知足

自然と共に素敵に生きたい

持続可能な社会を考える

2009年08月11日 | ガイア

 「地球温暖化」による気候変動の問題は、環境問題、社会問題、経済問題、格差問題など私たちが取り巻く種々の問題の中の一つである」という認識はすごく大事だと考えています。

 私たちが未来の子供たちも含めて、この美しい地球上でいかに幸福な暮らしを続けていけるか、戦争も貧困も生物の絶滅も極力ない世界をどのようにビジョンとして描くことができるかがとても重要だと思っています。

 つまり、地球のエコロジカルフットプリント内で"持続的"に未来の世代も含めて世界中の人々が幸せを教授できる社会をどう実現するかという問題を真剣に考える時代に来たのだと思っています。

 持続可能な社会を考えるときにハーマン・デイリーの三条件というのが参考になります。

  • 再生可能な資源の消費ペースは、その再生ペースを上回ってはならない
  • 再生不可能な資源の消費ペースは、それに代わりうる持続可能な再生可能な資源が開発されるペースを上回ってはならない。
  • 汚染排出のペースは、環境の吸収能力を上回ってはならない。

 持続可能な社会のビジョンは人それぞれであって構わないと思います(多様性)。例えば、低炭素社会、循環型社会、自然と共生した社会、文化や宗教など心の豊かさをもっと大事にする社会 などなど。 

 そして、そういった持続可能な社会の実現に向けて取り組む時に、沢山の問題が複合的に絡みあっていることを広い視野を持って捉えることがとても重要です。貧困問題、人口問題、食糧問題、水問題、砂漠化問題などが密接に絡んでいるということは、少し想像すれば分かりますし、公害問題、森林伐採問題、生物多様性問題などなど、それ以外にも本当に沢山の問題がありますが、温暖化問題もこれらの沢山の問題と複雑に絡み合って起きている問題です。

 温暖化問題=CO2問題を大きく取り上げすぎることで、その他の問題、持続可能な社会を実現する上で解決すべき他の問題が手薄になってしまうことではいけません。広い視野を持ちつつ、個々の問題に注力して取り組むことが大切なんだと思います。

 ただし、ある種のブームのようになっている温暖化問題ではありますが、私はこの動きをチャンスと捉えていて、温暖化問題をきっかけとして、多くの人が物質偏重的、経済至上主義的な世の中では立ち行かなくなっていることに気付き始めていて、またそういった世界からダイナミックに社会の価値観を変える時代が来ていると感じています。

 21世紀に入り、エネルギー革命と精神革命が今まさに同時に起きていると感じていますが、これに気付いた人が少しずつでも行動を起こすことが重要なんだと思います。

 


旭山動物園

2008年02月26日 | ガイア

 北海道、旭山動物園に行ってきました。

 旭山動物園は、冬のぺんぎんのお散歩など動物たちと身近に接することができるのが人気の理由の一つ。
 随分前から行きたいなぁっと思っていたので、夢がまた一つ叶ったのですが、実際に行ってみてその感動は予想以上のものがありました。

 

 まず園内に入って最初にアザラシのもぐもぐタイム(動物にえさをあげるところを見学できる)をみて、その後に訪れたのが「北極熊館」
 真っ白な毛の愛くるしい北極熊。その姿をみた時の感動、感激、衝撃は、ほんと凄かったです。

 「おおお~~~~、で・か・い・~~~~~!!!!」

思わず、叫んでしまいました。

 地上で最強の肉食動物と言われる「北極熊」。ピラミッドの頂点に君臨する動物のその大きさ、迫力は想像を絶するものでした。

 

 


 旭山動物園に行って是非見てみたいと思っていた動物のひとつ「アムールヒョウ」にも会ってきました。鮮やかで実に美しい「ひょう柄」。その美しさ故に乱獲、密猟がすすみ、今では野生のアムールヒョウはロシア極東の沿海地方にわずか30頭しかいないそうです。
 「FoE Japanでアムールヒョウが直面している現実」を知っていただけに、運動不足を解消のためか狭いおりの中をぐるぐる同じ場所を回っている姿をみて、なんともいたたまれない想いでした。

 ドキュメンタリー映画「アース」で野生動物の姿、地球温暖化による異常気象などによる動物たちへの影響や乱獲や密猟といった人間の営みからくる絶滅の危機に瀕している動物たちの姿を先日みたあとだっただけに、「アース」でも登場した「北極熊」、「アムールヒョウ」、「ぺんぎん」、「あざらし」、といった動物たちがおりの中から観光客に愛嬌をふるう姿は、私たちに無言で"何か"を訴えかけているように感じました。

