ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

感情を受け止めてみることにしてみたら、、、

2020年11月29日 23時57分16秒 | こころ、メンタル、身体
こんばんはー!!

もうめっちゃ眠いし、さっきカポック君の成長記録をアップロードしたから、今日の文はもう終了!!と言ってもいいのだけれど(自分的なルールではw)、

今日ふと気が付いたことがあったから、書き留めておこうと思うわけ!

と書いてて、今朝運転しながら「今日は絶対これ書こう!!!」って思ったことがあったけど、全く内容を思い出さない、、、絶対良い内容だと思ったのになー、、、ま、いっか!!


そう、

感情を受け止めることにしてみたら、って話なんですけど、

何を今さらってことなんですけどね、

いやさー、ふと気が付いたんです。
ああ、、、この居心地の悪さ(自分の身体の中の、ってことね)は、自分の感情を無視してるからだな、、と。

どう無視してたかって言うと、

自分はプロってことでやってるし、指導もしてるわけで、素晴らしくあらねばならない!!!という気持ちがある一方で、

ああ、自分の思った通りに吹けないし、なんなら果たして思った通りってのもいったいなんだろう?思った通りってヤツすら、ポンコツなんじゃないの?
という自分をディスる気持ち。

あーもーお!!と思うけど、そう思っていることを外に出してはいけないんじゃないか?

いや、もう出してるじゃん??

いや、素直には出してない!!

もしかしたら、こういうことを学ぶ人生なんじゃね?、、、

ん???

もしかして、私は「こういう感情を抱いている」ってことを、全面否定して、悪いことだってことにして、できるだけ見ないように、でも現実問題として直面してるのに、感情を見ないように無視して、、、


という状況なんじゃないか?

そういうジレンマ的な感情の存在を無視・黙殺しているから、

これでもか!!これでもか!!と私にアタックしてくるのではないか?
そして、無視するから居心地が悪いのではないか??

これまでのいろんなワークのおかげで、素の自分でいても、どうやら大したことは起きなそうだ、、、というのはちょっとずつ分かってきてはいる。

そういう中で、自分の感情、、、そんなものくらい、ガッチリ受け止めたらどうだい???無視してるから辛いんじゃね???

ほほう。それなら分かりました。受け止めましょう。ガッチリと。。。

「そういう気持ちだったのねー」「そうだよぉー」

ハイ、終了。

あっけなく、終了。

すると、なんか急にすーっと気持ちが落ち着いて、
周りもよく聞こえるようになったような、


へたっぴなのが、上手くなるとか、そういうのじゃないよー。
そういうことじゃなくて、私の中の雑念が100分の1くらいになった。
そのおかげで、音楽のことを考える隙間が出来た。


そうやって少しずつでも、やりたいことに近づけば良いじゃないか‼️

不完全な私なのだから、まずは勝手に禁止事項とか作らないで、そーかそーか、うんうん、、、と聞いてあげたらいいのだ。

ちらちら見えてはいるんだけど、気付いたら負けだ‼️、、、、

なーんてそんな思いは、要らないらしい。


他にも、ああなんて3日坊主なんだー、、、とか、いろいろダメじゃんワタシ😢、、、とか思ってる気持ちとかある、、、

それらも「ワタシって3日坊主だな、うんうん😆」とか、「こんなんなってるねwあはは」に変えてしまえー‼️

そこにいちいち善悪つける、ディスる、、、それ要らない。
それするとチャレンジする勇気がなくなるからね!


そしてついでに、

なんか中途半端に人ならこう言う時こう言うか、こうやんないと変な人に思われるか??

などと、考えて行動する(発言する)のもやめちゃえ!って。


そんなつもりは無いんですよ、そんな人任せな発言、、、

でも、よーくよーく考えてみると、、、

めっちゃしてるねん。。。そう言う言葉は上滑りして、まあいわゆる「社交辞令」って感じにしかならんね。

で、その「何かから言わされてる」言葉を頑張って言っても、上滑りして気色悪いから、なんか心がへこたれる、、、

うんうん。なるほどなるほど、、、

自分の中に宇宙があるな、こりゃ(笑)面白いわ🤣🤣🤣


というわけで、ただ今、「那須塩原の湯」ってヤツをドバーッと入れた普通のお風呂に浸かっております笑

ここ、岩室温泉なんだけど、大浴場は使えないのだー。壊れてるんだろうねー。なので、自分で地域共通クーポンで買ってきた湯バナを入れてみたのだよー。

このホテル、今日は私しか泊まってないそうな!

そして明日から休業(冬だから)。
チェックインギリギリの21:30にやって来て、チェックアウト時間ギリギリまでいようとしている、ただ1人の最後のお客😆

しかし宿主、

「いつもたくさん泊まって下さってありがとうございました♪」ですって💕

こちらこそ!!

明日は12時から2時間レッスンしたら、東京へ戻りまーす。ガソリン入れねば!!

それではみなさん、また明日ー☺️
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こんなに育った!!!

2020年11月29日 23時28分03秒 | 音楽&トランペット&レッスン
表紙はウチのカポックちゃん。

今や、下の葉っぱがこんなに立派になりました。

って、昔はどうだったかって??7月16日の姿がこれね!

表紙のひゃしんはこの木の根元部分です。
ほらほら7月には、こんな風に、根に近い方には葉っぱがなくて、びょーんと茎が伸びてて、、、


その茎にホラ、こんなキュートな葉っぱがね!
キュートすぎる!!

ヤモリのヤモ吉くんのお手てのようだよね❤

それがコンくらいになって、、、


また育つ!

あらまー!!おっきな葉っぱに!!

んで、先日。。。

もう、上に本体があるなんて、感じないでしょ??(笑)

もうこの下の部分だけで十分に鉢植えとしてやっていける、、、。

でも今も上にちゃーっとぱっぱたちがコンモリいるんだよ!!
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長い1日でございましたー!

2020年11月28日 23時33分36秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!

今朝は1時半くらいからYouTubeなんぞを聞いたりしながら、、、3時に起きて、車に飛び乗って、めっちゃ眠くてうぉー!!となりながらもなんとか新潟にたどり着いたわけですけど、

朝には美しすぎるお月様が🌕ババーンと地平線近くに出ていて、、、

何と美しい、、、

そして、表紙の写真は新潟に入ってからなんだけど、この場所で前にも虹を見れたのね。今日もあとから見たら2重に虹が。美しやぁー。

とっても嬉しくなりました。

そうそう、今日は午前に5人レッスン、午後からは合奏して、夜は大学で2人レッスン、そのあと小一時間練習して、お宿に着く前にほっともっとで夕飯をゲット、セブンイレブンで朝ご飯をゲット!!

そんなわけで今に至るわけですが、

合奏はちょっと良い感じでのところまで出来てよかった。

トランペットのレッスン、中学生と小学生男子にはなかなかいいレッスンで来たんですけど、大学生と初心者の子たちには、果たしてこれでいいのか?
っていうレッスンになっちゃいました。

というか、あんまり曲の見本を見せなかったってことね。

夜、居残り練習してて、首がロックしちゃって途中から、ありゃこりゃいかん、、、ッとなったときに、

いつも言ってるオンラインサロンの中にキネシオロジーをなさってる方がいて、ちょっとやり方を教えてくれてたから、

やるなら今でしょ?ってわけで、身体をセンターに戻すっていうのをやってみたら、

左右のズレは自覚が半端ないとはいえ、教えてもらったやり方してみたら、、、


こりゃいかん!!と思うくらいに最初、ううぉぉーっとなって、

そのあと吹いてみたら、なんかここのところ喉に力入ってるな、と思ってたのが、久しぶりにちょっとストーンと力が抜けた気がして!!

幸せすぎる!!

でもすぐに完治とかってんじゃないから、これからもっと整えて行かねばな、、、


それにしてもそういうキネシオロジーなんてものがあるなんて知らなかったから、びっくりよん!!

あーそうそう、岩室のいつものお宿、11月いっぱいで冬季休業になっちゃうので、今回が最後で連泊なんだけど、

一番いいお部屋

ってヤツにしてくれたみたい!!やったね!!ひーろびろ。

あー、もう眠くてヤバイ。何しろもうちょいで24時間営業状態じゃん?(笑)

もうお風呂入ってねまーす。

また明日ー!!
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正直に伝えたくなる理由

2020年11月27日 15時03分47秒 | こころ、メンタル、身体
何かが自分からガンガン発信されているようです、、、変身するのか???
するといいな(笑)

えーっと、「正直に伝えたくなる理由」について急に書きたくなったので、記録しとこうと思います。

ある時から、「なんでもスパッと言ってしまう自分は、人を傷つける悪いヤツだ」と思うに至って、とても悲しくなっておりました。

それが、今パッとなぜ正直に伝えたくなっていたのかを思い出したのです。

私は表と裏とか、本音と建て前とか、陰と日向とか、、、そういうことを人間関係でやるのがイヤだなって思うタイプで、

よく、この前あんなに悪口言ってたのに、面と向かったら全然ニコニコ話してるじゃん???ってこと見かけるじゃないですか。

最近は「それが『大人というモノだ』」と思ったりもして、それが出来ない自分がホントにポンコツに思えていたわけですけど、

でも、ホントにそういうのは好きじゃない。

「いやだなーって思ってるけど、言わない」

そういう物凄く素晴らしい人もいると思います。

私はあんまりイヤだなって思ってないけど、世間は「イヤ」って思ってることってのもあります。


そういう時に、

例えば、だれかの「こういうところ」がイヤとかって周りが陰で言ってるとするでしょ?

