見て、なんだか懐かしい気持ちでいっぱいになってしまいました。

川崎市麻生区は、今ではベットタウンとして閑静な住宅地が広がっていますが、私が幼かった頃(といっても20年ぐらい前のことですが、)は、里山からは湧き水が流れ、平地には田畑があり、ちょっと森(と、子供のころは思っていましたが、今から考えると里山といった感じでしょうか)に入ると、クワガタ、カブトムシ、カナブン、セミ、などがいっぱいいて、田んぼにはおたまじゃくし、トンボ、カゲロウ、、、、がたくさんいました。昆虫採取に木登り、かくれんぼ、、、近所のガキンチョとよく遊んだものです。

もちろん?、私の幼少のころの風景は今では殆どなくなってしまい、ただただ悲しい限りです。私が小学生のころから徐々に開発が始まり、遊び場がどんどんなくなっていくことにものすごく傷ついたのを思い出します。

この近所の公園には未だにジャングルのような自然が残っていて、ちょっと嬉しくなってしまいました。

この公園も言ってみれば行政がサボっているお陰でうっそうとしたジャングルのようになっていますが、何年かおきに近所のおばさんが見かねて、行政に文句を言うのですね。そうすると、何日かして雇われの植木屋さんが来て、ばっさ!ばっさ!と枝を落とし、木を切り、きれい?にしてしまいます。そんな光景を見るたびに私はいつも違和感を覚えていました。なぜに大人たちは、動植物であふれかえった遊び場をたいした理由もなしに壊してしまうのだろう。。。と。

確かに人の手が入らないことでうっそうと茂ったジャングルではあるのですが、人の手が入らないからこそせっかくできたジャングルなんだと考えを180度かえることができないのでしょうか?

人間の手などにより破壊された土地は、放っておくと草花が生え始め、やがて低木が生え、そして高木への遷移していきます。うっそうと茂ったジャングルも何年、何十年かするとりっぱな森へと遷移していくはずです。ジャングルはいわばその通過点にすぎないと思うのです。うっとうしいからといって切ってしまうからいつまでたっても森へと成長することができず、ジャングルのままなのです。

「自然環境を守ろう」という言葉に反感を持つ人は殆どいないと思いますが、自然を再生する過程においては、ジャングルができたり、虫がわいたりします。そのことを含めて自然を大事にするという視点がなければ、豊かな自然を回復することはできないと思います。

「自然界は、放っておくことで森へと遷移していく」

ということをしっかり理解することが大事だと思うのです。

安曇野 1

2005年05月11日 | 安曇野旅行記

 GWに安曇野に行ってきました。

 信州北アルプス山麓のふもとにある安曇野は、自然の豊かなとてもきれいなところでした。 朝7時、新宿を出た高速バスに揺られて松本へ、松本からJR大糸線に乗り、穂高で下車。澄み切った青空に広がるのどかな景色を見て、心浮き立つような、それでいてどこかホッとするような気分になりました。

 駅前に「ひつじ屋」というレンタサイクルのお店があって、そこでマウンテンバイクを借りることにしました。

 最初に立ち寄ったのは、穂高神社。といっても駅から歩いて2,3分のところにあるので、まずは旅の安全を祈願。

 きれいな水、野の花が咲き誇る穂高川に沿って、一路「大王わさび農場」へ向かいました。

 

 「春はなのみの風の寒さよ、谷のうぐい歌は思えど・・・」

 その途中、穂高川の岸辺に建つ「早春賦」の碑を訪ね、安曇野の美しい春をうたった懐かしいメロディを思わず口ずさんでしまいました。 穂高川の川沿いには、わさび田が広がっていて、透明度の高い澄んだ水がなんとも美しかったです。鱒釣りを楽しんでいる人たちにも出会いました。そしてその傍らには道祖神が、この美しいのどかな風景を楽しそうに見守っていました。

 安曇野にはなんと道祖神が900体もあるそうです。自転車でのんびり散策しているといくつもの道祖神に出会いました。道祖神めぐりだけでも安曇野は十分楽しめると思います。

