まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

電車で編み物

2011-05-30 19:29:37 | 日記

会社からの帰りの電車の中、ドアの横で、椅子の端にもたれて立っていた。
ふと、前を見ると、やはり椅子の端にもたれて立っている人がいる。
痩せ型の中年男性。服装はラフな感じ。
見ると、立ったまま編み物をしている。
毛糸が入ったトートバックを肩からかけて、お腹の前で広げている。広げたバックの上で夢中になって針を動かして、小さな人形の帽子のようなものを編んでいる。
よく見ると、バックには編んで作ったハート形の小物がバッジにして付けられている。首からはやはり編み物のキノコ形のかわいい人形がかけられてあった。
それにしても、電車の中で、しかも立ったまま編むなんて、この男性、よっぽど編み物が好きなんだなあ~


キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるかデラックス

2011-05-24 18:03:04 | 書評
本のタイトルである。
書店で平積みになっているこの本のタイトルについ、惹かれてしまい、思わず購入してしまった。
これがなかなか面白い。
『日常生活のなかには“やってみたいけど、ちょっと勇気がいるような”と、ついためらってしまう、そんなシーンがちょくちょくある。
ヤクザに絡まれている人を助けるとか、そんな大げさな話じゃない。もっと些細な、もっとビミョウな、ほとんどどうでもいいこと、うまく説明できないが、やってやれないことはないけど少しばかり度胸がいるとか、恥ずかしい気持ちに打ち勝たなければならないとか、そういう種類のことだ』
そんな書き出しから始まり、作者の北尾トロ氏が実際に体験したことをレポートした内容である。
必然性もなく、特に誰からも褒められるわけでもなく、しなかったところで困ることもないので普段はやらない。やりたいけど、行動に移せなかったそんなことを、作者は果敢にチャレンジしていくのである。
電車に乗っていて、ふと目についたオヤジが気になって見ているうち「どんな人なのか、話してみたい」
作者はそんな要求がこみ上げてくることがあり、できれば居酒屋に誘って途中下車して、いっしょに飲むことができれば理想だと思う。
たまたま電車に居合わせたオヤジに声をかける。
しかし、何人かに声をかけるも、何かの勧誘かホモのナンパと勘違いされ、ささやかな望みはなかなか叶えられない。
もし、僕が見知らぬ男性に声をかけられ、居酒屋に誘われても、やっぱりついて行かないと思う。当たり前だけど、見知らぬ人はどうしても警戒してしまう。
作者は話しかける内容や路線などをいろいろ工夫するが、なかなかうまくいかない…
こういった実際にチャレンジした内容がレポートされている。
タイトルにもなった「鼻毛が出ていますよ」と面と向かって言えるかの章。
気の置けない仲の相手ではなく、初対面に人に対して、果たして、こういう事が言えるかどうか、作者は名刺交換したばかりの若い男性に勇気を出して注意する。
気まずくなることが予想されるが、結果は意外にも感謝されるのである。
知人に貸した小額金銭の返済を迫る。
これは、誰でも経験があるのではないだろうか、小銭など、ちょっと足りないからと貸した小額の金銭は、忘れられることが多く、返ってこないことがある。
しかも、小額ゆえ、なかなか返せと言いづらい。
好きだと言えなかったあの女性に23年のときを超えて告白する。
高校のとき、同じクラスだった女性にどうしても打ち明けられなかった気持ちを告白する章がある。作者は40歳ですでに結婚している。
高校卒業後一度も会ってない女性の実家へ電話をする。
偶然、女性は実家に帰っていて、再会の約束を果たす。
若い頃、どうしても打ち明けられなかった気持ちをそのままに今までずっと暮らしている人間は多いと思う。
今さら打ち明けたからといってどうなるものではないし、大切な思い出として胸にしまっておく方がいいようにも思う。女性にも既に家庭がある。
でも、作者は勇気を出して告白するのである。
その他、作者はいろいろなことにチャレンジする。
公園で遊んでいる子供たちに声をかけ、いっしょに遊ぶ。
電車でマナーの悪い乗客を叱り飛ばす。
激マズ蕎麦屋で味の悪さを指摘する。
クラス全員でさんざんイジメた担任教師に謝罪する。
母親に恋愛時代の話を訊く。等。
どうでもいいようなことを少し勇気をだして行動する。
その先は後悔するのか達成感があるのか、それは実際に行動してみないとわからない。


