こんばんは。
今日も、お天気は良かったのですが。
いつもと違うパターンで。
朝は、家の前から、車で「契約している駐車場」へ行き、そして、「休日出勤」。
帰りは、また、「契約している駐車場」へ行き、車に乗って「スーパー」で買い物をして、家の前の駐車場に停めて帰宅。
明日は、どうしようか。
気分次第です。
【今日の休日出勤の理由】
今日の休日出勤の理由ですが。
O君が担当している「勤務作成支援システム」に関してなのですが。
うちの会社が、本体から受注したのですが、実際には、あるパートナー会社が持っているパッケージを使用します。今回の開発自体は、そのパートナー会社が担い、その後、完成したあかつきには、家の会社も、そのシステムを「カスタマイズ」して、本体の同業他社への販売ができるようにするのが目的です。
ただ、この「勤務作成支援システム」の対象となる社員の勤務形態が、ただものではなくて。更に、いろいろな職種があって、特殊がことも多く。
うちの会社から、パートナー会社に「要件」を伝えないといけないのですが。
それが、うまく進んでいないようで。
それ、ある意味、仕方ないです。
今年の9月に63歳になる私が、今だに仕事をしているのは。
O君が担当している業務などを含めた、いわゆる「総務・人事・給与・勤務・福利厚生・社員教育」などの分野に長年従事してきたからで。その期間は、20年弱です。
それで、お客様の方よりも知識と経験を身に付けたために、「重宝な存在」になって。
でも、O君はこの分野でも5年くらいかな。
更に、「私が居たせいもあり」『リーダー経験』もなく。もちろん「他社」との調整などの経験も少なく。
それで、「リーダ」なので、ある意味可哀そうですが。
それを経験して、育つしかありません。(失敗して、反省して、次に生かして)
ただ、私も「新型コロナ」に関する「雇用調整助成金」関係など、いろいろ追われていて、今は、仕事場所も別々なので、以前、隣に席があった時のように、彼もすぐには聞けなかっただろうし、私も、彼の様子、顔色を知ることもでくなくて。
所長からは、いろいろきつく指導されているようです。
でも、本当はきついでしょうが。
彼は、「精神的には強い」と言うは、結構、ずぶといと感じています。
例えば、言葉で言えば「プログラマー」(プログラムを作る人)から「システムエンジニア」(システム全体を企画したり、統制したりする)に至っていない段階なので。
今の仕事を始めた時、私の隣の席に居て。
質問してくるのは、内容的には「プログラマー」レベルの細かな仕様の事で。
でも、彼がステップアップするには。
「どういうものを作り上げるのか」の大きな視点があって、そこから「段階的に」細かいところに落としていく必要があるのですが。
まだ、今でも、細かいところにこだわってしまうところがあり。
私も何度か、「その事よりも・・・」と、大きな、全体を想定する視線が必要な事は話してきたのですが。
そう言っても。
私も、同じで。それで、何度も失敗してきています。
それを重ねて、今がある訳で。そのためには、いろいろ調べ、試して。
業務的な面も、「制度」も含め、どんどん変わるのですが。
「コンピュータシステム」の進化は、日々刻々です。
私が担当している基幹システムも、もうすぐ「3代目」に置き換わり、そのすぐ先には「今の基幹システムと全く違うシステム」が計画されていて、会社としてもどうですが、個人としても、どう関わっていくか。大事です。
幸い、私は、若い頃の経験で得たものとして。
私が、「ラッキー」だったのは。
3年間(常勤2年、病気をして、非常勤1年)学校の教員を経て、「素人でも雇ってくれる」コンピュータソフトウエア会社に転職し、もうその時には結婚していたので、ある意味必至でいた。
そして、担当したのが、どちらかと言うと、「コンピュータ」の基本的な部分に近い仕事でしが。そこで使用したのも、「アセンブラ」と言う、コンピュータ言語としては、一番「原始的」な言語が最初。(これが良かった。)
