人というのは25歳までなら教育可能で、そのあとはなかなか性質を変えることは出来ない…的なことを武田邦彦先生のブログで読んだことがある。
そう言われてみるとそうかもしれない。
挫けずに頑張るとか、挨拶ができるとか、協調性とか、約束は守るとか…そういう類いのものって、子どものうちに身につけないと、よほど本人が本気で変えたいと努力するならともかく、価値観そのものが、嘘ついてもいいとか、大人なんて簡単に誤魔化せるとか、努力なんてアホくさ!と思っていれば、そういう自分を変える努力も当然しないわけで、結果変わらない、となる気がする。
かく言う私自身、胸張って言えるようなことがあるわけではないし、無計画の典型のような人間で、でも負けず嫌いだから最終的にはガムシャラに頑張る…ってな人であり、
小学校就学前は近所の人にご挨拶もできず(多分親に対する反抗心)、愛想を振ることもなく、まあ学校へ行ってからは、いろいろ出来ちゃったからなんとか生きてこれたっていう、そういう感じだから、自分はやれてる!という立場から四の五の言うつもりはまるでない。
むしろその逆で、
ちゃんと教えてくれる人がいたら、もっと豊かな感情で生きられるのでは!!!という密かな憧れもあるし、今さらながら、日々勉強って感じだから、もっと前に気づいて(注意してもらえ)たらなあ…と思うからこそ、今の子たちがやたらと心配なのだ。
あ、そうは言ったけど、私にもちょいちょい転機はあった。
まずは佐渡へ父の仕事の都合で転校した時。そのときの5、6年生のときの先生には心底感謝している。
勉強より大切なこと、といってクラス中にたくさんお話しをしてくれた。
変な道徳の授業よりよほどタメになった。人としてのことをたくさん教えてくれた。
その他にも大勢の先生たちとの出会いで、いろいろと教えてもらった。
だから、もっと厳しくちゃんと教えてくれる人がいたらなー、というのは単に甘ったれであります。
両親からは、かなり怒られ厳しく育てられたけど、何が悪くて怒られてるのかをちゃんと理解して、ああ、このときは自分はこんな気持ちだったんだな、親はこんな気持ちだったのかと思えるようになったのはもう、ばっちり大人になって、心理学なんぞの本を見るようになってからでした。
ちょうど年度末なせいか、いろんなことがあって、一つ過ぎてまた次って感じで。
これは教育の失敗じゃないのか?と思えることが私の周りで次々起きています。
正直、ちょっと辛いです。
起きてる現象が辛いのではなく、
こんな風になっている子どもや学生を、これからどうしてあげたらいいのか、
これからどうなっちゃうのか、
私にできることは何なのか…。
なぜここまで親身になってあげる大人がいなかったのか。私自身も学校の専属の先生でないので、時間的回数的には極めて限られてしまうけど、何とかひとつでもいいきっかけを作ってあげることは出来ないのか?
こんな時、子どものひっからまった、鬱屈した、現実逃避の状態からスパっと解放してあげる技があれば…
今のところ私にはありません(T ^ T)
たまーに上手くその子にきっかけを与えてあげられることがあります。自信を持てた時、子どもは格別の笑顔をします。
自分の存在が自分自身で認められることは、物凄く幸福感を与えてくれるものです。
子どもから時々、
あたしの頭は腐ってるって
安物だから買ってくれた
お母さんなんか
金なら出してくれるから、いっぱい使ってやるんだ
自分はカスだ
バカだから
無理
そういう言葉がちょくちょく漏れ聞こえるのです。
こんな風に思うなんて…多分大人が言っているのです。
そういう子どもの気持ちは分かります。でもそんな感情で、自分をコントロールできずに大人になってしまうと、
大学までは親や先生が、本来的な意味ではなく表面的な意味で守ってくれますが、
社会に出れば、あっという間にドロップアウトみたいな世界が待ってるんです。
使えない、根性も責任感も倫理感もないヤツに仕事なんか頼む企業はどこにもないんです。
いくらいい学校を出たって、就職まではできても、そこまで。
あとはずる賢く立ち回るくらいが関の山。
そうじゃない、本当の意味の充実した人生を送ってほしい。
そのためには、やりたくなくてもやらなきゃいけないこともあるし、子どもとて言ったことに責任を持たなきゃいけないし、約束は守らなきゃいけないし、疲れても少しくらいの時間はきちんと立っていられなきゃいけないし、時間を守らなきゃいけないし、先生が話している時は、静かに聞かなければいけないし、意見は意見できちんと述べ、そしてその意見も無責任ではいけないことを知らなければいけないし、他人を尊重しなきゃいけないし、そしてもちろん自分自身も大切にしなくちゃ…
しなくちゃいけない
と書くと、義務ばっかりみたいだけど、みんなが自由で楽しく生きようと思えば、しなくちゃいけないことも自ずとある。
そういう基本は押さえて、あとは大いに羽ばたけばいいのだ。このくらいの義務果たしたくらいでは自由は少しも減らない。
楽器の吹き方を説明するときに、
熱いラーメンとか味噌汁をフーフーする感じ
というと、子どもの中には全く息を出してるようには見えない子や想像がつかないらしい子がいたり、
軟口蓋を説明するのに、急いで熱々味噌汁飲んだりラーメン食べたりするとヤケドして皮がピローンとなるところあるじゃん?で20年前は通じましたが今は熱いのは冷ましてから食べるから…だそうです。
スイカのタネを飛ばすみたいに…と言ったら、タネをお皿に舌でニュリっと出すような動きの子が何人かいて、そういうものは飛ばしたことがないって。
内蔵や骨が体の中にあると知ってショックを受けた中学生がいました。かなりの進学校の子です。
なんか大人の手抜きって気がしてならない。子ども時代の楽しい遊びを奪って、勉強さえさせとけば、塾でも家庭教師でも何かお金さえかけとけば、それでいい学校に行ければ将来幸せ間違いなし!みたいな。
何か起きたら、うちの子に主役をさせないなんて!とか、うちの子はいい子なのに叩くなんて!とか、徒競走に順位をつけるなんて!とか…そういう文句をぶつければ子どもを守ったことになるみたいな。時には訴訟に発展したり。
で先生も社会も、頑張って教育しようと思ったけど、いろいろ文句言われて挙句に責任取らされるなんてイヤだから、やり過ごす。
そして、それが子どもに大切なことを学ばせないことに。
もちろんそんな風潮とは相入れず、必死に教育をしている方々も山盛りにいる。私の周りの先生方にも多い。
ただ残念なのは、こういう素晴らしい先生方は定年を迎えられてることが多く、現状を嘆いていたり。ホントバカみたい!って。
あ、新幹線が新潟到着だ!
今日も学校レッスンに行って来ます。