知足

自然と共に素敵に生きたい

里山

2008年03月23日 | 木を植える

 FoEの里山ボランティアに参加してきました。
久しぶりの里山ボランティア参加だったのですが、今回は「椎茸の菌打ち」と「コナラの移植」が主な作業でした。

 幼い時によく裏山で1mぐらいに切ったクヌギの木が枕木のように組んであって、そこからキノコが生えているのをよく見かけましたが、自分でキノコの菌打ちをするのは初めて。いったいどうやってキノコが出来るのだろう…っと興味津々。実際やってみて、すごく楽しかったです。

 里山に生えていたクヌギの木を切ってホダ木にして、そのホダ木に穴を開け、シイタケの種駒を埋め込む作業は、かなり楽しかったです。菌打ちしたホダ木からは約2年で椎茸がなるそうです。

 里山は日本の原風景であり、都会から少し離れればたくさんありますが、その役目は驚くほど多彩です。

 例えば、関東平野は関東ローム層と言ってもともと痩せた土地ですが、昔の人はそこに里山を作り、クヌギやコナラなどの広葉樹を植えて、その落ち葉から腐葉土を作って畑や田圃に撒くことによって土を肥やしてきました。また、竹を育てて竹の子を取ったり、竹から梯子などを作ったり、ホダ木にして椎茸を栽培したり、栗を収穫したり、、、自然を育て、自然を利用し、生活の場として発達してきました。

 里山は人が手を加えることで生まれた自然ですが、その多様性はとても豊かです。最近では西洋からビオトープという言葉で紹介されることも多くなりましたが、里山は自然と共に生きる日本人の知恵、文化なんだと思います。

 都会からちょっと郊外に出ると驚くほど豊かな里山が広がっていることに驚かさせられます。しかし、年々日本各地の里山が手入れされなくなり、荒れてきているそうです。

 私がボランティアとして手入れを行った里山も周りが住宅地で世話をする人がいなくなってしまったために、東京都の依頼をうけて環境NGO FoE Japanが手入れを行っているところです。

 身近にありながら大変多様性に富んだ緑豊かな里山を皆の力を合わせて守っていきたいものですね。



バックカントリー

2008年03月18日 | スキー

キロロスキー場ゴンドラ山頂駅からみた今回滑った余市岳。左側の尾根を滑りました。

 山岳ガイド立本 明広さん、プロスキーヤー山木 匡浩さんと一緒に滑るバックカントリースキーツアーに参加してきました。
 場所は、北海道 テイネ、キロロ、朝里エリア。

 
 

板の裏にシール(滑り止め)を貼って雪山を登る。右下の写真は山頂から見た羊蹄山。

 雪崩講習やビーコンなどの装備の説明をしっかりとレクチャーしてもらい、安全を確保した上でキロロスキー場のゴンドラ山頂(朝里エリア)からスキー板にシールを貼って登山開始。
 約3時間かけて余市岳に登り、まるで富士山のような綺麗な形をしている羊蹄山を望みながらパウダー?(というよりは春雪+ざくざくハードバーン)を堪能してきました。

 

プロスキーヤー山木 匡浩さんの滑り

 どこまでも続く白銀の世界。

 静まりかえった雪原に堂々と佇む白樺の木。

 北海道の大自然をまさに満喫してきました。

 

ツェルトの使い方や雪洞の作り方をレクチャーしてもらいました。

 今回のツアーでは、遭難した際などいざと言う時に役に立つ雪洞の作り方やツェルト、ロープなどの使い方を教わりました。
 雪洞は、かまくらを作るような感じで、かなり楽しくて、参加者全員 童心にかえってまさに夢中になって作りました。

 大自然を満喫できるバックカントリースキー、しっかりと知識を持った上で安全には最大限に配慮しつつ、これからも楽しみたいと思っています。

 


国民総幸福

2008年03月12日 | YOGA

 食中毒騒ぎや反日問題、北京オリンピック開催、黄砂、、などなど、話題に尽きない隣国中国。日本企業が次々に進出し、今や中国なくしては日本の経済は語れないと言われます。

 凄まじい勢いで成長を続ける中国経済は、その華やかな側面の一方で"格差社会"という大きな歪みが生じています。

 数年前、中国内陸部の重慶に植林ボランティアに行ったことがあります。内陸部の農村では、もともと自給自足の生活をしていたところに少しずつ資本経済が都市部から遅れて訪れ、現金収入が必要な生活が始まっています。しかし、貧しい農家の収入はごく限られれたものです。生活するためにお金が必要になった農民は、少しでも現金収入を得るために農地を開拓し、山という山を全て丸裸にして開墾していきました。
 重慶でも都市部から少し入った山間部では、全く木々がない丸裸の山が一面に広がっていました。木を一本残らず切ってしまった山は、当然のことながら土砂崩れを起こしやすくなります。
 長江流域では頻繁に洪水が発生し、1998年9月には44年ぶりの大洪水に見舞われています。この大洪水を期に中国政府は、森が持つ保水力を復元させるために植林に乗り出しました。

