海岸にて

海が好き。時事ニュース・海外ドラマ 、日々徒然

新年

2013-01-02 | 日記・エッセイ・コラム

新しい年がやってきました。

 

 

 

 

 

二週間前、昨年12月には、この3年あまりの悲願ともいえる政権奪還が現実となりました。

 

私は2007年の参議院選後、マスコミに深い疑念を抱いたのがきっかけでこのブログをはじめました。2007年には安倍総理の辞任があり、2008年にはリーマンショックがあり、麻生内閣が生まれ、2009年衆議院選で自民党の敗北がありました。その間、マスコミの姑息で傲慢な振る舞いは加速するばかり、マスコミ・メディアは今やわが国最大の腐敗した既得権業界でしょう。しかし一方でインターネットの発信力拡散力は拡大しています。(ちょっと聞いたところ、若い人でツイッターもfacebookもやっていない人はむしろ少数派だとか。)

 

前代未聞の民主党ど素人政治家が意味不明なことを叫ぶだけで本当に何もしないまま、日本の混迷は抜き差しならないところまで追い詰められてしまい、わが国は崖っぷち状態です。政治家が空虚な””理想””を述べ、現実に何も実行しない、できないことがどれほどの害をもたらすか、国民が身をもって知った3年間でした。

 

 

 

 

 

 

 

2009年選挙後に急逝された中川昭一元財務金融相の追悼映像がありましたので、貼っておきます。

 

【真保守:中川昭一】The Long And Winding Road【追悼】

   → ( https://www.dailymotion.com/video/x2rga82    )

 

中川氏は第2次安倍内閣誕生を本当に本当に喜んでおられることでしょう。長く曲がりくねった道はこれからも続きますが、安倍内閣誕生を誰よりも喜び、日本の行く末を見つめておられると思います。それから中川氏の後を継がれ衆議院議員となられた奥様である中川ゆうこ氏のこれからのご活躍も見守っておられることと思います。

 

 

 

 

 

 

 

私は個人的なあれこれを未だ引きずりながら迎えた新年ですが、今年もこのブログと共に、細々とですがやっていきたいと思います。自民党長期政権と日本の復活をを心から願って。今年もよろしくお願いします。

 

 

 

 


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年のはじめに

2012-01-08 | 日記・エッセイ・コラム

  

新しい年になりました。

今年もよろしくお願いします。

(と書きながら、まだあまり更新はできそうもありません) 

 

 

こう言ってはなんですが、民主党政権になって以来、日本はほんとうに無政府状態のようです。

問題山積ながら一歩も進まない、というよりも後退するばかりの日本、

民主政権が一日もはやく終わり、日本がこのような状態から抜け出ることを願っています。

  

しかし、政治の話ではなく日常においても、世の中には本当に様様な考え方が存在し、話し合うことさえままならないほどに言葉の意味も考えも根本的に素地が違う人々が寄り集まって世界を作っていることを痛感する毎日で、

 

とはいえ、政治とはもともとそのような混沌を集約する、気の遠くなるような作業を必要とするものかもしれず、 

 

だからこそ、ある時は綺麗な言葉をちりばめ、ある時は強くある時は弱い言葉で、人々を惑わせ動かしてしまう「扇動」を警戒しようと、

今年も年の初めに思うのでした。

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「非現実的な夢想家として」の村上春樹氏

2011-06-10 | 日記・エッセイ・コラム

核への「ノー」貫くべきだった 村上春樹氏がスピーチ

 【バルセロナ共同】スペイン北東部のカタルーニャ自治州政府は9日、バルセロナの自治州政府庁舎で、今年のカタルーニャ国際賞を作家の村上春樹さんに授与した。村上さんはスピーチで、東日本大震災と福島第1原発事故に触れ、原爆の惨禍を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と述べた。

非現実的な夢想家として」と題したスピーチで、村上さんは福島第1原発事故を「(日本にとり)2度目の大きな核の被害」と表現。戦後日本の核に対する拒否感をゆがめたのは「効率」を優先する考えだとした。 カタルーニャ国際賞は、人文科学分野で活躍した人物に送られる。 2011/06/10 06:54   【共通通信】

 

 

 

【村上春樹】カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文 

(「5」より、一部抜粋)

・・・「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります・・・

  

  

    

  

 

スピーチ全文は原発否定に貫かれていて、内容そのものは未曾有の災害の只中にある日本人だけでなく、現在は世界中の人々の共感を呼ぶことなのかもしれない。

しかし、「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」 彼はこの主語のない言葉を簡単に「すばらしい言葉である」という。

我々は被害者であると同時に、加害者でもある」 ここでいう「我々」とは誰?日本人?それともすべての人間?

