さっき新潟に向かった気がしますが、あっという間に帰り道です。
今日はトランペットのレッスンのあと、一時間ほどピアノのレッスンを見学しました。
ロシアンメソッド
一体どういうメソッドなんだろう???
興味津々ですよー!
で、レッスンを見せてもらう前に他のピアノの先生に聞いたら、特にそういう「メソッド」があるわけではなく、ロシア人講師によるレッスンのことだよ、とのこと。
ということは日本人の先生ならジャパニーズメソッドですね?!なんていったりして、早速レッスンの見学に。
私にとっては大きく言って2つの興味のポイントがありました。
「ロシア」人講師の指導の仕方
一般的に自分以外の人がしているレッスンを客観的に知る
私にとっては、ロシア=ドクシツェル、シュレパコフ、ホロビッツ、ボリショイバレエ、プルシェンコ、ショスタコーヴィチ、チャイコフスキーにプロコフィエフ…カミサマがお住まいの国ですよ!
何を食べ、何を見て、どんな考えで、どんな人生で、どんな教育を受けてるのか…
行きたい国No.1です。
行きたすぎてキリル文字もちょびっとだけなら読めます。ちょびーっとだけね(≧∇≦)
というわけで「ロシア」というだけで行く価値アリです。
曲はチェルニーを見てもらっていました。まだ1年生でしたし、チェルニー自体はロシア人だからやらせているってわけではなく、たまたまその曲が出されたのでしょう。
あー、チェルニー…
あったなぁ。生徒さんの演奏を聞きつつ、正直、さらうとそうなるよねって感じが蘇って来ました。
嫌だったな~、チェルニー。ペダル使っちゃいけないって言うし。案外弾きにくい。そりゃー、練習曲だからそういうもんなんだろうな…
そんな記憶や感覚がさーっとよぎって行きました。
そして…
ロシア人(お名前が分からないからって大雑把な呼び方で失礼します!)
お若そうでTシャツ&ジーパンの青年でした。
そう!
結果から言うと、チェルニーを練習曲から解放しました。
これだって立派な音楽だ、と。
どうしてペダルを使っちゃいけないの?と逆に生徒に質問していました。
…そういうものだと思ってました…
そう!そういうものだ、そう習うんです。疑問の余地もない。
でも、先生は可能性があるなら、最大限に使うべきでしょ?って。
そしてpからfまでの幅広いダイナミクスレンジ、さまざまな音色やタッチ、レガートとマルカート、アクセントにスタッカート、スラーの表現、メロディと伴奏、和音の中の音量バランス、裏メロ、自分の感覚と実際のサウンドのズレ…
たくさんのことをさらりと要求しちょりました。
そして、丁寧に
どうして?
なぜ?
どう思う?
そして、ちょろりと弾いてみてくれるんだけど、おそらく今日のために練習してきたってことはないと思うんだけど、要点を押さえた、同じピアノとは思えない表情の豊かさ、ダイナミクスレンジ広さでさらりと。
そしてレッスンには通訳の先生も付きっ切りです。この環境、素晴らしすぎる!
で、
いくつか思ったことがありました。
日本人には「なぜ?」「どうして?」「どう思う?」ってのが少ない。
特にレッスンで、先生に「どうしてですか?」なんて聞いてくる子、なかなかいない。私は個人的にそういう考えに魅力を感じるので、極力答えたい。
でも生徒に「どうして?」と聞くとたいていは目をそらしたり固まったり。
おそらく、日本では、「どうして?」には暗黙に批難的な意味が隠されていたり、実際、この言葉で批難されてる子が多いからじゃないかなと。
どうしてできないの?!
何で分からないの?
どうしてそうするの?それじゃダメでしょ!いう通りにしなさい!
どう思うの?反省しなさい!
的な。
おそらくどう答えても、口ごたえと取られたり、的外れと言われたり。
だから答える時にちょっと身構える。ここはなんて答えるべきだ???って。正解を言わなきゃいけないって。
それに「はい」か「いいえ」で答えられる質問が多いし。
でもはたして音楽に正解なんてあるのか??