更に、その会社に3年居て、かみさんの実家に近い「熊本市内」に引っ越すために転職した会社は、全国に「支店」がある会社で、その(当時、よく使われていて言葉で)「熊本ラボラトリ」というところに転職し。
そこで担当したのが、コンピュータの言語で「COBOL(コボル)」というのがあるのですが。その「COBOL」の「コンパイラ」(COBOLと言う言語で「プログラマー」が記述して『ソース』を、その『文法書』通りに動かす事で、その開発は「アセンズラ」でした。
国内外のコンピュータメーカーが、新しい「コンピュータ」を販売する時に、その「性能」が重要で。なので、その「コンパイラ」を作るにも、「ロジック」(処理を達成する処理の記述)をどれだけ短くするか。が重要で、それが『性能』に影響しました。
今は、「ハードウェア」の性能がどんどん進化していますので、さほど気にする事ではありません。
余談ですが。
私は、「三井住友銀行」に口座があり、ほぼ毎週「ロト」を購入しているのですが。
その「三井住友銀行」の「アプリの動きが遅くて」いらいらしていました。
先日、「スマホ」を機種変更したのですが。
今は、同じ事をしても、「サクサク」動きます。問題は、「ハードウェアの性能」、様は、スマホの性能だった訳です。
話がそれましたが。
当時、同じ会社に「HP」(ヒューレットパッカード)に居た女性が居て。彼女とは、「同じロジックをどれだけ少ないステップ(行数)で作れるか」など、競ったこともあって。
「COBOL」の機能を作るには、「文法」も覚えないといけないので、細かな記述まで覚えました。
それが、諸事情があり、福岡に支店のある会社に「バブル」がはじける前に転職。
そこでは、今度は、「業務システム」を「COBOL」で開発する仕事が主で。
そうすると、「COBOL」と言う言語の隅々まで知っていた私は、周囲の人に「教える事」ができる立場になり。
そういう、コンピュータの基本に近い部分と、業務に近い部分を経験して、私の中には「どのコンピュータも同じ」という感覚になって。
例え、「コンピュータ言語」が変わっても、「コンピュータに指示しないといけない事は『同じ』」。コンピュータの大小に関係なく、「コンピュータに指示しないといけない事は『同じ』」。
ある言語では、こう記述し。他の言語では、こう記述する。
でも、その元になる「基本的な部分」に関しては、「同じ考え方」で「その手法が違うだけ」との感覚できたのですが。
いつのまにか、お客様の中でも、私と同年代の方達は、「基幹システム」が、「2代目」に変わった頃から、「別物」に見えたようで。
私は、「今までの〇〇は」、「今回の〇〇」と同じ、という感覚だったので。
課題があって、解決しないといけないことも。聞いても誰も答えてくれない時は。
自分で調べて、試して・・・。
そんな事をしていたら、逆に、いつしか「こんな問題があるんですけど、そういう事、ありませんでしたか?」と聞かれる立場になっていて。
私の持論があります。
「同じ失敗をしたから、偉そうに、指導できる」です。
自分の後輩や、たとえば、自分の子供。自分が「指導」「教育」する立場になった時に。
対象の人が直面した「課題」を、難なくクリアした人は。「苦しんだ経験」がなにので、もしかすると「何故、それが分からないの?」と言うかも知れません。
でも、同じ事で「失敗」だとか「分からない」経験をして、それを「覚えた」(要は、同じ経験をしていたら)。
その「問題」と、それを解決する「ポイント」を身に着けている訳で。
でも、だから「偉そうに」指導できるんですよね。
「ピン」と来るから。
長々と、また、話がそれましたが。
今日の休日出勤。
O君を、(自分の仕事との関係を含め)どう「サポート」していくか。
考えないといけない。と実感しました。