 

彼は優秀な”夢想家”なので、現実をすっとばして、いとも簡単に、ものの見事に物事を抽象化してしまう。 彼の秀でた文学的才能や手法が文学以外で発揮されるとき、煙に巻かれたような妙な違和感が残る。小説での魅力が、スピーチでは”あざとさ”になる。

小説は結構好きなのに、この人がスピーチする姿を見るたびになぜか失望していく。村上春樹氏はいままでどおり、黙ってよい「小説」を書いていてくれればよいのにと思う。

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ブログ人の今週のお題:「入学式のシーズンです~」

2010-04-01 | 日記・エッセイ・コラム

 

ブログ人の今週のお題:「入学式のシーズンです。国歌や校歌斉唱をどうしていましたか?」

「通い慣れた学校を卒業して、新たな環境で新たな友達と出会う入学式。希望に胸を膨らませて、ドキドキしますよね。そんな入学式では、国歌や校歌も斉唱しますが、あなたはこのとき、どうしていましたか?「元気に歌っていた」「クチパクで歌わなかった」の選択肢の中から選んで下さい。投稿、お待ちしております!」

 

 

入学式のシーズンです。国歌や校歌斉唱をどうしていましたか?」 -「元気に歌っていた」「クチパクで歌わなかった」 この”お題”、質問も選択肢もいまいちピンときませんが、

国歌も校歌も、歌うべき時はもちろん真面目に歌っていました。当然です。 オリンピックなどの表彰式で国旗を前にする場面になると、見ている側も厳かな気分になり口ずさんでしまっています。こういう時は、世界中どこの国の人もそれぞれ真剣に真面目に自国の国歌を歌っています。

  

小、中、高の校歌で一番よく覚えているのが小学校の校歌で、でも中学、高校の校歌となると、あれれどうしよう、よく思い出せない。・・6年という長さの問題なのか、素直だったからすんなりと覚えられたのか。 小学校校歌は今でも歌えそうで、 思い出してみるとなかなかの名曲だわと懐かしいです。なので「元気に歌っていた」に一票。

 

  

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白地に赤く日の丸染めて

2009-08-29 | 日記・エッセイ・コラム

ここしばらく、街頭演説で日の丸の小旗がはためいている写真をけっこうたくさん見ました。スポーツ以外でこういう光景を見るのはめずらしく不思議な感覚で、ちょっと感動。 本来、これが当たり前だと思うのですが。パソコンで図を書けるほどのスキルはないのに、ペイントで国旗づくりに挑戦してみましたよ。 まん丸を真中に書けなくて、何度もやり直し。上手くできたかなぁ・・♪白地に赤く日の丸染めて・・ 

  Kokki1_3  

  

  

明日は、衆議院議員総選挙です。わが国日本の行方を左右する重大な選挙です。よい選択を。

 

   

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日本の言葉

2009-08-22 | 日記・エッセイ・コラム

夏目漱石の『虞美人草』という本を読み始めた。さすがになんと文章の上手いこと!と驚嘆していたら、こんな文に行き当たった。

  

行く路の杉に逼って、暗きより洩るるが如く這い出ずる日影蔓の、足に纏わる程に繁きを越せば、引かれたる蔓の長きを伝わって、手も届かぬに、朽ちかかる歯朶の、風なき昼をふらふらと揺く。」

 

 

読んでいて、ん・・?どこかで読んだことがあるような感覚・・、万葉集の時代の「長歌」ってこんな感じじゃなかったっけとふと思う。 意味がよくわからない古文を、意味がしっかりわかる言葉で読んでいる感じ。

 

読み返してみれば、この文は、ほぼ五七五七五七、・・七五調のリズムがしっかり基本になっている。こういうリズムは、現代の小説ではほぼ失われてしまっている。(短歌和歌、かろうじて詩の中には生きているだろうけれども) この時代の小説家はこういうリズムに身を任せたり離れたり、自由に駆使して文章を書いていたのか。日本語の変遷というのか、日本語の歴史を感じてしまう。 大昔の日本語と現代の日本語の、そのあいだの時代の文章は、なにかとても魅力にあふれている。

 

 

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村上春樹氏の講演文、文中の「壁」について

2009-02-21 | 日記・エッセイ・コラム

 

私は小説を読むことが好きなので、今までごく自然にその時々に出会った物語や小説を手に取り、面白い物語に没頭してきた。村上春樹氏の小説もその中の一つである。村上氏の作品は、散文とはいっても感性的な部分が大きくて、まるで、構成(プロット)を持った長い長い詩のようだと思うことがある。村上氏は講演文で、次のように述べている。

