ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

記譜法から、西洋音楽における「リズム」ってのを考察しておりますー!

2021年04月21日 19時26分17秒 | 論文ネタ
こんばんはー!!

いやー、今日ふと本棚を見て、わ!!この本買ったこと忘れてた!!と、自分で自分にビックリしたフジイです😅

これな!
 この本、なかなかのお値段で、定価で6600円ですよぉ。実は次にほしい本がもう1冊あるんだけど、そいつも5000円越えで・・・なぜこういう本は高いんだい??需要がないから??きっとそうですね(;´∀`)

そんな清水の舞台から飛び降りる気分で買ったのに、ほんの1週間で買ったことを忘れるなんて!!凄すぎでしょー??(笑)

また慌てて開いてみたりして、、、

それで、この本は17世紀から18世紀にかけての記譜法について、めっちゃくちゃマニアックに書いてあるわけなんですけど、

もっともっと昔のことが知りたいんじゃー!!

というわけで、ネットをウロウロ。

するってーと、なかなかに衝撃的な(というか私が知らなかっただけのこと)ことが次々分かって、たまげております。

たまげたポイントを書き出します。

  1. 西洋音楽でも、もともとのリズムは3がベースだった!!!
  2. ルネッサンス期に2でもいいということになったことで、次第に3が特別なモノに変わっていく
  3. もとは拍子という考えはなかった(考えなのか、記譜的になのかはわからないけど)
  4. 多声音楽の発達の中で、パート譜でやってると、リズムの定量化がされてないと、ズレてきちゃう・・・という欲求によりリズムの記譜法が発達していった
  5. 「相互に波長を合わせる関係」(by Schutz) という概念が1964年にはあったということ(寺前典子氏の論文「音楽の記譜法の合理化と時間をめぐる考察」より)
  6. ドレミファソラの6音が初めにあって、シはあると便利だなってことであとから出てきた!!


この辺が、なかなかにぶっ飛びました。

すでに相当自分だけ面白いんですけど、まだまだ掘れるね。

そして、世間にはこういうことをめっちゃ掘ってる人たちがかなりいて、しかもかなりしっかりと研究しておられるということ。

先日買った本には、モンテベルディからベートーヴェンの17-18世紀の記譜法のことが逆にあまり研究されていないから、今回研究してみたという文言があり、この記譜法の黎明期のことは意外と調べてる人が多いのかもしれない。

記譜法の歴史自体が、グレゴリオ聖歌という教会における音楽を何とか覚えて置けるように、記録出来たらな…という欲求からスタートしてることもあって、始めはリズムよりも、音程が重要だったわけだけど、そこから徐々にリズム(節回し)も書いときたいよね、、、となっていくわけだ。。。

そんな側面(グレゴリオ聖歌が中心)があるから、この譜面が出来始めた初期の西洋音楽にとってのリズムに対する重要度が若干低いように感じる。

記譜で言えばそういうことになるけど、

この頃の西洋の音楽には、グレゴリオ聖歌以外のモノも存在していたわけで、そういう音楽がリズムに対してどうだったのか?ってのも気になるよね。

むちゃくちゃダンサブルなリズムの音楽が中心だった可能性もあるよね。。。

そういうところも知りたいもんだ。

ん??

確かにそれは記譜法の歴史じゃないなwwwそれは西洋音楽の歴史だね、あはは。気にすんなッ!

というわけで、たまには真面目なお話でした。

それではまたねー!!
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脳は過去と未来へ行くことができる、、、だから1小節とか4分音符とか分かる、、、(意味わかるー??)(笑)

2020年09月11日 00時39分00秒 | 論文ネタ
こんばんはー!!!

さーてと!時々書いてるリズムのオンラインサロン系のトンデモ話をぶち上げようと思います!!

というか、サロン的にもトンデモ話ですが、自分で結構納得した(笑)ので書こうー!!

input左脳ーoutput右脳の「さう」という稀有なタイプということが判明した通り、ものすごくいろいろinputした結果を、直感的なざっくりとしたイメージでお届けしますよー!

