まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

ある別れ

2023-11-04 22:28:07 | 過去の出来事
独身の頃、アパートで暮らしていたある日。

その頃、付き合っていた彼女M子と半同棲生活を送っていた。
「今夜はY美の所に泊まるね」
そう言って出掛けたM子。
Y美とは会ったことはないけどM子の話しには頻繁に登場する彼女の友だちである。
その夜、一人で部屋にいると、M子の友達のS江から電話があった。M子と至急連絡がとりたいと言う。その頃は携帯もポケベルもない時代だ。
「Y美の所に泊まるって言ってたよ」
M子、Y美、S江の3人は大学のとき同じ寮にいた仲だと聞いている。Y美とは会ったことはないけど、S江とは何度かM子と一緒に食事をしたりしていた。
「Y美の電話番号を教えるから、M子にすぐ私に電話するように伝えて下さい」S江は言う。
「自分で電話してください」
僕はそう言ったが、どうしてもと言われ、押しきられてしまう。
S江との電話をいったん切り、しぶしぶ教えられたY美の番号に電話する。
「はい」
恐らくY美だろう女性の声がした。
M子がそちらにお邪魔していると聞いています。連絡が取りたいのでM子に代わってくれと言う。
「え?M子?来ていませんよ」Y美は答える。
「……」

どういう事だろうか?
M子は僕に嘘をついて、どこかへ出かけたということになる。
どこだろう…
もしかしたら別の男と会っているのだろうか。
普通に考えればM子は浮気をしているということになるのだが、何か事情があるのだろうとその時は考えた。

その後M子を問い詰めると、簡単に浮気を白状した。それがきっかけで、M子とは別れてしまう。
恐らくS江はM子の浮気を知っており、それを分からせるために僕に電話してきたのだと思う。
お節介だが、あの電話がなければ僕はM子の浮気には全く気がつかなかったと思う。

ふと、そんな事もあったなと40年近く前のことを思い出した秋の夜だった。

父のこと

2023-02-18 09:01:02 | 過去の出来事
2月25日で父が亡くなってから5年を迎える。

11年前のある冬の日、実家の母から泣きながら電話があった。
父が末期の肝臓がんで手術をすると言う。
がんが発見されたときはすでにステージ4だった。
入院先は浜松の実家から少し離れた清水の病院。その病院に肝臓がんの権威の先生がいるので、その病院で治療することになった。
手術は成功し、その後父は6年ほど元気に暮らすことになる。
末期がんだと聞いたときは、さすがに覚悟を決めたけど、最近の医学の進歩はすごい。
転移していれば治療は難しいが、転移がなかったのが幸いした。
入院中は所沢から清水まで何度か見舞いに行った。
入院期間中は暇なのか、父はよくメールをよこした。案外新しいことにもすぐに対応できる。

父は、頭はいいが、空気が読めないところがある。その割に友達は多く、僕が見舞いに行ったとき、父の友人が4人ほど来ていたことがあった。みんな、わざわざ遠くから来てくれていた。父には僕の知らないいいところがあるのかもしれない。

僕が高校生のとき、母がこんな話をしてくれた。
父と母が付き合っていた頃、二人でスーパーに行って買い物をした。
レジで清算をするとき、買い物をした金額に持ち合わせの金が少し足りなかったことがあったそうだ。
普通、どれか商品を返品するけど、何と、父はレジで料金交渉をしたらしい。
今では考えられないことだけど、店員はまけてくれた。
それを見て、母は父との結婚を決意したという。
このことを人に話すと、いい話だと言う人もいる。でも、この話を聞いた時、僕はあまりいい話だとは思わなかった。何となく、せこい話だと感じ、そんなことで結婚を決めた母に対しても、少し信じられないような気持ちを持った。
でも、今では、父らしいし、母らしいとも感じる。

父と電話で話をするときは、要件が終わるとすぐに切ってしまう。
「どうしてすぐに切ってしまうの?」
妻はそう言うけど、父と無駄話をする気にはなれなかった。とても父と会話を楽しむ気にはなれなかったからだ。

もしかしたら、僕が父に対して感じたことは息子も僕に対して感じているのかもしれない。

6年後に肝臓がんが再発し、市内の病院に入院した。
再発してからは癌の進行は早く、2か月ほどで父は亡くなった。

父が亡くなる1か月ほど前、病室で父と二人だけになる機会があった。いろいろ言いたいことはあったけど、「今までありがとう」とだけ伝えた。
父は特に表情を変えず「全部母さんがしたことだ。俺は何もしてない」そう答えた。
その時、僕は感謝の言葉を父に伝えたことを少し後悔した。あとは世間話や息子の話をした。
でも、あのときもっとちゃんと話しておけばよかったと今では思う。

それから何日か経ったある日、母から自宅に、見舞に来いと電話があった。
所沢から浜松の病院へ行くと、父は思ったより元気そうで、まだしばらくは大丈夫そうだとその時は感じた。
でも、次の日の朝、急に容体が変わり、家族に見守られながら父は息を引き取った。母は虫の知らせを感じたのだろうか? 母からの電話がなかったら僕は父の死に目には会えなかったところだ。

いつだったか、帰省中に「将棋やろう」という父の誘いを断ったことがあった。何となく気分ではなかったからだ。
テレビを観ているのに話しかけてくるので適当な返事をしたこともある。実家に帰るのはほぼ年に2回だから父は僕と話したかっただろうに…
「おいしい日本酒あるよ」そう言ってお酒を勧めてきたけど、その時はビールが飲みたくて断ったことがある。父はせっかく僕のために買っておいてくれたのに…
掃除を手伝っていた時、壁掛け時計を父の不注意で頭に落とされたことがあり、つい、怒鳴ってしまったことがあった。もちろん父はわざとじゃないし、大して痛くはなかったのにあの時どうして怒鳴ってしまったのだろう。
僕の就職が決まったとき、お祝いに連れて行ってくれた中華料理店は余りにもカジュアルな店だったので、大して嬉しそうな顔をしなかったことがある。でも、もう少し嬉しそうな顔をすればよかった。

あの時いっしょに将棋をしていれば… あの時テレビを少し中断してちゃんと返事をしていれば… あのとき父が買ってくれた日本酒を喜んで飲んでいれば… あのときあんなに怒らなければ… あのときカジュアルな中華料理でも、もう少し嬉しそうにしていれば…

もしかしたら何か変わっていただろうか?