私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。」

(私が小説を書く目的は)「個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てること」

これらの言葉を、私は自然に受け止めることができる。 小説は(文学は)、言葉の(共通認識としての)意味と同時に、言葉のイメージを喚起させる比喩という手法を織りなすことで、人の心に直接訴えかける世界を作ることができる。 目に見えない個々の内面に形を与えて、それを他者が「共有」することができる。文学だけでなく、音楽や絵画やすべての芸術はそういうものなのだろう。

 

 

ところで、村上氏の「エルサレム賞」講演文を読んだ。

   

村上春樹さん「エルサレム賞」講演全文   

  村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演(2月15日)全文 

  英語からの仮訳=47NEWS編集部)   2009/02/18 16:45   共同通信

  

村上氏は、ここで、個々の内なる世界を照らすための、その同じ手法で、外の世界の有り様を示す。小説家らしく。比喩を用いて。(以下、一部抜粋)

    

高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。

 

次に彼は、もっと踏み込んで、この「暗喩の解釈」を示す。 個人は「壊れやすい卵」とし、そして、壊れやすい私たち(卵)が直面するものは、「高く、堅固な壁」であると

しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

  

「高く堅固な壁」とは「システム」であると村上氏は言う。ではここで、「壁=システム」とは、何を指しているのか? ここで、「個」「人」と対比させながら提示されている「システム」とは、おそらく、「システム=組織、社会、共同体など」を指しているのだろうと思う。  村上氏は、「個」「人」に立ちはだかるもの、対立するもの、時に自己増殖し、人を傷つけるものとして、「高く堅固な壁」という言葉を使い、その言葉のイメージに、「システム=組織」という概念を重ね合わせる。壊れやすい卵のような「個」、それに対立する堅くて冷たい壁「システム」と。

 

このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「組織」をつくったのです。

  

村上氏が言おうとしていることは、理解できる。というよりも、想像できる。 しかし、ここでは、未だ、「組織=システム」とは何かについて、その本質については語られていない。 「個々の存在」の対極のイメージとして、「壁=システム」というイメージが、掲げられているにすぎない。

  

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定額給付金

2009-01-08 | 日記・エッセイ・コラム

定額給付金、 国民の多くが反対しているとか、そんなお金があったら雇用対策にまわせとかばらまきだとか、いろいろ言われていますが、なぜくれるというものにここまで文句を言っているのかよくわかりません。お金があり余っている人が大層に文句を言っているんじゃないですかね。私は有難く頂戴して好きなことに使おうと思っています。

おいしいものを食べに行く、家族や夫婦で外食、生活費の足しにする、貯金箱行き、誕生日プレゼントを買う、日帰り旅行に出かける、受験生なら受験料の足しにとか、新学期の準備の足しにするとか、とりあえずへそくりにとか、庶民にはいくらでも使い道はあります。私は新しい電気ポットも欲しいし、テニスのラケットも欲しいし、とりあえず保留かもしれないし。それぞれが一万数千円の使い道をささやかに真剣に考えればいいんじゃないですかね。みんなで使えば莫大で、それが景気を良くする足しになるなら一石二鳥。それで十分だと思います。日本全国、お金のあるなしに関わらず、素敵な定額給付金の使い方を考えてみるのもいいのでは。

それから、高速料金が休日千円、これ、楽しみ。

   

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年のおわりに

2008-12-31 | 日記・エッセイ・コラム

 ブログを始めてから二度目の年末を迎えました。時事ブログを始めたと古い友人にちらっともらしましたら、「時事問題・?あなたが?」という返事。まったくです。拙いブログにおつき合い下さった方々、ありがとうございました。

 今年は本当にいろいろなことがありました。今もすべてが現在進行形で、来年も大変な年になりそうです。来年が良い年になりますように。

皆様、よいお年をお迎えください。

           

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中川昭一氏の新刊と講演会

2008-09-08 | 日記・エッセイ・コラム

飛翔する日本

飛翔する日本
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2008-09

 

   

   

   

        

中川昭一氏『飛翔する日本』という本が9月3日に出版され、8日八重洲ブックセンターにて、「開店30周年記念・中川昭一氏講演会」がありましたので、行ってまいりました。中川氏は、読んだ感想など反対意見も含め思うことがあれば、HPのメール欄などからお寄せください、とおっしゃっておられました。総裁選になるなど、この時勢を誰も予想していなかった展開の中での講演会になり、このような時に出版された『飛翔する日本』というタイトルを持つ本、後に意味のある本になるかもしれないと、漠然とした予感を感じています。日本は確かに「飛翔」する力を持っているはず、今の暗雲をよい流れに変えるために、賢い選択をしなくてはなりません。

