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「生活保護からの脱却」は夢に終わるか貧困にあえぐ障害者一家に育った50代男性のいま

2013-05-25 00:21:02 | 日記
ダイヤモンド社より転載
「生活保護からの脱却」は夢に終わるか
貧困にあえぐ障害者一家に育った50代男性のいま

――政策ウォッチ編・第25回

 前回紹介した生活保護法改正案は、いよいよ本日(2013年5月24日)から衆議院で審議開始となる。
今回は、生活保護を受給している障害者世帯の長男の日常と思いを通じて、当事者にとっての現在を紹介したい。生活保護制度をめぐる政治的激動の中で、当事者は今、何を思っているのだろうか?
「生活保護を嫌悪しています」

馬場さん一家の住まいの中。内装は荒れているが補修されておらず、古びた調理器具が台所から溢れている(馬場さん提供)
 馬場寿一さん(仮名・51歳)は、千葉県の中都市にある県営住宅で、弟と2人暮らしをしている。馬場さんは精神障害者で、弟は難病を抱える身体障害者(内部障害)だ。4年前までは身体障害者(肢体不自由)である母親も同居していた。しかし高齢化に伴い、エレベータのない県営住宅での生活が不可能になったため、現在、70代になる母親は、公営の老人ホームに入居している。約20年前に亡くなった父親も聴覚障害者だった。
 馬場さん自身には、職歴がほとんどない。中学を卒業した後、就労を試みたことは何度もあるけれども、精神障害のため就労を継続できなかった。父亡き後の一家の生計は、肉体労働に従事していた弟が支えていた。弟も内部障害を持っていたが、治療を続けながらの就労だった。一家の家事・役所等での手続きなどは、ほとんど馬場さんが担っていた。しかし4年前、弟は難病にも罹患し、就労を継続することができなくなった。馬場さん一家は、生き延びるために生活保護を申請するしかなかった。
 馬場さん一家の生活保護受給生活は、満3年を過ぎたところだ。むろん、資産がなく家族全員が障害者である馬場さん一家に、生活保護を利用できない理由はない。51歳の馬場さんと48歳の弟が稼働年齢にあるとはいえ、1人は精神障害者であり、1人は難病を抱えた身体障害者だ。この一家に直接接し、なおかつ「それでも就労すべきだ、努力すれば就労できるはずだ」と言う人は、たぶんいないだろう。
 インタビューのはじめに、緊張をほぐす意味で雑談をしていたところ、馬場さんはふと、真剣な口調で、
「生活保護で生活している俺たちみたいな人を、どう思いますか?」
 と筆者に尋ねた。それは「経済的に自立している障害者として、生活保護を受給している障害者をどう思いますか?」という、問われるのも答えるのも辛い問いかけだ。現在の日本で、人と人とを「納税者」「税金を使っている人」に分断する力と同じものが、障害者の中にも働いている。でも、率直に、自分の思うところを答えるしかない。

「使える権利を使うのは、当然のことだと思います」
 と答えた筆者に、馬場さんは、
「俺は生活保護に甘んじてなどいません。むしろ嫌悪しています」
 と、つぶやくように答えた。抑えた声に、怒りがこもっていた。
父親の暴力、学校でのイジメ…
貧困家庭の日常
 亡くなった馬場さんの父親は、生まれながらの聴覚障害者だった。生きていれば80代になる。聴覚障害児に対しては、幼児期・小児期に適切な教育を行わないと、知能の発達を促すことが困難だ。しかし、馬場さんの父親が育った戦中から戦後にかけて、障害児に対する特別支援教育は、まだ、全国共通の教育制度として確立されていなかった。
 それでも、通常の中学校を卒業した父親は、理解のある町工場に就職することができた。当時としては、低賃金ながら定職に就けた幸運な例だった。勤務先の倒産による失職などもあったが、高度経済成長期であったことが幸いし、父親は定年まで就労を継続することができた。
 肢体不自由の母親と父親が結婚したのは、自然な出会いや恋愛感情の結果ではなかった。両方の親類縁者が「ちょうどいいから、くっつけろ」と強制的に結婚させたのだった。やがて、馬場さんと弟が生まれた。
 馬場さんは、父親の仕事の詳細を知らない。しかし、聴覚に障害があって孤立しやすい父親の職業生活は、「やりがい」「仲間」などのキーワードとは無縁だったようだ。父親はしばしば、酒に酔っては妻と息子たちに暴力を振るった。母親は、辛さから新興宗教へと走り、熱心な信者となった。
 馬場さんと弟は、学校では貧困を理由にイジメに遭い、家庭は勉強どころか休息の場でさえない環境で生育した。2人とも、中学卒業後は就職した。高校進学率が94%を超えた時期のことであった。
 もっとも、馬場さんの就労は不安定だった。すぐに勤務を続けられなくなっては父親や親類に「怠け」「甘え」と叱責される数年間の後、20歳を過ぎた馬場さんは精神科に足を運んだ。自殺願望が強くなり、「自分は衝動的な行動に走るのではないか」という危惧があったからだ。精神科医は「うつ病」と診断した。薬物治療には、はかばかしい効果がなかった。30歳を過ぎた馬場さんは、精神科医の勧めによって、精神障害者保健福祉手帳を取得した。また、障害基礎年金も受給しはじめた。
 「うつ病」とされる精神疾患の範囲は広く、近年は「擬態うつ病」という用語も出現している。筆者の知る範囲では、うつ病の背景に家庭での虐待問題がある場合、特に治癒しにくい印象がある。馬場さんのように、抗うつ薬に反応せず薬物治療が効果を挙げない例は、決して珍しくない。

