最近、他の先生方と、「なんで何回言っても通じないんだろうねー」とか「分かってないんだよねー」とか、逆に「○○さんは反応いいよねー」とか「話が通じてる感じがするよねー」とか、話すことがある。
生徒の方も、いろいろこんな感じとかここはどうするとか言われても「全然わかんない」とか「言われてることは分かるんだけど、どうしたら良いかまるで分からない」とか、そもそも何が違うのかも分からなくて「???」となってたりとかもよーくある。
で、
そう言えば自宅にレッスン受けに来ていた生徒たちに共通してたな~って思うのが、
CDを聞いたり、演奏会に行ったり、マーラーが何だとか、奏者についてのウンチクとか、いつの何は良かった…だの何だの言い始めると、途端に話しも通じるし演奏も良くなるってこと。
さらにそう言えば…自分もそうだったなー。
受験でもするかってんで、高校生になって初めて専門の先生にピアノのレッスンを受けに行った時、すでに幼稚園からやってたし~っと思って曲を弾いたら、「なんなの?その鼻歌みたいな演奏?!」って言われた。
で、その後もレッスンに行くたびにタッチのこととか音の深さ的なこととか、今なら「あーんゴメンナサイ!ごもっとも…」と分かることだけど、でも「なに?何なの?曲ならちゃんと弾いてるし!」って感じで、音色だのフレージングだのそんなことを言われても「言いがかり」くらいにしか感じられず、全く気も乗らないし~って感じだった。
でも、その後、ラジオのエアチェックとかホロビッツとかにハマるにつれて、先生には急に褒められ、話しもわかるからやるべきポイントも分かるので、自分は何て素晴らしい先生に習ってるんだろう!!ってことが分かって、やる気もぐーっとUPしたっけ。
トランペットも同じだったな~。
初めて専門の先生に習った時には、これまた完全にイジメですか???と思うくらい、あーでもないこーでもない…違う!!もう一回!!!と夜中まで言われて、もー!!何が違うってんだい?先生の方が下手くそじゃね?などと思ったり…
でも、先生がCD貸してくれたり、いろいろなプレーヤーに会ったり、とにかくいろいろ聞くようになって「ハハーァ!!!おっしゃるとおりでございました!!!!」と思い知るのであった!!!
よーく思うのが、
英語がペラペラになりたいとする。
紙の教材を使えば、単語とか文法とかそういうのばいくらでも覚えられるかもしれない。それに発音記号とか見ればある程度の発音もわかるかもしれない。
でも、ネイティブ的な発音とかリズムや抑揚みたいなものは、英語を一度も耳にしたことがなかったら、紙からだけでは到底いい発音やいいイントネーションではできるようにはならないと思う。
20年ほど前に、イギリス人に「ホール(コンサートホールとかのことね)」の発音を直されたが、何度聞いてもどこが違うのか分からなかった。
その頃は英語に親しみもないし、区別がつかなかったんだと思う。
きっと英語に慣れていれば、その微妙な違いがどれほど大きい違いなのかが理解できたはずだ。
ということから、話を元に戻すと…
いくらリズムや拍子感を注意しても、全く直す気がない、とか直ってないとか、フレージングについて聞いてもノーアイディアだ…とか言うのって、結局は楽器がウマイとか下手とかの問題とは別に、音楽に親しんでなかったり、いろんな演奏を聞くという経験が少ないもんだから、想像がつかないってことにほかならないのではないか。
だから、やる気がないとかではなくて、言われてるポイントがわからないからやりようがないってこと。
どうも、これは日本だけなのか違うのか分からないけど、楽器の演奏はマニュアル的に練習すればできるって風潮がある気がする。
音の出し方を学べば音が出て、それであとは段々難しいものができるようになっていく…みたいな。
でも、はてさて…
楽器を演奏するってのは、「楽器」という手段を使って「音楽」をするってことじゃないのか??
「楽器を巧みに操ることができる」イコール「音楽できる」ではないような。
いや、ないような…じゃなくて、違うッ!!!
音楽をするときに、出来る限り自分の思いを思ったとおりに表現したい…そのときに「楽器を巧みに操ることができる」ことによって、より正確に自分の内面にあるものを外の世界に出せるってことじゃないのか!
「音楽」って一言に言うと大上段に構えてる感じだから、もっと言えば、
「音」でもいいかもしれない。
この音、好きだな~!楽しいな~…そっから始まってもいいだろう。
その楽しいな~、いい音だな~が段々複数になって、連なったり、並行して行ったり…そうやって「音」から「ことば」みたいになったりして、何かしらの雰囲気とか気持ちとかそういうものを伝えるようになっていって、それのキャッチボールしてるウチに、より深いところに…みたいな。
ん?ちょっとずれたか?
