眠らない街、東京
林立するビル
アスファルトで塗り固められた路地エレベーターとエスカレーターが上下し、
扉が開くと一目散に席を奪い合うふー、っと汗をかいてエアロバイクをこぎ、
ヨガで癒しを求め、
カラフルな服でお洒落だねと、笑顔この忙しい東京では、行き過ぎた便利さと引き換えに
イライラと贅沢があふれ、なんとか調和をとろうと
癒しがブームとなっている陰と陽、+と-、
常に自然は調和がとれるように作用する資源消費型の街の生活と
のんびりと自然に囲まれた田舎の暮らし
これも調和ところが、その調和を取るはずべき田舎も
悲鳴をあげている
里山は荒れ、林業が荒廃し、
鳥がいなくなり、
熊が街まで降りてくるこうなると、どこで調和を取るというのだろう
街も人も 田舎も 自然も 蟲も 海も 星も
空気も 文化も 森も 月も 歴史も 自然も 太陽も、、、全てが複雑系として、
どこかで関係し合いながら
この世界は成り立っているさて、
一つの生命体であるこの美しい母なる地球「ガイア」
この先、どうやって調和を取っていこうとしているのだろう
政府による「バイオマス・ニッポン総合戦略」が注目されてきています。温暖化対策の切り札のように言われている面があるバイオマスですが、どうもそんなに簡単な話ではないようです。
ジェームズ・ラプロック氏やレスター・ブラウン氏が指摘していてのを読んで私も「え!」っと驚きました。
バイオマスは、植物が空気中のCO2を吸収し、その植物由来の原料によって生分解プラスチックを作ったり、エタノールなどの燃料にしたりすることで、消費する際のCO2排出と相殺され、温室効果ガスの収支がゼロになるという「環境に優しい」技術。
石油価格の高騰を受けてアメリカでハイブリットカーが売れていうるという記事を読みましたが、(環境に優しいからというよりかは、ガソリンが高いからという理由には??ではあるが、、、)、アメリカでもエネルギー問題の観点からもこのバイオマスエネルギーに対する注目が集まり、食べるためではなく、エネルギー資源として とうもろこしなどの穀物の需要が高まっているそうです。
実はここに落とし穴があるのですね。ガイアは、その森林の半分を主に先進国社会の食糧を支えるために農地化され、パルプや木材のために大量に伐採されています。
そこに今度は、バイオマスのための農地開拓が加わるとますます環境破壊が進み、富める国のために貧しい国の環境が破壊され、ガイアは更にダメージを受けてしまうというのです。
バイオマスを考える際には、廃食用油のバイオディーゼル化とか、耕作放棄地のエネルギー作物(資源作物)-なたね、さとうきび、さつまいも等-の生産基地への大転換など、生態系をこれ以上破壊しない形での実現が大事になってくるのですね。
「良かれとしてやっていることが裏目に出る」ということの典型だなぁ、と考えさせられました。
「9月の出生数、ほぼ横ばい。出生数は7カ月連続で伸びていたが、ブレーキがかかった可能性がある。」というニュースが報道されていました。皆さんはこのニュースをどう読みましたか?
以前から私は「人口減少に関する報道」にどうも納得がいかないと思っているのですが、人口減少は本当に問題なのでしょうか。
マスコミでは、毎日のように少子高齢化問題や人口減少の問題を取り上げていますが、報道の前提となっているのは、「人口減少は大問題」ということ。確かに高齢化社会になり、若い世代が減少することで働き盛りの世代が減少すると経済的に問題になる、あるいは高齢者をどのようにして社会が支えあうのか、といった懸念点は否めません。
しかし、だからといって「人口減少そのものが悪」という論調には、短絡過ぎると思います。
世界的視野でみると人口は65億を超え、貧困問題や食糧問題、自然環境破壊や温暖化問題など人口が増え続けることで深刻な問題が発生しています。
エコロジカルフットプリントによると私たち日本人のような資源消費型の生活スタイルを世界中の人が行うには、地球が2.4個必要という試算が出ています。
ガイアの中では一生物種に過ぎない人間が、ガイアの許容量を遥かに超えて増え続け、またこのまま物質的な豊かさを求め続けていくならば、もう明らかにガイアが持っている自己調整能力では立ち行かなくなっているのは誰もが直感として理解できることだと思います。
貧しい国では、毎日の生活をどう乗り越えるか、どうやって食べていくかという生存問題が第一優先となり、働き手として子供を沢山産み、人口が増え続けていきます。その流れを断ち切り、生活レベルが向上し経済的にあるいは文化的に豊かになってくると人口は減少、あるいは安定状態となっていきます。