でも本人には言わない。言わないけど、陰では言う。

それがイッチバン嫌なのね。

口に出さなけりゃ、だーれも「思ってるかどうか」分からないから、それは「思ってないのと同じ」じゃん?

だけど「○○だよねー。。」って噂したりしていれば、もうそれは「存在してる」でしょ?

それなのに、本人には言わないってのが、一見「優しさ」かもしれないし、それが「オトナ」ってものかもしれないけど、

本人に言ってあげれば、改善の余地があったり、何か事情があったり、、、そういうことが分かるじゃん?

そしたら、もっといい関係になれるじゃん?

陰で言ってても、そりゃー言ってる方は何かしらの仲間感が出て楽しいかもしれないけど、そんなことを裏でされてるって後で知ったら、

どんだけ人間不信になるよ???

そう思ったら、「本人にお伝えして、何とか改善できないか、解決できないかって、前へ進んだらいいじゃないか?!」って思って、

自分はそうは思ってないけど、だれも言えないなら私が言おうか?

ってことが良くあって。

社交辞令ってのも上手く使えない人なので、そういう意味で「社会を円滑に回すためのウソ」ってのが、その人の本音を知ったときにその「社交辞令」とのギャップに人間不信になるのがイヤで、思ってないなら口に出さないっていう方が良いって思ってて。

でも、これはさ、人としては全く損な生き方じゃん?

そして案外誰にも喜ばれない可能性もある。

伝え方に失敗すると、傷つけた張本人になってしまう。

自分はそんな風には思ってないけど、裏でこそこそしてるのはヤだなって思って、伝えたせいで、「私が」思ってるって言う風に伝わることもあるからね。

「〇〇さんが言ってたよ!」って言っちゃうとチクったみたいになるじゃん??

若かりし頃はそれすらも、全く悪気なく伝えてしまい、あとで恨まれたりした💦そりゃそうだ。。。


いずれにしても、こういうことすらもお伝えしなければ、その本人にとってはないのも同然だったわけだから、聞かない方が圧倒的に平和で合った可能性もあるし、そんなこと言われても解決できることならいざ知らず、どうにもならないってことだったら、それを気に病むことになっちゃって、とっても気の毒なことになりかねない。

そして、ついでに恨まれる。


もちろんね、「正義感ゆえに」ではなくて、ホントに若気の至りで口走ってしまった言葉ってのもホント数知れないし、相手の気持ちも考えられない未熟モノゆえのことでホントに許してほしいってこともいっぱいしてるからね。

それはホント、これからの人生に生かさせて頂く、、、ってことなんだけど、

そう、

ワタシが正直に伝えたかった理由はそれだったんだな、と思い出したのです。

きっと自分が裏で何か言われてて、目の前ではすっごくニコニコされてたら、ホントに知らなけりゃ「おめでたい」けど、そうじゃなかったら辛いじゃん。辛すぎるじゃん。

それが他の人もきっと同じに違いないって思ってたんだよねー。

結局、自分目線の考え方が「基準」になっていただけで、それは他の人には全く当てはまらない可能性の方が大きいことが、いろいろ学ぶにつれて分かっては来た。

前に生徒のお母さんから、

「『藤井先生はホントのことしか言わないからいいんだよね。ここがダメだったけど、ここは良かったって言うから、自分がどうだったかが分かるから』って娘が言ってるんですよ」

って言われたことがある。

よく、「どうでしたか?」って聞くと「良かったよ」って答えるけど、絶対何か思ってるけど教えてくれないんだな!!ってこととか、
「えー??そこ??そんなの言われても困るよぉ、、、」ってことをネチネチ言われることとか、

どっちもあって。

スッキリとズバッとした感想を言ってくれる人を自分は信用する

そういう気持ちがあるから、自分だけは適当な感想言いたくないなって思っていた。

でも、それも今は迷いがある。いろいろ考えてしまう。そうすると、結果「良かったよー」みたいな、なるほどありふれた感想になっちゃう。

それは、もしかしたら相手を安心させるかもしれないけど、私ならちょっと信頼できないなって思っちゃうのかな、、、って思ったりもしてきた。

何が・どこが・どう良かったのか、が伝われば違ってくるよね。
良いものに「良い」というのは至極素晴らしいことだもの!!!

同じように、ここはちょっとこうだったから、こういう感じにしてみるのはどう?みたいなのも良いよね。



そうそう、、、

もう何年も経ったから書くけど、ある生徒がね、とってもいろんなことができる優秀な子で(まだちっちゃい小学生だったんだけど)、お母さんも死ぬほど熱心で、何でも一生懸命で!!

わー、こんなに親子でいろんなことに一生懸命になれるのか?ってくらいね!!

で、世間では凄いその優秀な子は、私の前ではむしろちょっとぼんやりしてるくらいの普通の小学生で、、、、

でも一生懸命なことは間違いない。

ある時、いろんな行事に参加しなくてはってんで練習を休まざるを得ない日が続いて、

それなのに、戻ってきたらそれまで一生懸命練習してきた子を差し置いても平気。

ちょっと私はヤな気分になった。

それがほんのり伝わったんだろうね。だんだん参加しなくなって、最後には忙しいからって辞めるわけだけど、

その時ね、

これはワタシの思い込みかもしれないから、分からないけど、

その素晴らしいいろんな成果を支えてるのが「お母さん」ではないかと。
だから私の目の前にいる普段のその子が、本当のその子で、
世間で言われているような様子は、お母さんが頑張って手伝っているのではないかな?って。

だから、私から評価されなくなったら、もういっきにつまらなくなってイヤになったのではないかって。

で、最後はなぜか泥沼っぽくなったんだけど、本人からは直接一切なにも会うことも話もなく、すべてお母さんがその子の気持ちを代弁してメールを送って来たんだけど、

その子を完全に理解してるって思ってることがもう、違うんじゃないか?
お母さんの考えてることがその子の考えてることだと思って、ワタシに伝えてくることが、もう違うんじゃないかって思えてきて、

お母さんに、

そんなにその子に無理させなくてもいいんじゃないですか?
そのままの姿でいいんじゃないですか?
お母さんの期待に応えようとしてるだけじゃないですか?


って伝えたら、

先生は気分屋で、生徒に全部押し付けて、自分だけ早く昼ごはんが食べたくて、片付けも全部生徒に押し付けて、険悪で、みんなに嫌われてますよ


っていうメールが返ってきた。

最後の「みんなに嫌われてますよ」はさすがにこたえた。そこだけは、もしかしたらホントかもしれないし、分からないな。

でも、生徒に全部押し付けて、とかそういうのは、ははーん、同じことも違う立場から見たらそういう風に見えるのか、、、思い込みって恐ろしいな、って思った。

私はね、昼ご飯は別に食べなくても良かったし、昼休みもなくても良かったのよ。

その頃、昼食の取れる場所がね、とにかく提供に時間がかかって、注文してから散々待って、食事が出てきたときには、もう午後の仕事の開始数分前ってことが良くあって、それだと午後の仕事に迷惑かけちゃうから、急いでたんだよね。早く注文すれば、間に合う!って思ってね。

それを自分だけ早く休みたいから、、、って思ってたのか、その子は。ものすごく立派な発言で世間に評価されてる子だけど、こういうモノの見方ってのは、普通の子どもだよな、、って。別に普通の子どもだから、何も問題ないんだけど、お母さんは「音楽の汚いところもよく分かりました」とも書いてきた。

どうして、音楽の汚いところなのかな、、、って。

それまでものすごく「先生、先生」って言って、いろんなお手紙とかくれる家庭だったから、ずーっとウソ言ってんだな、、、って。「子どもが書いた手紙です」ってくれたモノも、その後よーく見たら、お母さんの筆跡だった。

こういう「ホントのこと」の伝え方は、やめてほしいね。

私はその子がそういう「評価」にだけ気を取られて自分を高く起きすぎて、あとで本当の等身大の自分にぶち当たったときに、ショックを受けないでさえくれればいいと心底思っている。

単に、普通に等身大に、やりたいことは精一杯やればいいし。

そう思っただけだったけど、返ってきた言葉はあまりにも手痛くて、今もときどき思い出す。

人に光を与えるための「噓も方便」のような言葉は、とっても尊いと思う。
でも自分の保身のための、自分が得するための「ウソ」は嫌い。

人を幸せにするためには、時には「ウソ」も良いかもしれない。でもそうやって吐いたウソは墓場まで持って行ってナンボじゃないかって思う。
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相手をちゃんと見る!!

2020年11月27日 09時45分42秒 | 音楽&トランペット&レッスン
おはようございます!!

今、電子書籍で「疲れない体を脳からつくる ボディーハック」を読んでおりました。
 
これね!!ふむふむ、、、と思っていて、

ふと、、、


子どものレッスンのときに、いろいろ教えようとしすぎて(あるいは我慢して教えないようにしようとしすぎて)、その本人の状態をちゃんと見れてなかったって思って!!

パッとみて、ああ、、こういうことか!って思って、準備していた内容を伝えちゃう、、、この子にはこれが使えるはず!!って。

でも、もーっともーーーーっとよく見なきゃだめだね。
すぐにあてはめちゃうんじゃなくて、どういう感じになっているのかを、自分の方に落とし込むくらいによーくよーく見てみなきゃ。


ふっとそれが浮かんだから、忘れ止めに書いておきます。


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ポンコツな私がこうやって案外ちゃんと生きていられるってことが「素晴らしい!」

2020年11月26日 23時43分44秒 | こころ、メンタル、身体
こんばんはー!!

