詩歌探究社 蓮 (SHIIKATANKYUSYA HASU)

詩歌探究社「蓮」は短歌を中心とした文学を探究してゆきます。

袖の下。

2023-12-21 13:48:21 | 千駄記

わが孤人誌「晴詠」16号完成しました。今日納品された。

いつも通りのスタイルです。

現在は一部140円で送ってますが、来年は郵便値上げ!

200円くらいになるのかね。

 

12/21(木)晴

 

今日は一件だけ、年末の袖の下を取引先に渡しに行った。

よって、遅い昼休み。毎年、袖の下を渡してるのだが・・

 

「ああ、電話しようと思ったんだ。来年からは

コレを君んところの社員に使ってやってくれ。

もういらないから。」

と、言われる。立派な人だ。

 

短歌のお話。

短歌は詩の仲間です。詩は文章の仲間です。

ゆえに文章を理解できない人は短歌を読めない。

ボクは新聞を読まないのでネットニュースを見る。

見出しを眺めますと、

「紅白歌合戦、審査員決定」

この類、最近よく指摘されますね。

この書き手は文章のプロじゃない。

「紅白歌合戦、審査員を発表」だ。

ま、それはそれとして。

 

「短歌では美しいとか悲しいとか、寂しいとか嬉しいとか書かずに

そういうことを表現しないといけない。読者に読み取ってもらうのだ」

 

って、言いますよね。

でも、それホントだろうか?って疑っている。

とにかく、この物言いは読者を信用しすぎている。

 

特に昭和の短歌を読み返していると、

さみしかりけり

うれしき

うつくしかりし

かなしき

わびし

など、率直な表現がたくさんある。

 

「作者の手を離れたら作品は読者のモノ」と言い

「読者がどう解釈しても文句は言えない」と言う。

 

作品は作者のモノであるから作者の意図通りに

読み解くべきである。

と、ボクは思うよ。

 

 

おしまい。

 

 


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