そうしないと、O君も、受注した会社も。せっかく、いっしょに仕事をすることになった「パートナー会社」も。(間に合わなければ、意味ありませんから)
【何故、日本で爆発的感染が起きていないのか】
今回の「新型コロナウイルス感染症」の感染拡大について、世界中から、日本は「理解できない」と思われています。
「緊急事態宣言」と言っても、何の「法的」な「強制力」もない、「要請」しかなく。
それでも、諸外国で、感染者が「数万人」「数十万人」、感染者の死亡数は「数千人」「数万人」になっていて。
『日本』だけ何故なのか。
「PCR検査の少なさ」もあるので、「感染者数」はもっと多いのではないか。
それは、日本も認めています。「重篤化しやすい事例を優先」したり、「検査体制が整っていない」「医療崩壊を起こさない」・・・。などの理由で、「PCR検査は少なかった訳ですが。」
特出されるのは、「人口当たりの『死亡者数』」です。
ただ、「新型コロナ」に関して、各国で、「感染者数」や「死亡者数」の基準が異なるようで。「感染者でも、無症状であればカウントしない。」とか、「新型コロナに感染していても、その死因が『新型コロナ』に起因しない病気での死亡はカウントしない」とか。なので、各国の「発表する数字の信ぴょう性は、意外に低い可能性もあります。」
日本では、「(症状が回復して)退院した人」の人数について、マスコミがあまり「積極的」には報道しない傾向がありました。
それは、「退院」の定義の問題で、「死亡」して、病院を出た人も「退院」の中にカウントされていたため、真に「陰性になって」生還した人数とは違っていたためだそうです。
昨日、「Yahoo!ニュース」で、アメリカ在住のある日本人ジャーナリストの記事を観ました。
世界の各メディアが、「何故、日本で爆発的感染が起きていないのか」。それは、「たまたま、うまくいったのか」「日本政府などの努力のせいなのか」
日本以外の国には、理解でいないようです。そして、考えてみれば、「日本国民」も、「何故、日本では爆発的な感染」が起こらなかったのか。いろいろ理由は出てきそうですが。
昨日の記事を観て。それも、大きな要因だな。と思いました。
その方は、アメリカに戻り、「ロサンゼルス」での規制解除後の「海岸に行ったそうです」。そこには、多くの人が居て。
「規制解除」されたとしても、「密」は避ける事、「マスク」を着用すること。
海に入るのは良いが、「サイクリング」などは禁止。など、いろいろ制限を付けていたそうですが。
実際に、海岸に行くと、「マスク」を着用していた人は、多く見ても4割。
禁止と言わてている「サイクリング」などを、「マスク未着用」でしている若者のグループも。
その方の、「何故、日本で爆発的感染が起きていないのか」の理由の推定は。
『マスク』『手洗い』・・・。
日本では、冬の時期になると「インフルエンザ」の事があり、「予防注射(ワクチン)」を打ち、「マスク」「手洗い」をする。は、普通。なので、「マスク」をして歩く事への抵抗感はほぼありません。「インフルエンザ」が流行を始める時期になると、元々、「マスク」「手洗い」は、普通で。
「手洗い」に関しては、「幼稚園」「保育所」から、(もちろん家庭でも)、小さい子供の内から習慣付けられてきた。のが、日本の教育というか常識。
「マスク」が店頭からいっきに無くなり、混乱したのも、「マスク」をするのが当たり前で、「マスク」である程度の感染を防げる。との思いが国民にあるので、「まずは、マスク」で、全国から「マスク」が消えました。
昨年の年末近くから、今年に入って。
(単に、報道されていないだけかも知れませんが)
「インフルエンザ」による、『学級閉鎖』『学校閉鎖』のニュースを、ほぼ観ていません。
更には、例年になく、「インフルエンザ」は、早く終息しました。
冬が近づいてくると。「インフルエンザ」の話題になり。
「感染しない」「感染させない」意識が『普通』に湧いてきます。