一家を支える長男の日常と
ささやかな息抜き

破れたままの襖。何十年前に破れたのか不明(馬場さん提供)
「家族に対する責任があるから、無責任なことはできません」
 そう語る馬場さんの日常は、どのようなものだろうか?
 朝は、午前4~5時には目を覚ます。自炊はほとんどしない。食事は牛丼チェーン店などで摂ったり、スーパーで買ったりして、1日に2食を食べる。保護費が底をついたら、1日1食のこともある。
 弟は、こまめに自炊する方だ。馬場さんが自炊しない理由の1つには、「弟の領域を侵さない」ということもある。弟との間に、会話はまったくない。といって、兄弟の仲が悪いわけではない。
「互いのプライバシーを尊重しているんです」(馬場さん)
 保護費は、家族3人で分けて、それぞれに使用している感じだ。「分ける前に水道光熱費などを確保しておく」などのやりくりは、馬場さんが行なっている。ゴミ捨て・洗濯などの家事、役所や銀行等での手続きも、馬場さんが一手に担っている。老人ホームに入居する母親を訪ね、頼まれた買い物をしたり洗濯物を届けたりするのも、馬場さんだ。
 日中は、精神障害者を対象とした作業所に通っている。
「時間を有効に活用し、お金は使わずに、日課を作る」
 という目的のもと、昨年冬から通い始めたが、
「なかなか、なじめない」
 と、馬場さんは言う。もともと人と接するのが苦手で、学校や職場などでの集団生活が困難だった馬場さんは、作業所にも馴染みにくい。しかし、見た目が五体満足で健康そうな51歳の男性は、街のどこに居場所を求めればよいのだろうか? 長年の間、精神科に通院し、精神疾患に苦しんでいる馬場さんの事情を理解する人は少ない。作業所通いは、しかたのない選択だ。
 障害者作業所には、就労収入を得ることが中心の「就労継続支援A型」と、居場所機能が中心の「就労継続支援B型」がある。馬場さんの通う作業所は、B型だ。工賃などの報酬は得ていない。
週に1度ほど、馬場さんは東京・秋葉原に出かける。アイドルのイベントに参加し、アイドルと握手する。交通費・イベント参加料・握手するためのDVD購入などの出費は痛い。
 それに馬場さんも、心の底から「楽しい」と思っているわけではない。内心「楽しむことが義務」という感じだ。それでも、誰にも何も言われなくても、世間から「イベントの費用を生活費に回したら?」と言われているような気がする。そんな声に、馬場さんは心のなかで反論する。
「そんなことをしたら、俺は何のために生きているのか。毎日、洗濯して、ゴミ捨てて。その繰り返し。廃人になってしまう」
「いつか、希望を与える存在になりたい」
 家庭に会話といえる会話がなく、学校でも孤立しがちで、その学校にも中学までしか通えなかった馬場さんは、人間関係や人間同士の会話を、本・マンガ・映画などから学んだ。そして、その世界に浸るひとときを持つことで、希望を持ち、自暴自棄にならずに生きつづけることができた。
 現在の馬場さんは、
「いつか俺も、自分の作品で、絶望している誰かに希望を与えたいです。そして、生活保護から脱却して、経済的自立を果たしたいです」
 と語る。そういう時、馬場さんの表情には明るさが宿り、目は輝く。
 馬場さんは、1年ほど前から、少しずつパソコンの勉強を始めている。文章にせよ映像にせよ、作品作りのためには、パソコンに習熟することが欠かせないと自覚したのだ。基本的な操作は、高齢者向けの無料パソコン教室に通って覚えた。あるNPOは、馬場さんの才能に期待を寄せ、中古のパソコンを寄贈してくれた。
「少しずつでも、何かを作りたいです。創造したいんです。それが、自分の人生には必要です」
 と、馬場さんは、自分に言い聞かせるように語った。そして、筆者の横に誰かがいるかのように、そちらを向いて、
「生活保護受給者にも、感情はあります。俺はパチンコはやらないけど、生活保護費でパチンコに行く人の気持ちは分かります。やってられませんから」
 と言った。強い口調だった。
「生活保護には出口がないんです。仕事が。あっても最低賃金。人間らしい生活ができる収入にはなりません。食べて寝るだけの生活しかできません。『それでも働け』という人には、『あなた方は、そんな生活ができるのか』と言いたい」(馬場さん)
 そして、声を落として、
「それに、学歴も資格もない俺には、バイトも見つからないでしょう。過去、何度も応募して、落とされました。俺が今から、働くために何か資格を取ろうとしたら、時間がかかります。もし、資格が取れたとして、職歴のない50代の男をどこかに受け入れるシステムは、社会にあるんでしょうか。生活保護以上の仕事は、あるんでしょうか」
 と続けた。たぶん、日本にそのようなシステムが作られることは、期待できない。
 馬場さんは数ヵ月前、知人に勧められてスマートフォンも購入した。今は、そのスマートフォンを使って、ほぼ毎日、映像作品の習作を続けている。
 将来、作品が評価を受けて収入に繋がる確率は、低いとしてもゼロではないだろう。少なくとも筆者は、馬場さんがそこに希望を見出している間は、応援したい。そして、辛うじてその夢を支えることができている現在の生活保護制度が後退しないように、自分にできることはしたい。心から、そう思う。
 では、何があれば、馬場さんは生活保護から脱却できるだろうか?
「経済的自立」という夢を
実現できる可能性はあるか