思ったことを言ったらいい。ま、相手によっては怒る人もいるかもだけど、それとて正しいかは分からないんだから。
それと、
チェルニーを音楽的に弾きこなすにはある程度の筋力も必要だということ。
譜面を読み取って音楽に変換する力と同時に、それを音にするためにはピアノという楽器を鳴らす瞬発力ってのか筋力てのか、とにかくそれが必要。
そして
日本人はマニュアルが好きだ。
自分の感覚じゃない、ちゃんとそうするようにって決まってるんだから、正しいに違いない…て感じかな。
正しいかどうかが大事と思ってる…と言い換えてもいいかもしれんね。
これでいいのかが気になる。
だから、チェルニーは楽しんじゃいけないって感じだったのかな。
もっと楽しんで、とロシア人先生が言っていた。
正直、生徒は言われたことの半分もわかってないんじゃないかな。
きっとあとで混乱するかもしれない。
自分が高校生だとしたらきっとさっぱり分からなかったろう。
今は結構分かる。
人って、自分の中に「ある観点」とか「そういう考えについて」の何かしらの取っ掛かりがないものは、全くチンプンカンプンなものだ。
言葉の意味は分かっても、中身についての共通理解ができないのだ。
例えば、海鞘やナマコを食べたことがない人とその味の感覚を共有するのはかなり難しい。
レモンなら多くの人が、あー!あれね!と分かる。
音楽についてもやっぱりそういうところがある。
聴けば分かると言っても、深い部分ではやはりある程度の引っかかり(経験や体験や知識)が必要なんだ。
ここをクリアして行くことも音楽の大切な要素だと思うし、たくさん持っていることで感じ取れる量も質も変わってくる。
でもそれとても、そういう観点がないと理解できない。練習さえやれば、マニュアル通りにやれば、と思っちゃう。
だから結構「やり方」を聞いてくる子が多い。
あたしゃ、考え方の方が大事と思うけどね。考え方が分かれば、自分でいろいろやってみれるじゃん!
というわけで、いろいろ勉強になりましたー*\(^o^)/*
みなさん機会があったら、ロシアンメソッド(に限らず)、聞いてみて下さいねー!
今日はトランペットのレッスンのあと、一時間ほどピアノのレッスンを見学しました。
ロシアンメソッド
一体どういうメソッドなんだろう???
興味津々ですよー!
で、レッスンを見せてもらう前に他のピアノの先生に聞いたら、特にそういう「メソッド」があるわけではなく、ロシア人講師によるレッスンのことだよ、とのこと。
ということは日本人の先生ならジャパニーズメソッドですね?!なんていったりして、早速レッスンの見学に。
私にとっては大きく言って2つの興味のポイントがありました。
「ロシア」人講師の指導の仕方
一般的に自分以外の人がしているレッスンを客観的に知る
私にとっては、ロシア=ドクシツェル、シュレパコフ、ホロビッツ、ボリショイバレエ、プルシェンコ、ショスタコーヴィチ、チャイコフスキーにプロコフィエフ…カミサマがお住まいの国ですよ!
何を食べ、何を見て、どんな考えで、どんな人生で、どんな教育を受けてるのか…
行きたい国No.1です。
行きたすぎてキリル文字もちょびっとだけなら読めます。ちょびーっとだけね(≧∇≦)
というわけで「ロシア」というだけで行く価値アリです。
曲はチェルニーを見てもらっていました。まだ1年生でしたし、チェルニー自体はロシア人だからやらせているってわけではなく、たまたまその曲が出されたのでしょう。
あー、チェルニー…
あったなぁ。生徒さんの演奏を聞きつつ、正直、さらうとそうなるよねって感じが蘇って来ました。
嫌だったな~、チェルニー。ペダル使っちゃいけないって言うし。案外弾きにくい。そりゃー、練習曲だからそういうもんなんだろうな…
そんな記憶や感覚がさーっとよぎって行きました。
そして…
ロシア人(お名前が分からないからって大雑把な呼び方で失礼します!)
お若そうでTシャツ&ジーパンの青年でした。
そう!
