私の最初の海外は、1966年の中国だったことは、
既にこのプログでお話ししましたが、その当時、中国で二機の
自慢の設備が完成間近で、中国人同士が、「良い名前は無いかなあ」
と話し合っていました。
近いうちに命名すると言う話も有りました。
敗戦後、直ちに復興に取り掛かって軌道に乗った日本に比べ、
毛沢東軍と蒋介石軍の内戦分、復興が遅れていた中国の差は、
歴然としていて、私の眼には、自慢する程の物ではないと
思えたのです。
私の脳裏を掠めたのは、郷里の花壇に母が大事に
育てていた牡丹が、綺麗な大輪の花をつけた光景て゛した。
深くはかんがえず、気楽な気持ちで、口を挟みました。
「牡丹はどう?」
「牡丹は贅沢な花です、豊かではない中国には相応しくないです」
「成程、では櫻花はどうですか?」 「櫻は日本の軍花ではないですか、
とんでもないことです」
東京オリンピックも無事終わり、目覚ましい発展を続けている
日本にいて、満身が有ったかなと・・・
結局皆で、革命歌の歌詞の中から抜粋したり、組み合わせたりして、
一つまとめました。
口々に「これなら労働者も納得するだろう」「労働者も喜ぶだろう」
と話していました。
そうだ、ここは中国、彼らはインテリなんだ、何をするにも
労働者にお伺いを立てる国なんだ。
個々の中国人は、そんなに悪い人とは思えないが、我々もこの制度下で
お付き合いして行くのは大変だぞ。
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