こんばんはー!!
21時からIWBC Japanのミーティングなのに、めっちゃ張り切ったタイトル付けちゃいましたwww
はたして書き終わるのか???
いやー、、、
今、いろんなプロジェクト(とか書くとカッコいいけど、まぁ言ってしまえばいろんな会を進めるための雑務ねw)をやってるんですけど、ふと「考え方」ってので見えて来たモノがあって!!
それは「木村泰子さん(大阪市立大空小学校初代校長)」のお話をたくさん学ばせてもらったからだと思うんだけど、
いろんな「会」があるじゃないですか!!
そういうのって、往々にしてまぁ係の押し付け合いというか、正直その会を本当に良いモノにしたいって人ももちろんときどきはいると思うけど、多くの場合が、めんどくさッみたいなw
だったらそんな会無くしたらどうですかー??って話だけど、そうする勇気も出ないから、まぁ当たり障りなく進めよう・・・みたいなw
で、ワタシもモノによってはそういう関わりをしてきたモノもあると思うんですよー。
でも、まぁまぁハッキリ割り切ってるところがある人間なんで、愛想でやるってこともあんまりしないから、まぁ「イヤイヤ」やってるってことろはほとんどなくて、そしてあまり長いモノに巻かれずに生きてきた感じだから、勝手なことも言いますし、あまり周りに忖度もしない・・・って感じで、おそらく見る人が見れば、「なんなの?アイツ」って感じでしょうけど、それは感じなければ「無いのと同じw」っていう原理で生きてる気がしています。
とは言え、大抵の人はやっぱり「何なの?アイツ!!」とは言われたくないわけで、
「何もしない」「何もできない」って思われるのもヤだし、ある程度は有能って感じも出したいかもしれないし、「しゃしゃり出てる」と思われるのもちょっとヤだし、面倒なことを引き受けるのもちょっとヤだなみたいな???
そして、まぁ誰かが何とかするだろう、みたいな風になりがち。
その「会」が何というか、「入れ物」になりやすい。
その「会」という名の入れ物があって、そこには何が入っても入れ物自体に変わりはない、、、という感じ。
入れ物は「建物」の場合もあるし、「役員」みたいなまぁ「幹部」的な人達であったり。
その会(建物でも)さえ、ちゃんとしていれば、その会は構成員がどうであっても関係ないような感覚が、どうもあるよーな気がするわけです。
で、もしもその会が思うように機能してなければ、「建物が悪い!」とか「役員が悪い」とか、そういう風に思うだけで、まさかまさかその会に所属している自分が「会」の一部であるなんて、思ってもみてない・・・みたいなことってないですかー?!?!
これって、なにげに日本の至る所で見られる思想じゃないか?と!!
「国はどーなってんだ?」
「議員がポンコツだ!!」
「学校が悪い!!」
「会社がさー」
そんな風に、自分も所属してはいるんだけど、自分の力ではどうにもならないように感じていて、それでいて文句を感じてしまう。
この自分の力ではどうにもならないように感じて・・・
ってところが、なんか教育のように思うのです。
よーく考えて、、、、
人間の身体を考えたとしますよね?!
