知足

自然と共に素敵に生きたい

東洋と西洋

2008年06月05日 | YOGA

 最近暑かったり、寒かったりと温度差がやけに激しいですが、皆さんは風邪をひいていませんか?
 私は、久しぶりに体調を崩してしまいましたが、引き始めで「あ~、なんか変だなぁ~」っと思って用心して早めに休んだお陰で酷くならずに治りました。(ホーっ...)

 よく東洋医学は、"未病の医学"であると言われます。東洋では病気にならない身体作りが基本にあって、心技体、心と身体の両面から医学を捉えているのに対して、西洋は病にかかってしまった身体をどう治すかに主眼があるように思います。

 すでに重病になってしまった病に対しては西洋医学はすごく役に立ちます。ですので西洋医学も大事ですから、西洋と東洋の医学が結びつくことで、心も身体も精神も健全な状態に持っていけるのではないかと思います。

 私は幼い頃は身体が弱かったのですが、ヨガを始めて心と身体の両面を鍛えたお陰で殆ど風邪をひかなくなりました。

 少し体調が悪いぐらいの時(風邪の効き始め)に、あーなんかおかしいな~っと気付くようになって、無理しなくなり、ヨガで自然治癒力を高めることで薬も飲まずに治るようになりました。(もちろん、ひどい時は西洋医学の力を借りますが、、)

 少し話しが変わりますが、最近、医学や科学や物理における最先端の分野で、西洋が東洋に近づいてきているなぁーと感じることがあります。
 例えば、宇宙の誕生「ビッグバン」を研究している最先端の物理の世界で仏教の「般若心経(空の世界)」を研究しているなんて話を耳にすると、感動しちゃいますね。

 一昔前までは、"科学では証明できない物事"を信じようとしない唯物論的な思想が多かったようにも思いますが、唯物論的思想は非常に危険をはらんでいると思います。

 例えば、

 ""を科学で証明するなんてことは出来ません(今のところは、)が、だからといって「""は現実として存在している」ということは誰もが理解していることです。頭ではなく、心で。

 科学で証明できないからと言って否定するなんてことがあっては絶対に駄目だと思います。

 ヨガをしていると、この"心で感じる世界"に対してすごく敏感になってくるように思います。心を研ぎ澄ますと見えてくる、そんな素敵な世界観があるなぁーっと感じます。

 感じるとこ。創造すること。想うこと。。。。

 ついつい忘れがちの「感じる世界」を大事にしていきたいですね。
 そして、この「感じる世界観」こそが、平和な世の中に不可欠なんだと思います。


国民総幸福

2008年03月12日 | YOGA

 食中毒騒ぎや反日問題、北京オリンピック開催、黄砂、、などなど、話題に尽きない隣国中国。日本企業が次々に進出し、今や中国なくしては日本の経済は語れないと言われます。

 凄まじい勢いで成長を続ける中国経済は、その華やかな側面の一方で"格差社会"という大きな歪みが生じています。

 数年前、中国内陸部の重慶に植林ボランティアに行ったことがあります。内陸部の農村では、もともと自給自足の生活をしていたところに少しずつ資本経済が都市部から遅れて訪れ、現金収入が必要な生活が始まっています。しかし、貧しい農家の収入はごく限られれたものです。生活するためにお金が必要になった農民は、少しでも現金収入を得るために農地を開拓し、山という山を全て丸裸にして開墾していきました。
 重慶でも都市部から少し入った山間部では、全く木々がない丸裸の山が一面に広がっていました。木を一本残らず切ってしまった山は、当然のことながら土砂崩れを起こしやすくなります。
 長江流域では頻繁に洪水が発生し、1998年9月には44年ぶりの大洪水に見舞われています。この大洪水を期に中国政府は、森が持つ保水力を復元させるために植林に乗り出しました。

 日本から来たボランティアスタッフ、人民政府のお役人、農民が一緒になって丸裸になった山々に植林していくのですが、訪れてまず最初に衝撃を受けたのは、そこに暮らす貧しい農民の姿でした。