また、講演会後のサイン会など、企画していただいたブックセンタースタッフの皆さま、中川昭一氏とスタッフの方々、本当にありがとうございました。

10日の総裁選告示からは、麻生氏も、中川氏をはじめ麻生氏を応援する議員さん方々も本当に忙しくなることでしょうが、思えば、昨年9月の総裁選の無念から再びめぐってきた大きなチャンスということ。自民党の問題だけではなく、日本にとっても後がない重大な局面を迎えています。自民党復活、日本の復活の「機」を逃さないように、頑張るべき「とき」です。

 

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『四次元の世界』〈本〉

2008-08-05 | 日記・エッセイ・コラム

  

SFが好きといっても 、今は単にSF漫画やSF映画も好きというだけなのですが、元はといえば高校の時にこの不思議な表紙の絵に魅せられて、この本を読んだのがSF好きの原点かも。『四次元の世界』、摩訶不思議な魅惑的な言葉です。でももっと昔を遡れば、モスラ対ゴジラなどの怪獣映画でしょうか。ゴジラシリーズは今でも大好きです。

この相対性理論まで出てくる本、文系頭で理解に苦しみながらも、それでもしっかり読んだのは、今から思うと我ながらすごい。それもこれもこの表紙の不思議な絵のせいでしょう。とはいっても、この本は一般向けの科学本なので、かなりわかりやすかった記憶があります。たしか『タイムマシンの話』という本も同時期に読んだのでした。アマゾンで探せばまだちゃんとあったのもすごい。その後、「絶対」に対する「相対」という言葉に出会い、「相対化」という意味に頭を抱え、今も一瞬、頭を抱えます。世界の有りようは不思議です。

  

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国基研だより

2008-08-04 | 日記・エッセイ・コラム

  

明日でブログを初めてからちょうど一年です。政治時事問題は知識が足りないことばかりで、何かを話すことに躊躇うことも多く、難しいです。右派と左派では同じものを見ても、たぶん考える出発点とベクトルが違う(到着点も微妙に違う?)ということが感覚としてですがわかるようになりました。

そういえば、昨日の「篤姫」。篤姫の後ろ盾だった近衛家の老女が、安政の大獄で幕府の大老井伊直弼派に捕えられ、篤姫は自分の「親代わり」の役目をしてくれた人を助けようとするのですが、大御台所の立場にある天璋院篤姫が個人的な恩義のために行動してしまうと、天下に「示しがつかなくなり」大事になると諭される場面がありました。個人がすることと、「公」の立場にある人が為すことは、「意味が違う」ことを考えてしまった場面でした。

 

「国家基本問題研究所」(櫻井よしこ理事長 法人・個人会員募集しています。 http://jinf.jp/ )から『国基研だより』夏季号が届きました。

先日、実家で「一応(今年は)寄付だと思って会員になったんだけど、どう思う?」と話したら、彼(親)は櫻井氏について良い印象をもっていたので、感想は「まあ、ものは考えよう」とのことでした。このパンフレットを渡そうかなとちょっと思っています。

ついでに実家のパソコンのお気に入りに、You Tubeの「主権回復五十六周年記念国民集会」の「国歌斉唱と開会の辞  開会の辞 明治大学名誉教授入江隆則」と、「西部邁「主権とは何か」1/2 」「2/2 を入れておきました。お盆に誰かが見ることでしょう。

 

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伊達選手復帰

2008-05-11 | 日記・エッセイ・コラム

   

伊達敗れて笑顔「本来の実力」/テニス 

<女子テニス:福岡国際>◇4日目◇9日◇福岡・博多の森テニス競技場 (一部抜粋)

ストレート負けにも、クルム伊達公子(37=フリー)に悔しそうな表情はなかった。「ストレート負けは屈辱じゃないです。藍子ちゃんの本来の実力が出た。気持ちの整理をして、本来の力を出したことがうれしい」。前回の悔しさをバネに成長した中村の勝利を、笑顔で喜んだ。

[写真]中村(左)と笑顔で握手するクルム伊達(撮影・藤尾明華)クリックで拡大
     

2008年5月10日 08時43分 日刊スポーツ

   

 先日、クルム伊達公子さんが選手復帰しましたね。全盛期、グラフ選手に勝って、たしか世界ランク4位まで上ったのでした。その頃、日本のテニス界が彼女の肩に、という雰囲気で、彼女は心身ともに結構きつかったのでしょうね。引退されご結婚。今年復帰されましたが、年齢的体力的な壁はきつい大きいでしょう。でも、今日もこの間のカンガルーカップも、楽しそうな笑顔でした。私は、彼女の全盛時代にテニスを頑張っていたのでなんだか懐かしく、頑張っていただきたいと思います。