 北極熊が生息する北極海の氷は、急激な勢いで消失していっているそうです。「昨年9月には約30年前に比べて40%も縮小。これは観測史上最小だ。ここ数ヶ月間で海氷が大規模に崩壊しており、今夏には極点から氷が消える可能性もある。」と日経エコロジー3月号に掲載されていました。
 餌をとるために海氷の上を歩いて生活している北極熊にとって海氷が消滅することは、餌をとることができず飢えて死ぬことを意味します。
 襲われたら人間なんてひとたまりもないだろうなぁ、、っと北極熊を見ながら、こんな大きな動物が飢え死にするなんてことがあるのだろうか、、、温暖化の影響は計り知れないものがあるのだろう、、、っと考えさせられました。

 「もぐもぐタイム」でアザラシに餌をあげるお兄さんは、餌をやりながら「温暖化の影響で北海道に来る流氷の数が減ってきていて、このままどんどん温暖化が進むと可愛らしいアザラシ君たちが北海道に来なくなるかも知れない」という話をしていました。

 動物園は、動物たちが抱える絶滅という危機や自然環境破壊や温暖化といった問題を私たちがより身近なものとして捉えられる場所として、とても重要なんだろうなぁっと思いました。

 動物たちが、その本来の姿、野生の姿をいつまでも維持できるように私たちに何ができるのかを本気で考えていきたいですね。


アース

2008年02月11日 | ガイア

 先日、「Earth」 という映画を見てきました。
 地球「ガイア」のもつ素晴らしさ、偉大さ、そして絶妙なバランスの上になりたっている神秘さ、そしてその脆さ、、、、とても考え深いドキュメンタリー映画でした。

 太陽と地球の位置関係、地球の大きさと太陽の大きさ、23.4度傾いた地軸によって生まれる四季のリズム、、、、などなど地球という天体は"生命"を育む上でまさに絶妙なバランスの上に成り立っていると言われています。

 この映画では、地上で最上位の肉食獣と言われる「北極ぐま」の暮らしから旅をスタートし、針葉樹林のツンドラの大自然を抜け、亜熱帯の広葉樹林、南下して熱帯雨林の多様な生き物達のすばらしを、また雨季、乾季、ハリケーン、季節風といった太陽エネルギーによる水の循環を通して生命が育まれているというまさに神秘的な生命体である「地球」の素顔を最新の映像技術で描いています。

 環境保護を訴えるやり方としては、二通りあると思います。
 一つ目は、地球が今どういう状況に直面しているのか、問題点を科学的な見地から明らかにして、その危機感から環境保護を訴えるやり方です。「成長の限界」「沈黙の春」「地球白書」といった本やちょうど昨年の今頃一大ブームになった映画「不都合の真実」もこの部類だと思います。

 もう一つのやり方が、人間や自然、宇宙、地球、生物、など自然の持つ素晴らしさ、神秘的な出来事を体験し、伝えていくことで市民の感受性に直接訴えかけ、それによって環境問題への関心を高める方法です。伝統文化やロハスな暮らし、世界遺産やエコツーリズム、「アース」や「ガイアシンフォニー」といった映画などもこの部類だと思います。

 「アース」を見た後、映画館を出て東京の街を歩いていると先程までの映像がなんだか現実離れしているような気がしてしまいました。しかしその直後、いや違う!現実離れしているのは「東京の方だ!」っと思い直しました。

 スキー場で降りしきる雪の日に、リフトに乗りながら”ふと”空を見上げることがあります。ゆらゆら、揺れながら天空から舞い降りる雪、全ての音を吸収しピーンと静まり返った"無"という音。大自然の中にいると頭では無く、心で感じる何かがあります。屋久島や白神を旅した時も自然の持つ偉大さに圧倒され、感激しました。

 感動こそが人を動かす原点なんだろうっと思います。この素晴らしい、愛おしい、自然をいつまでも守っていきたいですね。

 ドキュメンタリー映画「アース」お勧めです。


熱帯雨林

2007年11月14日 | ガイア

 先日テレビでアマゾン熱帯林伐採の特集をやっていました。

 今、世界で食糧をめぐる“戦争”が進行しているというショッキングな内容でした。その主役となっているのが大豆。
豆腐、納豆、醤油と日本の食卓には欠かせない大豆ですが、実はその殆どが輸入に頼っているそうです。
 また中国での需要の伸びは著しく、爆発的に穀物消費量を増大させ、世界の大豆輸出量の40%を買い占めるまでになっているそうです。