でも、これは言えるかも!
発音が悪くとも、表現が稚拙でも、伝えたい内容…それがグッと自分の中にあって、それが音という手段によって聞いてる人に伝わる。そこが大切。
その中身がより良く伝わるためには、もしかしたら発音がいいほうがいいかもしれない。表現のテクニックが素晴らしい方がより良く伝わるかもしれない。
そのために楽器のテクニックを磨く…ということがあるんじゃないかな。
で、やっぱり何かしら共通する表現方法みたいなものとか、その人それぞれの方法とか、何かしらの決まり事とか…
そういうのを理解するためには、他の人の演奏に触れて、そこから自分に伝わってくるものを感じることができるってことがひとつ大切なんじゃないかな。
人の言ってることが分かれば、自分が人に伝えたい時にどうしたらよいかが類推できるかもしれないし、そこからより良い方法を探ることもできるかもしれない。
それが手段しか持ってなかったら、どんなときにそれを使うとか、それを使ったらどうなるとかってのが良くわからないだろう。だからやたら毎回レッスンで注意されることにもなるだろうし、言われてもよく分からん…ってことにもなる…。
正直、今だに自分だってよく分からんことがいっぱいある。人に注意されても、そのときには何のことやら…????ってときだっていっぱいあるのだ。
で、あとになってから、あー!!!あのときの注意されてたことはこういうことか…と気付くのだ。まだ気づかないものだってあるし。
なので、これからもまだまだ修行の日々なのだー!
結局、想像できないことは出来ないし、自分の体験(それが擬似だろうと)したことがないものはピンと来ないものだ。
ピンと来ないとき、ピンと来るまで何かしようとするタイプと、ピンと来ないことを言う人がおかしいって決めつけてしまうタイプがいる。
とかなんとか、いっぱい書いたけれど、
もしも今自分がレッスンを受けたりしている身の上で、先生のいうことが全然分からん…ということになっているなら、是非たくさんの音楽や、またさらに音楽に限らず、心を豊かにしてくれるようないろんなものをたくさん吸収してみるとよい。
あるレベルまで経験が達した瞬間、昨日まで暗号に聞こえていた英語が突然聞き取れるようになるかのように、先生の言っていた「いちゃもん」が突然「全くおっしゃるとおりです…かえって練習してきます!!!!」となるに違いない。
「アハ体験」を是非お楽しみください(*´∀`*)
生徒の方も、いろいろこんな感じとかここはどうするとか言われても「全然わかんない」とか「言われてることは分かるんだけど、どうしたら良いかまるで分からない」とか、そもそも何が違うのかも分からなくて「???」となってたりとかもよーくある。
で、
そう言えば自宅にレッスン受けに来ていた生徒たちに共通してたな~って思うのが、
CDを聞いたり、演奏会に行ったり、マーラーが何だとか、奏者についてのウンチクとか、いつの何は良かった…だの何だの言い始めると、途端に話しも通じるし演奏も良くなるってこと。
さらにそう言えば…自分もそうだったなー。
受験でもするかってんで、高校生になって初めて専門の先生にピアノのレッスンを受けに行った時、すでに幼稚園からやってたし~っと思って曲を弾いたら、「なんなの?その鼻歌みたいな演奏?!」って言われた。
で、その後もレッスンに行くたびにタッチのこととか音の深さ的なこととか、今なら「あーんゴメンナサイ!ごもっとも…」と分かることだけど、でも「なに?何なの?曲ならちゃんと弾いてるし!」って感じで、音色だのフレージングだのそんなことを言われても「言いがかり」くらいにしか感じられず、全く気も乗らないし~って感じだった。
でも、その後、ラジオのエアチェックとかホロビッツとかにハマるにつれて、先生には急に褒められ、話しもわかるからやるべきポイントも分かるので、自分は何て素晴らしい先生に習ってるんだろう!!ってことが分かって、やる気もぐーっとUPしたっけ。
トランペットも同じだったな~。
初めて専門の先生に習った時には、これまた完全にイジメですか???と思うくらい、あーでもないこーでもない…違う!!もう一回!!!と夜中まで言われて、もー!!何が違うってんだい?先生の方が下手くそじゃね?などと思ったり…
でも、先生がCD貸してくれたり、いろいろなプレーヤーに会ったり、とにかくいろいろ聞くようになって「ハハーァ!!!おっしゃるとおりでございました!!!!」と思い知るのであった!!!