謎なタイトルを付けちゃいました(笑)
本当は、もしかして人生が辛くなっていたり、打ちひしがれている人がもしもいたら、読んでみてほしいなーって思って、そういうタイトルを付けようと思ったんだけど、無責任なタイトル付けて、余計になんか変な気分にさせたらヤダな、と思って、こんなタイトルにしてみましたわ。

いやー、、、今日はホントにポンコツでした。

面白いくらいに、いろいろとっ散らかって、何とまあ、、、って思っちゃうくらい。

小学校でのレッスンもめっちゃ張り切って行ったけど、張り切りすぎて子どもの目線に立ててなかったなーって思ったし、あー、、、とっ散らかってるって気が付いたからむしろその張り切りもちょっと霞んだし、、、(;'∀')

そして、レッスン終わった足で義父に生酒を届けようと、ちょっと旦那の実家へ向かいがてら義父に電話したら、病院に来ているから今日は何時に帰れるか分からない、とのこと。。。こりゃー、向かってもダメだな、、、と引き返す。

そのあとはあれこれ事務作業に追われ、

こんなの手書きでやったら瞬時でしょう?っていうヤツが、Excelの使いこなしが今ひとつなせいで、めっちゃ時間食う。。。

そして、原稿やらなんやら揃わないので、完了できん。。(笑)

そうこうしてると、先日の本番の音源を仲間が送ってくれた。
ポンコツだったなーって思ってた本番だったから、録音しとけばよかったなーって思ってたので、聞けて良かったー。
想像よりはマシだったけど、課題も山盛り。超特盛!!

練習しよう、、、リズムに乗って演奏したいなーって思って、昔たくさん作ってたカラオケ音源に合わせて、、、とやってみた。

一時期よりは吹けるから、そこは良かったけど、いやはや、、、大昔以来吹いてなかった曲とかは、昔とのギャップにへこたれるw

でもまぁいいとしようー!!

そして、新しく生徒になりそうな2人と連絡を取る。

事務仕事をしていると旦那から電話が来て、夕飯どうするー?って。

オーノー!!夕飯、、、

というわけで、蒙古タンメン中本に行くことになりました(笑)

帰ってきてから、オンラインサロンで私に勧めてもらったボディーパーカッションを試す。

もーね、笑えるくらい。。。ん?右手?は?左???え?え?え?どうなってるの??的な。

ダンスとか一発で覚える人って凄いね。

こりゃー、もうね笑えるレベル。でもパーカッションの人ってこういう風に練習するんだーってのが、めっちゃ新鮮。体に入るまでやる、って感覚が凄く良い。新鮮。。。

まだ端折ってるところ満載ですけど、まあそんなかんなでいろいろなポンコツっぷりを存分に晒しているわけですけど、

そして、

なんかね、ポンコツであることを認めると、生きていられないような気がして、見ない振りしたり、心の内を隠したり、変に肩肘張ってみたり、逆に卑下しすぎたり、、、いろいろしてきましたけど、

それもこれも、ポンコツであったら自分の存在価値がなくなって、天地がひっくり返る的な恐怖がもう半端なくて、、、

それは絶対真実だ、と思ってきましたけど、


今日、ふと気が付いた。

こんなにスッキリとポンコツ晒して生きてますけど、あれ???別に何も変わってなくない??

そりゃーダメでへこたれる、とかはあるよ。そりゃーあるよ。そりゃー、ガンガンへこたれるよ。

だけど、世間は別に今までと変わってない。むしろちょっと親切。ちょっと優しいくらい。


きっとそれが真実。

別に何も起きない。世間は別にそんなことじゃ変わらない。

だから、怖がる必要はないのかって思った。
自分がちゃんとしたいから、もっと頑張るとかはめっちゃありだけど、
世の中が自分をさげすむのでは?とびくびくする必要はない。

現実は現実で受け止めて、ただそこからどうします?ってところが問われてて、それだけなんじゃないかな?と。

自分軸でもっとモノを考えて、
自分がこれで良いと思えるものをやるために頑張る。
その「これでよい」は、これならみんなが喜ぶとかそういう目線で考えていけば、さらに間違いない。「こう思われてしまう、、」とかでマイナス方向には考えない。


こんな私でもそこそこ普通に生きていられてる、何なら大学の先生とかでもあったりする。これって、もはや奇跡!!凄い、めっちゃ凄いこと!!
こういう「奇跡」が起きたら、「良かったね」ってことになる。

凄い人が凄いのは、普通じゃん?当然じゃん?

そうじゃないから凄いのだー!!めでたいめでたい!!

だから、どんなんでもみなさんはバッチリだ!素晴らしい!!生きる価値ありあり!!
凄くても良いし、普通でもいいし、ポンコツでも大丈夫!何とかなるのだ。

そういうことをお伝えしたいな、と思ったのでした(^▽^)/
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「やり方」って言葉についつい!!

2020年11月25日 14時05分04秒 | 雑感
練習しながら、ついついいろいろ思い付いてしまい、それがどこかにアウトプットしたくなる藤井です(笑)

「やり方」って言葉に、ついつい何かマジック的なモノを感じてたことにふと気づかされたので、書いておこうと思います。

生徒に「こういう風にやるといいよー!」って言ったときに、2通りのリアクションがあって、

●ああ、なるほど!そうやればいいのか!!練習して身に着けよう!

●そうか!そうやればできるんだ。早速、、、あれ??できないじゃん?え?あ??なんだ、、できないじゃん!!シクシク、、、

で、前者のときは、めでたしめでたしで、じゃーまたね!で終わるんだけど、後者の場合に、まずそこで軽いパニックがあって、それからできないこと教えるなんて酷いや!的なリアクションと、軽い敗北感みたいな、、、それを何とかいい方に持って行こうとこっちも焦って、「そうじゃないよ、もっとこう、、」とか、「そんなすぐにはできないさーw」と言うとか、、、

そういう風になりやすくて、こりゃーどうしたもんかなぁ?もっとすぐに分かるような言い方や方法はないのか??と試行錯誤してみる、、、すると毎回なんか軸がしっかりしないような内容になったりする、、、

んで、今度はこっちが凹む、、


みたいなね!!

何かしらもっといい「やり方」があるはずで、そしたらもっと一発で変わるのでは?とだんだんそんな気持ちになっていく、、、

それが、今ふと自分もそうなってる???ってことに気が付いたんですよ。

何をやるにも「知った」という段階と、「できる」というのと、「めっちゃ身についてる」ってのは全然レベルが違いますよね。

なのに「やり方」にすがり過ぎて、「できる」で安心してしまう自分ってのが、見えたのです。

そうすると、生徒に対して「身に着くってのはもっと練習していくやつだよ」などと言っていながら、どこか自分にそらぞらしさがあるな、、と思ったのは、そういうことか!!って。

何かしら「やり方」ってのはあるけど、それを無意識のレベルにまで落とし込む、、、それが日々の練習かなっと、思ってやってきていたつもりが、

「やり方」を発見するだけで安心してしまうんじゃー、子どもに文句なんぞ言えないな!!

「やり方」を追究していくということ自体は、大切。
研ぎ澄ますとか、洗練するとか、そういう意味で。
また、もっと工夫があるのではないか?など、探求する意味で。

でもそれはそのやり方を「実践」していく中にあるのであって、「見つけた」だけで、OKとかNGとかしてたら、洗練じゃないもんね!

と、そんなことを思ったもんだから、自戒の意味も込めて書いときます。

それじゃー!!またねー!

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メモ代わりにブログを2つ始めました(笑)

2020年11月24日 20時42分50秒 | 雑感
こんばんはー!!旦那が帰ってくる前にブログを書き終わろうとしています。

とか書きながら、今日のタイトルはなんだ(笑)
ブログを2つって、何言ってんだ??って感じですけど、もうちょい完成してきたら、リンクするか、あるいは同じ内容を載せていくかしたいと思います。

いやさー、ちょっと頭を整理するのに「PCにメモ」したかったんですよ。ほらほらiPhoneには「メモ」あるじゃないですか!

ああいう感じで、パパっと書けて、、、みたいなの!!
iPhoneにもメモいろいろしてるんですけど、今やパソコンLOVE時代なのでw
(ヒューレットパッカードのPCを買って以来、iPadか?というくらいの持ち歩きっぷり。タッチパネルでも行けちゃうから、キーボード付きのiPadって感じなんです、ちょい重いけどね)

Googleのアプリをいろいろ使ってはいるんですけど、ちょーっとずつ思ってる感じと使い勝手が違うんだよなぁ、、と思っていて、

ふと、ずーっと昔にGoogleのBloggerからブログを1本だけ出していて、それはもう面白くないから先日思い出して消したんですけど、そーか、、、ここに書いとけば、今のところ全く誰もアクセスしないだろうし、話が貯まって充実してきたら、アドレスとかさらせば、お役に立ったりもするかもしれないしー😉 

なんてことに気が付きまして、

早速、トランペットの基礎的なところを見直す(自分の奏法のためと、指導するときのための両方かねて)っていう内容と、ジュニオケのA合奏からB合奏へ行くのに、どんなことが出来てたらいいか?どうやって行けばいいか?をちょっとちゃんと考えてみようと思って、子どもの合奏について考えるっていう内容のと、

その2種類をメモ代わりに書き始めてみたってわけ!!