 一方アマゾンの熱帯雨林地帯では、この大豆の需要に目をつけ、ブラジルの大豆輸出量はこの10年で急増し、世界一の輸出国となる勢いになっています。この急激な大豆の作付けに伴い、伐採による森林の消失が深刻化しているそうです。
 地球上の酸素の約1/3がアマゾンで作られているといわれていますが、そのアマゾンが一昨年だけで東京都の12倍の面積が消失し、今も違法伐採が続いているそうです。

 違法伐採を引き起こしている大豆は、そのまま利用するだけでなく牛や豚など家畜の飼料に至るまで、ありとあらゆる所で日本の食を支えています。大豆の自給率は、今や97%を輸入に依存している日本の現実を考えると、アマゾンにおける森林伐採は私達自身の生活に関係する重大事件なのです。

 私達は、資本主義社会の中でとても豊かな生活を送っていますが、資本主義やグローバル化は生産者の顔が見えず、手にするものや食にするものがいったいどういう経路を通り生産されたのかが殆ど分からないという問題を抱えています。

 今朝のニュースで月探査機「かぐや」から届いた「青く光る美しい地球」の映像が紹介されていました。母なる地球は、共に生き、共に支えあう生き物たちによってその輝きを放っています。人、動物、植物、鉱物、火、月、水、、、、すべてが共存共栄しています。
 生物多様性に非常に富んだアマゾンの森林破壊によって私達の食生活が成り立っている現実は、決して見過ごしてはいけないことだと感じました。

 食糧問題、貧困問題、南北格差問題、温暖化問題、水問題、、、、これら全て人間が引き起こしている問題によってこの美しい生命体「ガイア」のバランスが崩れかけている現実に一人ひとりが向き合っていく勇気が今求められていると思いました。

 


ディープ・エコロジー

2006年12月09日 | ガイア

 「持続可能な発展
よく耳にすることが多くなった言葉ですね。

 「持続可能な型の経済成長を目指す
ほんとにそんなことが可能なのだろうか。

 今もっぱら騒がれている「持続可能な発展」は、その言葉の真の意味合いを反映していないように思います。

「持続可能」といってもあくまで「人間との関係において持続可能」であるにすぎない。(アルネ・ネス)

 ガイアの悲鳴を純な気持ちで見つめるならば、もう「持続可能な発展」は、不可能であり、「持続可能な撤退」をすることを真剣に考えなければ、ガイアはもうその調整能力では立ち行かなくなってきている。(ガイア理論の提唱者ジェームズ・ラブロック)

 あくまで今の経済システムの延長でエコロジーを考えるのではなく、根本理念として解決を図っていかなければならないと思います。そこで、ノルウェーの哲学者アルネ・ネスのディープ・エコロジー運動の基本原則(プラットホーム)を紹介したいと思います。

  1. すべての生命はそれ自身の本質的価値を固有に持つ。この価値は、人間にとってどれだけ有用かという使用価値とは関係がない。(生命には、山や川といった存在も含めて考える。)
  2. 生命が豊かに多様なかたちで存在することも、それ自体、本質的価値を持つ。
  3. 人間は、不可欠の必要を満たす場合以外に、この生命の豊かさや多様性を損なう権利を持たない。
  4. 人口の減少は、人間にとってよいことであり、また人間以外の生命にとっては現在よりはるかによい状況をもたらす。
  5. 今日、さまざまな生態系に対する人間の介入は、その規模(量)の面でも特性(質)の面でも持続可能なものではなくなっている。また、持続性喪失の度合いは増大している。
  6. 地球上の生命が置かれたこのような状況を劇的に改善しなくてはならないが、そのためには、社会・経済・技術・イデオロギーのきわめて大きな変革が必要になる。
  7. イデオロギーの変革は、物質的な生活水準、とりわけ「先進国」に住む人々の生活水準の向上を図るのではなく、生の質(QOL: quality of life)の改善を求めることを本義とするものになる。
  8. 上記の項目に同意する者は、間接、直接を問わず、必要な変革を現実のものとするための取り組みに貢献する責任を持つ。

 


