今日はアンサンブルの練習でした!
最近、「合わせる」ということがだいぶ実感できて来て、やり方というか気持ちの合わせ方などがちょいと分かってきた気が!
そんな中で臨んだ今日の合わせ。
いっつもなかなか「合わない」チームなので、今日という今日は少し何とかしたい。
「合わせる」ということの意味がいまいちよく伝わらないんだな…。
音楽をやる上で「合わせる」と言うのは、相手の「奴隷になる」ということではない。
それに時間的に同時に出ていれば合っているか、と言えばそれも違う。
「30人31脚」という競技、あれと似てると思うんだよな~。
誰かをじっと見て、ひたすら同時に足を出そう、なんてやってたら、どうしてもちょっとずつ遅れが出てくるだろうし、それでヒッ絡まって転んじゃうかも。
走り始めるときの「せーの!」の気持ちを一つにして、そのあとは同じ波に乗っていく…
みんなで同じスピードでツーリングみたいな感じ。。。
スピードメーターをただ同じにするってんじゃなくて、坂やいい景色をみんなで眺めたり…そこで少々のスピードアップやダウンがあってもみんなで同じ旅をする…
誰かが急に曲乗りをしかけたりするかもしれない…そしたら、おっとそーきますか!!とこちらもノッテいく!
なんかそういうやりとりだと思うんだ…
でも、そういうとき全く周りを見ていない人がいたり、自分はずっと同じスピードでやってるんだから間違いない!という人がいたりすると、楽しいツーリングもちょっとつまらない。
引きずられて、「待ってー!!」となったり、「ここは早く行こうよぉー!」と言ってもみていない。
これじゃ合わない。
アンサンブルをするなら、やっぱりそういう駆け引きや一緒に吹く楽しさなどを伝えたい。
それに、どんなルートでどんな行程で行くかという作戦も欠かせない。
それが曲全体を作るときには必要になってくる。
行き当たりばったり、というのも曲によっては悪くない、むしろ曲によってはそれがスリルになったりしてよかったりすることもあると思う。
クラシックの場合は、一応、最後までの見通しは絶対必要。
「形式美」的なところがあるから、再現部がどこでどこが展開部などというのを把握して、前後関係を作る必要が大いにある。
まぁ、仮に行き当たりばったりだとしても、最後までメロディーのバトンがちゃーんと受け継がれ、みんなが一緒にツアーを無事に終えればひとまず何とかなるだろうっ!
という風に思う今日この頃なんだけど、
なぜか「合わせて」とか「先をよんで」というと、
「じーっと見ていて音を同時に出す」か「自分で決めて勝手に行っちゃう」になっちゃう。。。
それがよく説明できない。
えーっとそうじゃなくて…って思うんだけど、日本語で言ってもどんどん反対になっちゃうんだよな…。。。
言葉に「呪縛」されちゃう。
音楽のインスピレーションじゃなくて、「言葉」どおりにやろうとしてしまう。
あー、難しいなぁ…
まず自分にもっともっともっともっと包容力が必要だな…
どうあっても何でも包み込めるだけの力…
技術、音楽性、耐久力、音域…すべてにおいて。
よーし、頑張ろう…