ダイヤモンド社より転載
【第35回】 2014年1月29日
加藤順子 [フォトジャーナリスト、気象予報士]
大川小検証委、追加調査の可能性も?
噴出する疑問点を消化できず報告会は持ち越しに
東日本大震災の大津波で児童74人、教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校。当日の避難行動や事後対応などについて検証する事故検証委員会が、最終報告に向け、遺族たちと最終の詰めの作業に入っている。
19日の第9回検証委会合で公表された「最終報告案」を踏まえた遺族向けの報告会が26日、石巻市内で非公開にて開かれた。午前中には教職員の遺族15人ほど、午後には児童遺族30人ほどが集まった。
児童遺族らからは、生存教諭や校長の証言に矛盾点があることや、市教委の説明に不明確な点があることを記述してほしいという要望、大川小特有の問題からたどった分析をするべきだという意見が相次いだ。
核心に触れず、責任の所在もあいまい
「最終報告案」2つの事故原因から「一歩踏み込んで」
今回の報告会は、検証委員会側からは、午前・午後を通じて室崎益輝委員長(神戸大学名誉教授)と、事務局を務める社会安全研究所が参加した。
遺族によると、報告会では「もう一歩踏み込んで検証してほしい」とする要望が相次いだ。遺族の知りたい「なぜ?」の部分に応えられていない最終報告案に、検証を見守ってきた多くの遺族がもどかしさを感じているという。
検証委員会は2013年2月の設置当初から、「遺族に寄り添う」「遺族の知りたいという思いに応える」ことを掲げてきた。だが、意見交換という形で遺族の指摘に耳を傾け始めたのは、11月の下旬になってからだった。
実際には、意見交換が始まっても、検証委員たちと遺族の検証観に違いも見られ、遺族が重要性を指摘した部分が、検証委員たちから見れば優先順位が低いと受け止められる傾向も見られた。そんな置き去りにされてきた部分が、今の最終報告案の段階になって噴出したといえる。
大川小事故検証委員会は、19日の最終報告案で事故の原因を「避難の意思決定の時機が遅かったこと」と「避難先として河川堤防に近い三角地帯を選択したこと」と結論づけたが、避難が遅れた理由等の事故の核心部分については、ほとんど踏み込んでいない。
「避難が遅れたことも、あのルートをたどった問題も、2年前からわかっていたこと。遺族が専門家に求めているのは、なぜ避難が遅れ、なぜあのルートをたどることになったのかを検証すること」
この日の報告会でも、こうした意見を、複数の遺族が様々な表現で訴えた。
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特に意見が多く出されたのは、生存教諭(以下、A先生)と当時の柏葉照幸校長、市教委の三者の証言や説明に矛盾が見られる点について、解明を求める声だった。
ある遺族は、A先生の証言にこだわる理由をこう切々と述べたという。
「決して、A先生を責めたいわけではない。遺族が、A先生の証言を“ウソ”と言っているのは、証言や手紙に事実と違う点があるから。本当はどうなのかを知りたいだけ」
「検証委員会はA先生の証言が事実とは違う部分があることはわかっている。だがそれが報告書に盛り込まれていない」
この遺族はまた、A先生や校長、市教委の説明の整合性が合わない部分がいつまでも解消されないために、遺族が解明を求める声が報じられることになり、結果として、遺族たちがA先生を責めているようにと誤解されている現状も訴えた。
こうした数々の意見に対し室委員長は、「校長先生とA先生の証言が食い違っていることを調べても提言につながるという風には思っていない」「限界がある」として、再調査には難色を示したという。
だが、追加調査できそうな部分は検討してみることと、整合性が合わない部分や不正確な部分が存在している事実を明記することについては、書きぶりを見直してみることを約束した。
また、大川小と同様に、避難訓練の実施や事前準備に不備があったにもかかわらず、子どもたちを助けた学校と、大川小の違いについての分析を強く求める声も出た。
室委員長は、不備があった学校で子どもを助けられたのは「偶発性」であるとし、「たまたまでは、教訓にならない。提言内容に結びつかない」と、追加で分析をすることにやはり難色を示した。
だがこの遺族は、こう改めて要望した。
「泥だらけになってでも、四つん這いになっても、その学校では、道がないところを登らせる決断ができた。専門的に踏み込むのはそこの部分ではないか」
「子どもたちを救うための強い行動が実際にできなかった部分の追求が足りないのではないか。教員がそういう心理状況に陥りやすいということが、今回示せれば提言になるし、事実解明にもなる」
室委員長は結局、「検討させてください」と回答した。
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さらに、核心の調査や原因究明が足りないということだけでなく、責任の所在を明らかにしない検証姿勢についての批判もあった。
前回の第9回検証委会合でも、この最終報告案は、管理職や関係機関の責任の所在が明確にされていないという指摘が出ている(前回参照)。
検証では責任追及をしないことは誰もが理解するところだが、学校の運営や安全管理等について、誰にどんな責任があったのかを明らかにすることは必要だ。
規定や権限に照らしたうえで、あるべき体制や対応の整理をしてから不備を指摘しなければ、今後、現場の先生たちが萎縮することになる。また、検証委員自体が、何に軸を置いて評価・分析したのかも伝わりにくい。
