こんばんはー!!
カップ酒をかっ食らって、ちょっと気持ちよく寝ました(笑)
で、復活!
最近定宿にしてるところに今日もお泊りしております。
はてさて、
昨日に引き続き、子どもの話ですけど、
何というか、ホントに完全にオトナのせいだと思うんだけど、
アタマでっかちになっちゃってるというか、
「これをやることの意味」みたいなのを先に考えて、行動しないというか、
子どもがこれから長い人生を生きていくときに、
幸せになってほしい、、、というのはどの親にとっても共通だと思うんだけど、
その「幸せ」ってのが、
点数が取れるだとか、
勉強ができるだとか、
いい学校に行っただとか、
そういうことによって得られるんだ!!勉強さえすれば、幸せになれるんだ!!と思ってる・・・
んー、、、思ってるというか、もっと言えば、「そういうことにしてそれ以上考えないで済むようにしてる」っていうのか、
思考停止ってやつですよね。。。
アタマでっかちだけど、思考停止ってwww
なんとも不思議なことだけど、
もう「勉強」っていうワードでしか、人生を見ていないというか、
もちろん「勉強」は大事なんだけど、ここで言ってる勉強ってのが、一生続く「学び」みたいな意味ならきっといいんだろうけど、「正解」が決まっている「問題」を解く、、、ってだけなら、そんなのは「学び」ではないって思うよなー。
正解があるモノなんてのは、もうすでに誰かが解いたものなわけでさ、、、
世の中に出たら、正解なんてないモノの方がほとんどだし。
問題解決能力、、、みたいなのはきっと大事よね。でもそこが「思考停止」のように思う。
もう1段、2段深いところまでは考えない、、、
オトナが考えるのがめんどくさくて、この子にとって何が大切かとか、人間にとって大切なこととか、そういう本当はもっと深くよく見なきゃいけないところを、「勉強しなさい」だけで切り抜けてきたことのしわ寄せってのかねー、、、
今日、子どもと話しててなるほど、、、そう考えるのかい?と思ったのは、
「プロにならない人にとって、トランペットを練習するって無駄じゃない???」
って言うわけさ。
無駄かー、、、それは30年後に分かるんじゃないかい?今は分からんと思うよ。
なんか、アタマだけで損得を考えるってのは、
山が目の前にあるけど、それを少しでも登ってみますか、ただ見るだけですか?って話だと思うんだよね。
山を見てるんだから、山のすべてはもう分かってる。だったら苦労して、汚れるかもしれない、疲れるかもしれない山に分け入るなんて、「無駄」って思うか、
山がそこにあるから、少し入ってみよう!と一歩足を踏み入れるか、、、
で、それは本当にちょっぴりの違いなんだけど、物凄い違いなんだよね。
見てるだけの山と、
そこに入ってみたときの山、
これはさー、まったく別モノだよ。
海にしたって同じだと思うわ。
目の前にあるから、見えてるから、すべてもう分かってる、、、って思うか、
ちょっと手を浸してみたり、ちょっぴり舐めてみたり、足を浸けてみたり、泳いだり、舟で漕ぎだしたり、、、
それはそれは全然違うと思う。
でも、それは「やってみた人」にしか分からない。
実際に体験してみて、それから何十年も経ってみて、その経験が自分の人生にとってどうだったか、、、ってのが初めて分かるんじゃないかな???
その時は無駄に思えても、その体験があとまで何かのトリガーとして働いて、凄く実は有意義かもしれないし、
一見めっちゃ価値ありそうだったとしても、あとで考えたら大したことじゃなかったりすることもあるかもしれない。
でも、それは「やってみた人」が人生を過ごしてみて、その上で初めて分かることであってさ、
やってみる前に、「分かった気になって」価値判断して、無駄でしょ?なんて言うは、分かってない人のやることだよね。
勉強だって、やって無駄ってことはないだろうけど、
勉強「さえ」してればいいか、勉強だけが唯一の大切なことか?って言ったら、それは人間の価値のほんの一部でしかなくて、いやもっと言えば、人間の価値ですらないかもしれない、、、って話だと思うよ。
誰かのお母さんだとして、
その人がかけがえのない人なのは、高校の成績が良かったから・・・なんてことあります???
そりゃ、マウント取ってくるお母さんの中には「お母さんは高校生のころ、めっちゃ勉強できたよ。あんたは?」なんて言う人はいるだろうけど、それって単にもう比べようのない過去と子どもを比べて脅迫してるだけで、まったくお母さんとしての価値なんかじゃないでしょ??
「あ~、お母さんも高校の頃、めっちゃ勉強したなー。これが分かってとっても面白かったわ。試験勉強で徹夜して、きつかったわ~。これは全然分からなくてー・・・」
そういう「体験」を子どもと共有できる、っていう意味で言ったら、めっちゃ無駄じゃないというかさ、大事なことだと思うんだよね。
だから、なにかやってること自体に価値があるとかないとかがあるわけじゃない。
トランペットを毎日練習した人にしか分からない世界ってのもある。
そうすることによって、見える世界ってのもあるし、世界の見え方も違ってくるってのもあると思う。
別に何でも良いんだけど、
すぐに「損得」とか、成果に直結するだけが、人生にとって価値のあるモノではない。
友だちとの時間とか、
映画を見るとか、
海で泳ぐとか、
全部大事。
まだいろんな体験も人生の知識もない人間が、自分のフィルターで「これは無駄」とか決めたとしても、そんなレベルのフィルターで撥ねちゃうなんて、モッタイナイよ。
これは好き!とか、これ楽しい!!とかはさ、自分のフィルターが未熟だろうと、何だろうと構わないけど、「価値」を決めるのはまだ先で良い。
山見ただけで、山を知ったと思って語るなかれ、その価値を決めるなかれ。
やってみな、登ってみな、あちこち見てごらん。
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