自分を実験台にしている部分もあるし、

なにしろ、3歩あるけば忘れちゃうっていう魅惑の酉年ですからね、

とにかく何かに書いて考えないと、すーっぐ忘れちまうんだからー!!
頭の中で、論理的にピピピーなんて出来ないのよーん!

何かが宇宙から降ってきて「おおおおお!!!」と閃いたりはするけど、それとてもちゃんとメモっておかなけりゃ、次の日にはもう、宇宙の藻屑と消えるのさ!!


そー言えば、その「3歩あるくと忘れちゃうんで」ってのを、今専攻で教えてる高校生の口から聞いて、

うわぁ!!何だ?その聞き覚えしかないフレーズは???ってヒャーってなって、

「〇〇って何年?」って聞いたら、

「酉年っす」ですってーーーーーーー!!!!
ヒャー!!!!

酉年が多すぎる。。。

そりゃね、自分の干支ですから同級生はほとんど酉年ってそりゃそーだけど、

それ以外に、長い付き合いの生徒とか、先輩後輩にも酉年が多いのだよ。
酉年って一番人口比で少ないらしいよ、、、それなのにねーw

それと、もうただ単に面白いから書くだけですけど、

11が誕生月日に関係ある人が回りにめっちゃ多いよー!!

1月1日、あとはそれぞれの月の11日、そして11月1日、、、集まりすぎで驚く。。

集めてるのかなぁ??もしかしてw

おっと、横道に激しく逸れましたけど、

そんなわけで、別なブログに頭をまとめております。何かいいことを発見&進化できるように祈ってて!!

Googleだからすぐにアクセス解析されるんだけど、まだだーれも見てない(笑)(私が1回だけ試しに開いたからか、1にはなってるページがある)。

向こうは、頭まとめ用だからメモ的に不定期。まぁ、メモだから自分が整った時点で放置しちゃうかも!
こっちは、毎日更新し続けますよー!!

これからも、「ゆこちんのトランペット」よろしくお願いしますー🥰
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輝く光の存在

2020年11月24日 03時15分01秒 | こころ、メンタル、身体
こんばんはー!!眠くて無理ー!!と思って、ちょっと寝てからブログを、、、と思ったら、2時間も寝ちまってました、、、

東京へ戻ってくる最終盤、いやー眠くて、、、でもあと30分くらいでウチだーと思うと、そこで休憩ってのも、、と必死に運転、、だったもんで、家に着いたら電池切れた(笑)

今日は、これでしたー。

司会なんかもしたりして、、、

あ、もちろん演奏もしましたけど(笑)

とても楽しい時間を過ごすことができました。


そう、ホテルでモーニング・ページを書いて、それから現場であるこちらのオークラホテルに移動する間に、


急にふと、、、


もしや、ワタシ(すべての人間)の本来の姿(タマシイ的な部分ね)は、愛と光の存在で、なぜ今はそう思えないのかというと、自分がそう思ってないからであって、いろんな刷り込みや思い込みで、そうは思えないようになっていて、思ってることが現実化するから、「愛と光の存在」でなんぞあるはずがない!!と信じる通りになっていて、

そう思って行動しているし、そういう波動を出していれば、周りもそう見る→自分もそう思う→周りもそう思う、、、のループ、、、

となっているのかー!!!

と思えてきたのだ。

よく、「そのままの自分でいい」とか言って、でもそのままだったら世の中で上手くいかないんじゃー!!!ってことが多いから、「そのままでいい」なんてワケがない!!と思ってしまうけど、

「タマシイはそのままでよい」けれど、アウトプットの仕方には工夫が必要で、

どんな風なアウトプットにしたら、周りの人がいい気分になるか?ってことには、工夫と練習と訓練が必要なだけ。

なるほど、、、「自分は悪い」とか「自分はダメだ」と思うことは、辛くはあるけど、「脳」にしてみたら、「だからしょうがない」って思えば頑張ったり工夫したりする手間が省けるわけで、

そうか、、、それは「脳」を怠けさせてることでしかないのか!!!

自分が愛と光の存在である、ということを受け入れると、「脳」はそれに見合う方法を考えねばならない。

それをやっていけばいいんだ!!


だから、なにか上手くいかなかったとしても、それは「タマシイ」がダメだったり悪かったりするわけではなく、

アウトプットのやり方がまずいってわけだから、脳にはもっと頑張ってもらって、

ああ、この方法はダメか!!というデータが一つ録れた、ってことで、

「わかった」という部分では成功、でももうちょい工夫!!だから、次はどうしようかな??と作戦を考える楽しみが増える、、、ふむふむ!!!


と思うと、急に楽しい気分になってきて、

そんな風に思って会場に向かうと、

なんだかそれが答えのように感じられて、

そして、本番が終わったあと、メンバーたちやホテルのスタッフのみなさんと気持ちのいい「お疲れー!!」を言うことができて、

また聞いてくださってたお客さまのおひとりが声をかけてくださって、とっても楽しかったし、ああやって曲の説明をしてもらってから聴くと、分かりやすかった!!

ってわざわざ言ってくださって、それはそれは嬉しゅうございました。


演奏っていう部分では、

心が許せてない部分は、呼吸が浅かったり、首がロックされてたりでなかなか思うようにならないところもあったんだけど、自分の中で状況が分かってきたのと、

うまく気持ちが乗せられて、無になれた部分とあって、

ここら辺は要訓練&要研究です!!

そんなかんなで、本来の自分らしいアウトプットをしてもらえるように、脳には頑張ってもらおう!!と思います。

わー!!もう4時???

寝ます、寝ます!!それではみなさん、また明日ー(^▽^)/
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自己肯定感とインナーチャイルド

2020年11月22日 23時55分00秒 | こころ、メンタル、身体
こんばんはー!!

表紙の写真は、葱ぼうずっていう新潟の居酒屋さんの1000円の弁当。これねー、めっちゃ美味しいよー!!お店が大流行りで大忙しなんで、注文してから20−30分はかかっちゃうんだけど、その価値ありでっせー!!


そんな美味しいお弁当をたらふく食べて、そろそろ風呂に入るべきだね、というタイミングでございます。


いやー、、、ホント、藤井はこの時期にいろんなモノを吐き出して変身できるか、それとも誤魔化し誤魔化しなんとか平和そうに生きるかの瀬戸際にいるように思います。


ここで(この時期に)いろいろ吐き出したからと言って、変身できるかっていう保証はないけど、でも今まで直視してこなかった何かには向き合うことになっている気はするし、いろんなことの「原因」が見えてきてるから、そこの黒をオセロのように白にすることができれば、少しは良くなるのではないか?と思うわけで、、、


今は、楽器のことが良くなったり、やっぱりうまくいかない、、、となったりを常に振り子のように行ったり来たりしている感じで、ホントに困ってた時よりはマシだし、原因は見えてきてはいるモノの、わかるのとできるのは全然違うんで、そこがホントにまだまだ。

自分を許せずにいる分、すぐに首が固まって、結果として呼吸がうまくいかないってことになったときには、ホントなんとかやり過ごす、、、みたいな感じになるし、

首がうまくリラックスできて呼吸がうまくできる時は、ああートランペット吹くってこう言うことだよね〜みたいなハッピーな気持ちになって、あー生きてるって良いねー!!みたいな。そしてどっちが先なのか分からないけど、身体も軽くなる(どっちが先か?ってのは、身体が軽いから楽器の調子がいいのか、調子良く吹けるから体が軽いのか?が分からないってことね)。


で、その部分はその部分として、若い頃は楽器がうまくいってるから、なんとなく体も軽く、メンタルもイケイケだったのだけれど、

どっちが先かわからない、首が動かないから、うまくいかない、うまくいかないから心が重い、、、というループに入ることが多くなると、楽器さえ調子良くなれば、、、みたいに思っちまったりするけど、でも冷静に考えると、もっと根源的なモノが影響しているようにも思えてくる。


それで、

いろいろ見たり聞いたりして、「自分探し」をしているんだけど(あ、いわゆる自分探しの旅みたいなことじゃなくて、先入観とか教え込まれたモノとかを取り除いた、自分の魂の本来の姿みたいな意味ね!)、昨日気がついたことがあって。


どうしても自己肯定感が「仕事」によってしか高められなくて、そいつがうまくいかなかったら、もう完全に自己肯定感はダダ下がりで、もう心もドンヨリドヨドヨ、、、


でも、その仕事って、ワタシも場合は演奏かレッスンかですけど、それも「ワタシスゴイでしょー??見てみて−!!!」とか「楽しいよー!!聞いてみてー!!楽しくなるよー!!」とかってことでもなく、

気がつけば、あまり身内には見せたくないな、、、みたいなメンタルでずーっと来ていて、

もちろん仕事だから、ひと様にお見せするためにやるわけですけど、来て見てくれたらありがたいけど、、みたいなスタンス。

そんな心がけで、よくぞ今日までやってこれた!!!奇跡の人!!←我ながらスゲー!!
ホント、ワタシなんぞがこうやってやって来れているというこの奇跡に、もはや感謝するしかないよーん。私も私なりに頑張って生きて来ましたしねー。


んで、今日はこういう「どうせ私なんぞが何かやっても誰も喜ぶわけがない」というメンタルはどこから来ているのかに、ふと気がついたので、書いてみることにしました。

こんなことを書かれても、だから何だ??って話でもあると思うけど、

ひょーっとしたら、同じように自己肯定感の低さに苦しんでいる人がいるとして、その人にとっての何かしらのヒントとか、ひとりじゃない、みたいな気持ちになってもらえれば、ちょっと良いではないかぁー?と思ったりしているわけだぁ。