 村には電気や水道といった公共の施設は全く整備されておらず、土塀に藁葺きの屋根でできたすぐにでも壊れそうな家に住み、ほぼ自給自足的な質素な暮らしをしています。そんな農民たちにとって、限られた現金収入となる農地は、まさに生きるためのもの。
 その畑に日本から来た私たちは、木を植えていくのです。そのため、植林といっても梨などの果樹を植えることで少しでも現金収入が得られるような配慮をしていました。

 そんな貧しい農民の暮らしと、凄まじい発展を続ける都市部との格差の問題は本当に深刻な問題だと思います。

 先日NHKの「激流中国 富人と農民工」という番組を見ました。この番組でも次のように問いかけていました。

 「激流中国 富人と農民工」
 http://www.nhk.or.jp/special/onair/070401.html
 社会の中で格差が広がり、勝ち組と負け組の差が鮮明になっている。中国政府は、今、経済成長を最優先してきた結果、生まれた歪みの是正を最優先課題に位置づけ、「調和の取れた社会」「みなが豊かになる社会」建設をスローガンに掲げている。なぜ格差は拡大し続けるのか、貧しい人々がはい上がるのが困難な理由は何か。貧・富それぞれの現場に徹底的に密着し、中国政府が今、最大の課題とするこの問題に迫る。

 番組で中国政府は、貧困にあえぐ農民たちを出稼ぎとして都市部に呼び寄せ、都市での発展にとって必須となっている労働力を確保し、農民にとっては現金収入をもたらす政策を行っていると報じていました。そしてその結果、知識も経験もない農民たちが劣悪な環境で労働を強いられたり、若者が都市部に流れることで農村での労働力がなくなる空洞化が新たな問題として浮上していると報じていました。

 発展こそが貧困から抜け出せる道だと信じて邁進する中国経済。しかしその実態は、勝ち負けの論理がまかり通る格差社会を生み出しています。では、どうすればよいのか、、、、
 私は、世界中で見られる格差社会からの脱却の糸口として仏教国ブータンが進めている「国民総幸福」による経済に注目しています。

 現在世界経済の指標となっている「国民総生産」が、「物が豊かにあること」が社会の発展に繋がるという考えであるのに対して、「国民総幸福」は、「幸福」であることが発展に繋がるという考えであり、発想の大転換を意味しています。大乗仏教が国民生活の基礎にあるブータンは、"もの"ではなく"こころ"が豊かであることが国の発展に繋がるという考えとして「国民総幸福」を国策としている小国です。
 「国民総幸福」論について、ブータン王妃 アシ・ドルジ・ワンモ・ワンチュック陛下の言葉を引用したいと思います。(「虹と雲、王妃の父が生きたブータン現代史」より)

「国民総幸福」論

  私たちが懸念しているのは、私たちを駆り立てている価値観の問題です。世界の人口の大半が、極度の経済的苦しみに直面していることからして、物質的発展が必要なことは自明です。
  と同時に、いわゆる「富んだ半球」である北半球でも、心配、不安、ストレスといった精神的苦しみが大きいことを考えると、精神的発展が必要なことは、それ以上に明白です。技術革新、グローバリゼーション=世界市場化といった現象は、私たちの欲望および消費をますます煽り立て、私たちをいっそう官能主義的にしています。
  そうしたなかで、先進国、開発途上国とを問わず、世界の人々および政府は、よりよい生活といっそうの幸福を確保しようと努力しています。しかし、皆様もお気づきのように、現在の経済の主流は、個人が消費者であること、そして消費者が王様であることを正当化し、個人をその快楽に溺れさせています。
  こうした近代化のなかでは、人々はいっそう消費に走り、ますます消費の自由を追求します。企業にとっては、それが売り上げを伸ばし、市場を拡張する唯一の道です。こうした近代化の理論は、一般には疑問視されることはありません。しかし仏教徒としては、はたしてそれば倫理的な制度に基づいた本当の幸せをもたらすものかどうかを、考えねばならないと思います。

 仏教では、わたしたちが幸せで健全な社会生活を送るためには「四無量心」すなわち四つの無限の心、
 第一に人に楽を与える慈無量心、
 第二に人の苦しみをなくす悲無量心、
 第三に人の喜びを自分の喜びとして喜ぶ喜無量心、
 そして最後に恨みを捨てる捨無量心、

