転載 ダイヤモンド社より
集落消滅の背景には“平成の大合併”の弊害も?
未だ解決しない大川小問題をめぐる地域住民の本音4
街の中心を走る県道沿いには、東屋というスーパー兼仕出し屋があった。最上屋という酒屋さん、相沢商店というタバコ兼雑貨屋さん、鈴木商店という豆腐屋さん、パーマ屋さんのほか、ブランド品を作る工場もあった。
東屋の2階では、ちょっとした宴会場もあった。尾崎や長面などの人たちも、仕事の帰りに東屋に寄っていく、そんな勤め帰りの人たちで、いつも繁盛していたという。
「お年寄りたちにとっては、何の不自由もなかったんだ。横川とか周辺の集落の人も、釜谷の診療所に来れば、この辺で買いものして、帰って行ったんだ。ずっと昔から、ここは中心だったんだ」
前出の阿部良助さんは、こう自慢げに言う。
街の中で、生活はすべて完結していたのだ。そうやって、何気ない日常の中で、皆が毎日を過ごしていた。
私たちが、震災直後に初めて釜谷を訪れたとき、砂と水に水没する大地には、集落の建物の土台すら見えなくて、そんな日常の光景など想像することもできなかったのである。
小学校に避難した孫2人が犠牲に
助けに行った婿に“不可解な行動”も
大川小学校のすぐ近くの県道沿いに、良助さん、文子さん夫妻の自宅はあった。
あの日、良助さんは仕事で外出。文子さんは自宅にいて、車で三角地帯から釜谷の集落に戻る途中、ラジオから緊急地震速報が流れた。
「えっ?」と思った次の瞬間、ガタガタと揺れ始めた。文子さんは、坂を下り、県道の側道部分に車を停め、外に出た。
「電線が波打つのにはびっくりして、ずっと車につかまっていました。すると、目の前の家からも、おばあさんが飛び出してきて、2人で車のところにいたんです」
文子さんは、歩けないおじいさん(同居する夫妻の父親)が自宅に1人だと思い、車のハザードを付けて路上駐車させたまま、県道を自宅へと走った。おばあさん(同母親)は毎日、午後になると、釜谷診療所に出かけていなくなるからだ。
家に帰ると、おじいさんはベッドの上に座っていた。整理ダンスが倒れかかっていたが、ちょうどベッドで突っかかっていた。
足の踏み場のない中、文子さんは1人でタンスをどけて、おじいさんをベッドから茶の間まで連れてきた。
集落消滅の背景には“平成の大合併”の弊害も?
未だ解決しない大川小問題をめぐる地域住民の本音4
街の中心を走る県道沿いには、東屋というスーパー兼仕出し屋があった。最上屋という酒屋さん、相沢商店というタバコ兼雑貨屋さん、鈴木商店という豆腐屋さん、パーマ屋さんのほか、ブランド品を作る工場もあった。
東屋の2階では、ちょっとした宴会場もあった。尾崎や長面などの人たちも、仕事の帰りに東屋に寄っていく、そんな勤め帰りの人たちで、いつも繁盛していたという。
「お年寄りたちにとっては、何の不自由もなかったんだ。横川とか周辺の集落の人も、釜谷の診療所に来れば、この辺で買いものして、帰って行ったんだ。ずっと昔から、ここは中心だったんだ」
前出の阿部良助さんは、こう自慢げに言う。
街の中で、生活はすべて完結していたのだ。そうやって、何気ない日常の中で、皆が毎日を過ごしていた。
私たちが、震災直後に初めて釜谷を訪れたとき、砂と水に水没する大地には、集落の建物の土台すら見えなくて、そんな日常の光景など想像することもできなかったのである。
小学校に避難した孫2人が犠牲に
助けに行った婿に“不可解な行動”も
大川小学校のすぐ近くの県道沿いに、良助さん、文子さん夫妻の自宅はあった。
あの日、良助さんは仕事で外出。文子さんは自宅にいて、車で三角地帯から釜谷の集落に戻る途中、ラジオから緊急地震速報が流れた。
「えっ?」と思った次の瞬間、ガタガタと揺れ始めた。文子さんは、坂を下り、県道の側道部分に車を停め、外に出た。
「電線が波打つのにはびっくりして、ずっと車につかまっていました。すると、目の前の家からも、おばあさんが飛び出してきて、2人で車のところにいたんです」