そう!!そんなわけで、


私は3人兄弟の一番上で、母方のウチでは初孫でもあって、生まれてすぐはどうやらめっちゃ可愛がられたらしいんだけど、残念ながらその頃の記憶は全くなく、自分の中での記憶は、もう弟がいる頃から。


で弟は、今は果てしなくシッカリしていて、私なんぞのおよびもつかない感じだけれど、ふんわりとしていてとても可愛くて、体も弱くて、大人しく物分かりの良い子どもだったのね。

まだ小さい頃に腸重積っていう病気(?!)になって、下手したら死んじゃう?手術??みたいになったことがあって、

その手術室の前で、まだ小さかった私ですらジリジリとした気持ちでどうなるんだ???と待ったことを今も思い出すんだけど、

結局、うまくガスが抜けてくれて、手術もせずに済んだわけだけど、そんな風に一瞬でも死にかけたもんだから、母などは「生きてさえいてくれればいい」とそこで思ったようだ。

そんなこともあったりで、というか、もっと前からだけど、

それまで一身に向けられていた愛は弟の方に行ってしまい、どうやら私は赤ちゃん返りをして、それまで結構良い子だったのが、なかなかに聞き分けが悪くなったらしく、私は第一子でもあるし、それまでうまく行っているように見えた子育てが、何やらしくじってるのか?という風に母は思ったのかもしれない。赤ちゃんの面倒もあるのに、もう一人赤ちゃんになられちゃー、、ってパニクったのかもしれない。

とにかく、何かとさみしかったり辛かったりしてた気がする。

で、これは今になって分かったことだけど、

どーでも良いことなんだよ、

でも、その頃、例えばちょっとしたお土産とかが、弟に買ってきたモノの方が羨ましかったりして、自分のが気に入らなく見えて、「こんなのヤダー!!あっちが良い!!」なんて言って、機嫌が悪くなると、

なんでせっかく買ってきてあげたのに、、悪い子だね、みたいな空気になって、

で、弟の方は聞き分けがいいので、「取り替えてあげて」なんて言われると素直に差し出したりなんかして、

そうすると「あー、良い子だねー、やっぱり」みたいになってね、

本当は、それが欲しかったわけじゃないんだよね。そうじゃなくて、なんか自分の方が可愛がられてないから、こんなお土産なんじゃないかって思って、それが悲しかっただけなんだけど、

私は悪い子で弟は優しくて良い子っていうレッテルがバッチリ貼られて、

それがもう耐え難くて、死ぬほど辛くて、
体の中にうぉぉぉっぉおー!!!と何かマグマのような煮湯のようなものが湧き上がってきて、悲しくて悔しくて、ワーワーワーワー、、、もう誰も手がつけられないほど泣いて、

「あー、、もう!!!本当にこの子は!!!!」ってさらに白い目で見られ、放置されてしまい、

今思えば、単に愛が欲しかっただけの「やだー!」のひと言で、さらに「悪い子」のレッテルも貼られ、弟の株は上がり、より一層差がつく、、、

本当にもうねー、耐えられなかった。

だから、泣き止められないの。手に入ったお土産なんて、全然嬉しくないんだから。

そんなことより、ヨシヨシってして貰えばそれで満足だったんだと、今は思う。


いろんな場面でこういうことが起きていて、


「何でも好きな服、買ってあげるよ!!」

って言われて、「これが欲しい!!」って言うと、それが母や祖母の好みじゃないんだよね。

そうすると、「あらー!!!そんなのよりこっちが良いじゃない?」って言われるわけよ。

「好きなの」って言っても、ほとんどいつも、私の好みなんか「そんなのより」のひと言で片付けられ、結局母や祖母の好みのモノになっちゃう。

きっと、別にその「おすすめの服」が嫌だったんじゃないんだ。

「そんなのより」っていう、結局無視するんだね!!っていう理不尽じゃないか!!っていう気持ちが、辛かったんだと思う。

自分が選んだ服も、こういうことが続くから、おおよそ本当に欲しい服でもなかった気もするんだけど、

だから、その服が最終的に手に入ったとしても、もうすでに私のことは尊重されない、という思いで心がいっぱいになっていて、

買い物に行くのが全く楽しくなくなった。

どうせ、そうなるんだ。

で、やっぱり耐えられなくなってワーワー泣くこともあった。

そうすると、「どうしてこの子はこんなに因業なんだろうね?」と「どうしようもない困った子」というレッテルが貼られる。

それがまた本当に耐え難くて、

でも子どもで表現が未熟だから、それがどういう気持ちなのかがわからない。

だから、また泣く。

それでまたもっと怒られる。。。。ループ。。。。


たぶん母も祖母も、服買ってあげるって言ってるし、買ってあげてるのに、何が気に食わないの?って思ってただろうなって思う。

でも、私が欲しかったのは多分服じゃないんだよね。

服なんて、別に何だっていいんだよ。

それより、愛されたかっただけなんだよね。

私が選んだものを、「あらー!!似合うね−!良いじゃない!!」なんて言ってもらったことは1回もない気がする。

大抵は、母か祖母が選んだモノを着せられて、「ほら!!こっちがいいよ!似合うよ!」と説得されるのだ。

それならさ、最初から「好きなの選びな」って言わなきゃ良いって思う。ぬか喜びだし、そのあと無視されて、さらに「悪い子」になるのは服が買ってもらえることなんかとは引き換えにできないくらい切ないのだ。

えー!?なーに?そんなにモノ買ってもらうのに文句?って言われそうな気もする。

子どもながらに、それも思ってたと思う。買ってもらうんだから、、、

でも、もうその「否定される感じ」が耐えられなかったんだよね。そのころはそうとは思ってなくて、「また私は悪い子なんだ、、、ごうじょっぱりなんだ、、、」そう思って、でもそれもそれで本当に辛くて。

だって、誰だってできたら「良い子」で可愛がられたいでしょ?

小さい私はこんなに「愛」を欲してたんだなーって今になって思う。

近所の人に「ほら!挨拶しなさい」って言われて、どうして良いのか分からなくて、勇気も出なくて、モジモジしながら反発していたら、「全くこの子は!!」ってしょうもない子っていう目で見られたことも、今でも忘れないなー。

あー、、、私は挨拶すら出来ない子なんだって。

こういうのって、普通に良くある光景だよね。

「こんにちは」って言えないって、素直じゃない子って感じだよね。きっと親もそう思ったんだと思うし、自分でももっと素直になれれば、言えたよな、、、って思う反面、そんなの普段言ったことないから、急に言えないな、、っと今になれば思う。

口の機能としては言えるけど、心も一緒に練習しないと無理なんだよね、きっと。

まぁ、そんな風に素直じゃない子に見えていたと思う。

だし、そうしながらやや頑なでもあったと思うし、姉ちゃんだからシッカリしないとっていう刷り込みもあって、

そして、小さいうちから長期の休みには祖母のウチに預けられるようになって、

それはそれで、婆ちゃん子だったら、ウチにいるよりいいや、みたいな気持ちもあったんだけど、

今考えると、無条件に甘えられるって感じでもなく、一定の距離感が常にあったようにも思う。

もちろん、いろいろなところに遊びに連れて行ってくれたりしたよー。

でも、戦争中にいっぱい火傷した人が飛び込んだ川とか、焼夷弾が降って来た話とか、神社の地獄極楽絵図とか、、、そういう、良い子にしてないとどうなるかとか、生き死にのことをいっぱい教えられた気もする。

おお!地獄、、、みたいな気持ちになった。


子どもは何も分かってないと思って、大人は結構いろんなことを話してるけど、

もちろん子供らしく、全く分かってない子もいると思うけど、それはみんなじゃない。


子どもだから、本当に細かい部分は分からなくても、ほとんどの意味は分かってるんだよ。

それは、今の大人も気をつけたほうがいい。

褒めたり良いことを言うのは良いんだけど、良くないニュアンスの話とかは、細かい部分がわからないだけに、ニュアンスだけが伝わってしまい、子どもは自分のことを言ってるんじゃないか?って疑心暗鬼になったりするからね。

そんなワケない、って思ってる大人よ、

子どもの中には気づいてない芝居をしている子もいるから、注意が必要よ!!