地球交響曲「GAIA SYMPHONY」 第六番

2006年12月04日 | ガイア

 来年のGW公開予定の地球交響曲「GAIA SYMPHONY」第六番の試写会に行ってきました。
ガイアシンフォニーは、私自身の心の響きになっているとても大事なシンフォニーで、過去一番から五番までの作品から多くのこを学び、共感してきました。
 第六番が完成したという知らせがダイレクトメイルで届き、その試写会の案内を見た時、感激しました。なんと試写会では映画上映後に「佐治 晴夫教授と龍村 仁監督との対談」を企画していると書かれていたのです。
 大学時代、佐治教授の物理学の講義をうけていて、教授は私が一番尊敬している方の一人であり、恩師なのです。教授との出会いは、私にとってとても大事な意味があると思っています。
 NASAの宇宙人探査計画の第一人者でもあり、詩人でもあり、ビックバンの研究者であり、はたまたパイプオルガンの演奏者であったり、最近では、般若心経をサンスクリット語から物理学の視点で訳すなど、ほんとすごい教授なのです。
 佐治教授とは卒業後も不思議な縁が重なり、何度かお会いする機会に恵まれました。お会いするたびに「きっと先生は、ガイアシンフォニーとどこかで結びつく(ついている)のだろう」と漠然と思っていました。その予想が的中したというか、必然を感じたというか、、とにかくガイアシンフォニーを見た後に教授のお話が聞けるなんて、ほんと夢のような話だと思いました。

 講演会では、最先端の科学の視点から「虚空」とは何か、「人はなぜ産まれたのか」といった哲学的なことをユーモア溢れる詩人のような語り口でお話されていました。

 さて、今回の第六番の感想ですが、、
 映画は宇宙から見た美しい星「ガイア」の映像と心地よい音楽から始まり、その後の映像でいきなり私の心は釘付けになってしまいました。出てきた光景は、インドオールドデリー、ニューデリー、そしてリシュケーシュだったのです。今年の春にインドを旅した際に立ち寄った聖なる河ガンガー沿いの街リシュケーシュの映像は、私の記憶を呼び覚まし一気に引き込まれていきました。

 その冒頭の語りでは、「ここインドは、貧困と繁栄、宗教と科学、(略)、相反するものが混沌と存在し、すべてを内包している」というくだりでした。私が感じたあのインドの混沌の世界とその根底にあるヒンズー教の世界観は、ガイアシンフォニーのテーマでもある「全ての存在は共鳴している」ということにまさに繋がると思いました。

 「Nada Brahma」(音は神なり)
 第六番のテーマとなっている言葉ですが、ナーダ ブラフマーは、ヨガの聖典にも出てきます。その深い意味は、私の拙い表現力ではなかなか伝わらないと思うので、以下映画の解説を転記しておきます。

-----
 最近のめざましい科学技術の進歩によって、この宇宙の全ての存在、すなわち銀河系、太陽系、地球、海、山、川、森、岩、動物、植物、バクテリアから原子のひとつひとつまでもが、それぞれに独自の"音楽"(vibration)を奏でていることが分かってきました。「人間が"音楽"をつくる以前に、"音楽"がこの宇宙をつくり、生命を生み出し、人間をつくった」という宇宙物理学者もいます。
 
 「ナーダ ブラフマー = 世界は音なり」という言葉があります。
 数千年前から伝えられているインド、ヒンドゥー教の教えですが、これと同じ教えは、仏教をはじめ世界のあらゆる宗教や神話の中にもあります。
 我々人類は、科学が進歩するはるか以前から、この真理を知っていたのです。
 21世紀の科学は、宇宙物理学、電子工学、生物学、医学、遺伝子工学など、あらゆる分野で、この「ナーダ ブラフマー」という真理を再発見しつつあります。

 我々が住むこの世界は、生々流転する全ての存在が、それぞれに独自の"音楽"を奏でながら、互いに響き合い、次々と新しいハーモニーを生み出しつつ、ライブ演奏されてゆく壮大なシンフォニーのようなものなのです。

 ところが最近、この悠々のシンフォニーの中に、著しく調和を乱す"音楽"が聞こえるようになりました。我々人類が発する"音楽"です。甚だしい不協和音が発せられ続ければ、シンフォニーは当然調和を失い、カオス状態に陥り悲惨な結末を迎えることになります。

 我々人類が不協和音を奏でるようになった理由ははっきりしています。
 自分だけの利便や安楽を求め続けるあまり、自分以外の存在が奏でる"音楽"を聴く耳を閉じてしまったからです。共演者が奏でる"音楽"を聴かないで、美しい交響曲の創造に参加することなどできるはずがないのです。

 今我々人類に早急に求められているのは、自分以外の存在が奏でる"音楽"を聴く耳をもう一度開くことです。そして、"耳を開く"ことはとても簡単で楽しいことです。
 閉じているのは我欲に呪縛された"耳"だけです。私達のからだを構成する10の28乗個もある原子の一つ一つは、今この一瞬にも、外の世界に存在する全ての原子達と響き合いながら、美しいシンフォニーを奏でています。それが"生きている"ということです。

 内なる音楽を聴くことは、外なる"音楽"を聴くことであり、外なる"音楽"を聴くことは、内なる"音楽"を聴くことです。

 「音を観て、光を聴く」旅、それが「地球交響曲 第六番」の旅です。
 

 