日本では20世紀の高度経済成長期を経て物質的な豊かさが充分に満たされ、21世紀では癒しの時代、精神的豊かさを求める時代に入っていると私は考えています。この様な社会では、必然的に人口は適正規模に落ち着くように増えすぎた人口が減少し、ある時点で調和がとれて安定期に入ると思うのです。
「人口は多いほうが良い」という短絡的な考え方ではなく、人口が安定した社会の中でまずは国内だけで資源やエネルギーのバランスをとっていき、環境負荷を±ゼロにし、文化的にも経済的にも豊かで安定した社会をどう実現していくかが「人口減少」が私たちに投げかけている問題なのだと思います。
その上で複合的に絡み合う地球環境問題について広い視点に立って解決策を模索していくべきだと思います。
ようやく朝晩の寒さが深まり、東京でも紅葉が見頃となってますね。
去年の今頃、秋の京都を旅しましたが、その時も「今年は紅葉が2週間ぐらい遅れてますね」と訪れた茶室で地元の方と話したのを思い出しました。先日、友達と話をしていて「今年は、紅葉しないで落葉してしまう木がたくさんあるらしいよ」という冗談にもならない話をしていました。
毎年のように紅葉が遅くなっているのは事実なので、ちょっと調べてみました。
『紅葉といえば秋の季語。しかし近い将来、紅葉狩りを楽しみながら正月を祝ったり、ウメの花見をすることが一般的になるかもしれない。気象庁の報告によれば、地球温暖化の影響で1953~2004年の50年間にカエデの紅葉日は15.6日、イチョウは10.7日遅くなった。「長崎ではカエデの紅葉が41日もずれ込んだ。ここ数年、九州や四国では紅葉とウメの開花を一緒に見ることが珍しくない」と、温暖化の生物影響を調べている瀧谷大学の増田啓子教授は指摘する。』(日経エコロジーより)
「温暖化は、もう待ったなしの状態に来ている」とジェームズ・ラブロックは激しい論調で「ガイアの復讐」で訴えています。
私たちは、温暖化が問題なのは「理解している」のですが、いくら異常気象や海面上昇などの報道を見聞きしてもまだまだ"他人事"としてませんか?
地球環境問題は80年代の公害のように被害者、加害者といった構図による一部地域での社会問題とは明らかに違い、私たち一人ひとりが被害者であると同時に加害者であるという認識を持つことが非常に大事だと思います。
この認識に一人ひとりが真剣に向き合い、普段の生活の中で問題解決を図っていく、行動していくことが求められています。
『知行合一』という言葉がありますが、知識だけではなく行動が求められていることを真摯に受け止めたいですね。
ダライ・ラマ法王東京公演に行ってきました。
ノーベル平和賞を受賞されているダライ・ラマ法王14世に一度謁見させてもらいたいと随分前から思っていましたが、その機会がついにやってきました。
政治的に大変な状況におかれているチベットの指導者としてだけにとどまらず、世界平和、環境問題などその活躍には本当に敬服します。
公演での話は、法王の人柄が随所に現れいて、お話の一つ一つに胸にぐっとくる想いがしました。
物質的な豊かさを享受している日本では、豊かであるはずの国民生活は虐めや自殺などの深刻な教育問題を抱え、残忍な殺人事件や飲酒運転による悲惨な事故が後を絶えないでいます。「こころ」をどこかにおいて来てしまったのではないか?いったい豊かさとは何なんだろう?こんなに豊かな国なのに、、、
私自身、この軽薄になってしまった文明生活に対して、何かできないか、どうしたら本当の意味での「豊かさ」、「こころの豊かさ」を取り戻せるのか、と悩んでいました。
そんな中での法王の公演は、私にとって勇気付けられる素晴らしいものでした。
私利私欲を滅し、人のために尽くし、自然を大事にし、慈悲のこころを大事にする仏教の教えは、宗派を超えて受け入れられるべきものであるし、日本人の文化的基礎となっているのはこの仏教的な思想によるものだと思うのです。この「こころ」の大事さを改めて痛感しました。
『私達一人ひとりが内なるこころに耳を傾け、家族を大事にし、いたわり、そのこころを更に広げて地域社会への思いやりを持ち、さらに世界に目を向け、対話と思いやりを常に忘れずに一人ひとりが行動していくことで世界平和は必ず達成される。』このメッセージを胸に刻み、勇気を持って行動していきたいですね。
会場は満席で、どちらかと言えば20代、30代ぐらいの若い人が多かったです。公演に来た理由は人それぞれだとは思いますが、危機意識を持っている人もたくさんいたのではないかと思います。