最近、教育ってのは何だろなーっとふと考える。
義務教育は中学校まででしょ?
それから先は、オプションなんだけど、今やほとんどなんの疑いもなく高校に行くってのがほとんどですよね。
そしてそこからさらに、大学か専門学校へ。
この前、弟子(と言っても私よりも年齢的には先輩なんだけど)と話していて、なるほど…と思った話がいくつかあった。
私なりに勝手に要約すると、
日本における「頭がいい」てのは、大抵は学校の成績。
じゃあ学校の成績ってのは、どうやって決まるかっていえば、ものすごくバイタリティや創造性とか人徳とか体力じゃなくて、テストの成績がモノを言う。
一概に断言はできないけど、今のテストって、塾とかで解法を習ってたり、あるいは暗記力が素晴らしければある程度できちゃうんじゃないかな。
ちなみに…私は小学校の国語のテストで「作者の心情」ってのがまるで正解できなかったタイプ。
正解を聞いても、え?そんな気持ちかなあ?文章に現れてるとは限らないし…などと思ってしまって、なんか国語は好きじゃなかった。
だいたい、そんなもん、テストを作った人は作者に聞いたのかね?と突っ込みたい。きっと、いやいやそうじゃないってことだってあるだろうし。
音楽も一般的な解説と作曲家の思いが全然違ってることもある。
ショスタコーヴィチはまさにそうだと言われている。まあもっと言えば、それも本当か分からない。
絵画もそうだよね。でも作者はそういう解釈の広がりを、それすらその作品の価値の一つとして私たちに許してくれているはず、と思う。
話が逸れたけど、要するに今は「採点のしやすさ」とか、均一性こそが大切にされ、恐らく先生にすらそういう自由はほとんど与えられなくなってきていると思う。
んで、そうするとそういう解法に長けた、本当の頭の良さというより、テストに強い子は自動的に「頭がいい」と分類される。
するってーと、家族はついつい嬉しくなり、せっかくならいい高校、いい大学へ…と望むだろう。
家族もいい学校に行っていたという場合もあるだろうし、両親がなし得なかったことを子供に託したい!という場合もあるだろう。
日本人はブランドが好きだ。それは自分でそのもの自体の価値判断をする必要がなく、世の中がそれを「いいもの」と認めてくれているから。
みんなが言うんだから間違いない、という安心感。
それと同じで、高校や大学も一流校に入ると自ずと素晴らしいブランドイメージが付いてくる。
そこでもの凄く実になることをしたか、人間的に素晴らしくなったか、などは、よくわからないけどひとまずブランドだからいいに違いない的な。
とにかく世の中がそうなのだから「頭がいい」ならできるだけいい学校へ行こう。そうすれば人生の選択肢はぐっと広がる…
と思っちゃう。
でもここからは実例。
本当にそういう感じで超一流大学の大学院まで来てしまった子…
実はパン屋さんになりたかったなーって。
ずっと、進学すれば好きなものになれるから…って言われてきたけど、ここまで来てしまうと、今さら家族の期待を裏切れない…
周りもそんなことを許す雰囲気ではない。
好きなものになれるって聞いてたのに、どんどん離れていく…少し鬱になりかかってるとのこと。
なんてことだ!
まずは、頭がいい人にこの手の辛さがあるなんて考えた事なかった。
やはり、ある程度優しくて周りの期待を裏切れない真面目な子は、知らないうちに追い詰められてしまうのか。
別なパターン。
やはり頑張って勉強して必死に解法を身に付け、テストに強い人になるために物凄い犠牲を払ってきた場合、進学すればするほど、何だかずる賢くなる、いや、そうじゃないのかな…んー、むしろそんなに頭がいいわけじゃないってことが薄々分かってるけど、そこが崩れたら自分の存在価値が危うくなる…そんな気持ちからか、強力に防御する…鎧っていうのか、理論武装っていうのか、そういうのをするようになっちゃう。
だとすると、ホントの教育というよりは、誤魔化しやズルやプライドを守る方法みたいなのが段々強くなっちゃう。
それはそれで辛いだろう。
もう一つ。
なーんとなく進学して、フワーンと過ごして、フヤ~ンと卒業する。
学校に行ってるけど、まあこの時間をやり過ごすことによって、なーんとなく卒業できちゃうんだからいーんじゃね?的な。
そんなことなら高いお金払って、学校行かなくてもいいんじゃね??なんて。
どうせなら、学校の設備を使い尽くすか、そうじゃなければ、部活でも友達とでも忘れられない思い出を山ほど作るってのもいいじゃん。
いろいろ書いてきたけど、なりたいものから遠ざかったり、ズルを覚えたり、お金と時間の無駄だったり…ってのが今の教育なのかなぁ…なんて。。。
いろんな役人が研究費を切り札に、本当の意味での勉強とか向学心みたいなものを邪魔している気もする。
でも社会全体が、自分で判断することを恐れ、面倒くさがって避けてる時点で、役人の思う壺でもある。
テストでがんじがらめじゃなくて、いろんなことができたり、羽ばたける感じなら、そういう懐の広さや創意工夫や応用みたいなのが、本当の意味の、本当に目指すべきゆとり教育だったのかもね。