こんばんはー!!
いや~、夜になったらめっちゃ涼しいです。こりゃー過ごしやすい💖
さてさて、本日のテーマでございます。
やってみるのと想像するのの違い。
ついつい今の子は情報をいっぱい持ってるし、大人が効率を求めるし、
「こんなのやって、意味あるの?」みたいな「意味」とかそんなのを「想像」で決めちまいがち。
オトナの方も、すっかり頭でっかちになってて、「こんなのやらなくたって分かってらー。たいていこんなもんだろーよ」と高を括って、もう分かった気になっちまうことが多い。
それとはまた別の話だけど、
同じ「やらなきゃいけない」ってことがあったときに、
「なんでこんなことやらなきゃいけないのさー?」と渋々であったり、イヤイヤであったり、とにかく「気が乗らない」状態でやっちまうこともとっても多いですよね。
それならやらなきゃいいんだけど、「周りの目」ってヤツを気にして、「やるべきだ」って言う何か無言の圧力に屈して「やむを得ず」やってるみたいな感じ、、、
これ、仕事自体までそんな意識でやってる人も案外いるような気もする。。。
この3つの話を全部同じまな板に載せて良いのか、、、今ちょっと分からずに書き始めてるんだけど、なんだろー、、、ワタシの中では同じ価値観が根底にあるんじゃないかなーって気持ちになっておりますですよー。
この世界(いわゆる物質世界みたいな意味でね)ってのはさー、「体験型アトラクション」みたいなもんなんだろうなーと。
例えば、ジェットコースターとかは乗らなくても、ほんのり想像もできるだろうし、あれって乗って意味あるの?と言えば、ないかもしれないんだけど、
やっぱり乗ってみると、さまざまな「体感」が得られるでしょー??
登っていくときのソワソワドキドキ感とか、下りに転じる瞬間のフリーホール感とか、風とか重力のかかり方とか、、、横Gがかかってウォーって振られる感じとかね!!
1回やったことがあれば、脳内で再現が可能だったりするから、映像みただけで、それを「追体験」することができると思うけど、同じ映像を見たとしても一回も乗ったことない人が同じところまで体感できるか、、、と言えば、全然違う気もする!!
メソッドのあるレッスンとかでね、子どもにやらせてみるモノってのを、私も一緒になってやってみるんだけど、
そうすると、いやいやこんな感じでしょー???と想像してたのとは全く違う体感だったりして、「えー!!!マジでー??」とホントびっくりすることもよくある。
今日ビックリしたのはねー、直径2.5センチのボタンに紐を付けて、口に入れて引っ張るってやつね。
もっと小さいボタンではやってみたことあったんだけど、今日はちゃんとしたサイズでやってみたんだけど、自分の歯並びとか唇の感覚とか、そういうのがもうビックリするくらい想像と違ってて、しかもそれをやったあとの唇の感覚というのがまた全然違うモノになったりして、
ヒャー!!やってみるのは全く違うなーと思いましたよー。
あー、この前「管楽器プレスクール」で調子に乗って、サクソネットって言う、クラリネットの子どもの入門用楽器みたいなのを吹かせてもらったんだけど、
これも見てるのとやってるのじゃー、まったく違う感覚ねー。
想像ならついてたし、もっと言えばクラリネットなら吹いたことあったわけだけど、
いろいろ知ってからやってみるとまたまた感覚が違ったりして、いやーやってみるって凄い差だななんてビックリしたもんだ!!
他にももっとちょっとしたどうでも良いようなことでも、想像だったら「こっちをこうして、あっちをこうすれば、、、」なんてチョチョイのチョイって思えることも、実際にじゃあやってみよう!ってなったら、まったくチョチョイのチョイじゃないよー、、、あっちをこうするとこっちがこうなっちゃって、こっちをこうしようとするとあっちと向こうがー!!!、、、みたいなもう千手観音みたいじゃなきゃ無理―!!ってなったり、いかに自分の神経が行き届いてないか分かったり、これまたビックリしゃっくりなわけよねー。
そんなもんだから、ワタシとしてはレッスンでもそうだし、それ以外のときでも、できるだけ子どものチャレンジを奪わないように、できるだけ「実際にやってみる」ように、ってのを心がけている。。。
これ、地味に待つ時間が必要だったり、考える余地を奪わない、最小限の上手い声かけが必要だったり、密かにオトナの方が試されるヤツw
レッスンについてくるお母さんとか、ちょっとした周りの大人を見てると、やっぱり自分ちの子がまごまごしてるのが耐えられないってこともあるだろうし、やってあげるのが優しさと勘違いしてる場合と、さらには場合によっては若干子どもを無意識にマウントして「子どもよりできる自分」ってところに優越感を感じてるって場合もあるんだけど、
「ほら、こうやればいいのよ!」とか「何やってるのー、こうでしょー?!」と手と口を同時に出してしまうケースが多いかなー。
フジイ、たまに「簡単に手伝わない!!」とたしなめちゃう💦
だってね、大人が子供の「体験する」というめっちゃ楽しい・大切な機会を奪ってしまうことになるから。
そうやって機会を奪ったり、「どうしてできないの!!」みたいに言っちゃえばそれは「劣等感」を植え付けることにもつながりかねないし、「どうせやっても無駄」という生きていくのにとっても大切な「好奇心」ってのを奪ってしまう可能性もあるからねー。
本当は子どもって「僕もやる!!」「ワタシもやりたい!!」「できるよ!!!」って感じで、みんな「やりたいやりたい星人」だったと思うんだけど、
それが「やって何か意味がある?」みたいなメンタルになってるとしたら、どこかでめっちゃ削がれちまって、その蓄積が今の状態、、、ってこともあるから、要注意だ。
失敗しそうとか、想像つく(と思い込んでる)こととか、
何かしらちょっと合理的に見える理由を素早く見つけて、「やらない」を選択しちゃう。
同じようにオトナもまた、「そんなことするなんて大人げない」みたいな気持ちがどこかにあるのか、それともやっぱり「上手く行かない」ことに対する恐れなのか、「やっても意味がない」と思い込んでいるのか、
「やってみる」ってことに対する心理的ハードルが高い人が多いよーに思う。
ホントに大変そうでヤバそうなモノを回避するってのは分かるんだけど、もっと子どもじみてて、簡単そうなことのときに、「実際にやってみたらどうなんだろうか?!」という「試してみよう!」という気持ち、、、、
それが「大人げない」という世間の目を自分の中に勝手に置いて、「私はそんな大人げないことはしません」っていうスタンスになっちゃいやすい。
やってみたら結構思ってるのと違うんだよー。
やるのとやらないのって、結構違うんだよー!!