☆☆☆☆☆



世の中で、実は「腸」が大事なんじゃないか?造血も免疫も決断力も、いろんなモノに腸が関わってるのではないか?という話が出ていて、最初はへー、、、くらいに思っていたのですが、

ナマコやウニのことを思い出し、あのタイプの生物は脳はないけれど、あたかも脳があって自分で判断しているあのような動きをすること、また人間の遺伝子にかなり近いということ、、、

そして、ふと自分の身体を思った時、

口があって、、、腸があって、、、肛門があって、、、


これが全部繋がってて、ひとつの物体としての自分がいるな、と思った時、

このいわゆる「消化器」たちは、未来の心配とか過去のこととか、考えてなくて、今ここにある。たった今ここで生きてる自分本体なんじゃないか?と思えてきて。


そうしたら、急に「脳」が心で自分自身だと思っていたけど、違うんじゃないか?という疑念が。

そして、脳を使っている時って、実は未来を考えていたり、過去を思っていたり、、、

その瞬間はここにいなくて、未来や過去にいる。なんなら、時空も越えて、宇宙を思うこともできるし、電話してれば、すぐ近くに相手を感じることもできる。

そうやって、脳が主導しているときは、今ここにいなくて(いる場合もあるかもしれないけど)、時間も空間も超えることができる。


そこで、、、


急に西洋式リズムのことに頭が行って、、、


身体は考えないから「今」を感じている。今を生きている。常に「今」。

一方、脳は今を考えていたとしても空間的にどこかへ行っている場合もあって、未来や過去を思っている。(今晩何食べようかな?とか、あれやっちゃわなきゃ!とか)


西洋のリズムの基本は、

【分割】

4分音符、8分音符、という名前からも分かるように、1小節をどう分けるか、が基本になっている。

自分が生徒に教えるときも、常に「8分音符は1拍に2つ均等に入れるんだよ!!」などと、何かを「割る」という考えが当たり前だと思ってたし、そもそも名前がそうなんだから、そりゃそーでしょ?くらいの。

メトロノームをかければ、その中に2つ入れる、3つ入れる、4つ入れる、、、などで、リズムを作って来ていた。

そこで、ハッと、、、


1小節を、、とか言ってるけど、「今」というポイントから考えると、1小節っていう長さは、めちゃくちゃ観念的で、実在しない、未来と過去の概念の中には存在するけど、それは空想の中にしかないのではないか?と。


実際に人間は「今」しかどうにもできないわけで、未来も過去も脳が想念の中で作り出したものに過ぎない。

だとしたら、この「分割」という考え方そのものが、「脳」で考えた時間の概念によってのみ、できるモノなんじゃないか?と。

キリスト教世界(ざっくり西洋)は、神が作った宇宙は完璧で美しく、素晴らしい法則に則っているに違いない、、、という考えがあって、音楽はそういう意味で学問であり、科学である。

歴史的に見ても、科学者が音楽を扱っている場合が多い。

音楽を「概念」で「考えた」から、リズムを「分割」で考えたのではないか?!

一方、アフリカや西洋であっても庶民にとっての音楽は「概念」ではなく、身体を使って楽しむ、感じる、共鳴する、通信、、、、いろいろあるだろうけど、今ここで振動する身体にフォーカスしている。

身体そのもので今生きている、、、

鑑賞するというよりは、共有という感覚。

そして、「今」の連続、、、だとすると、西洋のような「分割」ではなく、音を生み出す瞬間の連続。。。音を生み出す瞬間の連続的な躍動、、、

分割という感覚でなければ、「4拍子」などのように元々の区切りがあって、それを幾つに分けるかという割算的な考えではなく、、様々な律動が重なる部分が、西洋的に考えたときの小節のような1つの区切りになって感じられる、最小公倍数的な感覚、、、


「今」にフォーカスし身体から生み出されるビートに心を解放して委ねていく、、、

そういう時間的な感覚の違いが、西洋とアフリカの大きな違いじゃないかな?と。

「脳」「概念」「過去と未来」という感覚の西洋と、「肉体」「共有」「今」という感覚のアフリカ(とヨーロッパの庶民)。

日本の太鼓も、「今」「今」という感じで、ドンドン!と思うのと、分割の感覚で1234に載せてドンドン!というのでは、全く違ったモノになる気がして!

