「人生」たぁ、大きく出たって感じで、正直「人生」語るにはまだ若造過ぎる気がする今日この頃ですが、ボキャブラリー的な問題で、他に思い付かないから、これでひとまず行ってみよう…
そうさねぇ…
私はたぶん、若い(大学生くらい)頃の方が、自分は間違ってない、正しい!と思ってたと思う。だけど、年が経つにつれ、段々正しいってことはまるでない気がしてきて、そして自分ってやたら至らないことが山盛り過ぎだし、人と考えることが違うことを若い頃はそれでいい!と思えたけれど、段々それって何かが足りてないんじゃない?と思ったりしてきている。
まあこれが成長なのか退化なのか、まだ分からないけど、ひとそれぞれいろんな価値観があるし、どれも別に間違ってもないだろうし、唯一無二のものがあるってわけでもないんだろうな…と思っている。
それでも、いろんな価値観の存在を知ることができれば、それだけ許容範囲も広くなるし、いろんな対応もできるし、そして心も豊かになれるんじゃないだろうかと思う。
ところで、ここのところ…
生徒やお家の方といろいろ話したりしていると…
いやはや、
いろんな考え?!いろんなことがあるもんだ。
ぶっちゃければ、一見ダメだなぁ…みたいに見える子どもが、実はとても忍耐強く、打たれ強く、前向きで人にも優しかったり、
出来もいいし頭もいい…けど、人の気持ちとかをあまり察することが出来ないとか、共有する楽しさがあまり良く分からなかったり、
上がり症で緊張で上手く出来ないのかと思っていたら…実はあまり努力してないだけだったり、
自分の子どもが上に進めないのは先生がエコひいきや意地悪をしていると思ったり、
いろんな子がいていいんだけど、
もし自分がなるんだとしたら、どういう子がいいんだろう…
たぶん、自分が生きてきた感じは、出来は良いけど…の部類で、それは実際に出来たとかそういうことじゃなくて、まあ世間を大雑把に分けたとしたら、比較的出来た方に入るってくらいなのに、まあ勘違いというか、幸せな気がつかなさップリというか…まあそういうレベルでありながら、ちっちゃなプライドがいろんなことを邪魔して、トータル的には損してるんじゃないの?と今となれば思う。
だから、なるんだとしたら、一見ダメでもいい(いや、ダメじゃなくなるまで頑張る!)。打たれ強く、前向きで優しい人間になれたら、人として凄くいいなと思う。
それは今の自分の価値観だから、きっと全然違う価値観の人もいっぱいいると思う。
でも、どうせなら早いうちに、人生で本当にキラリと輝く価値観を手に入れて、自分のモノにして欲しいなあ…と思う。
なので、別に自分はできてるから言う!という立場ではなく、むしろ逆に自分はできてないからこそ、反面教師的気持ちも込めて、今ちょっと迷ってる子たちに1回は言っておいてあげたいと思う。
大人とか指導者は、やっぱりその子を思い通りにするなんてことはもちろんできないけれど、でもそうなると思ってたよ…みたいな気付いてたけどほっといた、、ということは職務怠慢?!いじめ?…まあそんなくらいなんじゃないかなと思う。
日本人はあまり衝突を好まないから、「まぁまぁ」ってことが多いけど、そのまぁまぁのまま大きくなって、急に社会に放り出されて、「躾がなってない人」だの「礼儀を知らない」だの、「知らないからできない」ことで人格否定されたらやってられないんだから、「分かるまで掘り下げるか」は本人の問題としても、「教えない」のは酷いやって思うわけで。
だから、まあいろんなことをどうにか今のうちに分かってもらいたいなぁ…と思う。
でもその反面で、それって私の仕事か??そんなことより楽器を上手くしてやったら、それでいいんじゃないか?楽器を上手くすることから逃げてるのか???と自問自答したりすることも。
音楽の部分さえちゃんとやれれば、他のことは気にならなくなるのでは…?!と思ったり。
それで、効率の良い指導法とか、言ったら「公文式」みたいなレベル別段階的な練習方法みたいなのを作れないか?とか。。。。
そういうことを考える。
レッスンしてると、ときに「やり方」さえ分かればできるはずだ!、「やり方」を教えてもらえばすぐに吹ける!…と思ってるんだろうな、という人に出会う。
そういう人は、どういう人生を送ってきたんだろう???