 この四つが必要であると教えています。現在進行中の近代化は、こうした仏教の理念に即した社会を実現する可能性を根底から覆すものなのではないのかと、自問せざるをえません。わたしたちブータン人は、本当の意味で開花した人間および社会を実現する、別な近代化の道があるのではないかと模索しています。ほんとに開花した人間とは、単に開発の主人公としての人間とは別物です。
 ブータンが心がけているのは、仏教に深く根ざしたブータン文化に立脚した社会福祉、優先順位、目的に適った近代化の方向を見出すことです。最近になってGross National Happinessすなわち「国民総幸福」という指針が各国でも真剣に取り上げられるようになりましたが、これはすでに二十年以上も前に現ブータン国王が提唱したものです。Gross National Happinessすなわち「国民総幸福」は仏教的人生観に裏打ちされたもので、わたしたちが新しい社会改革、開発を考える上での指針です。一部の人々は、仏教をはじめとする哲学的考察と、政治、経済は、異なった次元のものだと考えていますが、けっしてそうではなく、すべてが統合され、総合的に考慮されるべきものです。
 今日もっとも重要な課題は、西洋的政治・経済の理論と仏教的洞察との溝を埋めることです。仏教の活力と仏教社会の将来は、仏教の理想をどのようにして社会の進むべき方向、あるいは取るべき選択に肯定的に反映することができるか否かにかかっています。


 日本でもニートや失業率の悪化や自殺者の増加など格差社会の問題が露呈し、物質的には豊かであっても精神的には決して豊かでない社会構造に対して疑問視する動きが見られるようになりました。

 "こころ"の豊かさが発展の基本であるとする「国民総幸福」に経済活動を大転換する時代に来ていると思います。
 この「国民総幸福」を第一に考える社会、経済、政治が世界中に広まることができたならば、必ずや格差問題、貧困問題、環境問題、水問題、食料問題など人間活動に大きくのし掛かっている問題の多くが解決し、真に幸福な社会が実現するのではないでしょうか。


心と身体

2007年11月08日 | YOGA

お腹すいたなぁ、、何食べようかなぁ、、、
最近、悩み事があるんだよなぁ、、、

あれこれいろいろ、いつも何かを考え、めまぐるしく動く"こころ"

こころが、痛む。
こころが、落ち着かない。
こころが、踊っている。

"こころ"って何だろう、、、

こころは、漠然と"存在する"何かだと思っているけど、その実態は掴みどころがないもの。
こころは、実態がないけど、確かに存在するもの。
こころは、留まることができないもの。
こころは、いつも動いているもの。

そんなこころに私は、いつも影響されて生きている。
こころがどっちの方向を向いているかで、同じ出来事でも幸せと感じることもあれば、不幸のどん底と感じることもある。
ポジティブに考えればどんな状況でも"幸せ"と思えるはずなんだけど、、、
でも、なかなか"こころ"は言うことをきいてくれない。

悩み事があると、胃が痛くなったり、病気になったり、、、
逆にとてもいいことがあってすごく幸せな気持ちの時には、身体がとっても軽かったり、、、
ちょっと背筋を伸ばして深呼吸してみてください。
必ず、気持ちが晴れ、気が満ち溢れるはず。

不思議ですね。こころの状態に身体は敏感に反応している。
そして、身体の状態にこころも敏感に反応している。

ヨガでは、"こころ"と"身体"は常に繋がっていて影響し合っているものと考えています。
掴みどころがなく、コントロールがしづらい"こころ"を身体にフォーカスすることで変えていく。

ゆがんで歪んだ箇所にフォーカスし、ついつい外に外に向いている"こころ"を内側に向け、身体の細部にフォーカスする。
丹田に力がこもり、背筋が伸び、深い呼吸によって、"こころ"も"身体"も元気になっていく。

ヨガを深めていくと、ちょっとした身体の不調にも気づき、気が病む(病気)前に、こころが乱れる前に自分で歪んだ箇所を修正できるようになります。

ヨガで身体の細部に注意を向け、呼吸に集中していくと"ふらふら、ふらふら"していたこころが安定し、"いま"という瞬間を大事にすることが自然と出来るようになる。
集中力が増し、くよくよ考えたり、未来に対して悩んだりすることもなくなってくる。
"いま"を生きると既にそこにある"幸せ"を感じることができます。それが"知足"ということ。

