こんばんはー!!
今日は単科のレッスンやって、お昼はOGとご飯食べ&人生相談?!、午後から合宿前最後のA合奏をやってきました。
ようやくレッスンもちょっとずつまとまってきたかなー?と思います。
ってあんた!!
何を隠そう、高校生の頃から中学校の指導とか行ってたんで、思い起こせば指導始めて30年以上ですか?!(笑)
絶対上手くできる!!と思ってやってた時期もありますし、もう教えることなんかなんもないよぉーと思った時期もありますし、いろんな意味で教えるの怖いなと思ってた時期もあるし、、、
いろんな時期がございますな。
まとまってきた、ってのはもっとまとまってたなと自負する時期もあるんだけど、近年としてはまとまってきたかな?という感じですかなー。
合奏に関しては、ときどき一体どこまで何をさせたら良いのかな?と思うことがあります。
吹奏楽のレッスンなんかに行くと、良い悪いは別にして、「こうやりたい!!」とか「こうなっちゃう!」とか「こうしかできない!!」みたいな、何かしらの強い方向性があって、それをより良い方へ導いたり、困ってるポイントを別の視点から動かしてやることで、解決しやすくしたり、訓練したり、、、
そういうやり方がやりやすいのですが、
ウチのオケの子たちは、「こうやりたい!」というのは特になく、でもある程度指導が行き届いているので、音のタッチとか音程とか音色は結構いいので、普通に音並べるだけでも結構いい感じになっちゃいます。
でも、そういう時は決して、
生き生きとして、アンサンブルを楽しんで、推進力を持って、音楽を味わって、、、
というような状況ではなくて、
言われた通りにやった、
何も考えてはないけどある程度基礎があるから、音並べるのはできるよ、
という感じで、音楽を楽しんでるってのとは違う気がするんだよね。
楽器をうまく扱えた、というところかな。
それが目的でやってる部分が多い気もする。
でも、それは音楽なのかなぁ?と迷うわけ。
こうやりたいー!!とかないのかなー??
この和声進行がこんな気分を伝えているではないかー!!
メロディがどこに向かっていこうとしてる?
そう言う感覚とか、
少々、基本を逸脱してもいいから、心の雄叫びみたいなのが子どもなんだから時にはあってもいいような。
でも、そう言うことは決しておきません。
きったなーい音とかも出しませんしねー。無理やりやらせようとしょっちゅう試みますが、しっかりしたいい音になるだけです(それはそれで歓迎だけど)。
歌い方とか、和声の感じとかもやはり教えていくしかないのか?と教えてみたりもしますが、そうするとさらに「言われた通りにやる」度合いがアーップ!!
目に輝きが増す、とかならいくらで教え混みますけど、どんどん雇われの身のような感じになっていくので、それはヤダなぁ。
教えないけど、感じさせたい。
なんか「いかづち」が落ちたー!!というような音楽的な体験が欲しいですねー。
目がパーっと開くような、心が躍るような、、、
そういう気持ちに押されてオケを始めたような子はきっといいんでしょうけど、
なかなかそうはいかなくて、
小さい時からやってるから、なんとなく。
みたいな感じだと、はてさてどうしたものか。
教えてそれらしくすることはできると思うんですが、それだとやらされてる感が否めない。
教えない手もあるけど、教えないと周りの音や動きや自分の音楽に耳を傾けたりあまりせずに、単に周りの人はカラオケ、みたいになったりね。
何かいい声かけをして、自分たちで気がつくためのキッカケを与え続けることが大事なんだろうなぁ。
周りの人との関係が少し希薄なのかな?
いや、そんなことなさそだな。休み時間の暴れっぷりとか見てると(笑)
まあ、結論言っちゃえば、やっぱり音楽聴いてるかどうかが大きいのかな、と思う。
英語教育で言えば、
英語をシャワーのように浴びて、その語感に慣れる、というよりも、文法とか単語の発音とかそういうのを習ってるって感じ?!
「話したい内容」があるからこそ、語学がコミュニケーションツールとして役立つわけだけど、肝心の話したいことが無いという状況ね。
これを教えて話させようとすると、少し本末転倒ではあるけど、見本も示さないとやり辛いみたいな。
その音楽を通して何を伝えたいか、作曲家が伝えたかったことは何か、楽譜から読み取ることができる作品の力(作曲家の意図を超えた部分も含めて)とか、それが大事になってくるのかな、、、
もうひと頑張りせねばなー。
そして、プルシェンコ。
久しぶりに「ニジンスキーに捧ぐ」を見ました。芸術点オール6.0の時の演技はキレッキレで神がかってますよねー。
いやね、今日フィギュアスケートの男子フリーがあって、羽生結弦選手がこのニジンスキーの曲を使ってたからね、本家を母に見せたくなったもんだから。
それで、久しぶりにどっぷりとプルシェンコ様の世界に浸っていたら、羽生くんの関係で、なんとプル様のとこまでインタビューに行ったらしくて、テレビにプル様出たー!!
今はプルシェンコアカデミーで後進の指導してるのね!
でね、羽生に伝えたいことってんでね、
「僕はある大会で大きな失敗をした。それは他人に勝ちたいと思ったこと。世界と戦ってはいけない。他人と競ってはいけない。なんのためにスケートをするのかを考えて。」(藤井の記憶による意訳ね!)
ですと!!
そしてね、プル様がニジンスキーを滑った時には、ニジンスキーに関する資料を集めまくったそうだ。
ニジンスキーという偉大な尊敬するダンサーを表現したい、なりきる、という気持ちの表れだよね。
素晴らしい。本当に素晴らしい。
だからこそ、プルシェンコの演技に惹きつけられるんだなーと思った。
東伏見でのアイスショーで、生プルシェンコを1回だけ見たんだけど、
もうね、現れただけで興奮して、世の中に金粉がパーっと降ってるかと思う感じで、もーね、ダンナと2人でキャーキャー言いまくっちゃった。
もうそんな調子いい時期じゃなかったと思うけど、もうね、そんなのどーでもいいというね。
うっひゃー!!きゃー!!
みたいなね。
でも、この興奮の源は、プルシェンコが単なるハッタリじゃなくて、ちゃんとした研究と演じるものに対する深いリスペクトがあるからなんだ、、、と今日また改めて思いましたよ。
んー、これが我らにも必要なんだよね。そうなんだよ。
どの作曲家の書いたモノも「ドはドでしょ?」みたいな感じじゃ、やっぱいかんのだろう。そういうクールな見方の方が、音を並べること自体はちゃんとできるかもしれないけど、そこにそれでは何故それをやるのか?何のためにやるのか?がなくなっちまうんだろうな。。。
うんうん。。
ところで関係ないが、
iPhoneのSiriに、「私の好きそうな曲をかけて」と言ってみたのよ。いや、そう言ってみるとお好みの曲をかけますって説明に書いてあったからさ、試したの。
そしたらね、
聴いたことない曲も含めて、
「たった今聴いて、物凄く耳に新鮮で、物凄くいい感じ!!」
です。
どんなシステムだよ?これ??
Apple Musicを再生してくれてるんだけどね、聴いたことあるやつはまだ分かるじゃん?
全く聴いたこともないし、さっぱり知らん??ってやつかけてくれるのね!!
すごいわぁ、、、
楽しいです。これオススメだわ。
さー、それでは寝るとしよう。また明日ねー。おやすみなさーい。