それは、子供たちで言えば、「受験を控えた時期」。であり、大人であれば「年度末を迎える前」の時期なので、「インフルエンザ」には羅漢したくないし、感染元にもなりたくない。
なので、冬の時期になると、「予防」を含めて、「マスク」を着用する人が増え、それが、普通な訳で。
私も含めて、福岡でも「非常事態宣言」が解除されても、マスクの着用率は高いです。それは、全国的にもそうだと思います。
ある別なニュースで。
日本が、「感染者数」も「死亡者数」も、世界的にみて非常に少ないのは、「安部政権の政治によるものではなく、国民の我慢の成果だ」と。
これも、当たってるかもしれません。
全国民とは言えませんが、「政府」(昔の言い方からすれば)「御上」が言えば、それに従う。我慢する。(罰則がなくても。)
その姿が、「マスク」の件も含め、諸外国からは、「理解できない」「信じられない」ことのようです。
「マウス」での実験で、「感染したマウス」と「感染していないマウス」の間に「マスク」の素材を置いて実験したところ、60%以上、「マスク」が感染を防いだという実験結果もあるそうです。
何のためらいもなく、「毎年のインフルエンザ対策」と同様に、「マスク」する日本人そのものが、日本での「大規模な感染拡大」を防いだのだと。その記事は書いていました。
言い換えれば、「政治」によるものではなく、「国民」の普段からの『意識』によるものだと。
この記事を読んで。そうだと、私は思いました。
欧米などと違い、日本になかには「インフルエンザ」などの感染症に「感染したくない」「感染させたくない」意識は高く。
毎年、ある時期になると、「インフルエンザ」の予防接種をし。
その頃から、春近くまでは「マスク」を着用し。
これが、多くの日本人の姿で。
「感染症」から、「自分」をどう守るか。などを、毎年毎年、繰り返してきた結果。
「インフルエンザ」は、もう、報道もされず、いつの間に今年は終わり。
でも、一人一人が「新型コロナ」に対してできることは。
「3密を避ける」と「マスク」と「手洗い」で。
「3密」「3密」と言われたのは、今回ですが、「マスク」、「手洗い」は、ある意味、多くの日本人の(冬の)習慣で。
「マスク」「手洗い」に『違和感』がない。
それが、日本での「感染爆発」を(今のところですが)起こしていない、大きな要因なのでしょうね。
それは、ある意味「ある国」の、「ある習慣」なので。
他の国からは、理解できないでしょうね。
数年後、「新型コロナ」のワクチンも十分に行き渡り。
特効薬も、多く承認された頃に。
一つは、
「新型コロナ」に関する、『発生源』の問題と、『中国政府』の対応の「検証」。
そして、世界的に見て、類を見ない「日本」の状況。
将来の「同じような」危機を回避するための調査として。
「何故、日本で爆発的な感染拡大が起きなかったのか」。
は、世界的な、研究対象となるかもしれません。
でも、答えは。
毎年、「マスク」着用に抵抗がないこと。
「羅漢したくな」「他の人に移したくない」意識が高いところでしょうか。
「新型コロナ」は別として、「インフルエンザ」でも、「5日程度」学校にも、会社にも行けませんからね。
そういう意識が、ずっとある日本人だから。
自分も「羅漢」したら、いやだし、困るし。迷惑かけるし。
更には、(自分から)他の人にうつしたら、その人にも、その家族にも迷惑かける訳で。
そう意識を、毎年毎年、思っているのが日本人だと思うので。
私は、この記事をみて。
(幸いに)欧米諸外国の様に、数十万人の感染者、数万人の死亡者が出ていないのは。
常日頃から、(本来の対象は「インフルエンザ」ですが)感染症対策を、個人個人、または、家庭で対策をしてきた」日本人の国民性なのだと、私は思います。
また、長々と語ってしまいました。
明日は、日曜日で休みです。
どう過ごすかは、まだ考えていません。
起きた時(時間)次第ですね。
では、また。