子どもにとってはそれが生きる術なのだから。特に大人の間で育ってる子ね。一人っ子とか、長子とか。


こんな風に、いろいろ拗らせて、本当は愛されたかったのが、どんどん「悪い子」というレッテルを貼られていく。

偶然、学校の勉強はそこそこできたので、それによって、何とかポジションを保てるようになった気がする。。。


とはいえ、これは愛が得られるってことじゃなくて、何か取り柄がゲットできたってくらいの話で、これは根本的な解決じゃなかったんだよねー、きっと。

でも、その時点では、こういう学校の成績だの、作文や作品なんかが賞をもらったりなんかのおかげで、何となく自己肯定感がUP。

だけど、どこか「自分の付属品」的なモノの価値であって、「私本人」の価値ではないって思いが、気がつかなかったけどずーっとあったんだと思う。

だから、この「付属品」というメッキがハゲたら、もうクズになるな、という恐怖がどこかあって、だからあまり人に見られたくなかったんだと思う。

うまく行ってる時は、演奏を聴いた人が「偶然」喜んでくれてる、、、的なね。

この辺が、今、ついに露呈してきてるんだと思う。

親がいけないっていう意味ではない。

今の自分の半分の年で、私を産んで育ててくれたと思うと、頭が上がらん。私にはとってもじゃないけどできない。

それに、自分の今の年齢でこの拗らせ具合だ。親が私の半分の年齢で、「完全なオトナ」であろうはずがない。

だから、その辺をよーく見つめ直して、親も大変だったし、まだ理解がお互いできてなかっただけで、それぞれが「悪い人間」であったわけではない、ってところを良く見直す必要がある。

じゃないと、私の心の中の「インナーチャイルド」は、いまだに、「悪い子だ!!!」って言われてた日々を引きずって、自分自身を許さずに責め続けている。

悪い子だから、人に迷惑をかけている
悪い子だからこんな目に遭う
どうせ誰にも喜ばれない
自分が何かしたからって、ひとの迷惑になるだけ

そんな、書いててもしょーもない、どーでも良いこと、、と頭ではわかるのに、ソイツらが常に自分を責め立てて、なかなか心穏やかに前に進むことができないんだ。

ホント、くっだらない!!!めっちゃ思う。ホントにどーでもいい。

でも、どうしてもどうでも良くないのだ。。。。


ちょっと前に芸能人が立て続けに自殺したよね。

あんなに美人だったりハンサムだったりして、お金もあって、才能もあって、ファンもいっぱいいるのに、どうして???って思う反面、ちょっとわかる気がする部分もある。

どう考えても、贅沢などうでもいい、くだらないことなんだけど、

ソイツが繰り返し繰り返し、自分を責めて許さない。

「これさえできれば!!」みたいに思って頑張るけど、それができたからって根本解決にならないし、またそれができなかった時には、ああああああ、、、ダメだぁ、、、やっぱりダメだぁ、、、となってしまうんだよ。


でもね、ここで例えば死んでしまったとしても、それはさらに何の解決にもならないってことも知ってる。

これはね、この気持ちというかこういう感情とか思い癖を、どこかで断ち切って、自分は幸せで愛されていて、人のことも愛することができる存在だ!!と思えるまで、何世でもリピートするんだよ。

だから、それがイヤならどこかで理解して片付けてしまわなくては。

どうにかして、今やりたい。

これはね、おそらく他のウチにもあることかもだけど、親は親から、その親はその親から、、、と脈々と続いていることなんだよね。みんな愛されたい、、、って思って、なにかしら拗らせているんだよね。

自分が育てられたように、育ててしまうんだよ。だから、誰かが気づいて断ち切らないといけない。

私は気がついた、ってところまではできたけど、その思いを「断ち切れるか」ってところ。でもこれはもう繰り返したくない。

だから、2−3年計画で、何とかしようと思う!!さすがに2年あれば、、、何とかなるんじゃないかぁー!?


そんなわけで、そんなこと思ったこともないよぉー!!っていう人には、長々とどうしよーもないことを書いてしまいましたが、もし同じような気持ちで苦しい人がいたら、ここはひとつ断ち切ることができるように、頑張りましょうよー!!!

んで、人を喜ばせて、自分も喜んで生きるっていう人生にしましょー!!

おー!!

それでは、みなさんまた明日ー!
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GOTOとか、コロナ報道とか、、、

2020年11月21日 22時21分48秒 | 雑感
こんばんはー!!

いやー、ここのところ感染者数が多くなってきたからってんで、マスコミやら政府やらがワイワイ盛り上がっておりますねー。。。

「専門家」と言われる人たち、

一見、専門的に話しているように見えるんですけど、いや、専門家なのかもしれませんけど、、、、

専門家って、科学者ですよねぇ???

でも、ほとんどの方が前提が、科学的じゃなかったりして、何ともかんとも、、、

それって、タバコ吸うと肺ガンになるって言ってるのと同じ感じ。。。

実際はタバコを吸う人はめっちゃ減ってるけど、肺がんはめっちゃ増えてる。
それって、タバコが原因だっていう「前提」を一度疑う必要があるのでは???
でも、世間ではほかの原因を探そうとはしない。もうタバコが原因ってことに決めたら、その前提は崩さない。

今のコロナのことも、

東京が500人を超えました!!

って言って、感染爆発とか言っているけど、ちょろちょろ増えるのは「爆発」ではない。もっと2倍2倍、、、となっていけば、もう間違いなく爆発だけど、ちょいちょい増えるのは普通に考えたら仕方ない。

マスクや消毒やパーテーションも、本気で有効なら本気でやるんだけど、

テレビでもなんでも、なぜかみんな「喋るまではマスクしてて、話すときに取る」。なぜだ???逆にしろー!!!

普通の生活で、だれとも喋らないときくらい、マスクしてなくてもいいではないか?それより囲み取材みたいな時には、多くの人が集まる前で喋るんだから、マスクした方が良かろうよ?

そして、マスクをしていると酸欠状態がジワジワと数十年後に影響してくる、というデータもあるという。子どもとか、30-40代で痴呆とかになったら、、って思うと、コロナになっても何ともない若年層がこんなリスクを冒す必要が本当にあるのか?と思う。

あと、先生がフェイスシールドにマスクしてたりするけど、先生は何から自分を守っているのだろう?え??先生の目から何かが出る???そんなバカな!!

よく、若年層は問題ないからっていうけど、高齢者がヤバいんだよ!!って言うでしょ?それはホントにそうだと思うんだけど、それは新型コロナに限らず、風邪やインフルエンザとなれば、高齢者や持病のある方に危険が及ぶのは同じだと思うのだよ。。。。

なのに、今までそんな対策したことないじゃん?!

今までにも最新の注意を払いまくっていたというなら、今回もそうであることに何の疑問もないけど、、、

ずーっと海外の数値を上げて、今に日本もこうなる!!と煽り立てていたけど、今は海外の数字はほとんど出さないね。

なぜなら、東京が500で大騒ぎしてるけど、アメリカは10万とか、もうオーダーが違う。。。


何がどうでも「大騒ぎにしたい」という気持ちが先にあって、何がどうであっても、「大騒ぎになるように報道している」って思えるのだよ。

街へ取材に行って、

「ああ!!こんなに人がいます!!!」

「ご覧ください!!ほとんど人がいません!!」


どっちでも大騒ぎ。

医療崩壊しかねない!!っていうけど、今までインフルエンザがオニのように増えても、崩壊したことはないではないか??

「街でマスクをしてない人がいるんですよねー!!そういう人たちが、問題ですよね」

と言ってるコメンテーターはマスクしてない。

食事のときにもマスクを、と言ってる政治家がマスクをとって話をしている。。。

夜の会食は控えてください。

家庭内感染が増えています。

自宅でもマスクをした方がいいですか?

家族での食事なら問題ない。


…もう何がなんだか???

こういうダブルスタンダードの状態で、他人にはあーしろこうしろ!指図するし、経済も大事だけど、まずは感染を収束させて、、、ってもう収束しないっしょ??やるならもっと前だったよ。

結局、マスコミやいわゆる専門家の飯のタネだったりしてないか!?

何がなんでも騒ぎにしているように思えるわけ。

どうなりたいのか?どうしたいのか?どうなればいいのか?どこを落としどころとするのか?

そういうのをもっとキッチリもって、みんなでそこへ向かうならいいんだけど、

なんでも騒ぐし、

それに東京の感染者が増えると、地方の人のイメージは、

「東京は夜の街とか人の多いところで遊んでるんだろう?」という悪のイメージじゃない??

東京はさ、人が多いのよ、もともと。
だから、そりゃーテレビで撮ると人がいっぱいいるんだけど、それは楽しいところにワチャワチャ集まって、倫理観が足りないんじゃないですから!!

でも、日本の1割の人口がこんなに狭いところにいて、一生けん命経済を回しているにしては、感染が爆発してないと思わない?1400万人だからね。

それにね、ほとんどの東京の人はおとなしく暮らしてるんだよ、仕事に出かける以外は。

がー、それと同時に、「東京の感染が!!!!」って騒ぎ立ててるメディアの人たちは、東京の放送局にノコノコお出かけしていなさるわけでしょ??

もちろんお仕事だからね、仕方ないって言えるかもだけど、

その騒ぎっぷりが、「空気」とか「印象」とか「イメージ」なんだよね。

頭のいい人が、世間の常識を煽るように言う感じ。

そんな答えなら、ワタシらお茶の間の人でもわかるわい!!っての。

もっとちゃんとデータを「結論ありき」で使うんじゃなくて、

データを「分析」して結果を「導き出して」話してほしいんだよぉー。
そうじゃないと、一見よさそうなことをみんなが雰囲気で言ってると、ミスリードになっちゃうよ。


そーいう、言い方悪いけど、頭のいい「文系」の偉い人たちによる結論ありきのデータの使い方に振り回されてちゃ、国がヤバいことになるって思うのね。

データを分析した結果、やるべきことがあるなら、やってるふりじゃない、一般の人にだけ押し付ける感じの対策みたいなのじゃないの、、、そういうのでこのピンチを乗り切りたいって思います。

対策不要って言ってんじゃない。

これって、原発事故を「アンダーコントロール」って呼んだり、CO2が温暖化させてるから電気自動車がいい、レジ袋を有料化したら地球環境にやさしい、、、って言ってるのと同じって思う。

どーんな論理だ???と言いたいのだよ。。。。
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呼吸のこと

2020年11月20日 23時10分08秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!

先日、お仕事仲間が生徒にアドヴァイスしていた言葉が、めちゃくちゃ的確で素晴らしかった&え?そうなの?!!みたいなところがあって!!