 日本から来たボランティアスタッフ、人民政府のお役人、農民が一緒になって丸裸になった山々に植林していくのですが、訪れてまず最初に衝撃を受けたのは、そこに暮らす貧しい農民の姿でした。

 村には電気や水道といった公共の施設は全く整備されておらず、土塀に藁葺きの屋根でできたすぐにでも壊れそうな家に住み、ほぼ自給自足的な質素な暮らしをしています。そんな農民たちにとって、限られた現金収入となる農地は、まさに生きるためのもの。
 その畑に日本から来た私たちは、木を植えていくのです。そのため、植林といっても梨などの果樹を植えることで少しでも現金収入が得られるような配慮をしていました。

 そんな貧しい農民の暮らしと、凄まじい発展を続ける都市部との格差の問題は本当に深刻な問題だと思います。

 先日NHKの「激流中国 富人と農民工」という番組を見ました。この番組でも次のように問いかけていました。

 「激流中国 富人と農民工」
 http://www.nhk.or.jp/special/onair/070401.html
 社会の中で格差が広がり、勝ち組と負け組の差が鮮明になっている。中国政府は、今、経済成長を最優先してきた結果、生まれた歪みの是正を最優先課題に位置づけ、「調和の取れた社会」「みなが豊かになる社会」建設をスローガンに掲げている。なぜ格差は拡大し続けるのか、貧しい人々がはい上がるのが困難な理由は何か。貧・富それぞれの現場に徹底的に密着し、中国政府が今、最大の課題とするこの問題に迫る。

 番組で中国政府は、貧困にあえぐ農民たちを出稼ぎとして都市部に呼び寄せ、都市での発展にとって必須となっている労働力を確保し、農民にとっては現金収入をもたらす政策を行っていると報じていました。そしてその結果、知識も経験もない農民たちが劣悪な環境で労働を強いられたり、若者が都市部に流れることで農村での労働力がなくなる空洞化が新たな問題として浮上していると報じていました。

 発展こそが貧困から抜け出せる道だと信じて邁進する中国経済。しかしその実態は、勝ち負けの論理がまかり通る格差社会を生み出しています。では、どうすればよいのか、、、、
 私は、世界中で見られる格差社会からの脱却の糸口として仏教国ブータンが進めている「国民総幸福」による経済に注目しています。

 現在世界経済の指標となっている「国民総生産」が、「物が豊かにあること」が社会の発展に繋がるという考えであるのに対して、「国民総幸福」は、「幸福」であることが発展に繋がるという考えであり、発想の大転換を意味しています。大乗仏教が国民生活の基礎にあるブータンは、"もの"ではなく"こころ"が豊かであることが国の発展に繋がるという考えとして「国民総幸福」を国策としている小国です。
 「国民総幸福」論について、ブータン王妃 アシ・ドルジ・ワンモ・ワンチュック陛下の言葉を引用したいと思います。(「虹と雲、王妃の父が生きたブータン現代史」より)

「国民総幸福」論

  私たちが懸念しているのは、私たちを駆り立てている価値観の問題です。世界の人口の大半が、極度の経済的苦しみに直面していることからして、物質的発展が必要なことは自明です。
  と同時に、いわゆる「富んだ半球」である北半球でも、心配、不安、ストレスといった精神的苦しみが大きいことを考えると、精神的発展が必要なことは、それ以上に明白です。技術革新、グローバリゼーション=世界市場化といった現象は、私たちの欲望および消費をますます煽り立て、私たちをいっそう官能主義的にしています。
  そうしたなかで、先進国、開発途上国とを問わず、世界の人々および政府は、よりよい生活といっそうの幸福を確保しようと努力しています。しかし、皆様もお気づきのように、現在の経済の主流は、個人が消費者であること、そして消費者が王様であることを正当化し、個人をその快楽に溺れさせています。
  こうした近代化のなかでは、人々はいっそう消費に走り、ますます消費の自由を追求します。企業にとっては、それが売り上げを伸ばし、市場を拡張する唯一の道です。こうした近代化の理論は、一般には疑問視されることはありません。しかし仏教徒としては、はたしてそれば倫理的な制度に基づいた本当の幸せをもたらすものかどうかを、考えねばならないと思います。

 仏教では、わたしたちが幸せで健全な社会生活を送るためには「四無量心」すなわち四つの無限の心、
 第一に人に楽を与える慈無量心、
 第二に人の苦しみをなくす悲無量心、
 第三に人の喜びを自分の喜びとして喜ぶ喜無量心、
 そして最後に恨みを捨てる捨無量心、