  

このこととは関係ないのですが、私も運動不足を自覚、続くかどうかわからないけれどテニスを再開してみることに。、数日前、インドアのテニススクールに行ってきました。約2年ぶり。足がつるのでは、最後までもつのか、と心配しましたが、なんとか最後までもちこたえました。年をとると筋肉疲労は翌日より翌々日に・・。それでも若い時に覚えたものは(私の場合若くはない頃に覚えたのだけれど)忘れないというか、球がどこへ行くか少々不安ながらなんとかまあまあ。以前、膝を痛めたので怪我には要注意、あまり動かないテニスを心がけなくては。

Ca21_2 眠っていたお道具。最後にガットを貼り替えたのは、04年7月のシールが貼ってあり4年前・・。

Ca30_6 Tシャツを探していたら、こんなのもでてきました。これはたしかスポンサーがヨネックスだった伊達選手が現役全盛時代によく着ていたウエアと同じもの。袖口などボロボロになっていて、結構頑張っていたのでした。

  

  

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テレビとパソコン、利用時間が長いのはどっち?

2008-01-19 | 日記・エッセイ・コラム

ブログ人のトラ場のお題「テレビとパソコン、利用時間が長いのはどっち?

  

目の前に、でかい画面(世間的にはたぶん普通)のTVがあるにはあるのですが、メインチャンネルはCSスカパーのドラマチャンネルです。それ以外は、というと・・

時々、BSの番組表を見てBSをのぞくことがありますが、地上波にチャンネルを合わせることは最近はほとんどありません。TVを見る時間は、ここ2,3年でどんどん減っています。最近のバライティ番組のわけのわからない喧騒状態に、もうついていけない。(昔はただなんとなくTVがついていて、ながら見をしていました頃もありましたね~。)ドラマは好きなのに見ているのは大河ドラマだけ。ドラマもCSで探して見るのがほとんど。「TVタックル」「英語でしゃべらナイト」はときどき見ています(が、どうしてもという程ではないし)。

ニュースや報道番組は信用第一なので、メディアの公平中立に大疑問を感じた時点でもうダメでしょう。(NHKも、というところがつらいです) 個人的には、今は、緊急放送と、有料放送だけあればOKです。NHK受信料も緊急放送分だけということでお願いします、ならいいのに。

そういうわけで、結論はパソコンの方が長いと思います。

ところで、今のメディア(TV)はひどすぎ。バライティ番組がつまらないということよりも、バライティに報道も織り込めるし、それで世論をミスリードすることもできる。世論を作れば政治を動かすこともできてしまいます。公平中立の精神を失ったメディア(放送)は危険です。昨年、放送法の改正にあたって、TV局は

捏造(ねつぞう)番組を流した放送局への再発防止計画提出を義務づける行政処分規定を改正案から削除

(参考こちらhttp://flouria-w.de-blog.jp/blogseagull05/2007/12/nhktv_b3ee.html

させてしまいました。捏造しても、お咎めなしってことですね。

トラ場の現在の結果では、パソコンを見る時間の方が長いという人が多いのですね。ちょっと意外でした。テレビを楽しむ時は、ねつ造報道にはくれぐれも注意しましょう。

     

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大河ドラマの後のCMが

2008-01-14 | 日記・エッセイ・コラム

CS以外のTVをほとんど見なくなってしまっって久しい。NHKは、大河ドラマと「英語でしゃべらナイト」をたまに見るだけ。去年、BSにチャンネルまわすと、関口宏中国旅行記を延々とやっていましたね。見ていませんが。私ごとですが、この二つの番組で月数千円払うのは割高すぎでしょう・・・・・・。ニュースも信用できないのに、受信料強制徴収される身になってほしい。NHKに望むこと。お願いだから、公共放送を名乗って受信料とるのはやめてほしい。緊急放送だけちゃんとやってくれればでいいですよ。と、思っているところに、これなんだから。

NHKが緊急地震速報を誤報

2008.1.13 21:53   
 

「風林火山」が終わって、受信料の重さの責苦を紛らわそうと、とりあえず「篤姫」を見ることに。(総合が終わっていたのでBS)幕末の薩摩藩の事情が詳しくわかって、もしかすると面白いかも、来週も見ようかなと思っていたら、いきなり韓国ドラマのCMが・・。これが、放映料いくら?という噂の韓国歴史ドラマですか~。ブチっ。切りました。大河ドラマの後に毎週このCM見せられるのでしょうか。 

 

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