「雨の降り方が、変わってきたと街の人が言っていますよ。」
「温暖化による気候変動の影響はブータンにもありますか」との問いに、ガイドのゲンボーさんが少し顔を曇らせながら答えた。
伝統的な暮らしを保ちながら民主化を進めるブータンでは、先に触れたGNH(国民総幸福)を指標としながら持続可能な発展を模索しています。
旅をしていて、ブータンの街は、とてもカラフルだと感じました。寺院や公共の建物だけでなく、庶民の家にもカラフルな色彩の彫刻が軒や窓枠に飾られているため、街全体の景観が、文化的でとても素敵です。
その色鮮やかな伝統的な家屋をよくよく見ると、屋根はトタンで出来ているものが多いことに気付きます。これは、国が少しずつ発展するにつれ、人口が増加し、新築の家が急激に増えていることから、昔ながらの木材による屋根を制限しているためだと、ゲンボーさんが教えてくれました。
ブータンでは、1974年に「国土の60%以上を森林とする」森林政策が出されました。実は、ブータンの土地は表土が薄い上に、ヒマラヤ山脈に位置することから斜面が非常に急峻で、むやみに森林を破壊すると土砂流出や土石流など甚大な被害が発生する可能性が高いそうです。
実際、ブータンのお隣のネパールでは、森林開拓により表土が露出し、土石流による災害が頻発しているそうです。そのため、砂防ダムを建設するのに膨大な資金が必要になっているという話も聞きました。
こういった隣国の教訓も取り入れながら、ブータンは持続可能な発展を模索しているのですね。
さて、有限な資源と自然環境をどう守っていくのか。この問いに対して、まず考えるべきこととして、そもそも人間は何故、経済発展の名の下で資源を消費するのか、ということを考える必要があると思います。
それは、問い詰めると、"幸せになりたい"、"幸福でいたい" という誰しもが抱く願望から来ていると言えます。
この"幸福"の定義を 幸福=財産/欲望 という式で表すと分かりやすいと思います。これは、よく経済書などにも出てくる考えですが、幸福を求めるには、財を増やすか、あるいは 欲望を減らすか ということですね。
GDPを指標として経済成長を求めるやり方は、財 を得ることで幸福を得ようとする考えだとも言えます。しかし皆さんも経験していると思いますが、一度得た財による喜びはあまり長続きせず、満たされるとすぐにまた次なる欲望が生まれるということがよくあります。
例えば、「欲しくて仕方なかった新車を手に入れて、かなり興奮していたはずが、3年もすると、なんだか物足りなさを感じ、次の車が欲しくなる」なんてことはありませんか?車に執着するあまりに、大枚を叩いてしまったり、車の維持費に悩んだりしながらも、もっといい車が欲しいという感情(欲望)に支配されている。車でないにしても、このような経験は、多かれ少なかれ誰でもあることだと思います。
この様に、直ぐに次なる欲望が生まれるからこそ、実は経済成長を続けることが出来るのですが、これは 財=資源 が無限にあるのであれば、何も問題ないのかも知れません。しかし、私たちが住むガイア「地球」はもちろん有限です。
エコロジカル・フットプリント(Ecological Footprint)という言葉をご存知でしょうか。
これは、あるエリアの経済活動の規模を面積で表したものです。この指標によると「世界中の人々が日本人のような暮らしをはじめたら、地球が約2.4個必要」で、「アメリカの場合には、地球が約5.3個必要」ということになります。
財を得ることが幸せ という構図に従って、戦略的に私たちの欲望を煽り、需要を作り出す経済社会の限界は、このエコロジカル・フットプリントからも明らかです。
さて、財=資源には限界があるのですから、私たちが幸せになるには、「欲望を減らす」道を探る必要があります。「欲望を減らす」というと、なんだかネガティブに思われるかも知れないですが、これは仏教で言う、「足るを知る(知足)」ということだと思います。
日本が戦後、飛躍的な経済成長を続けてこれたのは、「中流社会」を目指すという日本独特のやり方があったからだと私は考えています。
中流社会は、億万長者が突出することもなく、日々生きるか死ぬかの瀬戸際で生活する最貧困層を作ることもなく、みな中流でいて、全体として豊かさを求め、みんなが幸せな暮らしを目指す、という論理によって成り立っていた社会です。
中流を求める。これは仏教の「中道」に近い考え方だと私は考えています。
中道とは、多すぎること(貪欲)でもなく、少なすぎること(禁欲)でもなく、その中間にこそ真理があり、中道の実践が、悟りに繋がる。という考えです。
中道は、先にも触れた「知足」、つまり「既に満たされていることを知る」という考えにも繋がります。
「あぁ、そっか、俺って実は幸せかも!」「いや~、まじ幸せだなぁ~!」「めっちゃ、感動したよ~」「自然と涙が出てきた、、、」
心のそこから沸き起こってくる幸せ。この感情は、「自分自身が既に幸せである、既に満たされている」ということに気付いた時に起きるものだと思います。
つまり、足るを知って、欲望をコントロールすることで、幸せはいくらでも体験できるものです。
幸せは、自分の心に内在している感情であるから、それに気付かない限り、いくら物質的に恵まれていたとしても、幸せを感じることはできないのですね。だからこそ、貪欲であっても、禁欲であっても駄目なんだと思います。
仏教国であるブータンは、この中道を国家戦略として、「物質文化と精神文化の中道を目指す」としています。
もしこれが実現できたならば、(既に実現しているので、このまま中道の道で発展を続けられたら)、ブータンという小国は、まさに「世界の最先端をいく、豊かな国」「持続可能な発展を続ける国」になるのではないでしょうか。
今回の旅を通して、仏教の考え方を近代社会に組み込みながら、一歩一歩成長を続けるブータンを感じることが出来ました。
そして、10年後、20年後先にどうなっているか、再度ブータンを訪れてみたいと思いました。
ヒマラヤ山脈の麓の小さな仏教王国「ブータン」に出会えたことに感謝しています。
Kadrinche La(カデェンチェラ)。ありがとうございました。
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