今(身体)にフォーカスしてビートを感じると、リズムに疑問が起きない。(日本の太鼓を口真似するとき、そのタイミングに疑問はかんじない)
それを1、2、3、4、1、2、3、4、に当てはめようとした瞬間、なんか悪い意味の揺らぎが出る感じがする、、、

☆☆☆☆☆

という、リズムについての私の気づいたことでございましたー!

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今日はスゴイ生配信をご紹介

2020年07月04日 22時32分00秒 | 論文ネタ
こんばんはー!!

今日は、アルプス音楽団の生配信もありましたが、オンラインサロンのspin-off生配信もありまして、、、、


こちら、もしよかったら見てみてください。

私は音楽を「仕事」にしてますけど、その前に一体音楽って何だ?ってことを考えるきっかけになるかと思います。

音楽を「技術」にしてるのって、日本だけなのかなぁ、、、それともやっぱり西洋音楽はそういうモノなのかな、、、


それともそれとも、もっと高次元の何かはあるのだろうか?
生きること、人生、人間、歴史、、、そういうのと音楽って、どういう関係なんだろう。

いわゆる「音楽は生活に欠かせない」っていう感覚は、私の思う感覚と、世間が思う感覚、そして音楽教育を受けていない人たちの感覚、大昔の人の感覚、トップクラスの音楽家が思っている感覚、、、

それぞれいろいろある気がするし、全く別々の感覚でもあり、共通する部分もあるいはあるかもしれないし。

音楽が生活のすべてっていう、アフリカの人たちは、私たちが思っているような、「鑑賞用」の音楽ではない。

貴族が楽士に演奏させていた音楽、というものの価値観とも全く違う、、、


その辺、またサロンで深掘りしていくと思うけど、ちょっとだけ問題提起した感じで。。。


明日は4時過ぎに出発するから、もう寝まーす。

それではまたねー。
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大学でのレッスンについて考える(初心者ね)

2019年07月05日 02時11分00秒 | 論文ネタ
こんばんはー!!
 
「疲れたー」ってのはあまり言わない方がいい言葉らしいので、気をつけてはいるものの、今日は気がつくとちょいちょい言ってて、いやーん(笑)
 
 
ま、9時過ぎから7時までやってたんだから、そのくらい言ってもいいか?(笑)
 
 
 
ところで、
 
 
大学の、副科と言うほどではない、授業で履修して「体験してみる」というくらいのトランペットのレッスンの場合、
 
一応「吹ける」という感じになってほしいなと思うと、まあ少しずつでも練習してほしいよね、というのが正直なところ。
 
どうなのかなー??
 
そうは言っても、「副科」というほどでもないトランペットの練習を例えば毎日5分10分だとしてもだよ、これがやれるか?ってこと。
 
もちろん、「トランペットをやりたい!!」みたいな「トランペット」に対するこだわりがある人は練習しましょうよ!ってキッパリ思う。
 
だけど、まあ単位もらえれば&体験できれば、っていう程度の場合、実際、毎日とか練習しないんだろうな。。。
 
マウスピースは各自購入してもらうんだけど、楽器は大学にあるものをみんなでシェアして使う。普段は鍵のかかる部屋にしまわれてるから、鍵がゲットできない学生は楽器を手に入れること自体がちょっと手間がかかる。
 
それでも、本当に吹けるようになりたいなら、万難を排してやりましょう、です。
 
マウスピースだけでも、ちょいとずつ毎日やればさー。
 
 
なんでこんなことを書いてるかっていうと、
 
初回に軽く説明して、さー試しに吹いてみよう!!ってやった時は、案外いい感じで音が出たりする学生も、回を重ねるとなんだか伸びるどころか、だんだん下手くそになるという、、、
 