でその中で、

ハイトーンほどゆっくりの息を入れるようにしている

っていうのが、ななな?!!そうなの???って。


ワタシの知ってる話では、
ハイトーンは圧力、とか
ハイトーンはスピード、とか

ただ「量」って言った人はいないね。(吐く量のことね)

アパチュアのことを言う人もいるし、
舌の高さ(シラブル)を言う人もいるし、
腹圧だという人もいる。


そういうのは知ってたけど、

ハイトーンほど「ゆっくり」?!

そうなのか、、、そうなの???
みんなそれ知ってたのか、、、普通そうなの??みんなそうしてたのかぁ、、、

うぉー!!!知らなかった。。。今までいろいろ調べてきたのに、知らずにやってきてしまった、、、

ということは、生徒にもウソ教えてきてしもーた、、、😢

最初に「ゆっくり」って聞いたときは、へー!!いいこと聞いた、やってみよう!!って感じだったんだけど、

次の日、実際にやってみたんだよね。あああ、なーるほど!!って思うところがたくさんあって。

「ゆっくり」と思うことで、
無駄な力みを避けることができる。
アパチュアの直前まではゆっくりな息で持ってきて、そうするとそこまでは息の量がたっぷり目に準備することができるので、アパチュア抜けたときのスピードが結果的に速い感じになる。


などなど、
なるほど、体感で「ゆっくり」をイメージすることで、アンブシュアや身体にかかる力みや負担を減らした状態で、結果としてアパチュア抜けるときのスピードは上げることができるようです。

これは、いいぞ!!!

で、それはワタシの感覚というか、ワタシの感想なわけですけど、

みんな今までそういうこと言ってたの??私は知らなかったよぉ、、、

というわけで、世間がなんて言ってるのか知りたくなって、ちょいと調べてみた。


すると、、、

ぶっちゃけて言うと、まったく共通見解ってのがあるわけではない、、、ってのが正直なところってのが分かったわ!!!

一番最初に書いた、腹圧とか息圧、息のスピード、シラブル、たっぷり吸ってあとは縮んでいく力で、、、こういうのがほとんどで、それはワタシの知ってるところと同じ。どっちの見方もあるよね、という感じで思ってたやつ。

論文を用いて、それをさらに分析している方もいらしたけど、

その用いた論文の定義しているところに疑問を持ちながら(ツッコミ入れながら)分析せざるを得ないっていう状況で、数値を用いたものであってすら、圧力といってもどこでのことかとかが主観的になりがちで、難しいらしい。

圧力を上げるとスピードが上がる、ってのが前提だとばかり思っていたけど、
まさかの圧力を上げるとスピードが落ちる、という前提もあり得るとのこと。

ふむふむー!!

するってーと、ある程度が経験則によるもので、その経験則がその人に合ってるから、自信を持ってお伝えしてる、、、ということであって、かっちりと科学的な方法があるってことではないのかー。

そしたら、体感的なところはおいといて、結局どうなるとハイトーンが出るっていうメカニズムなのさ??

そりゃやっぱり息のスピードが速いことが大切なのでは??

空気の疎密によってできる定常波の周波数が高ければ(波長が短ければ)高い音になるわけでしょー?
やっぱり、唇の振動もいるのか、、、いるよね、、、
でも、バジング不要と思ってる人も中にはいるじゃない??
それもありな気もするわけよ。疎密波が出来るきっかけだけあればいいんじゃないか?的な。。。違うか、、、

こんな風に、科学がめっちゃ進んでいるように見える世の中だけど、

単にトランペット吹くってことの科学が、実は結構な経験則w

あとは、口を通り道にだけして、息を上あごに向かって吐くっていうのもあるでしょ?

あー!!!息の吐き方も、腹を突き出す感じで、というパターンと、腹・骨盤底筋・肋骨を身体の中心に向かって縮めていくことで息を吐く、という考えもある。

その人に合ってればいいんじゃね?ということもできるし、

教えるときにそんな無責任な感じでいいの?という気もするし、

でも実際、いろんなパターンがあって、それぞれが正しいとされてるなら、自分に合ってる方法でどうぞ、、、となってしまう気もするし、

そんなときに、今「新編 教えるということ  大村はま著」を読んでるんだけど、これ読むと、教師は教えることにもっと責任を持て!!とあって、子どもができないのは先生の責任だ!!ってあって、尻をひっぱたかれます。

 昭和の初めの方から40数年、教師をなさって来た人のお話なんだけど、こういうのを読むと、「ウチでやってきて」「今日は読んできましたか?」なんていうのは、先生としてダメだと。

ウチは生活の場で、勉強は学校でやるもんだ!!習いに来てるんだから、先生がしっかり叩き込まなくてどうする!鉛筆の持ち方とかは小学校の初めのうちに手を取って直してあげねばダメだ!とか、黙読のときに唇が動いている子がいたら、徹底して直さなければいけないとか(唇が動いてるってことは、読み上げているってことで、それでは本を素早く読むことができない)、なかなかにムムムと声を上げたくなるような指摘が多いですよ。

先生としての在り方を教えてくれる本を読みながら、トランペットの奏法について考えると、なんだかチリチリしてきます。

ああ、先生たるもの、生徒に音楽や演奏する喜びを伝え、もっとしっかりと生徒が困らないように技術を叩き込まねばならない、、、

そして、先生というのは勉強や研究をし続けている人でなければならない、と。

そうやって研究していくことはほとんどが苦しみだけど、何かがわかったときの素晴らしさは格別で、そういう人だからこそ学ぼうとしている子どもと同じフィールドに立つ人間として、人に教えることができる、と!!

深すぎて悶絶です。

そんなわけで、こういうことをよすがに、少しずつ理解を深めていこうと思います。

それでは、何となく気絶してきたので、これにて寝ますー。また明日ー(^▽^)/
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めっちゃ楽しくて、ちょっと悔しくて、背骨。。。

2020年11月20日 01時30分47秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!!

気が付いたら気絶していた、、、ん?日本語として可笑しいですね(笑)
目が覚めてから、さらに気が付けば小一時間、Twitterを見てしまっていたぁー!!時間があっという間すぎてたまげるー!

今日は、荒川区の初めて行く小学校に行ってきました。
行ってみたら、ほとんどの講師の先生が知り合いで、めっちゃ心強かったです。あれー!?わー!!みたいになりました(笑)

んで、学年全員で金管バンドをやっている学校ってことで、今回は5年生のコルネットの子たちの2チームのうちの1つを担当。

初心者に教えるのがそんなに得意じゃないのですが、小学5年生くらいの子に教えること自体は好き。

で、今日は楽器の扱い方とかドレミファソまでと曲、ってことだったので、ちょっとホッとしました。

子どもたちは、楽器のお手入れとかとっても楽しそうで、あと結構自由に楽器も吹いてみたり、質問とかもいっぱいしてくれて、それに私なんぞ自分ではウヒャーこれはいかん!!という音になってても、「すごーい!!」「うまい!!」「オケみたい!!」とか褒めてくれるから、とっても先生の方が嬉しくなりました。

そして帰り際に、「今日はとっても楽しかったです」って言ってくれた子と、「今日はこれからお昼はどこで食べるとか決まってますか?」って言うから、「決まってないけどお家に帰って食べるよー」って言ったら、「どこかで給食とか食べていくのかなと思った」って、なんか可愛い💗

楽しくなって、ついすぐに曲を吹けるように一緒に歌いながら運指をしたり、いろいろ曲のことをやっちゃったんだけど、

こういうときって、普通はまず音階とか、吹き方とか丁寧にみるべきなのかな、、、とか思って、ちょっと反省。

そう思う反面、楽しく吹く気持ちのときにがんじがらめにするのもヤだなと思ったりもして。。。

あ、そうか。自分がちゃんと教えればちゃんとなるはず、、、というのも思い上がりなのかな?自分じゃコントロールしきれない部分もある一定はあるわけで。いい部分をいっぱい褒めていくのがいいに違いない!!そうしよう!

ちょっと悔しかったってのは、「わぁこの曲、めっちゃ音低いな、、タンギングやば!」と思ったら、そんな感じになっちゃってたこと。
子どもは褒めてくれたけど、全く難しくない曲を「ピンチ」の想像で行くなんて、こういう時はもっと「音楽的な」想像をするようにしよう!!
また一つ勉強になった!!

宿題は音階と曲を出したので、みんな練習しておいてねー!!

ウチに帰ってきてから、全身がお疲れモードで身体も古傷が痛むぜ!みたいな感じだから、きっと明日の天気がきっと変わるんだなー。

んで、

呼吸が大事だ!!と思う今日この頃なんだけど、

ピンチなときは、呼吸が上手くいっていない、というのがガッチリ分かったので、そこを何とかしたいわけだけど、

たまたま呼吸法を調べていて、日本人は背骨で呼吸、みたいなワードがあって、ふと息ができないときは背骨が固まってるな、と思ったりして。

すべてが連動してるから、どこを起点に考えるかってことで、結局固まってるところはどこもかしこもってことになるんだけど、

ふと仙骨を意識したら、めっちゃガッチガチになってて。

これがね、調子がいいなーって時は、背骨もすごく自然に動くし、横隔膜やら肋骨やら、内臓やら、首やら、、、全部が連動してすごくダイナミックに動くことが出来るんだよねー。

呼吸がのびのびしてるから、身体がダイナミックなのか、身体が解放されてるから呼吸が生き生きなのか、これが精神からくるのか、それとも身体そのものの問題なのか??