当たり前だけど、父にはもう何も伝えられないし、何も答えてはくれない。

かつて、父に仲のいい友人がいた。よく一緒に飲みに行ったり、旅行に行ったりしていた。僕もその人とは何度か会ったことがある。
ところが父はいつからか、その友人とばったりと付き合いが無くなった。
それでも、その方は父の葬式には来てくれた。

父が亡くなってしばらくして、母と二人で話している時に、ふと、その父の友人と父がなぜつき合わなくなったのか訊いてみた。
「お父さん、何で◯◯さんとつき合わなくなったの?」
もう、ずいぶん前のことだが、母は憶えていた。
「〇〇さん、女性にだらしなくてね。お父さんをだしに使って女の人と会っていたのよ」
何と父は友人の浮気が許せなかったから付き合いをやめていた。もしかしたら友人の浮気より、自分がだしに使われたことが許せなかったのかもしれないが。
その父の友人は、父と麻雀に行く、父と飲みに行く、そう奥さんに言って実は愛人と会っていたのだ。
この話を聞いて父にそんなストイックなところがあったのかと少し意外な気がした。

昔、母になぜ父と結婚したのかと訊いたことがある。
「浮気しないから」
母は答えた。
母の人を見る目は案外確かだったのかもしれない。

虫の襲撃

2022-10-16 22:15:26 | 過去の出来事
・同僚のH氏
 ある日、家の壁でゴキブリを発見。驚いて口を開けた途端、ゴキブリが飛び立  ち、何とH氏の口の中へ!
 口の中でバタバタという羽の感触。慌てて吐き出し、念入りに歯磨きをしてそうです。
 ゴキブリを見たら、驚いても口を開けてはいけません。

・妹が中学生の頃、寝ているときに頬がムズムズするので、パチンと手のひらで 頬を叩き、あまりに眠いのでそのまま眠りにつきました。朝、鏡を見ると、何 と、死んだ蜘蛛が頬に貼り付いていました。

お菓子の食べ方

2022-07-30 20:56:34 | 過去の出来事
新婚時代、少し味が違う同じお菓子を二袋、妻が買ってくる。
「食べていいからね」そう言って棚に入れる。
もちろん、全部食べていいという意味ではない。
妻がいないときに、おやつとして一袋を全部食べてしまった。
僕としてはもう一袋残っているのでいいだろうと考えていたら、妻は両方の味を食べたかったと言う。
「じゃあ、半分ずつ食べるね」そう言うと、妻は「少しずつ食べると思った」と言う。一回に数個ずつ食べるだろうと想定していたらしい。
いやいや、ちびちび食べていたら食べた気がしないじゃないか。できれば一袋をいっぺんに食べたい。
まあ、それが2種類を半分ずつでも構わない。
女と男という違いがあるのかもしれないが、僕はある程度まとまった量を食べないと気が済まない。ほんの少し食べるくらいなら、むしろ食べない方がいい。

また、味の違うお菓子が2つ置いてある。
「食べていいからね」
「半分ずつ残しておいてね」
気が向いたときに全部たべるから…

クラスメイトの死

2020-02-08 22:55:59 | 過去の出来事

高校の時に亡くなったクラスメイトの事を時々思い出す。高校2年生の時だ。その頃、授業はほぼ志望進路別になっていて、クラスメイトでも、ほとんど接点のない者も多かった。

亡くなったのは、ほとんど口をきいたこともない生徒だ。口をきかなかったのは、志望進路が違い、同じ授業をほとんど受けていないということもあったが、彼の素行の悪さに閉口していたからでもある。通っていたのはヤンチャな男子校。この中でも特に素行の悪い不良だった。

その生徒がある日、無免許でバイクに乗り、事故を起こして重傷を負った。

すぐに病院に担ぎ込まれ手術を受けることに。血液が不足していたため、クラスの担任が輸血を呼びかけ、何人かの生徒がそれに応じたが、僕は応じなかった。

彼の素行の悪さを普段からよく思わない生徒も多く、「死ねばいい」などと言う生徒もいた。

僕はそこまでは言わなかったが、仲のいいクラスの友人に「自業自得だよね」と言った。

その友人は「親の気持ちを考えたらそんなことは言えないはずだよ」と僕の発言を戒めてくれた。

友人の言う通りである。高校生の頃の僕は、そこまで頭が回らない未熟さがあった。

事故を起こした生徒は治療の甲斐なく間もなく死亡した。

「自業自得だよね」

ずいぶんとひどいことを言ってしまったなと後で少し後悔した。でも、それは、仲のいいクラスの友人に、ひどい男だと思われたかもしれないということへの後悔であり、亡くなった生徒に対してすまないという気持ちではなかったように思う。

あれから40年。

亡くなった生徒に対してすまないという気持ちがあるかと言われれば正直よくわからない。

クラスメイトが事故で死亡したという人生の中でも小さくない出来事だけが、風化しつつも記憶に留まっている。