 
それが一体どうしたもんか、、、と思うわけなんですよぉ。
 
 
んー、、、、練習して何かしら自分で掴んでいくのが結局一番いいと思ってるんだけど、
 
まあ軽く宿題出して、次のレッスンってなった時に、まあやってないか、やったとしてもちょっとだけ吹いてみた、くらいだとすると、まあ吹けない。
 
でも、そこを何とかやって来たテイでやりたい、という欲が出ちゃうのか、焦って何とかしようとして、手っ取り早く音が出るような吹き方にしちまって、そこからパニクる、、、みたいなことがある気が大いにするわけなのね。
 
 
「やってないんだから仕方ない」といっそのこと諦めてやれれば良いんだけど、「あれ?おかしいな?」みたいな風にやっちゃうとそこで焦る。。。
 
 
「どうやればこの音出ますか?」
 
んー、、、やり方かー。まずラクに1つ音が出せるようにやってたら、ちょっとずつ隣の音が出せたりするんじゃないかい?と思っちまうんだけど、
 
1つの音がちゃんと出せない状態で、他の音の出し方っつーのね、、、
 
まあ、それを思っちゃうから、んー練習しておくれ、、、としか言えない自分がいるし、
 
さりとて説明したらしたで、「難しい」って言われる、、、
 
見本吹いてるから、見るとか盗む(技を)とかしたら良いんだけど、そういう習慣がないみたい。
 
 
で、、、さっき考えてみたんだけど、
 
 
そういう学生に関しては、逆にレッスンの時しか吹かないことを前提に、その時間に一緒に吹くだけ、、、にした方が案外いいのかも??
 
その方が、お互い欲張らないから良いのかなぁ?
 
あー、これ、「諦めた!」っていう気持ちで言ってるんじゃないのよ。最終的に、「あー、トランペット楽しかったー!!1年やってちょっと吹けるようになった!」って思えるために、どうするのがベストか?ってことなのよぉ。
 
はてさて??どう思いますかー??
 
今年度はこのまま行くけど、来年どうするかなー、、、ってちょっと考えようと思います。ご意見くださいー。
 
コメント (2)
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音楽の先生。教員養成のこととか。

2018年07月01日 20時53分36秒 | 論文ネタ
はい、というわけで本日2本目のブログはちょっぴり問題提起を。



昨日レッスンに行った学校で、レッスン後に音楽室をお借りしまして。


するってーと、琴なんか置いてありまして。


「わー、先生!お琴もやるんですね?!」

「そうなんですよー。私が教えてるんですよー。と言ってもさくらさくらくらいですけど。教えなきゃいけなくて、、、自分が習ったことないモノも教えなきゃならないから、大変ですよ!」

「わー、そうですよねぇ、、、」

「私は初任の学校に師範の免許持ってた先生がたまたまいたんで、ランチご馳走するからーって教えてもらえたんですけど。」

「そういう人がいなかったら大変ですねー」

「なんかお琴の方に怒られそうで。適当なこと教えてんじゃないよって。」

ってな会話をですねしたわけです。



でも、これってよーく考えるといろんな問題はらんでますよね?!



楽器って、そのものに「出会う」ってだけでももちろん価値はあると思うけど、「どう」出会うかも大事な気もします。


学校でやるのはあくまで入口だから、全然やったことない人が教えても良い、、、かもしれません。


でも、例えば自分の身近に置き換えて、、、それがトランペットだとして、


やったことない人が教えてたら、オイオイ!!と思う気もします。


さりとて、現状はといえば、吹奏楽部の顧問の先生なんだと、楽器の専門の先生じゃない先生も多いんじゃないかな?!

その人はどうよ?となって、専門じゃないとダメ!となれば、もう成り立ちませんよね。

課外活動は良いではないか?!


そうかもしれません。


授業で取り上げるもの、、、


こういうものについて、全然扱い知らないってのだったら、ほんと辛いでしょうし、習う方も信じてたのにあとから全然デタラメとかツライですよね。


こういうのって、研修ないのかなー??