いや、「問題なのか?」とかは置いとこう。それよりも、その子たち(パーツと息そのもの)の言い分を聞いて、楽にしてやろう。

無視して、ムチ打って、で出来ないと怒ったりガッカリしたりするんじゃー、身体も心も辛かろうよ、ねーワタシ?

背骨にはいっぱい無茶さしてるんで、、、

事故って(事故った車に乗ってた)首が左側に振られて頭流血&意識とぶ、階段から落ちて尾骨折れてなくなる、マッサージに通っていて力を入れられすぎて胸椎の突起か軟骨がめりッとぐにゃる、、、

上中下の全地域にわたりダメージ(笑)

しかも医者嫌いなため、治療せず、、、

あー、こういうところの血流改善とか、せっかく緩消法とかのDVDを高いお金かけて買ったんだから、自分で治療しよう。。。
ヨガと、瞑想で心身共に呼吸を見直そう。

よーし、そうだ!!この体は死ぬまで使うんだから、文句言ってても仕方ないのだ!!ちゃんと使いやすくするしかない。それに壊してるのは自分だしね💦

そして、今日の表紙の写真なんだけど、JBLのスピーカーを買いました。旦那が8000ポイント持ってるんだけど、もうちょいで失効するんだけどどうしようか?っていうから、残りはワタシが出すってことでご購入ー。

つけた最初は、あら???すごく重いし口コミもいいから期待してたけど、そうでもないのか??って感じだったけど、

どうやらジャンルや楽器に得意不得意があるらしく、

ピアノやトランペット、シンフォニーオケはあまり得意じゃないようだけど、

歌やサウンドトラック、打楽器、ギターなんかはもうめっちゃ生き生き💗

村治佳織のCDや大好きだったピノキオのサントラ(スティービーワンダーが歌ってたりで、もう心打つ曲があるのよぉー)なんかをかけて、久しぶりに感激。

居間にはボーズのスピーカー入れてるんだけど、これはホントにいいよー。

練習部屋のコンポのスピーカー、昔のソニーのピクシーってヤツのスピーカーを流用して使ってたのね。4つのスピーカーで結構気に入ってたんだけど、何しろ30年選手だから、最近は音が歪んできてて、もう聞く気しないな、、、って思ってて。。。

JBLさんが来てくれたので、これからまたCDを聞くのが楽しくなりそうです。

よーく見ると、よくもまぁ、こんなにCD買ったね、、、と我ながらびっくりするくらいあるんだけど(と言っても、もっとたくさん持ってる方は山ほどいると思います、あはは。でも平均よりは相当多いと思うわー)、もう全然聞いてなくて、宝の持ち腐れってヤツだったから、これから楽しくなるなーと思うと、ワクワクです。

このスピーカーはエイジングってのが顕著らしく、これからこなれていくんだそうな!!今時の電子機器だと思ってたから、そんなことあるなんて思ってなかったけど、へー!!

そう聞くと、なんだかCDをかけるのがさらに楽しみになるじゃない?!

よーし、明日もCD聴こうー!!イエーイ!!

それでは、取り留めもない話でしたが、今日も読んでくれてありがとう💗
おやすみなさーい🌙
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答えは自分の中に、、、

2020年11月18日 21時56分33秒 | こころ、メンタル、身体
こんばんはー!!

今朝はなんだか目は覚めてるけど、ちょっとでも布団の中にいたいなーみたいな、現実逃避的なヤツですな(笑)

で、YouTubeなんぞを聴きながら、ふむふむとしていたら、

ピンポーン!!

宅急便でしたw
荷物を受け取ってから、鏡を見たらめっちゃくっしゃくしゃの髪&顔で…

あーあ、あははは。。。

そんなわけで、強制的に朝がやってくるのでした。

元気に起きたつもりだけど、なんだか気分が重いなー、、、みたいな。

気分とか心とか、お洗濯とか水洗いできればいいのになぁ、、、なんて思ったりする。自分の心なんだから、自分でコントロールできれば、ホントいいよねー。ふむふむ。。。

気持ちを過去や未来にやっちゃうと、心が重くなるけど、「今」においておくと、たった今ってのは、本当に安全で何も問題がないから、スッキリすっかり心が安定するのだから、ホント、常に「今」しかコントロールできないんだからそうするのが一番いいんだよぉー!!

ってことは、ホントに分かる。ここがお稽古のいるところだねー。

で、ちょっとのタイミングで何やらネットなんぞ見たくなるという気分にふと気がついて、

ははーん、そういうところに答えを見出そうとしておるな!!

と思うのであった。

でも、そんなことしてもいろんなパターンは知ることはできるだろうけど、本当の答えなんか分からないってことにうすうす気がついてきた。

瞑想とかそういうのが良いって話があるけど、うーん、、、きっとそれだな。。。。

答えは自分の中にすでにあるに違いない。
モーニング・ページを書くことでもいろいろ見えてくるけど、それと合わせて、自分の中を断捨離してスッキリとさせていきたい。

世の中にあることをいろいろ見て、わぁ、、、凄いなぁと思うんだけど、あら???そういえば昔そう思ってたよな?って思うこともちょいちょいあって、すっかり忘却の彼方になってたってことも結構ある。。。

ということは、頭の中がちゃんと自分で整理できてくればさー。

ふと、そういえば昔作った音符カード(子どもたちにパッと譜面を読む練習をさせたくて、リズムとか音の高さとかのカードを自作してたのよね)、使いたいけどどこだっけ???

ってちょびっと探したけど、もうさっぱり、、、分からない(笑)

捨ててはないと思うんだけど、、、、どこかにあると思うんだけど、、、

そう、例え実際にウチにそれがあるとしても、どこにあるか分からなくて、見つけることが出来なければ、ないのと同じなんだよね。

そのくらい「整然としてない」ってことは、無いのと同じなのだよ。。。

答えが欲しくて、外にどんどん答えを求めて行っても、単に情報が入ってくることに一時的に満足するだけで、解決にはならない。

まずは自分の中に答えがないか、自分の中の考えや知識を確かめること、

それに「無意識」の領域に入っちゃってる、半端ない情報、、、

1秒間に1100万ビットくらいらしいよ、、、すげー!!

ちなみに意識出来てる範囲での情報処理は、1秒に16ビットとか、多くても77ビットとか言われているんだけど、これ比べると半端ない違いだよね。

無意識にはそれほどまでに凄い情報が入って行ってるわけで、そしたらすでにある情報でもかなり答えに近づけるはず。

まずは自分の中、、、

そんなことを考えた今日でした。あはは。
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会津での公演ー!!

2020年11月18日 02時23分56秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!

今日は、会津の中学校で演奏してきましたー。写真はワタシのソロ曲のリハーサルシーンを外山君が撮ってくれたものをね!

共演のみなさんは、ホントに素晴らしい演奏だったですー。中学生もめっちゃテンション上がってましたー!!

いやー、私はと言えば、結構力が入ってしまって呼吸が良くなかったな、、、ってのが、大きな課題だなと。。。

力の抜き方や、心の伝え方など、ちょっと掴めて来てたのですが、今思うと上手く力が抜けてないなということにフォーカスしちゃって、脳波が乱れてたな、、、と。自分を信じ切れるかどうか、そこが音楽を楽しむ前に引っかかっちゃってたなー。

最後の2曲になって、うぉー!!呼吸ー!!とややヤケクソの心が発動したおかげで、心が音に乗ったのは良かったです、、、。

部活の時間になって、吹奏楽部の生徒たちからの質問に答えるシーンがあって、ほかのメンバーが答えてくれてるのを聞いて、私の方がやたら勉強になりました。

いつも一緒にやってはいても、どういう考えで練習してるかとかはあまり聞く機会がないので、こうやって生徒たちに答えているのを聞いてみると、めちゃくちゃ勉強になります。

生徒の質問コーナーに私の方がめっちゃ勉強できちゃった。

そして解散してから、こちらの学校で今先生をやっている旧友のあずちゃんとおたけちゃんと3人でご飯を食べに行って、楽しい時間を過ごして、、、

そのあとは4時間おたけちゃんと喋りながら、ノンストップでお家まで帰ってきました。

何かやれそうに思えてきた部分と、もっと生徒に希望を与えられるような演奏ができるようになりたいのにーと思う部分と、

でも一時期より少し良くなってきたことを、ちょっと前進できたとひとまず喜ぶべきだ、と思う自分と、これじゃー全然ダメじゃんか!!と責めてる自分がいます。

きっと一回どちらかに振り切って、めっちゃ凹むか、めっちゃイエーイって思うかして、これを消化する必要があるのかな?と思ったり。

昨日、ホントにいい感じで吹ける感覚が掴めたので、この感覚を「普通」にする練習と、今日勉強になった点とをプラスしながら、また頑張ろう!!

良い感じで吹けるときって、結局身体が大きく使えていて、呼吸が全身でできて、そよ風のごとく息が流れている感じなんだよね。。。

身体が強張っていたりして、呼吸が浅い状態で、どこか無理をして息を出さなきゃいけない状態になると、唇にもダメージがくるし、豊かな音にもならないし、無理してるから身体がピンチ!と感じて、さらに力が入る、、、のループ。。

思考は現実化するてのがあるから、ちょっと何か起きたときにも、それに反応しすぎずに、「今」に集中し続ける力が必要だなーっと思いました。

よーし、そんなところで、今日は寝まーす(^▽^)/
おやすみなさーい!!
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