よーく思うのが、
英語がペラペラになりたいとする。
紙の教材を使えば、単語とか文法とかそういうのばいくらでも覚えられるかもしれない。それに発音記号とか見ればある程度の発音もわかるかもしれない。
でも、ネイティブ的な発音とかリズムや抑揚みたいなものは、英語を一度も耳にしたことがなかったら、紙からだけでは到底いい発音やいいイントネーションではできるようにはならないと思う。
20年ほど前に、イギリス人に「ホール(コンサートホールとかのことね)」の発音を直されたが、何度聞いてもどこが違うのか分からなかった。
その頃は英語に親しみもないし、区別がつかなかったんだと思う。
きっと英語に慣れていれば、その微妙な違いがどれほど大きい違いなのかが理解できたはずだ。
ということから、話を元に戻すと…
いくらリズムや拍子感を注意しても、全く直す気がない、とか直ってないとか、フレージングについて聞いてもノーアイディアだ…とか言うのって、結局は楽器がウマイとか下手とかの問題とは別に、音楽に親しんでなかったり、いろんな演奏を聞くという経験が少ないもんだから、想像がつかないってことにほかならないのではないか。
だから、やる気がないとかではなくて、言われてるポイントがわからないからやりようがないってこと。
どうも、これは日本だけなのか違うのか分からないけど、楽器の演奏はマニュアル的に練習すればできるって風潮がある気がする。
音の出し方を学べば音が出て、それであとは段々難しいものができるようになっていく…みたいな。
でも、はてさて…
楽器を演奏するってのは、「楽器」という手段を使って「音楽」をするってことじゃないのか??
「楽器を巧みに操ることができる」イコール「音楽できる」ではないような。
いや、ないような…じゃなくて、違うッ!!!
音楽をするときに、出来る限り自分の思いを思ったとおりに表現したい…そのときに「楽器を巧みに操ることができる」ことによって、より正確に自分の内面にあるものを外の世界に出せるってことじゃないのか!
「音楽」って一言に言うと大上段に構えてる感じだから、もっと言えば、
「音」でもいいかもしれない。
この音、好きだな~!楽しいな~…そっから始まってもいいだろう。
その楽しいな~、いい音だな~が段々複数になって、連なったり、並行して行ったり…そうやって「音」から「ことば」みたいになったりして、何かしらの雰囲気とか気持ちとかそういうものを伝えるようになっていって、それのキャッチボールしてるウチに、より深いところに…みたいな。
ん?ちょっとずれたか?
でも、これは言えるかも!
発音が悪くとも、表現が稚拙でも、伝えたい内容…それがグッと自分の中にあって、それが音という手段によって聞いてる人に伝わる。そこが大切。
その中身がより良く伝わるためには、もしかしたら発音がいいほうがいいかもしれない。表現のテクニックが素晴らしい方がより良く伝わるかもしれない。
そのために楽器のテクニックを磨く…ということがあるんじゃないかな。
で、やっぱり何かしら共通する表現方法みたいなものとか、その人それぞれの方法とか、何かしらの決まり事とか…
そういうのを理解するためには、他の人の演奏に触れて、そこから自分に伝わってくるものを感じることができるってことがひとつ大切なんじゃないかな。
人の言ってることが分かれば、自分が人に伝えたい時にどうしたらよいかが類推できるかもしれないし、そこからより良い方法を探ることもできるかもしれない。
それが手段しか持ってなかったら、どんなときにそれを使うとか、それを使ったらどうなるとかってのが良くわからないだろう。だからやたら毎回レッスンで注意されることにもなるだろうし、言われてもよく分からん…ってことにもなる…。
正直、今だに自分だってよく分からんことがいっぱいある。人に注意されても、そのときには何のことやら…????ってときだっていっぱいあるのだ。
で、あとになってから、あー!!!あのときの注意されてたことはこういうことか…と気付くのだ。まだ気づかないものだってあるし。
なので、これからもまだまだ修行の日々なのだー!
結局、想像できないことは出来ないし、自分の体験(それが擬似だろうと)したことがないものはピンと来ないものだ。
ピンと来ないとき、ピンと来るまで何かしようとするタイプと、ピンと来ないことを言う人がおかしいって決めつけてしまうタイプがいる。
とかなんとか、いっぱい書いたけれど、
もしも今自分がレッスンを受けたりしている身の上で、先生のいうことが全然分からん…ということになっているなら、是非たくさんの音楽や、またさらに音楽に限らず、心を豊かにしてくれるようないろんなものをたくさん吸収してみるとよい。
あるレベルまで経験が達した瞬間、昨日まで暗号に聞こえていた英語が突然聞き取れるようになるかのように、先生の言っていた「いちゃもん」が突然「全くおっしゃるとおりです…かえって練習してきます!!!!」となるに違いない。
「アハ体験」を是非お楽しみください(*´∀`*)