青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

後任佐藤総務相

2009-06-22 21:06:00 | Weblog
一体どんな力が働いているのか。ロシヤから帰った例の亡霊と其の仲間の仕業に決まっている。

西川さいにんを簡単に表明する佐藤総務相とは一体どんな人間なのか。

これからゆっくり調べてみたい。

再任の条件がこれも子供だましのようにふざけている。

今後、三ヶ月間手当ての30%カットだという。

民間の人事に口出ししないという名目だが、あくまで民営化しようが、今日までの国民の税金で成り立ってきた組織である。

簡保の施設売却だけで、責任を取って十分である。

自民党も遂に、落ちるところまで落ちた。ぶっ壊すと言ったあの人間の思うようになったのである。

其の本人が今尚、在籍して、うごめいているのだから、どうしようもない。

まして、それに追随する愚か者が赤い絨毯を闊歩しているのである。

夏至

2009-06-21 18:49:00 | Weblog
9時半多治見へ借りた窯の出来上がり見る.
40%と悪い歩留まり。最新型電気窯なのだが、小型でコンパクトと見た目と全てがコントロールできる利便性に感心していた。

詰め方に、若い担当者には今まで知らなかった窯の欠点を認知させることになった。

釉とびと窯傷は、下段の熱配分に無理があるのと、レンガの薄さは、冷め割れ
を起こしていた。

早々と帰宅したが、どっと疲れが来た。

古い窯の修理かよいのか、新型を購入するのか難しい選択となりそうである。

今日は夏至昼と夜の長さが同じになるころである。

父の日でもある。月初めの誕生日の私は早々と両方あわせて贈り物を受けている。

孫たちは父親に花を贈る予定。我が家にある薔薇と何かといっていたが、母親が用意したチョコレートと手紙にしたという。

金曜日から今日まで、外食を続けている娘一家は、祝い事に食事は嬉しくなくなっている。

先ほど、買い物と兼ねて出かけていった。

夕方、青空が出て、晴天かと期待させたが、また、雲が増えてきた。






曇天

2009-06-20 22:48:00 | Weblog
午前中費もさすが、夕方は遂に雨。それもつかの間で上がり、また、曇天。

蒸し暑い日となる。

熟睡して朝食は8時、家内のバランスよい和食に満足して孫娘は残りの、宿題も綺麗に終わる。

昼もこちらで食べさせたいが、弟のこともあり返して、母と子で食べさせる。

午後遅くから夜に行動する娘は案の定、夕方からいない。

下の孫のクラスメートの家へ。今度は二人を連れてきて、夜まで遊ばせる。

婿が帰宅の電話で友人を帰し、自分たちはまた外食。

帰宅は十時過ぎ、風呂が今11時近くである。休みの前日でも子供の生活時間ではない。

孫二人が健康で育つことを祈るばかりだ。婿は娘に反対できない弱みもあるが、それより、どうにもならない娘に抵抗しないのだ。

名古屋の役所へ

2009-06-18 20:12:00 | Weblog
午前中の約束だが、早めに出かける。用を済ませて早々に帰宅。

昼食を済ませて、午後、失礼していたギャラリーの知人を訪問。

続いて、憲法九条の会で活躍の詩人宅を訪問。ご主人は検査入院。

85才だが頑張って社会活動和している。雷鳴が聞こえて、早々に失礼する。

京都の催事に、訪ねてくれて以来二十数年来の付き合いである。

お互い元気を確認して、励ましあう仲でもある。

其の近くに、当地へ移住する契機を呉れた友人、陶芸窯販売のHさんを訪れる。

電気窯の断線にどうするかの打ち合わせである。二度三度、自分でバーナーで焼いて繋ぐのだが、高温に耐えられない。

早急に職人を手当てしてくれた。彼は明日から沖縄である。

この地方では、いや全国でも信用のある窯設置のエキスパートである。

登り窯などは一月以上かけて、泊り込みで職人何人かと作業となる。

脳梗塞を経験しているだけに、心配だが頑張っている。

孫たちの下校時刻に雷雨が心配だったが、一斉下校とて、姉弟仲良く帰宅していた。

一日中動き回った一日だった気がする。

夕方、三軒ほど裏の隣人が、花と枇杷を持って訪ねてきた。

自宅の枇杷がなると、おすそ分けを庭の薔薇ともってきてくれる習慣が何年も続いている。