で、最後の「やるならどんなメンタルでやるか」ってところなんだけど、
今ってやっぱり「良い人と思われたい」とか、自分の考えをちゃんと言えなくてずるずると、、、みたいな人、きっと多いと思うんだよねー。
何かを引き受けときに、
「何だよー、、、めんどくさいな、、、貧乏くじだ」みたいな気持ちがありながらも仕方なくやるってのと、
「よーし、どうやったら良くなるかなー?どうしたら面白くなるかなー?」と、出来上がりのこと、その引き受けたモノ自体にフォーカスしてやるかってので、
まったく違う結果になると思うんだよねー。
いや、結果的に同じモノが出来たとしても、何ちゅーか波動って言うのか、輝きって言うのか、、、清々しさつーのか、なんて言うのが良いか分からないけど、
三方ヨシ(四方ヨシならなお良い💖)って観点から見たら、まったく違ってくるよねーっての。
損得とか、無駄とか、やるべき、とか、、、そういう観点で見てしまうと、
「やること」に意味がなかったり、めんどくさかったり、損だな…と思いながらもイヤイヤながらにやるってことになっちゃうから、どうしてもちょっと文句のひとつも言いたいし、感謝もされなけりゃーちょっと腹も立つし、それでいて「良いモノ」が出来るかって言ったら、そんな気分でやってりゃー良いモノも出来ませんでしょー?
ギリギリセーフみたいなクオリティーにとどまるのが関の山ってモンじゃないか?
でも、どうせやるなら、
相手も喜んで、自分も楽しくて、世間もハッピーになって、(神さまも喜ぶ)という、そういうモノにするにゃーどうするよー??って思ってやればさ、ちょっとくらい上手く行かないところがあったとしたって、イヤイヤやったのに比べれば、ずーっと有意義な時間になるし、結果だって人間関係だって良い方に向かいそうじゃないかー???
できるだけそういう風に「やってみること」そのモノに意識を向けて、自分も含めたみんながハッピーになれば良いな!!と思うようにしてる、、、
とは言え、、、結構それが出来なくて、往生際悪く「えー、なんで私なのさー!!」みたいに無意識にいっちまってることもあって、あとから「どうせやるって決めたのに、どうして素直に『分かった!!頑張る!!』と言えないんだ?」と反省する。
これねー、ダメだったときのことを先に想像して、チャレンジするのを怖がってたり、「自分がやりたくてやったんじゃないからね」という、ちょっとした「excuse」(言い訳)なんだなーっと、あとで自分の心を分析すると分かったりする。
なんだなんだーwちっぽけだなーwwと、気づいて笑える。
もっと「分かった、任せて!!」と言える人の方が100倍カッコいいってのにねw
どうせやるんだから。
やらない・やりたくないなら、これまた勇気をもって「断る」ってのが良いわけだよ。そーでしょー?!
書いてみて、結果としてこの3つの話が同じ根っこだったか、結局分からんけれどもね、
やっぱりさ、体験型アトラクションである「この世」にいるからには、
「体験」してみるのがきっと幸せで楽しいことだし、
同時に「アトラクション」である、、、ってとこよ。娯楽なんだよね、生きてるってのはさ。例えそれがめっちゃ過酷に見えたとしても、それは「波乱万丈」とか「痛快アドベンチャー」みたいなモンで、客観的にとかあとからとか考えてみたら、波乱万丈な方が面白そうだったりもするわけだから、どう受け止めるかの問題なんだろうなー。
平穏無事も最高だけど、「アトラクション」だとしたら、なーんもイベントがない、ただスーッと走るだけ、、、っていうライドだと、はたして楽しいか??ってのと一緒なんだろうなー。
(もしスーッとしたアトラクションに乗ってるなら、一周回って、その何もない状態を「楽しむ」「楽しく考える」っていう力が問われるよね!!
「どんなことでもー楽しくしちゃーう~♪」って言う、お化けのQ太郎の主題歌みたいなモンだw)
どうやって面白おかしく生きるかって考えたら、「やらなくても分かる」とか想像で決めちゃうとか、そういうケチなこと言ってないで、是非とも体感してみて、そしてなんでもやるモノは面白くしちゃうっ!!ってのがきっと良いんだなーとねッ!!!
おっと、めっちゃ眠くなって来たぞー。寝まーす。
今日もありがとさーん!!
明日で、このお家に引っ越してきて1年ですわー。去年の今日は江古田を引き上げて、荷物を引っ越し業者さんに預けて、ウチにやって来たんだったわー。感慨深い💖
おっとっと、よーしまた明日ねー、おやすみなさーい!!
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