「好きなB級グルメ」といえば、子どもの頃五円硬貨を握りしめて買いに行った駄菓子屋で焼かれる「お好み焼き」だ。
物心ついてから各地でいただくそれは、私の味覚の中で(それは違う)という心の叫びが聴こえる。
お好み焼きは広島風が主流となって以来、厚手の生地にざっくり切られたキャベツや焼きそばまで参加する、米国発「ハンバーガー」に対抗するようなレシピが当たり前になった。
それはもはや「B級」ではなく、戦後の貧しい時代に育ったジェネレーションにとっては「高級」の部類にしか思えないのだ。
郷里は、空っ風の吹く平野にあって、収穫時期には木材と竹で組まれた矢倉に大量の大根が干され、それが風物詩だった。
そう、鮮烈な黄色に着色された「沢庵漬」を作るためだ。
戦後、駄菓子屋を経営したのは、留守宅を守る主婦ではなかったろうか。
いや駄菓子を卸売する夫君の経営を支えるアンテナショップとして起業したケースもあったろう。
そんな駄菓子屋の一角に、鉄板を置いたテーブルが用意され子どもたちが取り囲む。
鉄板では、お好み焼きや焼きそばを調理されるプロセスが披露され、固唾を呑むように子どもたちが見守る。
今「遠州焼き」と呼ばれる郷里のお好み焼きは、そんな駄菓子屋で提供される「B級グルメ」だった。
特徴的なのは、クレープのような薄い生地とそれに合わせた具材の切り方、そしてチョイスされる具材の意外性かもしれない。
極端に薄く溶かれた小麦粉で作る生地には卵を入れると色と風味が増す。
入れる具材は、ネギ、紅生姜、タクアンでそれらを1㎜程度に細かく切り刻む、入って干しエビ、豚肉や牛肉が入るとしたらそれはトッピング扱いだ。
鉄板の上に油を引いて、具材を入れた生地を流し込む、
できるだけ薄く、大きく丸く広げる、
やがて生地が乾いてくれば、これをひっくり返す、
ひっくり返した面にウスターソースを刷毛で塗りこんでいく、ソースはウスターでなければいけない
その上に、ダシ粉とアオサをかける
そして円の上下を折りたたみ、長方形に仕上げて、またウスターソースを塗り込み、ダシ粉とアオサを満遍なくかける
これを食べやすい巾に切れ込みを入れて出来上がり、
持ち帰る場合は、これを経木にのて新聞紙で包む、この経木と新聞紙の香りも味のうち、だ
東京生まれの妻からは、なぜタクアンなのか、キャベツが入らないのか、生地が薄すぎる、ウスターでないといけないのか、と詰問される、
都度、ソースはウスターでなければいけないし、タクアンも、紅生姜も、ネギも、味と彩りの両面から必須であることを主張する。
この具材のチョイスと極端に薄く作る生地は、B級であることの最たる必然ではないだろうか、
地場で簡単に手に入る食材を使い、小麦粉の消費を抑え、ウスターソースの味わいを楽しむこと、そしてダシ粉とアオサがそのとどめを刺す、
思えば加熱によって乾いたウスターの食味は、せんべいにおける醤油の役割と同じだ、
庭や畑で採れるトウモロコシ、枝豆、そら豆、ジャガイモ、里芋などの野菜をおやつ代わりに食したあの時代、お好み焼きは絶品グルメだった、
好きというレベルを超えていたあの時代に、少しばかり戻ってみたい気もする