昨日の先生の話っぷりだと、研修とかなさそうてすよね?地域によるのかなー??



んで、じゃあ全部ちゃんとできるように!ってなったらそりゃーそれでツライ。そんなにいろいろできんわい!!


音楽の先生になるにも、教員養成課程からくる人と、いわゆる音大出て教員免許を取る人とじゃー、これまた用意されてる講座なんかにも微妙に違いが。


広く浅く、「教えるための知識」などを身につけるか、狭く深く、「自分自身の技能」を高めるか。



どちらもいい面もあるし、足りない面もあるよね。


先生になるんだとして、

できたら大学では、薄っすらとでもいいから、いろんな楽器の専門家から扱いや奏法やその音色感なんかを習っておきたい。

弦、木管、金管、打楽器、和楽器、そしてリコーダーやなんかも。

音大で教員免許取って先生になる人は、これらを学んでくるシステム自体が足りないかもしれない。

ん?

もしかして今は和楽器とかも単位として必須??

それって、ちょっと上の世代の人だけの問題??


そこ、分からんけど、



でね、ほらほら、あの無駄とも思える、「教員免許の更新システム」。こういうやつの変化形で、授業で必要な技能なんかを短期間、大学の授業の聴講なんかで補充できたりなんかするとよくなーい??


現状も教員免許の更新には1単位6000円とか取られる訳じゃん?

そんな感じでちょいと有料でもいいから、知りたいことを知りたいときに!!っていうフレキシブルな環境があったら、先生のストレスも減るだろうし、習う方もありがたいし。

良くね??


何か、教育が良くなるような方法こそ、考えるべきだよね。

先生の質の低下→先生の質を良くするために→免許更新、、、って安直だよね。


習ってないようなことを、文科省の役人が思い付き(失礼!)でこれも良いねみたいな感じで無責任に入れちゃったり、やっと波に乗ってきたら、やめちゃったり、一貫性とか、何のためにかとかが決まってないからいかんのじゃよ。

給料安いし、労働時間長いし、余計な仕事多すぎるし。


そりゃー大変だよぉ。


親も口出ししまくるか、丸投げかどっちかの人が多いみたちだしね。



それば!!また!!ちょっとした問題提起をしてみましたー。
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トランペット吹けるよ!

2017年10月05日 01時30分21秒 | 論文ネタ
こんばんは!!一瞬落ちかけたけど、慌てて目覚めてブログを書いてる藤井です。

論文はとっくに提出したのですが、「論文ネタ」のカテゴリーは残して続けようかと思います。


で、本日は、、、、


楽器体験の話。


小学校での鑑賞教室のあと、楽器体験コーナーで子どもたちにいろいろな楽器を体験してもらってるのですが、


金管バンドなんかがある学校だと、いくらかの割合で、「トランペットパートの子」も体験しにきます。


トランペットの子なんだから、体験とかのレベルじゃないんだけど、もちろん吹きに来れば体験してもらいます。

そして全く吹いたことない子や、別の金管楽器の子もくるわけです。


そしたら普通は、トランペットやってる子が一番いい感じに吹けるはずですよね。


でも、今までの長い経験上、トランペットやってる子は音は出ますが、とてつもないアンブシュアで吹いてることが、めちゃめちゃ多いです。

他の楽器の子は始めはマウスピースの小ささに慣れないけど、ちょっと言うとあっという間にキレイなアンブシュアで吹く子が多い。

音域はもちろん狭めです。

初体験の子も、説明を聞いて真似できる子はすぐにキレイなアンブシュアでプーっと吹けたりします。



するってーと、なんか悲しい気分になります。

いや、キレイなアンブシュアで吹けてる子たちの方はめっちゃ嬉しい気持ちで見てます。でも、トランペットやってる子の多くが力が入り過ぎてたり、粘膜奏法チックだったり。。。

でもきっとそんなアンブシュアの方が、瞬間的には音が出やすいので、それで出ちゃうと、それで良しになっちゃう。
あるいは高い音出そうとして力が入って口の中のバランスが崩れる。舌の使い方がおかしくなる、、、、


