こんばんはー!!!
いやー、昨日ふと思ったことなんですけど、
やっぱり問題集とかいっぱいやるのって、もちろんやって良いんだけど、「遊び」に優先するかって言ったら、違う気がするな―って思ったんです。
なんでかって??
楽器に水通しをしてて、
ワタシらの世代だと、ビー玉転がして遊んだり、どうでも良い水遊びしたり、その辺の要らないモノで適当にオモチャ作ったりゲーム作ったり、まーヘンテコリンな遊びっていっぱいやったじゃないですかー!!
いたずらなんかもたっぷりw
なもんだから、水をどっちからどう入れたら、どこをどう通って、どう動くなんてのは、特に考えずとも、経験的に分かったじゃないですか??
でも、今の子たちって、そういうヘンテコな遊びってあんまりしてないみたいで、
トランペットのベルから水を入れたとして、どうやると上手くマウスパイプ側に抜けるかとか、途中の抜き差し管に上手く溜めることができるかとか、ほとんど想像つかないというか、想像することに気が付かないみたいなんですよね、、、
あるいは、楽器のケースを開けるってときに、どっち向きにどうやったら、中身がひっくり返らないかとか、どうやって楽器の向きを決めたらケースに戻せるかとか、、、
譜面台を組み立てるなんてのもそう!
あとは、電源コードのリールなんかをどうやって回したら、上手くケーブルが巻き取れるかなんてのも、いろんな糸を巻き巻きしてたら、分かるわけだけど、そういうのもなかなか想像ができない、、、
こういうのって、問題集たくさんやっても、全然分からないヤツだと思うんです。体験してこそわかるってヤツ。
体験って、何かを見たりすれば、分かりそうって思っても、実際やってみたら、ホント見るのとやるのじゃー大違いなんですよ。見てて「アホだなー、こうやるんだよー!!」なんて簡単に思っても、実際にやったら、あれ??おや・・・??なんてこと、ホント当たり前にありますから、
大人が「そんなことは体験しなくても、説明すれば分かる!」なんて思ってることでも、実際やってみないことには、全然体感として分からないってことが、ホントに多い。
火を焚いてみるとか、
魚を釣ってみるとか、
大根を抜いてみるとか、、、
思ってるのと、やるのじゃ全然違うんだからー!!
大根と人参じゃー、抜くときの気を付けるポイントも違いますしね、
鋏を使わずに植物を切るときに、どうやったら切れるかなんてのも、体験しなきゃー分からない。経験値がモノを言うって部分、大いにあります。
そういうことも勉強しとけ、っていうよりも、一見無駄と思えるようなことでも、なんでも「遊び」としてどんどんやっていれば、身体に入って、無意識にいざという時に使える、、、
そういう下地を作っておくのが、絶対大事で、生きていくのに実はめっちゃ必要なことだと思うんです。
問題が解けたらそれは素晴らしいけど、そんなことだけじゃー、経験が足りな過ぎる。体験になってない。
いろんなことを身体でやってみて、脳にも五感を使った刺激を与えて、そういうのをタンマリやって、余った時間で問題集でもやっとけってんで、十分だと思うよ。
なんなら、お料理(原材料からちゃんと)なんかで十分かもしれない。お料理というよりは調理って感じかな?魚を捌いてみるとか、たまごを割ってみるとか、何かを茹でてみるとか、、、
そういうことをたくさんやって、身体の感覚をたくさん育てておけば、脳も活性化するし、推理力とか、観察力もアップ!集中力も付く気がします。応用も利く!
そして、生きるってことは食べることで支えられてるわけで、
美味しいから食べるのではなく、命をいただいて自分の命を支えてもらう、、、尊いことであって、食べ物になってくれたモノの命ってのに思いを馳せたりすることも出来る。
出来合いのモノや袋に入ったモノじゃー、それは感じられないよね。
食材になってくれたモノは、元は全部生き物。生き物の命をいただくことが食事。
(とは言え正直、今って、変な化学物質がたくさん食べ物みたいに入り込んでるから、やはりちゃんと命のあった食材からご飯を作りたいよね、、、)
ついでに、、、
関係ないけど、
今日、ダンナと「関東の川」について、あれこれ調べてみました。昨日、それぞれ別の学校のレッスン終わってから、車で合流しようとして、「今どこ?」って話で、江戸川沿いと利根川沿いだったもんで、ウチは渡良瀬川が近いから、どこでどれがどうなってんだ?後で調べよう!って話になってたもんで!!
もともと利根川は東京湾に注いでたはずだけど、江戸時代に銚子の方へ流れを変えたでしょ??
そういう感じで、あちこちの川が流れを変えたりされていて、
どれがどれになったのか?どことどこが繋がったのか?誰がいつ?みたいなのを追いかけてみました。
縄文時代くらいには、どうなっていたのか?そんなことも出ていたので、見たりして。
2人とも車であちこち走るので、どの川がどこにあって、どうなってるってのが、実際の川の感じと共に何となく感覚があるので、「あー!!あそこはそうなのかー!!」みたいな感じで、なかなか面白い。
そして、
昔の人が、どれほど一生懸命に国のために治水したか、ってのがひしひし伝わってきて、ありがたいやら、感心するやら、、、めっちゃ胸アツです。
こういうのって、
日本と日本人のすばらしさを実感できるし、
今生きてる私たちと、昔の人たちの繋がりも実際の土地を通して感じることができるし、
歴史に関心を持つことが出来るし、
地理も分かる、
自分たちの先祖とのつながりを感じることで、自己肯定感もUP、
これからの日本どうしていけばいいかを考えるよすがになるし、
政治について考えるきっかけになるし、
フィールドワークとしても良いし、
めっちゃ子どもに良いと思うのよねー。
丸暗記なんかさせても、自己肯定感も上がらないし、それをテストに書いてるだけじゃー、知恵にもならん。
知識は人に教えたり、人のために使って初めて「知恵」になるのだそうだ。
自分のテストの点のために詰め込んでも、知恵にはならん。
もっと生きた学び、、、
実際には別になんでも良いんだよね、身近なところの興味を持ったものを単に面白がって深掘りする、、、
だから「料理」でも良いわけ。
水たまりでも、ドブでも、テントウムシでもなんでも、
どうして?どうやって?いつから?何のために?どんな歴史?これからどうなる???
など、いろいろ探って行けばいい。ジーっと見るのでも良い。
自分であれこれやってみたことだから、体験になるし、やってみると経験になる。
テストの点を気にしていれば、やることが単純で気は楽だけど、将来的にこの苦労はいったい何だったんだろう?ってなりかねない。
やっぱり「人として」大人になるってことが、大事なはず。良い点数を取れるだけじゃー、いろいろ足りてない。それに一番大切なことでもない。
絶対、大人は気が付いてるはずだけど、みんながそうだからってことで、思考停止にしてるんだよね。
私が気が付くくらいのこと、世の中の人たちが気づかぬはずはない。
そんなわけで、今日も高らかにそんなことを思いましたとさ。
今日はイワシの煮物と、豚肉の柚子風味蒸しがめっちゃ美味しくできたので、満足です。美味しく命をいただきました。ご馳走様でした。
さーて、寝るとしよう!!それではみなさん、また明日ー(^▽^)/