馬場さんの部屋。寝床は万年床だ。破れた襖の奥は弟さんの部屋(馬場さん提供)
 実は、馬場さんが生活保護から脱却することは、それほど困難ではない。「現在の障害者福祉が大きく後退しなければ」という条件のもとで、だが。
 現在、馬場さん一家では、馬場さんが障害基礎年金(二級・月額は約6万6000円)を、母親が老齢年金を受給している。一家が受給している生活保護費は、年金の分だけ減額されるため、年金があるからといって経済的なメリットが得られるわけではない。しかし、生活保護を利用しないことを前提に考えるとき、障害基礎年金は「ベーシック・インカム」的に機能しうる。そもそも障害基礎年金には、就労機会の少ない障害者に対し、最低生活保障の一環として導入された経緯がある。とはいえ、月額約6万6000円の障害基礎年金では、住居の確保まで含めた「生活最低限」を実現するのは不可能だ。
通常の就労が困難な馬場さんの場合、別の手段で住居の確保を行う必要がある。近年、障害者の脆弱な経済力を底支えし、最終的には経済的自立へと向かわせるという文脈で、障害者向けの住宅政策は、徐々に充実してきている。精神障害者の場合、ほぼグループホームに限定されるものの、各自治体が「家賃全額(ただし2万4000円を上限とする)を助成する」などの制度を設けている。もし家賃が4万8000円であるとすれば、障害基礎年金のうち約4万円を手元に残して単身生活できることになる。
 この他に、1ヵ月に4~5万円の収入が確保できるようであれば、住居費を除いた生活費は、生活保護費の生活扶助以上の金額となる。「パソコンのスキルを身につけてクリエーターの仕事を手伝う」といった機会があれば、その収入を得ることは、不可能ではないであろう。不可能な間は、生活保護を利用しつづけ、全収入と最低生活費との差額を受給すればよい。
 問題は、集団生活の苦手な馬場さんが入れるグループホームが存在するかどうかであるが、グループホームも多様だ。入居者が管理される施設のようなグループホームもあれば、個々人の生活を尊重するグループホームもある。障害者は、数多くのハンディを負っている。そのハンディを埋めて社会参加を容易にするための制度も、不完全ながら用意されつつある。必要で、利用できるのであれば、利用すればいい。筆者はそう思う。
 では、生活保護法改正案は、衆議院でどのように審議されているだろうか? 審議の在り方や内容に、問題はないだろうか? 次回は、現在進行中の審議についてレポートしたい。
<お知らせ>
 本連載は、大幅な加筆を行った後、日本評論社より書籍「生活保護のリアル」として7月に刊行予定です。どうぞ、書籍版にもご期待ください。

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