そう言うパターンなのかなぁ。

これは、ホントよく起きることで、めっちゃ分かるけど、でもなんかなーって気持ちになりますねー。


考えさせられますわ。



眠くなってきちゃったので、本日はここまで。


今日もありがとうございましたー。また明日ー(*^ω^*)
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トランペットの指導についての覚え書き

2017年09月28日 00時33分43秒 | 論文ネタ
論文の締め切りはセマール

そして本日は中央高校のレッスンに行って参りました。


んで、そんなかんなな中でちょいと考えたことがあったもんで、覚え書きとして順不同、思い付くがままに書いておこうと思います。なので、読みにくいと思うけどお付き合いいただければ嬉しいです。


♪トランペットの初心者について

★アンブシュア
これは、きっと面倒なことはなくてもいいが、唇の赤いところがマウスピースからはみ出さないことが肝心。
で、これを教えるのに、自分はマウスピースをリガチャーみたいなイメージで唇を固定してくれるもの、という感じで習ってた(リガチャーとかそんなことは言われてないけど、後から考えると、そんなイメージかと)。
あとは、歯と歯の間はできるだけ開けること。アゴね。
この2つを言われてた。

人に教えるのに、マウスピースの当て方をいつもめっちゃうるさく言ってるんだけど、でも結局気がつくと唇の下の方にマウスピースが当たってしまってる子が多くて、これがなかなか直せない。

で先日、ずーっと言っても言っても直さなかった子が、突如アンブシュアを直したい!!と言ってきて、大変だけど覚悟ある?と聞いたら、やるっていうんでリムと唇の当たり方の位置関係と、上下の歯を開けること、そして息をキレイに流すように言ったら、一瞬でキレイなアンブシュアに。。。

息を入れても唇の内側の赤いところが出てこないように(口の両脇)は、常に注意。そこは耐えられるように。


マウスピースの中に唇を入れようとすると、アゴが閉まっちゃうんだな、、、きっと。

歯と歯の間はできるだけ開ける。これ大事だ。


なので、マウスピースと唇の位置関係と、アゴを注意する。


★音域
低いところから練習して力まないように、

という説と、

そもそも低い音で張力落ちたところをスタートにするから上の音がキツくなるんだから、ミドルのドから始めればいい、

という説がある。

今までどちらも試してみたけど、どっちから行ってもできる子はできるし、できない子はできない、、、いやその子に関してはどっちかしか試せないわけだから、向き不向きがあるのかもしれない。

いずれにせよ、「こうあるべき」論に振り回されることなく、その子にとってラクな音域からスタートするのがいい、と今は思う。

で、レッスンは場合によっては短時間に成果を求められる場合があり、例えば「本番に高い音があるのでなんとかしてください」的な。

何かほんの少しのきっかけで出来る状態まで来ていれば、ちょっとの指導で画期的に出来るようになることもあるけど、それ以前の問題の場合は、もっと手前の次元に戻らないといけないが、状況が許さなかったり、生徒自体がそれを望まない、受け入れない場合もあって難しい。

また、あっという間に音域増えると思って、同じところばかりやってると、嫌になっちゃうってこともあって、少し一気に音域増やそうとしてしまったりする。


がしかーし、


やはり、ほんの少し背伸びするってのと、無理をするってことの微妙な境目を見極める必要がある。

背伸びは大事。無理は禁物。やれるとこだけしかやらないのはダメだけど、無理なことをやると、奏法が崩れる。

でも、難しいのが、コンピュータみたいにこうしてこうやって…って正しくプログラムすれば、そうなるってんならいいけど、人間には心とか感情とか気質ってのがあって、淡々と練習出来る子もいれば、目標を見つけて進むことができる子もいるが、すぐに飽きる子もいるし、すぐにでたらめになる子もいる。


