はーい、本日2本目のブログですー。こちらが本題ですー、引き続きよろしくお願いしまーす(^^)
はてさて、
さっきお風呂に入りつつ、今となっては何を考えていたのかな?って感じだけど、多分今日のレッスンのこととか、ここ数日のいろいろなこととか、
そして自分で練習してる時のこととか、いろいろ考え合せたりして、
するってーと、
今の子どもって「見て真似する」とか、「問われる前に考える」とか、
んー、そうだなあ、、、上手く言えないけど、
まずは「空間認知」みたいな能力がちと足りない。
「身体を思い通りに動かす」ってのが今ひとつ上手くない。
説明を求めるけど、説明されると出来ない(笑)
あー、いや、ちょっと言い方が悪いな。
「今の子ども」ってまとめるとちょっと違って、こういう能力にめちゃくちゃ長けてる子と、こういうのが本当に苦手な子と2極化してるっていうのかな、、、
その2極化の端の苦手な方の子をよく見かけるんだけど、
ほらほら、昔、知育玩具で、いろんな形の穴が空いてるところに、それにぴったりのパーツを探してはめる立体パズルみたいなものとか、
アスレチックランドゲームみたいな、パチンコ玉みたいな物を上手く転がしてゴールさせるみたいなやつとか、
動きがリアルなオモチャ多かったじゃないですか?!
それに、まあ自転車の曲乗りとか、オニごっこだとか、ゴム跳びとか、
あやとりとか折り紙とか手芸とか、、、
とにかくハッキリとリアルで、自分の身体や周りに対して「物理法則」がかかってる状態ってのか、
そういうの多かったじゃないですか?
あとは兄弟とか周りの子のやってることを真似したり。。。
なんだろう?!
慣性の法則とか、万有引力の法則とか、等加速度とか、、、
この形はひっくり返すとどうなる?とか、
そういうのを「身体」で「体験」して覚えたような、、、
大人が手取り足取りしてくれるわけじゃないし、「攻略本」なんてのがあるわけじゃないから、
いろいろ自分で試したり、経験積みながら(そうとは知らずにだけど)データを集めたり、
あー、それに遊具もいっぱいありましたよねー。
大きくて長い滑り台、シーソー、ブランコ、回旋塔、ジャングルジム、、、
シーソーなんか、天秤みたいなもんですから、体重差があるときにはどう乗ったら釣り合って楽しいかとか、経験しながら覚えたり、、、
まあ、そんないろんなことして、空間を認識し、動きを想像して、「自分の身体を思い通りに動かす術」みたいなものを「遊び」という形でひたすら身に付けていってたっていうのかなー、、、
あやとりなんぞ単純だけど、あんなのも空間認識と指をコントロールする能力と想像力必要ですよねー。
そういう、「遊び」が育んでいた、「イメージしてその通りに身体を動かす」ってことができる、筋肉、神経、脳、、、
そういうのの重要性を大人が「持ってて当たり前」と思い込んで、育ててこなかった結果、身体が思ったように動かせない、想像ができない、みたいな、、、
大学生でも、楽器のケースから楽器を出すと、元に戻すときにどう入れたらいいか、ケースを見て推理してはめ込むことができない子が結構います。
動きを見せても、見よう見まねができない子、いや見て真似するっていう感覚があまりない子もいます。
「言われたことをやる」ってのはやるけど、先生が見本を見せたり聞かせたりしたときに、見てなかったり聞いてなかったり、言われたことが「音のイメージ」であったとしても、それを想像するのではなく、単にそういう「動き」をするってだけにしてしまったり、、、
んー、、、
ちょっと扱いたいテーマが壮大過ぎて、とっ散らかってますけど、
前にね、武井壮さんが「それぞれの競技の動きを練習してるけど、それだとそれはそれなりに上手くなるけど、他の競技になった時にはまた1からやらなければならない。それって無駄だ。『自分の思い通りに動かすことができる体』を作ることで、それぞれの競技については、その競技で一番上手い人をじーっと観察して、その通りにやれれば、それで出来る」的なことを言ってたな、と思い出しました。
