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沖縄、抗議の「県民大会」 米海兵隊撤退を決議 

2016-06-19 21:04:29 | 野党は共闘
東京新聞より転載

【社会】

沖縄、抗議の「県民大会」 米海兵隊撤退を決議 

2016年6月19日 16時55分

 沖縄で米軍属が逮捕された女性暴行殺害事件に抗議し、被害女性を追悼する「県民大会」が19日、那覇市の奥武山公園で開かれ、約6万5千人(主催者発表)が参加した。繰り返される米軍関係者の事件を根絶するため、沖縄に駐留する米軍の大半を占める海兵隊の撤退や、日米地位協定の抜本改定を求める決議をし、日米両政府に「基地反対」の思いを突き付けた。

 大会には翁長雄志知事や県選出の国会議員らも出席。翁長知事は「二度とこのような事件を繰り返さないと誓いながら、政治の仕組みを変えられなかったことは知事として痛恨の極み」と述べ、日米地位協定の見直しに「不退転の決意」を表明した。

(共同)


    
 沖縄で米軍属が逮捕された女性暴行殺害事件に抗議し、被害女性を追悼する「県民大会」で、「怒りは限界を超えた」と書かれた紙を掲げる参加者たち=19日午後、那覇市の奥武山公園


【由美子ちゃん事件と沖縄の悲劇】

2016-06-19 08:14:33 | 野党は共闘
コラムと特集記事 > オリーブの声より転載

【由美子ちゃん事件と沖縄の悲劇】

本日の表題は【由美子ちゃん事件と沖縄の悲劇】である。

----ここから
【由美子ちゃん事件】
悲惨な沖縄戦を経て、敗戦後10年を経過した1955(昭和30)年9月3日、沖縄本島中部にある旧石川市(同市はもともと2000人ほどの静かな農村であったが、敗戦後は収容所ができ、3万人以上にもなっていた。2005年4月1日、2市2町が合併して「うるま市」【地図】になった)、市内の幼稚園に通っていた6歳の永山由美子ちやんが、その日の夕方1人で映画を観に行ったまま、行方不明となった。沖縄の夏は午後8時まで明るく、当時の沖縄の住宅は台所を別にすると、1間か2間しかなく、それゆえ、日が暮れるまで子どもたちは表で遊んでいることが多かった。由美子ちゃんは、翌日死体で発見された。犯人は、由美子ちゃんを車で拉致して、嘉手納基地に連れ込み、軍の施設内で何度も何度もレイプし、最後には殺し、その遺体を嘉手納の米軍部隊のゴミ捨て場に捨てたのである。由美子ちゃんは、唇をかみしめて、右手に数本の雑草を握りしめているように死んでいた。

1955年9月4日付『沖縄タイムス』夕刊は以下のように報じた。
「嘉手納海岸近くの部隊塵捨て場に身元不明の少女が暴行を受け、殺されているのが発見された。4日朝、嘉手納村旧兼久俗称カラシ浜の部隊塵捨場近くの原野で、8才から10才位と思われる少女死体が、あお向けになったまま捨てられてあるのを警ら中の米兵2名が発見、MP隊(military police=米軍憲兵隊)を通じ嘉手納派 出所へ届出た。少女は暴行を受けた形跡がありシミーズは左腕のところまで垂れ下がり、口をかみしめたまま死んでいた」。
いわゆる「由美子ちゃん事件」である。由美子ちゃんの死体は、まるで鋭利な刃物で下腹部から肛門にかけて切り裂かれたようだった。
犯人は、事件から1週間後に逮捕された。