そこを飽きない、面白い、やりがいのある課題を、無理のない音域で与えていく必要がある。

ということは、

★音楽性と技術

ここを少々無理させていくのがいいかもしれない。

音に対するイメージ、音楽に対するイメージをたんまり持たせる。その上でアタックの精度、タンギング、スラーのクオリティなどで課題を与えていくのが良さそうだ。


★ハイトーン

高い音は常に魅力だけど、これこそイメージをたくさん持ってからがいい。
どんな音が出るはずだ!!このハイトーンの演奏カッコいい!!など、もう吹きたくて吹きたくてしょうがないところまで棚に上げておくのがいいかもしれない。

つい、そういう音のイメージより先に、必要に迫られて出さざるを得なくなっちゃって、そうすると
ハイトーンに義務感とか、失敗した場合の恐怖感とかがくっついてしまい、それが力みになって余計に難しくなる。




なので、



音域だけは、無理をさせずにせいぜいほんのちょいの背伸びくらいにして、音域以外のたくさんの技術的課題を練習していくうちに、耐久力や適度な筋力がついてくるだろうから、それに従って音域を増やしていくってのがいいんだろうな。出せる音域で吹ける曲なんかをたくさん練習させたり、フィンガリングの強化とか、ロングトーン(単音じゃなくて、音が変わるものも含む)とか息の安定とか。タンギングやスラーも。イメージとかね。




何より、教えるこっちが焦っちゃダメだな。

少しでも早く伸ばしたいって思ってしまうが、その焦りは後からまわり道をさせることになる。
急がなきゃいけないこともいっぱいあるけど、その待つ精神は植物育てるのと似てるかもな。

芽が出ると信じて待つ。
花が咲くと信じて水をやる。。。

急には芽は出ないし、花も咲かない。たまに急に芽が出る子もいる。けど、まだヒョロッヒョロの芽なんだから、大きな花が咲くまで、じっくり待たなきゃね。




以上、論文書きをキッカケにいろいろ考えられたことを書きましたー
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小学校のときの経験者(教員養成課程における金管楽器レッスン2)

2017年08月25日 01時02分22秒 | 論文ネタ
論文ネタの第2段!!

小学校のときにトランペットを吹いたことがある、という大学生の場合、、、

2つの場合が考えられるかなと。

その1) ホントにやってみたことがあるってレベル
その2)クラブなどでかなり熱心にやっていた場合


それで、

その2)の中には、

1.ちゃんとした指導を受けていた、あるいは偶然上手い奏法にたどり着けたという場合
2.とりあえずなんだか分からないが必死に曲を練習していた

という、2つがあるだろう。

小学生から、そのままずっとトランペットを続けて来たた人の場合、これはあくまで経験則だけど、楽器が身体の一部みたいになってて、すごく馴染んでる場合が多い気がする。

これが、中学・高校からとなると、体が勝手に、、、というよりはある程度理詰めで頑張って練習して来た感じがあり、楽器を操ってる感が強い(あくまで経験則)。

でも小学生のときだけ、となると上記のように分けられる。

上手く自分なりに正しい奏法に巡り会えた場合は良いのだが、小学生だから出来た、という吹き方もあるように思う。

多いのが、アパチュアがかなり開いているパターン。下手すると粘膜奏法になってるくらいの感じ。

あまり息をしっかり使わず、ペロペローっと吹く感じ。唇が柔らかいのでそれで結構出る。

真逆は、力ずくで吹く感じ。この場合は息が強すぎてアパチュアがキープできずに唇が開いてバランスが崩れる。

それでも子供のころは何とかやれてるんだけど、これが大学生くらいになると、力は子供のときより強いのだが、唇の柔軟性が前より落ちてるのと、呼吸筋も子供のときほど強靭じゃなくなってるのに、昔の「感覚」だけが残っているので、ものすごくオリャーッと力ばかり入ってしまって、全く上手くいかない。

実はこのパターンが一番苦労する気がする。

今さら、綺麗なアンブシュアで、いい息で…とか言っても、一度「音が出る」状態を知っている人は、それを一度手放してまで、いい奏法を身に付けたい、、、とは正直なかなか思えない。

そこで、脳と体が格闘。

ちゃんと覚えたい、、、
でも別にこれで音出るし、、、
つーかいい吹き方ってどうすればいいのさ??