だから、ヨガを通して人生観が変わったという人が多いのだと思います。

 


宇宙の鼓動

2007年10月31日 | YOGA

澄みきった秋の朝
いつもの公園では草木の露梅雨が朝日を浴びて輝いている

ランニングでほてった身体にわずかな秋風を感じ
ウジャイブレスで全身の細胞に朝を知らせる

西に半月、東に朝日
陰と陽が絡み合い、調和していく
小鳥のさえずりに耳を傾け
西に月のポーズ、東に太陽礼拝
全身の細胞が、宇宙の鼓動と調和する

この幸せにただただ感謝しました

 


心の虫眼鏡

2007年07月13日 | YOGA

先日ある女の子が、「私の顔、好きじゃないなぁ、、、コンプレックスかも、、、」とぼそり。。。

特に女の子が容姿を気にするのは、ある意味ではすごくいいことだと思う。
ヨガの先生もヨガで"内"に眼を向ける分、"外"とのバランスを取るのも大事だよって言っていた。

「私の顔、好きじゃない、、、。」
そうだね、誰でも一度は想うことなのかも知れない。

私の顔が嫌い、、、でも、、私が嫌いなのは顔であって私ではないはず。。。
私は私であって、顔が私ではない。

私達の身体は、ほぼ2年で全ての細胞が入れ替わるそうです。今日の身体は明日の身体と全く同じなんてことはないのですね。
ということは、「私の身体が私自身である」なんてことはないはず。

ここで言っている"私"とは、ヨガでは「プルシャ」と言って、決して変わることのないもの。プルシャは、心「チッタ」を通して顕現するもの。チッタという虫眼鏡を通して、私自身というものを決めているのですよ。

例えば、「黄色い大きなひまわり」を見て、ある人は「心が元気になる。」
でも同じ花を見て、昔の恋人からもらったひまわりを思い出して「泣きたい気持ちになる。」

ひまわりは"ひまわり"で何も変わらない。同じものを見ているのに、ひまわりが美しい花にも悲しい花にもなる。
それは、心の目を通して見ているから。

「心の目を通して全ての世界を見ているということ」
これを頭でなく、心で身体でしっかり認識すると、悲しい気持ち、嫌な気持ちになっても

「これは心の虫眼鏡が曇っているからかも、、本当は悲しいなんてことはないはず、、」

てな具合に気持ちを入れ替えることが出来ると思う。

「あれも欲しい、これも欲しい」という気持ちも同じだと思う。
欲しいものが手に入るとその瞬間は満足し心が満たされるが、次の瞬間には、「次はあれが欲しいなぁ、、」と折角満たされ、落ち着いた心はもう"ふらふら"落ち着かなくなっている。
それでは、いつまでたっても心「チッタ」が平安になることはないよね。

本当の自分「プルシャ」を少しでも意識できると「ああ、心の虫眼鏡を付け替えれば、どんな状態でも自分は幸せで満たされているのだなぁ、」ってことに気づくと思う。
それが、「知足」ということ。

「幸せは既に内にあるもの。」

呼吸に集中し、外に外に向いているチッタを内なるもの、内なる幸せにフォーカスすること、そして気づくこと。
ヨガが"心の科学"と言われる所以はそこにあると思う。

心が開け、満たされてくると、そのオーラが外に出てくる。
「あぁ、あの人、素敵だなぁ、」なんて感じる時は、このオーラを感じて思うのだよね。
それが、人の魅力だったり、恋に落ちるってことだと思う。

心の虫眼鏡をいつもきれいに磨いていれば、少しぐらい落ち込んだり、悩んだりするかも知れないけど、そんな悩みも"ばかばかしくなって"、澄んだ虫眼鏡に着替えて、幸せを感じ、満たされていることに気づくようになる。

心の虫眼鏡を変えると全てが変わる。

   

 


丹田力

2007年06月26日 | YOGA

 日々の暮らしの中で、拇指球に力を入れ、足腰をしっかり使い、丹田に力を入れ、上半身の力を抜く。(肝が据わっている状態)