文子さんは、歩けないおじいさん(同居する夫妻の父親)が自宅に1人だと思い、車のハザードを付けて路上駐車させたまま、県道を自宅へと走った。おばあさん(同母親)は毎日、午後になると、釜谷診療所に出かけていなくなるからだ。
家に帰ると、おじいさんはベッドの上に座っていた。整理ダンスが倒れかかっていたが、ちょうどベッドで突っかかっていた。
足の踏み場のない中、文子さんは1人でタンスをどけて、おじいさんをベッドから茶の間まで連れてきた。
転載 日本原水協ホームページより
日本原水協は12月4日、『原水協通信』2013新年号に登場いただくため、瀬戸内寂聴さんのインタビューを都内で行いました。前半は総選挙のことを中心にした内容になりました。寂聴さんのご了解もいただき、その部分を原水協活動交流ニュースとして公表します(インタビュー全体は新年号に掲載されます。ご期待ください)。
していること、言っていることがぶれない政党に入れるべきね
今度の選挙はもうムチャクチャね。どこに入れていいかわからないと、みんなが色々言いますね。言うことすることぶれる人はだめですね。
広島・長崎と、原爆の被害に世界で唯一あっている日本が、原発に対して無神経ということは不思議なことです。人間に忘却という能力が与えられているのは恩寵(おんちょう)ですが、忘れてはならないことを忘れるのは業罰(ごうばつ)です。
今日の読売新聞(12月4日)には「脱原発だとかしきりに言うけれど、それじゃどうやってそれが実現できるかという方法を言わないのは間違っている」と言って、「選挙の時はそこをよく考えて入れろ」と書いてあるんですね。でも、原発が怖いということは、今度の福島のことでわかったじゃないですか。チェルノブイリは遠いからピンとこない人も福島は目の前に見たじゃないですか。その後始末ができてないんです。しかし、今度立候補した人たちの演説を聞きますと、誰もそれにふれない。そして、被害者たちをどうするかということは言ってないですね。選挙に勝てばいいという考えでしょ。脱原発と言えば有権者が入れてくれるらしいからというので、急に乗り換えて脱原発になったりして、本当に国民の側に立っていないですね。していること、言っていることが。やっぱり、ぶれていない政党に入れるべきです。その点では共産党は一貫してぶれないですね。
この選挙結果で来年のことも決まるでしょう。私たちには幸福になる権利があるんですから、どうしたら自分たちの幸福を守るかという方向に持って行かなければならないと思いますね。
核兵器のシミュレーションなどして戦争になると日本はなくなります
核兵器を持っていないと国際的な発言力が下がるとか、核兵器は必要だと弁舌さわやかに言うと、国民がそうだそうだと思うんですね。核兵器のシミュレーションぐらいしたらいいんだと外国特派員協会で言ったりしたことは、このままじゃ中国にやられると思っているからでしょ。だけど、アメリカと同盟を結んだって、いざとなったらアメリカは中国と戦いませんよ。もし戦ったら、両方が日本を助けるはずがないですからね。日本が沖縄みたいに両方から攻められて、盾になってしまって、日本が戦場になってしまうでしょう。その後はアメリカの州のひとつになるか、中国の省のひとつになるかで、将来日本はなくなりますね。そういう恐怖感というものはみんなあまり持っていないですね。
平和な日本は憲法9条のおかげですよ
国際的な流れで言うと核兵器はなくす方向は決まっているじゃないですか。どうしてそれに準じないのでしょうか。日本は原爆攻撃を二度も受けているんですよ。その日本で核兵器がなければいけないというのはおかしいと思います。この67年間、日本は一応平和に過ごせたじゃないですか。それはやはり憲法9条のおかげですよね。その憲法を変えようとしていることから、全部発生しています。国民がそれをよくわかってないんですね。