つまり「あんな風にやろう!!」とイメージしたらその通りに動ける身体を持つ、それが大事ってことだよなーって。
でも、今は「もっとこうして!」「ここはこう!」とか事細かに習える環境であったり、まあ周りの大人が失敗を許さない(試行錯誤を無駄と考えてしまう、という意味ね)ので、最短コースで出来るようにと口を出してしまうから、子どもは考える余地がない。
で、本来は「ヒント」であるはずの「ここはこう!」という言葉かけが、「目標」にすり替わってしまって、「あんな風にやろう!!」は置き去りになって、替え玉の目標をこなすことが練習、、、みたいにどんどんすり替わって行く、、、そしてその事実に大人も気がつかない。
でしばらく経つと、1から10まで言わないとイケナイ、みたいな子になったりして、そこで「もっと自分で考えて!!」みたいに言っちゃうんだけど、もはやそんな習慣は付いてないんで、そりゃー酷ってもんだ。
楽器の話にすると、
技術的なところは、大人があれこれ細かく動きをチェックしたりした方が間違いは少なくなるだろうけど、果たしてそれを積み重ねて「音楽」になるのかは謎だし、「音楽をする楽しみ」かどうかは分からない。
やっぱり原動力には、「憧れ」ってのが必要なんだろうな。
憧れて、そうなりたいなー、、、どうやったらなれるのかなー??どうやったら出来るのかなー??
その「憧れ」(の人かもしれないし、音かもしれないし、、、)を頭にガッチリと思い浮かべて、想像して、自分と同一化するくらい想像して、その通りに身体が動けばさ。
自分の思い通りに動く身体は、たくさんの「遊び」から空間認識を含めて作られ鍛えられて行くもので、
その「身体」に技術をプラスして、憧れに近づくように、憧れを超えるように、楽器で「遊ぶ」。。。
そういうのじゃないかなー?って急にね、思ったのよ。
ついつい、ここをこうして、ここがダメだ、(この場合の「ここ」ってのは音楽的なとこじゃなくて、身体や動きのことね)みたいにやりながら進んでいくと、ダメな動きのパターンにはまっちゃうことがある。
そういう状態で練習してると、その悪い状態を固定することになり兼ねず、どんどん刷り込まれて、練習するほど悪くなったりする。
本当は何かしらの「憧れ」る状態(音や音楽)があって、それにストレートに向かっていれば、迷い道に入ることはないはずなんだけど、、、
んー、もしかして論点が2個出来てるかな??
全体にとっ散らかってはいるけど、極論すると、
子どもはもっと徹底的に遊びなされ!!
今のいわゆるスマホゲームみたいなのもたまにはいいけど、そういうのじゃなくて、もっと身体全部を使うものや、想像力が必要なもの、あるいは創造!!
木登りだって、安全なルートを考えながら、どこに足をかけたらいいかとか、実際にその動きをする脳や筋肉や神経の連携、筋力、体力、そして登ったら降りなきゃなんないんだから、体力、精神力、集中力、、、
リセットボタンなんかないからね。ヤになっても、自分で降りなきゃ!!
そこがスマホゲームにゃ足りないよ。
遊びはダメ!!なんて言うのは、犬の散歩しないなんてのよりもっと悪いね。つか、犬ですら散歩するのに、子どもに運動させないって何だろね??考えてみりゃ不思議。
キャットタワーは買うけど、子ども用のアスレチックは買わない。
全身使わせよう。動かし方、覚えよう。鍛えよう!!
その方が頭も良くなるんじゃなーい??
頭って、学校の成績なんかじゃ測れないんだから!!
社会に出て、学校の成績なんてほとんど関係ないから。
そんなことを考えました。うん。
わ、もうこんな時間だー!!それではみなさん、また明日ー!!