ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

ため息くらいで、、、

2018年03月17日 23時25分54秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー。

今日は午前はレッスンをして、本当は午後もあったんですけど、生徒が数日前から体調が悪いってんで、お休みだったので、リハの前に「パスタの森」で美味しいお昼を頂きましたよー。


その後は、秋葉区文化会館でリハーサルね。


ところで、


はいはい。ため息くらいって話ですけど、これの最初はコウタローさんという、なんて説明したらいいのかわからないけど、歌や声を通して人生をこうね、輝かせましょうっていうか、、、んー、、説明できませんが、とにかく脱力からの発声って言うときに、そもそも力んでる人はため息くらいの脱力から、、、っていう練習方法を教えてくれてまして、それね!!


で、ついついため息なんて、そんなんでいいのー??と思っちゃいますけど、これがびっくり。この辺の暖簾とかびゅわーんとできますよ。ガチのため息くらいなのに。

でも、そこに重点置くと、そもそもの主旨と変わってきちゃうと思うんですが、脱力と思ってやってることが結果的にとてもパワフルっていう感じです。


で、最近はそのことは少し自分の頭の中的には隅に行ってたんですけど、


フィリップ・スミスのマスタークラスを聞いてましてね、

やっぱり大きなため息みたいなのをいつでもどこでもやってたと。


ほほー。

するってーと、実はサンドバルも息のリラックスって言ってたし、ヴィズッティも息をビューンと出してー、、、それだけ的な。

もちろんそれだけの訳はない!!

ないけど、でもそこが大前提、大事な根底!!ってことだなと。


というわけで、息が大事なことにプラスして、ため息レベルの脱力も加えて行こうという。。。


するってーと、ため息の感じですらできてないなぁ、、、という部分も山盛りだし、逆にため息的にやれたら、かなりいいポイントでスッキリ吹けたり。

まあ、ひとつに「ため息」の前の「ため」の部分、ここで息を入れられること、と同時に力で入れるんじゃなくて、脱力して身体を伸び伸び使えることっての、これがとても大事だなと。

そして、ファットでソフトでリッチな音をね、目指したいなと。


そこにしばらく注力しようと思いますよん。頑張るちん!!
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3月16日(金)のつぶやき

2018年03月17日 06時05分23秒 | Weblog
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他人をかまってる時間はない、、、よね?!

2018年03月17日 00時07分17秒 | 雑感
こんばんはー!!

今日は旦那と交代で運転しながら新潟にやって来ました。
お互い運転してないときは、激しい睡魔に襲われて(意識が)宇宙へ旅立つというね。

そんな中でも、なんでしょう?車の中ってのは、いろんな考えとか人生のまとめみたいなのが降ってくるんですなー。
もしかしたら、半分意識不明なんでしょうか??そこになにか降りてくるのかな??

まあ原理は分からないけど、、、そうなんですよ。


それで、今日のタイトル、「他人にかまってる時間はない」ってのね、「私が」じゃなくて、まあどちらかというと「私に」だな。

というのは、

何か「素晴らしい、レッスンしてくれて、私のいろんなこと直してくれるような先生いないかなー」とか、「カラダのメンテナンスしてくれるようなトレーナーいないかなー?」とか、いろいろ思うわけですよ。

あるいは、自分の数々ある悪いところとか、もっとこうしたらいいとかね、そういうことを親身になって教え諭してくれるような先生いないかなー?!」とかね。


で、

ふと、、、


考えてみたら、自分ひとり生きて行くのも大変なわけですよ。そんな時にね、もうひとり別の人間の人生も背負ってあげようなんて人はさー、普通いないでしょうよ?!って。


そういうことをしてくれる人、そういう無償の愛をくれる人ってのは、多くが親ですよね。

そう思うと、私の周りで「親」業をやってる人たちが、本当に偉大に感じます。もちろん自分の親もね。

私なんか、自分ひとりの人生ですら、はーもーぉ、、、お手上げだよ、と言いたいくらいなのに、その上、まだまだ子どものことも面倒見るんだからね。すごい労力。そしてそれこそ愛情だよね。


そしてその次には、「恩師」と呼ばれるような、いやこの場合は恩師と「呼ぶような」かな?とにかく恩師と呼ばれるような先生。


先を見据えて、その子の将来を考えて教え諭す。

ただ何かを教えてくれるってだけじや、まあ普通に「先生」だよね。それだってありがたいけど、それだけじゃなく、生徒のためにと何かしら一生懸命に大事なことを教えてくれた人じゃないと「恩師」とは呼ばない気がする。


そんな人も本当に素晴らしい。


そういう人に出会えることは本当に宝だ。


でも、だんだん自分の年齢が上がってくると、自分自身も素直じゃなくなるのもあるし、自分より年上の人が物理的に減るのもあるし、、、なかなか出会うのが難しくなるよね。
まあ、本当の問題は「素直さ」が減るせいかもしれない。


でも、そうそう!もう一度話を戻すと、人のために本気で掛かって来てくれるってのをただただ望んでも、みんな生きるのに必死なのさ。そんな人にかまっちゃいられないだよ。

だからこそ、それなら本気で構いたくなるような人間に自分がならない限り、そんなの望めないってことかな?!


いや、ここ難しい。

そんなふうなギブアンドテイクみたいなことを思っちゃー、ダメなんだよね!!って場合もあるからね。

因果応報とかギブアンドテイクとかなんかそういうのが人を縛ってダメにする場合もあるから、、、


んー、でもとにかく、みんなそれぞれの人生がある。

だから、自分(他人としての自分)のために何かやってくれたら、それはめっちゃ大事な時間を人のために割いてくれたってことだから、それだけでも感謝しなきゃなんないなってね。


最近気がついたことがあるのよ。

私は、人はその人のキャパシティ以上には他人のためにやらないと思ってた。だから、何かやってくれる場合にも私なんかにやってくれることなんだから、(私にとっては途轍もなく大変なことだけど)この人にとっては大したことじゃないんだろうなって。


でも、どうやら違うみたいだ。

世の中には自分にとって大変でも他人が喜ぶと思ったらやってくれる人がいる。いや、大変と思わずにやってくれてるかもしれない。とにかくそういう素晴らしい人がいる。


そういう人は羨ましい。

そういうことができる人は、一見損をしているように見えるかもしれないけれど、人生の幸福度は明らかに高いと思う。

人に感謝されるし、笑顔を向けてもらえる人だ。


それと同時に、人間は自分が生きるだけでも大変なのだ。人になんとかしてもらおう、助けてもらおうなんてのは、甘いんだ。

でーもーでもー!!!

ひとりで抱えてもダメなのだー!!どこかで人に頼ることも必要なのだよぉー。

頼られることで、逆に頼ることができるってこともあるから、相手に「頼っていいよ」というユトリをプレゼントすることになるからね。


なーんて、人生は一筋縄では行きませんな。

まー、そんなひと通りしかパターンなけりゃー、みーんな同じ人生になっちゃうね(^^)


ま、自分の人生は自分で頑張るものであり、同時に自分だけの人生でもないから、みんなと分かち合ったりする幸せもあるってわけで、、、、


はい、物凄く入れ子構造的な文章になっちまいました。静かに寝ることにします。


それじゃー、また明日ー!!おやすみなさーい!!
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