文章は流れだと思う、山の中を流れる川のように見ていて飽きないような流れであってほしい
詩の世界は、またよくわからない、響きがあったりイメージを膨らませたり、
ほぼ同い年のミュージシャンたちが、それぞれの人生を歩む
ワールド・ミュージックにどっぷり浸かってきた自分はそこから様々な人たちと出会ってきた
後輩のMさんが見たというのはこの方の45周年記念イベントだったのだろうか
作品は何十年も耳にしているのに、はっぴいえんど繋がりだということをまるで認識していなかった
渋谷のヤマハでベースのオーディションをしたというエピソードも面白い、
楽器を持っていなかったからとか、上手く弾けなかったとか、
慶應と立教出身のお二人がどのようにして出会ったのか、曲を作る才能と詩を書く才人が仕事をする
考えてはダメ、で、歌詞は2時間で作るという、しかし取り掛かるまでの生みの苦しみはあるようだ
ボーダーレスというのもなんとなくわかるような気もする
何かをやっていれば裾野が広がり、やがてあらゆる世界を垣間見ることになる
「日本語によるロック」という世界があってオリジナルが創られてきた
「Rock」は英語でなければという不文律みたいなものは、新しい世界の登場によって考えなくて良くなった
ポップスをやっていると日本語が果たして音楽に乗るのだろうか?という疑念に襲われる
母音が全部についてまわる日本語には、英語のような流れがないように思えるからだ
だから日本語を英語のような発音で歌う歌い方を敢えてしたりする
一方で「日本語の言葉のイメージ」を音に反映させようとする動きがある
映像にメロディから歌詞を作るプロセスが紹介されている
加山雄三さんと岩谷時子さんがこの方式だったようだ
ジョン・レノンとポール・マッカートニーはこれを相互に行っていた
おそらくメロディと歌詞は同時に浮かぶことが多いのだろうが、サビをどうしようかと立ち止まったりする
彼らはサビ部分を相手が作ったり、歌詞をつけたり、メロを変えたりなどという共同制作者だったようだ
だから完成度が高くなるし、楽曲の質が高くなる、のではないだろうか
ドラムスをやっていた方が、歌詞を書く
いつしか作品は日本中の女性の心をつかむ
創作すること、
自分をそこに追い込むこと、、か
情熱大陸 松本隆
太田裕美 木綿のハンカチーフ
松田聖子 SWEET MEMORIES
君は天然色 / 大滝詠一 / 歌詞