チームが一人の人間だとしたら、指とか腸とか、、、そういう大事な部分なのに、それぞれが「ワタシくらい居なくてもさー」みたいにやってたら、死ぬw
あるいは、皮膚という外側があれば人間たり得ますか?ってくらいの話だと思うわけで、、、
とか、胃が具合が悪いけど、腸が「ワタシはバッチリだから関係ない」って言ったとしても、絶対身体全体として「1人の人間」として生きてるわけで関連してるでしょー!!ってな話。
お互いも関連しているし、「知らんがな!」ってやるんじゃなくて、なにか「自分にできることは??」ってことが無いとダメなんじないかーってな。
それが、
学校とかだと、「先生」がいて「生徒」がいて、
今の教育だと多くの場合が、「先生」がリードして、生徒は「それに従う」、、、
「素直に従う」・・・
疑問があっても、従うのが良いのじゃー!!みたいな、、、
そして「正解」を先生が持ってて、みんなその正解のゴキゲンを取りながら、、、
自分の言ってることって「合ってる?」「間違ってない??」みたいなことを探りつつ・・・
間違ったりしてると、ちょっと「ダメ」な人っぽいさー。。
たぶんそういう教育が、行き届きすぎて、間違ったりするよりは当たり障りなく・・・がドンドン癖になって、
誰かの言うとおりにしとけばいい、、、
というか、自分の考えとか、そういうの要らない、通用しない、言うだけ無駄、、、みたいな、、、
そういうのがどんどんどんどん・・・
で結局、
どーせ、、、が当たり前になって、
だったらメンドクセーから、上の人(役員とか、、、)がやれば良いんじゃないですか?みたいな。
そうやって、特定の人に責任を結果的に「押し付ける」感じになると、その人が勝手に進めるか、その人が全然進めないか、、、になって、
ますますツマランから、めんどくせー!!みたいなw
そして、張り切ってる人がいたら、それに対して(どこか我慢しているから)文句付けたくなる、、、みたいなw
そうやって、つまらない企画になっていったり、良くない(腹黒い)モノになっていったり、、、
さーて、元に戻すと・・・
こういうことが積み重なって、人任せにする体質になっていく、、、
でも、ホントはメンバー1人1人が、身体のパーツと同じで、その人たちが「本体」なんだけど、そこをバラバラに考えて、しかもそれが「正しい」と思ってる感じ・・・
もっと1人1人が違う存在で、それぞれが大事で、「違う」人間なんだから、意見も考えもすべて違うわけで、、、違う上で、それが「違うからこそ幅広くなって、違うからこそ面白い!」と言うことを、もっともっと小さい時から沁み込ませておかなきゃいけないんじゃないか?
それが「正解」を大人が持ってる、ってことに(上っ面)してしまうと、その「正解」に近づけようとしたり、迎合したり、様子を見たり、正解以外を言ってしまうことを恐れたり、、、間違って怒られたりダメだしされたりするのは誰もイヤだし、、、それなら何もしない方がいいなー、、、って。。。。
ホントは大人も役員も幹部も、、、「正解」なんぞ持ってない(というか存在もしてない)わけなんだけど、
でも「正解」を持ってなきゃいけない!!みたいな強迫観念がこれまた脈々と受け継がれてるから、正解なんぞないのに「知ってるフリ」したりしちゃうからややこしくなっていて。。。
それが三つ子の魂百まで状態に・・・
(;^ω^)
こうやって、いわゆる「支配層」が使いやす~い、勝手なことしやす~い人たちに育て上げちまった・・・ってことなのかもしれない。
そういうことにも気が付かない、疑問持たない、、、そういう人をどんどん・・・
って思うと、ここらで考え変えないといけない。
だってさー、人って、やっぱり繋がってるってのが大事じゃん?
で、みんながなんでも出来る訳じゃないし、出来る必要もない。
そんな中で「じゃー、ワタシに何が出来る?」「ワタシにできることは?!」って、それをやるからこそ「みんな違う」ってことがめっちゃ素晴らしいことになるじゃんかー!!
それを認められるような世の中になればさ、いじめとかなくなる(飛躍しすぎに聞こえる?)って思わない?
無関心って、罪がないようだけど、なにげに究極のいじめ状態だと思うわけよ。だって、その人の存在を「無きモノ」にしてるってことでしょ?
自分に対するいじめかもしれないし、他人に対するいじめかもしれないけど、
そんな冷たい社会が、あたかも「正しい」「正論」のようにまかり通ってちゃー、きっとダメなんだろーな、、、
なーんて、そんなことを思った今日でしたー!!
それでは、急いでフジイ寝ますw
また明日~(^▽^)/