だが、室委員長は遺族に「それはかなり難しい問題だ」と答えている。それに対し、遺族側からは、「調査の限界があるなら、(報告書に)書くべき」という意見が出され、室委員長は、「検討します」とした。
裏山の傾斜角度、報告書の体裁…
多岐に渡った遺族からの指摘
また、事実に基づいた記載や明確さを求めて遺族たちが列挙したポイントも数多くあった。サバイバルファクター、裏山の傾斜角度、捜索に関する関係機関の対応、報告書の基本的な体裁について等、総論から各論にわたって不備の指摘があった。
室委員長が書きぶり変えると約束をしたのは、例えばこんな部分だ。
報告案では、学校の裏山の平均斜度が20度を超え、最大斜度が30度を超えると説明している個所がある(29ページ)。遺族たちは、これがかなり広い範囲をひとくくりにした数値であることを問題視した。
この指摘によって、平均斜度は、調査委員たちが単純に地形図上で算出した、現実感の薄いデータであることが判明した。
そこで遺族側は、体育館の裏手の最もなだらかな斜面で実測した測量データを提示。実際には山裾から数十メートルにわたって10度前後の角度が続いていることを明記すべきだと求めた。さらに、実際に、津波に飲まれて助かった生存児童が必死によじ登った斜面は、最大斜度の場所であったことも加えるべきとした。
その他に、検証委員会が調査・収集した情報が、破棄されてしまうのではないかと心配する声も挙がった。
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最終報告案では、検証委員会がどのように証言収集を行い、どんな基準に沿って評価・判断したのかのが、検証委員会以外にはわかるようになっていない。また、各調査についての目的意識も、現時点ではほとんど明らかにされていない。
実際には、正しい手法で丁寧に事実を積み重ね、しっかりと目的意識を確かめ合って検証を行っていたのかもしれない。だが、報告案を見る限り、根拠や基準があいまいな記述も多く、第三者が確認をしたくても再検証しにくい体裁のため、科学的な意識や手順を遵守して作成された報告書であるとは言い難い。
こうした検証に使った資料や情報の取り扱いについては、遺族は検証委会合の意見交換で懸念を表明してきたし、検証委会合後の会見でも質問が集中していた。
室委員長は、保存すべき資料の選定や、保管のルールや年限を、委員会内で議論している最中と説明。保管先については「できるだけ公的機関で、確実に保管できるいいところ」を検討していると話した。
これに対し、遺族からは、「検証委員と作業委員が調査・検証した全ての記録を永年保管してほしい」という要望が出された。
「質問だらけ」で報告会は持ち越しに
児童の遺族向けの報告会は、こうしてさらなる調査や疑問、修正を求める声が相次ぎ、予定されていた終了時刻を大幅に超えて6時間半にわたる長丁場となった。
参加した児童遺族によると、この3年間、事故の詳細の説明や検証を積極的に求めてきた遺族たちだけでなく、検証を見守りながらもあまり口を開いてこなかった遺族たちも何度もマイクを握り、思いを訴えたという。
あまりに質問や要望点が多すぎるため、事務局側は途中、未消化の質問項目を事務局に提出してもらい、委員会から回答する形を提案した。だが、遺族たちは双方向の話し合いの重要性を主張して譲らなかった。
「話し合っているうちに、正解に近いところまでいくのが、やり方としては正解なのかなと見ていて思う。そういうやり方が大事な過程だと思って参加している。時間が足りない、日程的に足りないとなり、途中で検証を止めるとなったら、完成ではないということを謳うことになる。それは本意ではない」
普段は公に発言しない母親が、こう思いを表明し、2月9日に改めて報告会を開くことが決まった。
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6年生だった次女を亡くした佐藤敏郎さんは、個人的に90項目にわたるメモを用意していたが、この日は未消化の項目が半分くらい残ったという。
「最終報告書案は疑問や矛盾が多い。自分だけでまだ半分ですからね……。他の方もまだ色々と思っていることがありますし。報告案の“案”を取るためには、検証委員会がクリアしなければならない点がかなりある」
「難しいから調査しないと言われたことも多かったが、核心に近づく努力をしてほしい。検証委員がやらないとしたら、誰がやるのか。これだけの犠牲があって、これだけの思いを込めて話をしていれば伝わるはずと思って、3年間やってきた」
報告会後に佐藤さんは、疲れた顔でそう話した。
また、ある父親は、最終報告案の内容のあいまいさを憂いて「今日が中間報告みたいだ。なんで、最終報告でこんなに疑問や訂正が出てくるのか?」と頭を抱えた。
検証委は最終報告に向けて、遺族たちが委員に対してどの部分を踏み込んで調べてもらいたいと思っているかを、改めて把握し、反映させる必要がある。
遺族の納得がいくようにしても正しい検証にはならないという意見はあろうが、現状の報告案では、遺族たちが指摘するように、事実認識の間違いや表現の精査が足りない部分、分析が甘い部分が見られるのは確かだ。このため、出された提言の多くが、大川小で起きた出来事に基づいたリアルなものになっていない。また、教訓を得て提言できたからといって、真相究明そのものを“未完成”のまま終わらせて良いということではないだろう。
事務局によれば、次回の9日も、参加委員は室委員長だけになりそうだという。事務局としては、最終報告の提出は2月中を目指すが、室委員長は遺族に対して、3月11日を超えないようにしたいという思いを伝えた。
(加藤順子)