知足

自然と共に素敵に生きたい

ディープ・エコロジー

2006年12月09日 | ガイア

 「持続可能な発展
よく耳にすることが多くなった言葉ですね。

 「持続可能な型の経済成長を目指す
ほんとにそんなことが可能なのだろうか。

 今もっぱら騒がれている「持続可能な発展」は、その言葉の真の意味合いを反映していないように思います。

「持続可能」といってもあくまで「人間との関係において持続可能」であるにすぎない。(アルネ・ネス)

 ガイアの悲鳴を純な気持ちで見つめるならば、もう「持続可能な発展」は、不可能であり、「持続可能な撤退」をすることを真剣に考えなければ、ガイアはもうその調整能力では立ち行かなくなってきている。(ガイア理論の提唱者ジェームズ・ラブロック)

 あくまで今の経済システムの延長でエコロジーを考えるのではなく、根本理念として解決を図っていかなければならないと思います。そこで、ノルウェーの哲学者アルネ・ネスのディープ・エコロジー運動の基本原則(プラットホーム)を紹介したいと思います。

  1. すべての生命はそれ自身の本質的価値を固有に持つ。この価値は、人間にとってどれだけ有用かという使用価値とは関係がない。(生命には、山や川といった存在も含めて考える。)
  2. 生命が豊かに多様なかたちで存在することも、それ自体、本質的価値を持つ。
  3. 人間は、不可欠の必要を満たす場合以外に、この生命の豊かさや多様性を損なう権利を持たない。
  4. 人口の減少は、人間にとってよいことであり、また人間以外の生命にとっては現在よりはるかによい状況をもたらす。
  5. 今日、さまざまな生態系に対する人間の介入は、その規模(量)の面でも特性(質)の面でも持続可能なものではなくなっている。また、持続性喪失の度合いは増大している。
  6. 地球上の生命が置かれたこのような状況を劇的に改善しなくてはならないが、そのためには、社会・経済・技術・イデオロギーのきわめて大きな変革が必要になる。
  7. イデオロギーの変革は、物質的な生活水準、とりわけ「先進国」に住む人々の生活水準の向上を図るのではなく、生の質(QOL: quality of life)の改善を求めることを本義とするものになる。
  8. 上記の項目に同意する者は、間接、直接を問わず、必要な変革を現実のものとするための取り組みに貢献する責任を持つ。

 


社会主義国 中国

2006年12月07日 | 環境問題

 中国に植林ボランティアとして行ったのは、もう4年前のこと。大規模な森林伐採により地力が弱まり、長江の大洪水という大災害を招いた中国。

 森林伐採は、氷山の一角で、ごみ問題、公害問題、人口問題、格差社会の問題、そして温暖化問題など言い出したら切りがないほど問題が山積している中国。

 しかし、経済面でみると空前の好景気となっていて、2010年の北京オリンピックに向けてまさに絶頂期のような一面も見せているのも事実。

 日本の経済が持ち返してこれたのは、中国の経済成長によるところも大きいのも事実。

 しかし、闇雲に経済成長をとげ、資源消費型社会を形成し、物質的な豊かさを追求し、空前のバブル景気の結果どうなるか、、、日本人は痛いほどその反動の報いを味わったはずであるのに、まさに幻としか思えない中国の経済成長に酔いしれている。日本経済の危うさを危惧しないではいられない。

 そんな中国でおや?っと思える発表があったらしい。

『第10期全国国民人民代表大会の第4回会議に提出された「第11次5カ年計画要綱案」の6つの柱の一つに、「物質的富の増加に片寄りすぎた発展から人間の前面的成長と経済・社会の調和のとれた発展を重視するものに転換する」という発表があった。』

 社会主義社会は、社会の中で支えあうことで生活の質を高めていくものだとするならば、地球環境問題に対する一つのヒントがあるようにも思えます。
 これからの中国の動向には、注意と関心をもっておく必要がありそうですね。


