この前、どこへ行ったときだったか…
何か、子どもがやったら良いのにと思うことを壊すといけないからとか、危ないからとか、分からないだろうからとか、なんかそんな理由で大人がやってあげてるところに遭遇した。
いや、こういう場面はかなり頻繁に遭遇する。
子どもはラクで良いような気もするけど、よくよく考えると、何だか一番楽しい部分を大人が取っちゃってるような気がフツフツして来た。
例えば、
楽器のお手入れ&掃除。
トランペットって、楽器のクセに洗える。というか、ときどき洗わないとかなり中が汚れる。まあずっと洗わないコップとか、ストローとか、ずーっと歯を磨かない生活とか、そんなものを想像してもらえば、何だか洗わずにはいられないと思う。
で、
特に、いつもきちんと歯を磨いてから吹くわけじゃなかったり、つば抜きをしっかりしない状態での使用を先輩から代々していれば、そりゃー流しの排水溝みたいにはなります、きっぱり。
だからまあ、私たちも結構頻繁に洗います。洗えないときはせめて水を通すだけでも。
で、子どもに話しを戻すと、
これ、水を使うので、楽器の扱いや構造がよく分かってないと、水圧や水の重さで、思わぬ事故(子どもの命には関わりませんが、楽器の生命的には終わりかねない)が起きる場合が多々あります。
吹いてる分には決して抜けないような管が水圧で吹っ飛んでベッコリ凹んだり…これが一番多いです。
でも、やっぱり洗ってヘドロみたいなモノがブワーッ!と出れば、そのあと吹奏感はかなりオープンになりますし、気持ちもスッキリ。そして、何よりキレイになると嬉しいし、拭いたりしてると楽器が好きになっちゃいます。
洗うのは面倒くさいけど、でもやっぱり嬉しい。
この楽しみは、楽器を壊さない!という前提の上に成り立ちます。
壊れたらちっともスッキリ爽快じゃないからね。
で、子どもはときとして無責任で、また不注意で不器用です。だから、高価な楽器を壊されちゃーたまらん。
だったら…てんで、大人がやってあげちゃう。
まあ楽チンだけど、自分で洗って組み立てたときの楽しさは味わえないねー。
私もたまに水通しとかしてあげるけど、そのときは「やり方」と「注意点」を厳しく話す。
「ここは思いがけず飛ぶから絶対に手を放しちゃだめだよ!飛んだらビックリするくらいベッコリ凹むから」
だって、絶対見てる他の子だってやりたくなるでしょ??
そのときに、「ダメよ!!」というんじゃ、つまらんじゃん!
それに、その楽器を演奏している(学校から借りてるにしろ、親が買ってくれたにしろ)以上、その楽器に対する責任は本人が取らなきゃいけない、ということを十分に分からせて持たせなきゃいかんと思う。その延長線上に手入れも当然ある。
他にも、
おっきなブランコとか滑り台も、最近危ないからって撤去されて、まああるにはあるけどスリルのかけらもないようなショボい遊具がピロっと。
子どもが怪我したら危ないから!
そりゃそうだけど、
こんなちっぽけな冒険も許されないなんて。
自分のカラダがビュワーンとなったり、どこまでも登れちゃうような気分になったり、滑り台を変なところからよじ登ってちっちゃな征服感を満足させたり。
危なくないように、こうすると危ないとか、そういうのをしっかり教えるんじゃダメなんだろうか??
言っても分からないほど小さい子なら、それは親が見ててあげるしかない。
言葉が分かるレベルの子なら、そういうことが守れないとどんなに危ないかをしっかり教えて、あとは信じてあげるしかないのでは。
そりゃ、突然言って聞かせたってダメだろう。
だから、小さいウチから少しずつ、命に関わらないレベルの冒険から、約束とか決まりとか、身の安全の守り方を教えておかなきゃいかんだろう。
子どもを見守る時間がない、余裕はないけど、怪我されちゃ困る…なら、危ない遊具がなければ良い!!
確かに…。
でも、きっと今の大人は、滑り台やシーソー、ブランコみたいな遊具で、ちっちゃな宇宙を味わったことがあると思う。
そりゃー、ジャンプをミスって頭を打ったり、バカみたいに派手な擦り傷が出来たり、泣きそうになったことも山ほど。
でも、楽しかった!!
落っこちても、また次の日登って行った!
危ないからダメ!なんて言われたって聞きゃーしない(≧∇≦)
もちろん、指切断…などという痛ましい事故も起きている。首が挟まって…などという、あまりに切ない事故もあった。
で、じゃあ危ないモノはなくしましょう…
ってどうなんだろう??
正直、怪我しようと思えば、遊具じゃなくたって、どこででも怪我できる。
電車もバスも車も自転車も、全部命に関わるくらい危ない。
階段だって、二段ベッドの梯子だって、跳び箱だって!!!
川も池も下水も!!
でも、じゃあ全部排除出来ますか??って言われたら、出来ません!!
そこで怪我しないための工夫とか、筋力とか反射神経とか、決まりごととか、覚えて行くしかない。
ひょっとしたら、送り迎えとかも…
電車やバスに乗ったり、友達と電車の時間までしゃべったり、てくてく歩きながらちょっとした花を見つけたり、カエルやバッタに出会ったり…
結構冒険!
面倒だし、時間も食うけど、そんなどーでも良い時間も、子どもの頃のいい思い出。
喧嘩したり、鬼ごっこしたり、変なあだ名つけたり、ちょっと怪我ちゃったり、あるいはちょっと怪我させられちゃったり…
そんなときの、楽しかったり、気まずかったり、悲しかったり…そういうのも、小さいウチにたんまり経験しとけば、大きくなってから、大きくは間違えない。
小さいうちに、「良い子」にしちゃって、危なくないように、また悪さをしないように箱に入れるかのように…
考えてみれば、大人の面倒臭さを回避するために、子どもをゲージに入れとくような…
ワンちゃんに可愛い服を着せて、やたらリッチなモノを食べさせて、エステなんかもしちゃう…そんなのをつい連想しちゃいました。。
もちろんこの話、「今の親はー!!」っていう、親批判じゃない。そういう意味じゃなくて、今の社会全体の風潮として、そういう感じがするってこと。
イジメって言えば、法律。
先生の質が…と言っては、また免許更新の法律。
そうやって、どんどん狭くがんじがらめにしていく風潮。
あたかもその人のためにやってるかのように。
メタボとか禁煙外来、血圧…
自由でいいじゃない??決まりとか法律じゃなくて、もっと自分たちで考え、責任持ってやってけば、そんな変な決まり要らない!!
で、それと同じようなことが、今度は子どもに対しても…と思うってこと。
そりゃー、大人よりお馬鹿さんだなってところ、いっぱいある。でも、それはダメ人間なんじゃなくて、単なる発展途上。
ポテンシャルは大人以上!!
だから、時間をかければ分かるはずだし、わかると信じなきゃいけない。
でも、その時間を待てない。
時間はかかっても、きっと分かる、できる、と信じるだけのゆとりがない。
即できなければダメ!
自分のこと考えても、すぐにバチっと出来たとは…言えませんわい!
いろいろがんじがらめにしておいて、良い子でいるようにしておきながら、今の子には主体性がないとか、積極性がとかって言うのも、まずこちらのスタンスが変わらないと…。
子どもにもっと「楽しい」を残してやりたい。