今度の選挙は天下分け目ですね
今度の選挙は本当にどうなるんでしょうかしらね。天下分け目ですね。でもマスコミではすでに自民党が取るということになっているでしょ。どうして?あれは不思議でしょうがないです。私はずっと共産党に入れているんですよ。でも入れても、入れてもほとんど取れないので私は党名を変えろというのが主張なんです。なんでもっと親しみのもてる名前に変えないのと何度も言ってきたの。でも今となっては党名を変えない方がいいみたいですね。いろんな政党が出てきてしまって。太陽の党なんて5日間しかもたなかったですからね。
しんぶん赤旗 2012年12月9日(日)
きょうの潮流
「来年のことをいうと鬼が笑う」といわれますが、鬼さん、どうぞ笑ってください。「左義長(さぎちょう)や武器という武器焼いてしまえ」▼今を代表する俳人、金子兜太(とうた)さんの句です。3年前の句集に収められました。左義長は、正月に飾った門松や書き初めを燃やす火祭り。金子さん自身が、こう解説しています▼「今次大戦の末期をトラック島で体験した戦中派の私は戦争反対の塊りである。だから、あの火勢を見ていても、まずそう思ったのだ」(『金子兜太 自選自解99句』)。金子さん22歳の1941年12月8日、太平洋戦争が始まります▼海軍の軍人として、南の島で終戦を迎えました。アメリカ軍の捕虜となり、46年に帰ってきました。「水脈(みお)の果(はて)炎天の墓碑を置きて去る」。復員船の中で詠んだ句です。次のように解説しています▼「戦争末期…朝目覚めると隣の人が冷たくなっている。餓死だ。それが日常である。…私は島を去りゆく水脈の果てにいつまでも墓碑の姿を見つめていた。反戦への意思高まる」。以来「焼いてしまえ」まで、一筋にますます激しく反戦の内なる炎を燃やしてきた、ことし93歳の金子さん。俳人「九条の会」のよびかけ人でもあります▼不戦の誓い、憲法9条を葬ろうと執念を燃やす政治家の声が騒がしい。彼らを上回る情熱をもって、アメリカと海外で戦争する国への道を退け、アジアと世界の平和を築く国への道をすすむときです。そう、金子さんの言葉を借りるなら、一人一人が「戦争反対の塊り」となって。
きょうの潮流
「来年のことをいうと鬼が笑う」といわれますが、鬼さん、どうぞ笑ってください。「左義長(さぎちょう)や武器という武器焼いてしまえ」▼今を代表する俳人、金子兜太(とうた)さんの句です。3年前の句集に収められました。左義長は、正月に飾った門松や書き初めを燃やす火祭り。金子さん自身が、こう解説しています▼「今次大戦の末期をトラック島で体験した戦中派の私は戦争反対の塊りである。だから、あの火勢を見ていても、まずそう思ったのだ」(『金子兜太 自選自解99句』)。金子さん22歳の1941年12月8日、太平洋戦争が始まります▼海軍の軍人として、南の島で終戦を迎えました。アメリカ軍の捕虜となり、46年に帰ってきました。「水脈(みお)の果(はて)炎天の墓碑を置きて去る」。復員船の中で詠んだ句です。次のように解説しています▼「戦争末期…朝目覚めると隣の人が冷たくなっている。餓死だ。それが日常である。…私は島を去りゆく水脈の果てにいつまでも墓碑の姿を見つめていた。反戦への意思高まる」。以来「焼いてしまえ」まで、一筋にますます激しく反戦の内なる炎を燃やしてきた、ことし93歳の金子さん。俳人「九条の会」のよびかけ人でもあります▼不戦の誓い、憲法9条を葬ろうと執念を燃やす政治家の声が騒がしい。彼らを上回る情熱をもって、アメリカと海外で戦争する国への道を退け、アジアと世界の平和を築く国への道をすすむときです。そう、金子さんの言葉を借りるなら、一人一人が「戦争反対の塊り」となって。
あきらめず声をあげよう
老いも若きも安心して暮らせる世の中を
最低年金月七万円
戦争する国つくりダメダメ
投票に行かなければ何も変わらない