 この四つが必要であると教えています。現在進行中の近代化は、こうした仏教の理念に即した社会を実現する可能性を根底から覆すものなのではないのかと、自問せざるをえません。わたしたちブータン人は、本当の意味で開花した人間および社会を実現する、別な近代化の道があるのではないかと模索しています。ほんとに開花した人間とは、単に開発の主人公としての人間とは別物です。
 ブータンが心がけているのは、仏教に深く根ざしたブータン文化に立脚した社会福祉、優先順位、目的に適った近代化の方向を見出すことです。最近になってGross National Happinessすなわち「国民総幸福」という指針が各国でも真剣に取り上げられるようになりましたが、これはすでに二十年以上も前に現ブータン国王が提唱したものです。Gross National Happinessすなわち「国民総幸福」は仏教的人生観に裏打ちされたもので、わたしたちが新しい社会改革、開発を考える上での指針です。一部の人々は、仏教をはじめとする哲学的考察と、政治、経済は、異なった次元のものだと考えていますが、けっしてそうではなく、すべてが統合され、総合的に考慮されるべきものです。
 今日もっとも重要な課題は、西洋的政治・経済の理論と仏教的洞察との溝を埋めることです。仏教の活力と仏教社会の将来は、仏教の理想をどのようにして社会の進むべき方向、あるいは取るべき選択に肯定的に反映することができるか否かにかかっています。


 日本でもニートや失業率の悪化や自殺者の増加など格差社会の問題が露呈し、物質的には豊かであっても精神的には決して豊かでない社会構造に対して疑問視する動きが見られるようになりました。

 "こころ"の豊かさが発展の基本であるとする「国民総幸福」に経済活動を大転換する時代に来ていると思います。
 この「国民総幸福」を第一に考える社会、経済、政治が世界中に広まることができたならば、必ずや格差問題、貧困問題、環境問題、水問題、食料問題など人間活動に大きくのし掛かっている問題の多くが解決し、真に幸福な社会が実現するのではないでしょうか。


NGOに参加しませんか!?

2008年03月10日 | 環境問題

FoE Japan主催のシンポジウムに参加してきました。
 「欧州の気候変動政策とNGO ~低炭素社会に向けた市民からの提言~」
 http://www.foejapan.org/lifestyle/energy/event/080308.html

 昨年発表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)第4次評価報告書は、マスコミでも大きく紹介されました。この報告書によって地球温暖化が人間活動に起因することが科学的に明らかにされ、地球規模の気候変動、温暖化がますます進行していることが、一般の人にも広く知らされました。これはとても意味のある歴史的な出来事だったと思います。

 一方、京都議定書 第1約束期間を目前に控え、日本はこのままでは目標達成は非常に厳しいということをマスコミが盛んに報道しています。
 私たちは「地球温暖化」という環境問題について知識として知っています。しかし、気候変動、温暖化がもたらす影響度、深刻度がどれだけのものかしっかりと理解し、自分自身の問題として捉えている人は果たしてどれだけいるのか甚だ疑問に思います。

 今回のシンポジウムではヨーロッパ、特にその中でも環境先進国と言われるドイツとイギリスの政策、NGOの取り組みについて話を聞くことができました。ドイツやイギリスが気候変動、地球温暖化といった環境問題に対して、市民レベル、政府レベル、企業レベルのどのレベルの取り組みにおいても日本よりも遥かに進んでいるということを痛感させられました。

 特に環境NGOの活躍は日本人にとっては信じられないぐらいの規模があり、政府の政策立案、企業の姿勢に対して絶大な影響力を持っていて、その活動の大きさに衝撃を受けました。
 日本では、NGOに参加したり、NGOに資金援助することは、何となく意識の高い人がやることで、偉いなぁ、立派だなぁ、みたいな雰囲気があります。
 しかしヨーロッパでは、NGOに参加するのは言わば当たり前のことで、どのNGOが自分の考えに合っているか、どこのNGOに参加するべきか、ということを若い時から考え行動するのが当たり前であると聞いたことがあります。NGOに対する考えが下地からして日本より遥かに進んでいるのですね。

 例えばドイツでは環境税が法制化される際、NGOの働きかけが絶大な影響力となって市民や国会議員の意識を変えさせ、法案化することに成功したそうです。その時のキャンペーンでは、様々な団体、マスメディアと協同し、世論を動かすことを行ったそうです。特に驚いたのは、国際環境NGO団体であるFoEドイツが、キャンペーン用のコマーシャルを作成し、テレビで放映するといったことも行ったというのです。そのキャンペーン用の映画を見ましたが、すごく良くできていて世論を動かすことができるのも大いに納得できるものでした。
 日本のNGOがコマーシャルを作るなんてことは殆どないと思いますが、ヨーロッパではそれだけの財政力がNGOにあり、絶大な影響力を持っているということなんですね。

 市民の意見を代表するNGOが、政治や経済の流れを変えていく力を持っているということは、すごく羨ましいことだと思いました。私たち日本人ももっと積極的にNGO活動に参加し、環境問題というグローバルな問題に対して市民一人ひとりの意見が大きなうねりとなって世の中を変えていくことができるような社会にしていくことが大事だと今回のシンポジウムを通して改めて思いました。