 そうすると身体は軽くて安定し、頭も冴えてきます。そして、何より流れに逆らわず、心静かでいつも平常心でいられるようになります。つまり、心も身体も自然体になってきます。

 自然体になってくると「他を思いやる心」「平和な心」に自然になってきます。

 心が平和で安定すると「本当に必要なもの、必要でないもの」が分かってくるので、無駄遣いも減り、「もったいない」という気持ちや「足るを知る:知足」ということが理解できるようになってきます。

 これがヨガが目指していることだと思います。

 さて、地球環境保護も固く考えず、

  • 「自然を慈しむ心」
  • 「自然を楽しむ心」

 を持つことができれば、何をするべきかが自然と見えてくると思います。

 京都議定書で約束した温室効果ガス6%削減目標。
 政府の方針では、

  • 家庭でのCO2削減目標は、年間約3,800万トン
  • オフィス等でのCO2削減目標は、年間約6,900万トン

 だそうです。この目標を達成するために私たちは何ができるのでしょうか?

 「チーム・マイナス6%」で「私のチャレンジ宣言」「あなたのCO2削減アイデア大募集」というのをやっているようです。ちょっとしたことでも沢山の人が協力することで大きな力となるものです。美しい地球「ガイア」を私たちの子供たちに残してあげられるように「私たちにできること」から始めましょう!!

 


2007年06月25日 | YOGA

 毎朝、会社までのランニング途中で立ち寄る公園があります。植物公園で日本各地で見られるいろいろな木々が植えられているのですが、鑑賞しているといろいろな発見があります。

 例えば、柏餅で有名な「かしわ」ですが、葉っぱは見たことがあってもどんな木なのか知ってますか?私は始めてみたのですが、幹の表面はちょっとごつごつしていて、枝っぷりもよく、とても存在感のある樹木なのですね。今度、柏餅を食べる時はこの木のことを思い出しそうです。。。

 

 公園には鯉が泳いでいる池もあり、水面から突き出た岩の上ではのんびり日向ぼっこをしている亀がいます。また白い大きな翼の渡り鳥も飛来してくることもあります。

その池の横には芝生の広場が広がっていて、この広場で毎朝ヨガをやるのが最近の私の日課になっています。

 深緑の中で新鮮な空気を吸い、お日様の下、鳥のさえずりを聞きながら行うヨガは、最高にいいものです。雑念が吹き飛び、ただただヨガに集中すると心も身体も顕れる想いがします。ホント、幸せなひと時です。


 


一緒にゴール

2007年06月21日 | YOGA

 先日、ヨガの先生と雑談をしていて先生がこんな事を言っていました。

「ニュースで見たけど、最近小学校の運動会で徒競争がなくなったそうよ。競争心を仰ぐのはよくないから、みんな一緒に手を繋いでゴールするのだって。。。」

 なんていうことなんだろう。ここまで来ると呆れてしまいますね。
 教育とは「教えを育む」と書きますが、一体今の学校は何を教えようとしているのでしょうか。

 私たちは、決して一人では生きることはできません。どこの社会でも国でも必ず誰かの"お陰"で成り立っています。日本語には「お陰様で」という美しい言葉がありますが、この言葉の意味を理解できていない大人がとても多いように思います。

 ヨガの教え、あるいは仏教の教えでは、「人に迷惑をかけるな!」なんてことは教えません。

 子供たちは、学校でも塾でも先生や大人たちから教えを頂いているのですから、言い方を変えれば「先生の貴重な時間を割いていただいて、先生に"ご迷惑"をかけている」のです。

 ここまで固く考えなくても例えば夕飯の食卓に並ぶおいしいご飯をとってみても必ず誰かの手によって作られ、運ばれ、食卓に並ぶ訳ですから、誰かの迷惑の上に成り立っています。

 それなのに「人に迷惑をかけるな」と教えられていると子供たちは迷ってしまいます。「今日はxxxさんに迷惑をかけてしまった、、。どうしよう、、、」っと、自暴自棄に陥ります。