【米兵少女暴行事件】
95(平成7)年9月4日午後8時、沖縄県に駐留する米・海兵隊(アメリカ海軍の独立部隊で、上陸作戦・空挺降下などを任務とする部隊。陸・海・空軍続く、第4軍〈侵略部隊〉ともいわれている)の兵士3人(マーカス・ギル、ロドリコ・ハープ、ケンドリック・リディット。いずれも20~22歳で黒人)が基地内で借りたレンタカーでドライブ中、沖縄本島北部国頭(くにがみ)郡の商店街で買い物をしていた12歳の女子小学生を車に押しんで拉致、車中において粘着テープで顔を覆い手足を縛ってしたうえ集団強姦し、全治2週間の傷を追わせるといった、悪質この上ない計画的な逮捕監禁(刑法220条)・強姦致傷(刑法第177条・刑法第181条)事件が発生した(主犯格である2人が姦淫〈かんいん=男女が不倫な肉体関係を結ぶこと〉をとげ、他の1人が幼いことに気付き姦淫を断念した。なお、主犯格の被告人の1人は自らの暴行と姦淫行為を法廷において否定した)。
なおこの事件に関して米太平洋軍司令官リチャード・マッキー海軍大将が「レンタカーを借りる金で女が買えた」と発言している。
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【その他事件の事実(抜粋)】
1947年 17歳(強姦)
18歳(強姦)
1948年 18歳(輪姦)
17歳(拉致、強姦)
18歳(拉致、強姦)
17歳(拉致、強姦)
1949年 14歳(強姦)
16歳(強姦未遂、傷害)
生後9ヶ月(強姦)
18歳(強姦)
15歳(拉致、強姦)
17歳基地内のメイド(強姦)
1950年 女子高校生(強姦)
1951年 16歳(強姦)
1952年 18歳(性交拒否で傷害)
1953年 6歳(強姦殺人、由美子ちゃん事件 - 旧・石川市)
1955年 6歳(強姦殺人)
9歳(強姦致傷)
1968年 17歳基地内のメイド(強姦)
1970年 女子高校生(強姦目的の傷害)
1971年 女子中学生(強姦)
12歳精薄児(輪姦)
1974年 17歳(輪姦)
1975年 二名の女子中学生(強姦、金武村海岸)
1985年 小学生(強姦)
1988年 17歳(強姦)
1993年9月8日 14歳、15歳の少女(強姦)
1995年 米兵3人による小学生(拉致強姦、この記事の事件)
12月 14歳の少女、父親と同じ部隊所属の兵士に強姦される
2005年 小学生(強制猥褻)
-----ここまで

米兵の公務とは沖縄の少女や女子中学生、高校生を強姦したり輪姦したりすることなのか。
こんな奴らが日本国を守っている(公務)などと喧伝し、集団安全保障を言うなど言語道断の所業。
よく沖縄の雇用が言われるが、米兵が沖縄に駐留する限りにおいて、また日本の基地の9割が沖縄に集中する以上、これからも【公務と称する強姦輪姦の場】となるだろう。
この日本国民に突き付けられた現実を回避するには、米軍が県外に出て行く以外有り得ない。

ここにきて、県内移設を唱える"野党自民党"やルース駐日大使は、この沖縄の現実を如何に捉えるのか回答を求む。
小紙が、自立を唱え、自律的防衛網の配備を言うのは、背景にこのような事件があるからだ。(ToT)ウウウ
これ以外にも八王子のひき逃げ事件、横須賀の女性殺人事件など枚挙に暇が無いほどの米兵犯罪が日本国内で起きている。

しかも日米地位協定では、米兵が米国の手中にあるうちは、起訴されるまで逮捕できない。この意味がお分かりか。証拠隠滅が出来ると言うことだ。
且つ、所謂、「公務中」と言えば、手が出せない。いったい日本で何の仕事が「公務」なのか、日本人を殺したり、婦女子を強姦したりするためか。

是まで外務省は常に【運用の改善】で誤魔化してきた。
しかし、ほとぼりが冷めると事件が再発する。日本は、民主党に政権交代した。
アメリカは、中国の人権を殊更に指弾するが、おまえの国こそが世界に冠たる人権蹂躙国だ。
他人の国に来てエラソウに、首相や外相に普天間移転を言いやがる。
いったい何様のつもりだ。

強姦は、イラクでも、アフガンでもやっていた。本当は、米太平洋軍司令官の言葉が本音なのではないか。
皆さん、そろそろ目を覚まそう。そして自分の国は自分で守ることを決意しよう!!
そして由美子ちゃん事件を忘れるな。そこに米兵の真実がある。
終戦65年、未だ戦後は終わらず。否、最早終わらせなければならないのである。
この意見に賛成の方は賛成に、反対の方は反対に、またご意見もお待ちする。
 
オリーブ ( 2009/10/24 18:55 )