こんな感じで葛藤…


ちゅーことは、、、、

小学生のときには、そこそこいい吹き方を身に付けられていればいいってことになる。

ちゅーことは!!!

教員養成課程の学生が金管楽器を習うのは非常に意味があるかも?!


書きながら知らないうちに気が遠くなってるので、コリャー寝るべきだ(≧∇≦)

明日は大宮の高島屋の上で本番ですよーん!
気絶しすぎなので、今日はこれにてー、おやすみなさい(*´ω`*)
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教員養成と金管楽器 その1

2017年08月16日 23時56分25秒 | 論文ネタ
実は、文科省の何やら基準が変わったらしく、大学の実技を担当する非常勤講師も、教員養成に必要な能力?研究?みたいな実績がないといけないってことになったらしく、過去10年以内に論文とか書いた実績が必要らしくて。

20数年前には2つくらい書いたんだけど(1個は修士論文だから、必要に迫られて。もう1個は吹奏楽学会に紀要にありがたくも載せてくださるってんで、書き直したもの)、それは10年以内じゃありませーん!!!ってことで、私も共著って形で一緒に書かせていただくってことで、どうかひとつ…。。。

ありがたいです。ハイ。単独じゃ大変なんで…ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3


で、共著なので、分量的にはあっという間にできる量何だけど、せっかく毎日ブログ書いてるんで、ここで練習がてらにときどき考えをまとめて行こうかなと!!!

なのでときどきお邪魔します。さりとて、本チャンに書くのとは全然違うタッチで、単に考えを出していくだけのために書くからどうぞお気軽に。




はいはい。


まずは、音楽科の教員養成課程の中で、金管楽器(私の担当はトランペット。もう1人 外山君がいて彼が残りの金管楽器を担当中)のレッスンというのが、どういう意味があると考えられるか。


列挙してみると…

1.「音楽」というくくりの中で、楽器のひとつとして体験する機会を持つ。
2. 将来「吹奏楽部」を担当することになった場合に備える。
→全く経験がないと、指導できるのか?という不安と戦うことになりかねない。
3. 自分の専門としてのトランペットの技術や音楽性を高める(トランペット専攻の学生の場合)
4. 自分の専門外の楽器にも触れることで、音楽的な感性を深める。



などかなぁ…

いくぶん被ってるような感じもあるから、今後さらに整理がいるな。


とりあえず、


a)経験者
b)未経験者


で、意味合いが違ってくると思う。
で、たった今は新潟大学で言うと、いわゆるゼロ免っていう、教育学部なんだけど、教員免許取らなくても卒業できる科があるのね。今年から募集してないから、今の2年生が卒業したら、ゼロ免のコースは終了。

そう、ゼロ免の子は教員にはならないから、トランペットの授業を履修してても、趣味ってこともあるから、目的がまた多種多様になるけど、一応論文的には「教員養成課程における」って前提だから、そこは置いとく。


楽器経験者にとっては、さらに深い技術や音楽性を…ってところだよね。経験者の中でも初級や中級の人なら、基礎の再確認みたいなところも大事かな。


で、そこまではきっとある意味、論文的にはさらに置いといてもいいのかなと。

するってーと、ポイントは未経験者だよね。


と言ったものの、

実際にここ数年レッスンしている実感としては、本当の初心者は結構それなりにすんなり吹けるようになったりするんだけど、実は「小学校でちょっとやってました」っていう学生の中に、全くどうしてもうまく行かない子が高確率で出てくる。何でなのかなぁ…。これが「中学で少し」だと、結構いけるの。
小学校でちょっと…は本当難しい。気の毒になるときもある。


んー、そうやって書いてみると、まさかここにひとつポイントは
があるのか??


よーし、ここからまた少し掘って行こうと思うよ!!

というわけで、みなさま、お付き合いありがとうございました!!

ごいけん、ご感想あれば、ブログが荒れないレベルで熱いコメントお待ちしてます。
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