地球交響曲「GAIA SYMPHONY」 第六番

2006年12月04日 | ガイア

 来年のGW公開予定の地球交響曲「GAIA SYMPHONY」第六番の試写会に行ってきました。
ガイアシンフォニーは、私自身の心の響きになっているとても大事なシンフォニーで、過去一番から五番までの作品から多くのこを学び、共感してきました。
 第六番が完成したという知らせがダイレクトメイルで届き、その試写会の案内を見た時、感激しました。なんと試写会では映画上映後に「佐治 晴夫教授と龍村 仁監督との対談」を企画していると書かれていたのです。
 大学時代、佐治教授の物理学の講義をうけていて、教授は私が一番尊敬している方の一人であり、恩師なのです。教授との出会いは、私にとってとても大事な意味があると思っています。
 NASAの宇宙人探査計画の第一人者でもあり、詩人でもあり、ビックバンの研究者であり、はたまたパイプオルガンの演奏者であったり、最近では、般若心経をサンスクリット語から物理学の視点で訳すなど、ほんとすごい教授なのです。
 佐治教授とは卒業後も不思議な縁が重なり、何度かお会いする機会に恵まれました。お会いするたびに「きっと先生は、ガイアシンフォニーとどこかで結びつく(ついている)のだろう」と漠然と思っていました。その予想が的中したというか、必然を感じたというか、、とにかくガイアシンフォニーを見た後に教授のお話が聞けるなんて、ほんと夢のような話だと思いました。

 講演会では、最先端の科学の視点から「虚空」とは何か、「人はなぜ産まれたのか」といった哲学的なことをユーモア溢れる詩人のような語り口でお話されていました。

 さて、今回の第六番の感想ですが、、
 映画は宇宙から見た美しい星「ガイア」の映像と心地よい音楽から始まり、その後の映像でいきなり私の心は釘付けになってしまいました。出てきた光景は、インドオールドデリー、ニューデリー、そしてリシュケーシュだったのです。今年の春にインドを旅した際に立ち寄った聖なる河ガンガー沿いの街リシュケーシュの映像は、私の記憶を呼び覚まし一気に引き込まれていきました。

 その冒頭の語りでは、「ここインドは、貧困と繁栄、宗教と科学、(略)、相反するものが混沌と存在し、すべてを内包している」というくだりでした。私が感じたあのインドの混沌の世界とその根底にあるヒンズー教の世界観は、ガイアシンフォニーのテーマでもある「全ての存在は共鳴している」ということにまさに繋がると思いました。

 「Nada Brahma」(音は神なり)
 第六番のテーマとなっている言葉ですが、ナーダ ブラフマーは、ヨガの聖典にも出てきます。その深い意味は、私の拙い表現力ではなかなか伝わらないと思うので、以下映画の解説を転記しておきます。

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 最近のめざましい科学技術の進歩によって、この宇宙の全ての存在、すなわち銀河系、太陽系、地球、海、山、川、森、岩、動物、植物、バクテリアから原子のひとつひとつまでもが、それぞれに独自の"音楽"(vibration)を奏でていることが分かってきました。「人間が"音楽"をつくる以前に、"音楽"がこの宇宙をつくり、生命を生み出し、人間をつくった」という宇宙物理学者もいます。
 
 「ナーダ ブラフマー = 世界は音なり」という言葉があります。
 数千年前から伝えられているインド、ヒンドゥー教の教えですが、これと同じ教えは、仏教をはじめ世界のあらゆる宗教や神話の中にもあります。
 我々人類は、科学が進歩するはるか以前から、この真理を知っていたのです。
 21世紀の科学は、宇宙物理学、電子工学、生物学、医学、遺伝子工学など、あらゆる分野で、この「ナーダ ブラフマー」という真理を再発見しつつあります。

 我々が住むこの世界は、生々流転する全ての存在が、それぞれに独自の"音楽"を奏でながら、互いに響き合い、次々と新しいハーモニーを生み出しつつ、ライブ演奏されてゆく壮大なシンフォニーのようなものなのです。

 ところが最近、この悠々のシンフォニーの中に、著しく調和を乱す"音楽"が聞こえるようになりました。我々人類が発する"音楽"です。甚だしい不協和音が発せられ続ければ、シンフォニーは当然調和を失い、カオス状態に陥り悲惨な結末を迎えることになります。

 我々人類が不協和音を奏でるようになった理由ははっきりしています。
 自分だけの利便や安楽を求め続けるあまり、自分以外の存在が奏でる"音楽"を聴く耳を閉じてしまったからです。共演者が奏でる"音楽"を聴かないで、美しい交響曲の創造に参加することなどできるはずがないのです。

 今我々人類に早急に求められているのは、自分以外の存在が奏でる"音楽"を聴く耳をもう一度開くことです。そして、"耳を開く"ことはとても簡単で楽しいことです。
 閉じているのは我欲に呪縛された"耳"だけです。私達のからだを構成する10の28乗個もある原子の一つ一つは、今この一瞬にも、外の世界に存在する全ての原子達と響き合いながら、美しいシンフォニーを奏でています。それが"生きている"ということです。

 内なる音楽を聴くことは、外なる"音楽"を聴くことであり、外なる"音楽"を聴くことは、内なる"音楽"を聴くことです。

 「音を観て、光を聴く」旅、それが「地球交響曲 第六番」の旅です。