(安曇野2へ続く、、、)


安曇野 2

2005年05月10日 | 安曇野旅行記

 大王わさび農場では、有名?な「わさびソフトクリーム」を食べてサイクリングでほてった体を冷やし、黒澤明監督の「夢」第六話”水車のある村”のロケーションとなった水車小屋を見てきました。わさび田に注ぐとても澄んだ川、水車小屋、新緑のコントラストが実に美しかったです。

 次に訪れたのは、ピッコロというジェラートのお店。手作りのジェラートは、これもまた格別でした。 美しい田園風景を見ながらペダルをこぎ、気になるお店や美術館を発見したら立ち寄る。車での旅行では味わえない自転車ならではの楽しみですよね。

  「週刊新潮」の表紙でおなじみ、成瀬政博さんの美術館「BANANA MOON 」にも立ち寄りました。自然美を独特のユーモアをこめて描かれたちょっと不思議な心温まる絵に思わず吸い込まれてしまいました。絵を鑑賞した後は、カフェでのんびりひと休み。

 その後、無料の足湯でちょっと疲れた足をマッサージして、シャロムヒュッテに向かいました。 シャロムでは、自然食(玄米食)に舌を打ち、夕食の後はその日シャロムに宿泊していた仲間とオーナーの臼井さんと共にコタツを囲んで団らんしました。普通の宿ではなかなか宿泊客同士で仲良くなることはないので、すごくよかったです。旅先での出会いは、いいものですよね。

 


シャロムヒュッテ(安曇野)

2005年05月09日 | 安曇野旅行記

 GWに信州北アルプス山麓の安曇野にあるシャロムヒュッテに行ってきました。

 自給自足のエコロジ-な宿で、オーガニックレストラン&カフェ、自然食品店、フェアートレードのエコロジー雑貨店が中にあります。臼井さんというおじさんが経営していて、パーマカルチャーを実践している素敵な宿でした。

 毎朝6時から臼井さんによる自然教室(主にパーマカルチャーについて)があったのですが、「持続可能、多様性、共生」という3つのキーワードに沿った生活スタイルは、ほんとに驚かされるものばかりでした。

 例えば、雑草を抜かず、耕さず、草花の中に野菜の種を植えて育てていたり(近代農法では、効率優先で全ての雑草を抜き、化学肥料、農薬を使い、畑を砂漠化させて育てている。と臼井さんは言っていました。)、鶏を放し飼いすることで、土をやわらかくし(チキントラクター)、糞は肥料にし、おいしい卵を頂き、チキンホットハウスといって鶏の体温が高いのを利用していたり、あるいは、キーホールガーデン ルーフトップガーデン 曼陀羅ガーデン 蜂の巣箱 ロックガーデン 鳥の餌場と水飲み場 温室とキッチンガーデン  踏み込み温床 雨水タンク キーホールキッチンガーデン メタンガス発酵装置 風力発電 自転車発電。。。。。。

 とにかく生活していく殆ど全てのものが持続的で自然界と共生しているのにはホント驚かさせられました。

 パーマカルチャーは、

  • 自然のシステムをよく観察すること
  • 伝統的な生活(農業)の知恵を学ぶこと
  • 現代の技術的知識(適正技術)を融合させること

 を基本として、植物や動物だけでなく、建物、水、エネルギー、コミュニティなど、生活全てをデザインの対象とする考え方とのことです。

 自然を大事にと最近はいろいろな場面で言われていますが、人と自然とが共存共栄していくためには、パーマカルチャーのような暮らし方に立ち返る必要があるのだなぁと感じました。

 臼井さんは、言っていました。「ある一面から見ると問題があることでも捕らえ方を変えると良い面もある。その逆もしかり。でも自然界では、悪い、良いという考え方はそもそもなく、両方をよしとし、共生することでお互いに補いあって生きている。」 競争から共生へ これからの時代を占うキーワードだと痛感しました。 (安曇野の旅については、また明日続きを書きたいと思います。)