結果から言うと、チェルニーを練習曲から解放しました。
これだって立派な音楽だ、と。
どうしてペダルを使っちゃいけないの?と逆に生徒に質問していました。
…そういうものだと思ってました…
そう!そういうものだ、そう習うんです。疑問の余地もない。
でも、先生は可能性があるなら、最大限に使うべきでしょ?って。
そしてpからfまでの幅広いダイナミクスレンジ、さまざまな音色やタッチ、レガートとマルカート、アクセントにスタッカート、スラーの表現、メロディと伴奏、和音の中の音量バランス、裏メロ、自分の感覚と実際のサウンドのズレ…
たくさんのことをさらりと要求しちょりました。
そして、丁寧に
どうして?
なぜ?
どう思う?
そして、ちょろりと弾いてみてくれるんだけど、おそらく今日のために練習してきたってことはないと思うんだけど、要点を押さえた、同じピアノとは思えない表情の豊かさ、ダイナミクスレンジ広さでさらりと。
そしてレッスンには通訳の先生も付きっ切りです。この環境、素晴らしすぎる!
で、
いくつか思ったことがありました。
日本人には「なぜ?」「どうして?」「どう思う?」ってのが少ない。
特にレッスンで、先生に「どうしてですか?」なんて聞いてくる子、なかなかいない。私は個人的にそういう考えに魅力を感じるので、極力答えたい。
でも生徒に「どうして?」と聞くとたいていは目をそらしたり固まったり。
おそらく、日本では、「どうして?」には暗黙に批難的な意味が隠されていたり、実際、この言葉で批難されてる子が多いからじゃないかなと。
どうしてできないの?!
何で分からないの?
どうしてそうするの?それじゃダメでしょ!いう通りにしなさい!
どう思うの?反省しなさい!
的な。
おそらくどう答えても、口ごたえと取られたり、的外れと言われたり。
だから答える時にちょっと身構える。ここはなんて答えるべきだ???って。正解を言わなきゃいけないって。
それに「はい」か「いいえ」で答えられる質問が多いし。
でもはたして音楽に正解なんてあるのか??
思ったことを言ったらいい。ま、相手によっては怒る人もいるかもだけど、それとて正しいかは分からないんだから。
それと、
チェルニーを音楽的に弾きこなすにはある程度の筋力も必要だということ。
譜面を読み取って音楽に変換する力と同時に、それを音にするためにはピアノという楽器を鳴らす瞬発力ってのか筋力てのか、とにかくそれが必要。
そして
日本人はマニュアルが好きだ。
自分の感覚じゃない、ちゃんとそうするようにって決まってるんだから、正しいに違いない…て感じかな。
正しいかどうかが大事と思ってる…と言い換えてもいいかもしれんね。
これでいいのかが気になる。
だから、チェルニーは楽しんじゃいけないって感じだったのかな。
もっと楽しんで、とロシア人先生が言っていた。
正直、生徒は言われたことの半分もわかってないんじゃないかな。
きっとあとで混乱するかもしれない。
自分が高校生だとしたらきっとさっぱり分からなかったろう。
今は結構分かる。
人って、自分の中に「ある観点」とか「そういう考えについて」の何かしらの取っ掛かりがないものは、全くチンプンカンプンなものだ。
言葉の意味は分かっても、中身についての共通理解ができないのだ。
例えば、海鞘やナマコを食べたことがない人とその味の感覚を共有するのはかなり難しい。
レモンなら多くの人が、あー!あれね!と分かる。
音楽についてもやっぱりそういうところがある。
聴けば分かると言っても、深い部分ではやはりある程度の引っかかり(経験や体験や知識)が必要なんだ。
ここをクリアして行くことも音楽の大切な要素だと思うし、たくさん持っていることで感じ取れる量も質も変わってくる。
でもそれとても、そういう観点がないと理解できない。練習さえやれば、マニュアル通りにやれば、と思っちゃう。
だから結構「やり方」を聞いてくる子が多い。
あたしゃ、考え方の方が大事と思うけどね。考え方が分かれば、自分でいろいろやってみれるじゃん!
というわけで、いろいろ勉強になりましたー*\(^o^)/*
みなさん機会があったら、ロシアンメソッド(に限らず)、聞いてみて下さいねー!