社説[きょう県民大会]心に刻み決意示そう

2016-06-19 08:00:27 | 野党は共闘
沖縄タイムズより転載

社説[きょう県民大会]心に刻み決意示そう

2016年6月19日 05:00 注目 社説

 恩納村の山あいの遺体遺棄現場を訪れる人が今も絶えない。

» 19日の県民大会に向け「#追悼メッセージ」募集

 アスファルト道路の側溝の脇に、ずらっと花束や飲み物、お菓子が供えられ、それが日を追うごとに増えているのがわかる。短いメッセージを添えたものもあった。

 「怖かったよね。痛かったよね。つらいよね」

 「あなたの死を無駄にはしない」

 「あなたにいつの日か安らぎが来ますように」

 元米兵による暴行殺人事件で亡くなった女性を追悼する動きが県内各地で広がっている。「被害者は自分だったかもしれない」「もしかしたら自分の娘だったかもしれない」-多くの人たちが事件を自分のこととして、自分とつながりのある身近なこととして受け止め、悔しさと憤りと不安の入り交じった自問を繰り返している。

 17日、名護市で開かれた市民集会では、かけがえのない一人娘を亡くした両親のメッセージが読み上げられた。

 「未来を断ち切られた娘が最後の犠牲者となり、子を失い悲しむ親は、私たちを最後にしてほしいと思います」

 19日には午後2時から、那覇市の奥武山陸上競技場で大規模な県民大会が開かれる。追悼の思いを前面に押し出した大会になるだろう。多くの人たちの参加を期待したい。

■    ■

 事件を通して突きつけられている問いは次の二点に尽きる。

 「なぜ、米軍関係者による性犯罪が繰り返されるのか」 「どうすればこれを防ぐことができるのか」

 事件発生の際、政府・自民党サイドから出たのは「最悪のタイミング」という言葉だった。その場限りの「危機管理的対応」や、選挙向けの「政治的パフォーマンス」では被害者の両親の痛切なメッセージに応えることはできない。

 暴行そのものは個人的なものだとしても、今回の事件を「軍属個人の問題」ととらえ、米軍や米軍基地とは関係がないように主張するのは誤りだ。

 今回の事件は「基地あるがゆえに起きた犯罪」である。その種の性暴力が沖縄では米軍上陸以来、目を覆いたくなるほど頻繁に起きている。

 その事実を徹底的に洗い直すことによって「多発する構造」を突き止めることが必要だ。

■    ■

 沖縄戦の経過を克明に描いた作家ジョージ・ファイファーは、「天王山・沖縄戦と原子爆弾」(下)でこう記している。「民間の婦人を犯すことは、多くの部隊は認めなかったが、もっとも頻繁に起こる犯罪に含まれていた」

 米国陸軍歴史編纂所が発行した軍政文書(「沖縄県史資料編14 琉球列島の軍政」)にも似たような記述が見られる。「少数の兵士は米軍の沖縄上陸と同時に、住民を苦しめ始めた。とくに性犯罪が多かった」

 1955年9月3日には、6歳の女児が米兵に暴行殺害され、嘉手納海岸で遺体となって発見されるという凄惨な事件が起きた。復帰後の95年9月4日、米兵3人による暴行事件が起きたとき、多くの人たちが反射的に思い出したのが、40年前のこの女児暴行殺害事件であった。

 今回の暴行殺人事件の被害者は、95年の暴行事件が発生したその年に生まれている。

 その都度打ち出される再発防止策の効果が持続せず、何度も再発を許してきた両政府や米軍の責任は重い。

 議論を喚起するため3点を提起したい。

 第一に、強姦(ごうかん)や強姦未遂などの性暴力は、人間としての尊厳を破壊する深刻な人権侵害である、という認識を育てること。そのための「県民目線」の研修を定期的に実施し、県に対しては必要な資料を積極的に提供することを求めたい。

 第二に、地位協定の見直しに優先的に取り組むべきである。事件・事故に対する米軍の説明責任は極めて不十分だ。排他的基地管理権を認め、米軍関係者を優遇する仕組みが「逃げ得」や「植民地感覚」を温存させている側面があり、原則国内法を適用し、説明責任が果たせるような仕組みを設けることが事件の抑止につながる。

■    ■

 第三に、海兵隊撤退と基地の大幅な整理縮小・撤去を進めること。戦後日本の基地政治は、沖縄に米軍基地を集中させ、その見返りに振興策などの金銭的手当をするという「補償型政治」の手法をとってきた。だが、その手法は、本土と沖縄の間に埋めがたい深刻な溝をつくり、「構造的差別」を生んでいる。

 二度と再び犠牲者を出してはならないという県民の強い決意がなければ問題の解決は難しい。県民がその気にならなければ、米軍や行政を動かすことはできない。

 沖縄の正念場である。

あきらめず声をあげよう

老いも若きも安心して暮らせる世の中を 最低年金月七万円 戦争する国つくりダメダメ 投票に行かなければ何も変わらない