華麗なる変身

2006年07月29日 | ガイア

 ほんのり暖かく、弾力があって、いい香りのする「

 我家では、お野菜の皮やへた、魚の骨などの残飯は生ゴミ処理機で土に返しています。夏場なら1週間もすれば沢山の微生物君たちの活躍ですっかり跡形もなくなり、「」に返ります。

 窒素やリンなど栄養満点のこの「」は、そのままだと粘土のようにどっしりとしていて通気性が悪いので普通は細かい砂利や軽石などを混ぜてから植物を植えます。ところが、1ヶ月ぐらい前に植木鉢に随分長い間放置していた「」に花を植えようと触ったところ、黒くてとても軽い米粒くらいの大きさの「」に変化していてすごく驚きました。

 子供の頃、カブトムシやクワガタの幼虫を飼っていたあの「」とそっくりなとても「美味しそうな土」。もしやと思って、スコップで少し掘り返してみたところ、やっぱりいました「カブトムシの幼虫」たち。どこからか飛んできたカブトムシ君が卵を産んだのでしょう。カブトムシの幼虫が、土を呑み込み、消化し、丸っこい糞として排出し、植物にとって最高の「」を作ったのですね。

 ダーウィンによると肥沃な土壌は、ミミズによって作られるというのを中学の理科の授業で習って、感動したのを思い出しました。ミミズの身体は、一本の腸のようなもので、「土」を大量に呑み込み、有機物を吸収した後、粘液とともに大量に糞塊として排出する。ミミズの糞塊は、植物にとっては肥沃な土壌となる。カブトムシの幼虫も同じような役割を果たしているのですね。

 そういえば、カブトムシの幼虫は白くて弾力のあるお餅みたいで、とてもかわいらしいですが、あの幼虫がカブトムシになるのって、すごく不思議ですよね。

 ちょうどこの時期、幼虫は土の中に丸い団子を作って、その中で蛹になります。こどもの頃、このスコッチエッグのような丸い塊を間違って割ってしまったことがありました。すると、仲からどろどろとしたちょっと気持ちの悪い液体が出てきて、ぎょっとしました。

 その正体は、幼虫から蛹に変わる途中のカブトムシだったのです。幼虫は、小さな脳と心臓、腸の一部といったごく僅かな部位を除いて、分子レベルにまで解体され、どろどろになる。このどろどろした分子が再び新たな結合を始め、組織化され、蛹になり、やがてあの硬い兜をまとったカブトムシに変身する。

 もとを辿れば食べ残した残飯を微生物や細菌が分解して「」にして、それを幼虫が食べ、大きくなった幼虫は一旦どろどろに解けた後、カブトムシに変身する。そしてやがてはカブトムシも死んでまた土に返る。

 なんと不思議で神秘的な生き物の営みには、ほんと驚かされます。

 結局、カブトムシ君が住み着いた植木鉢はそのままにしてあるので、そろそろ幼虫から見事に変身を遂げたカブトムシ君が飛び立っていくことでしょう。とても楽しみです。

 


地球交響曲「GAIA SYMPHONY」第5番

2006年05月21日 | ガイア

 地球交響曲「ガイアシンフォニー」第5番を見てきました。

 第5番は、「全ての存在は繋がっている」というテーマの元、第1番から第4番までに出演された方々との再会を通して、私たち人間と一つの生命体「ガイア」、そして全宇宙との繋がりを見つめ、私たちが未来に対してどう生きるべきかを問いかけているように感じました。

 ガイアシンフォニー第1番を初めて見たのは、もう7年も前になります。第1番を見た時、私の心に稲妻のように走った感動、衝撃は今でも忘れることができません。第5番を見て、私がこの7年間に考えてきたもの、見てきたもの、感じてきたものが走馬灯のように蘇り、私の想いがこの映画に集約されているなぁと改めて思いました。

 ジャック・マイヨールに刺激されたこと、野口健さんの講演会、ノーベル物理学者小柴昌俊さんの講演会や佐治晴夫教授との再開と宇宙への想い、お坊さん(天海さん)との出会い、円覚寺での禅寺座禅会、大自然の中で行うスキーや登山、鳥肌が立つ程に感動した屋久島での体験、安曇野で学んだパーマカルチャー、ローハス的な暮らし、インドへの一人旅、そしてなによりもヨガを通して感じること、、、

 すべては偶然ではなく、つながっている。
 この映画は私にとって原点になっている。
 この映画との出会いも「偶然ではなく必然なんだ」

 映画をみながら涙がとまりませんでした。