 では何と教えればよいかと言うと、

 「私たちは人に迷惑をかけて生きているのですから、その恩を忘れないように」

 と教えるべきなのです。他に対して"恩を感じる心"、"感謝の気持ち"を持つことが大事なのですね。

 社会に出て志望する会社に入れたら「私が入れたことで誰かが入れなかったことになる」訳です。
 競争して勝つということの本当の意味を考える機会を与えてあげるのが教育だと思います。徒競争で一位になったら負けた友達は悔しい思いをする。その思いを感じる心を育むためには、競争してみなければ分かりません。そうやって一位になった時、あるいはなれなかった時に、走り終えた後の達成感や一生懸命走ったという事実がとても重要だと思います。

 「他に対する感謝の気持ちを持つこと」、
 「自分ひとりでは生きられないということ」、
 「お布施の精神」、

 「共存、共栄するということ」、
 「自他を生かすということ」、

 これら意味を肌で感じさせてあげられる教育を是非目指して欲しいものですね。政府の教育再生会議や「美しい国づくり」企画会議でどのような方向性を考えているのか注目しています。

 


ヨガフェスタ

2006年09月20日 | YOGA

ヨガフェスタ というイベントに参加してきました。

 日本でのヨガブームもかなりすごいなぁ、、、そんな印象をまず受けました。赤坂プリンスの会場には朝早くからほんとにたくさんの女の子たちが集まっていて、どれだけヨガをやっているかは別にしても、フェスタに参加するぐらいヨガにはまっている人がこんなにいるということに、ちょっと関心+なんだか嬉しくなってしまいました。
 一番大きな会場は、披露宴会場にも使われる大きなホールでおそらく200人ぐらいはいたかなぁ、、、雑誌とかにもよく出ている先生方もたくさんいて会場はまさに熱気むんむん。。。

 私は誰が有名とかそういうことにはまったく無頓着なので、とにかく面白そうな講座はこれかなぁ、、なんて感じで適当にチョイスして受けてみました。

友永 淳子先生
岩崎 達也先生
武谷 友香先生
綿本 彰先生

どの先生も独特のヨガのスタイルを持っていて、とても新鮮でした。中でも友永先生と綿本先生は、とてもよかったです。ヨガのことをとても深いレベルで理解し、レッスンをされているなぁ、と思いました。友永先生の「ヨガとは何か、ヨガが求めている世界とは何なのか、」についての講話は心に染み入るような、とても分かりやすい教えで、この話を聞けただけでも来てよかったなぁ、と思いました。

たまには、いつも行っている教室以外でヨガを体験してみるのもいろいろと勉強になるし、いいもんですね。


ビーチヨガ

2006年07月17日 | YOGA

 昨日湘南海岸でビーチヨガをやってきました。今日は海の日なのに生憎の雨模様ですが、昨日は曇っていましたがその分暑過ぎずとてもよかったです。

 ビーチヨガに参加するのは今回で2回目だったのですが、前回は午前中に行ったために日差しがかなり強くておもいっきり日焼けしてしまったのですが、今回は17時集合ということで、お日様も沈みかけ、潮風が心地よい中でのビーチヨガでとてもよかったです。

 足の裏、手のひらから伝わる砂の感触、見上げると夏の雲の切れ間からほんの少し見える青い空、そして潮騒の音。

 全身で海を感じ、自然を感じ、外なる宇宙に五感が反応し、同時に呼吸を通して内なる宇宙が外なる宇宙と一体となっていく。たくさんのサーファーが波と一体となるように、ビーチでのヨガはまさに海と一体になるような不思議な感覚、とても安らぐ何とも気持ちの良い感覚を味わえ、癒されているなぁ、と思いました。、、、、やっぱり海っていいですよね。

 ヨガの後は、いつものように江ノ島までビーチウォーキングをしました。夕暮れの湘南海岸をおしゃべりしながら歩いていると、時間が経つのも忘れ、あっという間に江ノ島に到着。江ノ島と言えば、"しらす"が有名ということで、"しらす"を食べてきました。とても美味しかったです。

 スタジオでやるヨガもいいですが、やっぱり大自然の中でやるヨガは最高だと思いました。その場に流れている"空気"というか"場"というか、、そういった自然のエネルギーとヨガを通して共鳴し合い、自分の身体が浄化されていくような感じがして、すごく楽しいですし、すごくリラックスできて、最高ですね。