私は勉強を「習って」できるようになった、と思ったことはほとんどない。習ったことが自分のモノになるまでには、結構時間がかかって、グネグネ頭の中で考えたり、他の問題をいろいろ解いたり…そうやりつつ、次々他のことが入ってくる中で、次第に物事が統合されて、系統化されて、あー!!!あのときのあれはこれなのか!!!とかなりのちに理解する…という感じ。
運動でもなんでも、言われてすぐには「???」となるけど、そこから自分なりに「えーっと」とやっていって、あーーー!!!!そういうことか!!!と。
だから、効率的っていうのが、実はあまり良く分からない。段取りが上手く組めない。だから「先生」にはなりたかったが、「学校の先生」になることは他人の迷惑になると思ったので、辞めた。
自分の理解の仕方が、おそらく、いろんなパーツを集めて来て、それをあれこれ検証して、そうしながら大きな「原理」を発見して行く…そういうやり方なのだ。
他人様が、「これはこうだよ!」というだけでは、私の頭の中のデータが足りな過ぎるのだ。なぜそうなんだろう?というたくさんの裏付けデータが頭にあるときは、「そうか!!!やっぱり!!」となるけど、そうじゃないと理解ができない。
どうしてなのか?とか、なぜなんだろう?とか…いろいろ検証したいのだ。その上で原理を導き出したいのだ。
どう考えても効率が悪い。
それに、結果として人にずばっと「これはこうだよ!」と教えてもらった事とほとんど変わりのないことになる。
「これは良くてこれは悪いってのが吹いてても、録音しても自分じゃ分からないんですけど。先生に言われたり、吹いて比べてもらえば分かるんだけど」
音楽の良い悪いって、まあ「悪い」なんてナイって言う人もいるかもしれないけど、それならなんでもいいわけで、やっぱりレッスンだから「悪い」というか「こうするほうがより良い」もあるわけよ。
で、それは耳を作っていかないと○×が付くものじゃないので、英語の発音とかみたいなもので、耳で覚えるもので、発音記号みたいなのはあくまで音で分かってる人にヒントを与えるに過ぎないから、やっぱり実際の「音」をいろいろ知ってる必要があると思う。
「音楽を聴いたりするといいですよね」というと、「音楽聞くのはマドロッコシイし、あまり好きじゃない」と。
うーん。確かに、音楽を聴いたからって1曲聞いたらすぐ良い音が出る!なんてことあったら、今すぐ聞きます。
でも、そんなすぐ目に見える結果は出ない。薄紙1枚ずつ重ねるようなことだよな…と思う。でも、効率を求めたら、こんなバカみたいなのやってられないって気持ちも分かる。今すぐ、できるようになりたいんですよ!!というねッ。
そんな簡単にできるんなら、トリプルアクセルのやり方聞いて、私がすぐ跳んで見せますよ。。。。…ってそんなこと出来るわけないって誰でも思うよなぁ。
やり方を知らないでやっても、なかなかできない。やり方を聞いてやるほうが効率がいいに決まってる。でも、そこから先はある程度の時間が必要だ!
武井壮さんって、密かに凄いなぁ…と思うんだけど、この人はフィジカルを自由にコントロールできるまでに日々高めて、であとはイメージ出来たらその通りに体を動かす…だからいろんなことができる。
楽器の基礎練習って、このフィジカルを自由にコントロールできるように…に近い気がする。それをやっておけばあとはイメージで的な。
ただ、この自分の体を自由にってのは、原理が分かればできる…という類ではなく、いろんな訓練が必要でやはり時間がかかる。
何だか話題の方が、くねくね逸れてきたぞ!!
強引に元に戻すと…
やっぱり、要領良く効率良くってことだけ追及して行ったとしても、結局それを支えるのは心であり体であると思うわけ。技術を付けるには、忍耐力・精神力・集中力・向上心…いろんなモノが必要だ。そして、何でも1人でやってるわけじゃない(一緒にやっているか、あるいは対決しているか、サポートチームかの違いはあっても)から、何かしら人とのつながりを良い意味で持てる人になることも必要だ。心のレベルで共有できるというような。
そういうものは、もしかしたら技術を必死に習得しようとする過程で得られるものかもしれないし、そういう心を持っているからこそ技術が習得できるのかもしれない。
いずれにせよ、分かち難いものなんじゃないかと。
要領良く、楽して…なんんて思ってる時点ではてさてなんじゃないかと。
などと…いろいろ考えちまうわけだけれど、
ときどき自分がいったい何練習してたんだ…原点回帰的発想が良かったのか!ということがあったりで、がっかりしたりするわけだけれど、そういうことも含めてすべて人生。きっと長ーい目でみたら、無駄じゃなかった!と思えるように、今やっていくってことがいいのかな!