ラジオ

2011-05-20 19:50:10 | テレビ/ラジオ
家電量販店で、ふと見ると、ラジオの多くが売り切れになっていた。計画停電でテレビが観られなくなるので乾電池で作動するラジオに注目が集まったのだと思う。情報が得られない状況は不安である。
僕はラジオが好きだ。今でもよく聴く方だと思う。
会社の行きの電車では情報番組、帰りは野球中継を聴く。
車ではFMを流しているし、土曜日の昼からは久米宏の番組がお気に入り。平日の夜、寝る前は『ジェットストリーム』を聴くこともある。
中学時代は短波ラジオが流行り、海外の日本語放送を一生懸命受信した。深夜放送もよく聴いた。レンタルレコード店がまだなかった頃はFMから流れる曲をテープに録音した。
中学の途中で伊丹から浜松へ引っ越したとき、それまで大阪の毎日放送で放送していた『ヤングタウン』という番組をどうしても聴きたくて、高性能ラジオで浜松から大阪の放送を何とか受信した。耳を澄まして雑音の中から番組を懸命に聴いたのをよく覚えている。
中学のときに買ったソニーの短波ラジオは2万円以上した。かっこいいラジオだった。
あんなカッコいいラジオは二度と出てこないだろう。
中高生の時はテレビを見る時間より、ラジオを聴く時間の方がずっと長かったと思う。
息子はラジオを全く聴かない。部屋にコンポはあるので、その気になればいつでも聴ける。以前、基礎英語は聴いていたが。
中学になれば深夜放送を聴くのかと思っていたけど、どうやら今の中学生はラジオをあまり聴かないようだ。
僕が中高生の時は深夜ラジオはとても楽しみだったけど、今の中学生の間では興味はないようである。
それでもラジオは今見直されているという。『radiko』を使えば、パソコンやスマホからも聴取できる。
何かしながらも聴けるし、テレビより本音のトークが多いと思う。
手軽に情報をとれるところもいい。
もっと見直されてもいいのではないだろうか。


ひまわり

2011-05-13 23:42:40 | 映画

銀座のソニープラザの前で促成のひまわりが展示されていた。
でも、ひまわりを見ると、少し物悲しい気分になる。
映画「ひまわり」をどうしても想い出してしまうから。
僕にこの映画を奨めてくれたのは谷村新司。
中学のとき、ラジオ番組の中で、今度テレビでやるから、見るようにと話していた。
戦争で引き裂かれる男女の悲劇を涙しながら観たことを憶えている。
戦争で行方不明になった夫を探して、ソフィア・ローレンが演じる未亡人がイタリアからロシアへ旅立つ。
やがて、夫を探し当てるが、そこには残酷な運命が彼女を待っていた。
ロシアで一面に咲くひまわり畑をバックに流れるヘンリー・マンシーニの曲はとても印象的だった。
ひまわりは太陽に向かって懸命に伸びる。
でも、届かずにやがて枯れていく・・・
考えてみると悲しい花ですね。


原発是か非か

2011-05-09 19:37:09 | 社会問題

大学のとき、授業でディベートを行った。テーマは『原発是か非か』是側と非側に別れ、上級生がジャッジをする。是非は本人の考えとは関係なく、半々に分けられる。
当時は中曽根政権下、世の中の流れは原発推進だった。
僕は非側の班だったけれども、その時はまだチェルノブイリ原発の事故前だったし、非側には不利だった。それでも、何とか引き分けに持ち込めることができた。当時は二酸化炭素は争点にならなかったし、その後の油田開発で新しい油田がこれほど見つかるとは思っていなかったので、争点は安全性と化石燃料の枯渇が主だった。
原発に関する限り是非論は慎重にした方がいい。反原発にしろ、推進にしろ、最初に是非を決めてしまうと、最後まで平行線をたどり、着地点がなかなかないように思う。核開発とリンクさせて感情的に反対したり、逆に原子力を聖域として、絶対推進を唱えたり、極端な意見からは建設的な話になりにくい。それぞれのメリットとリスクを全てあげて行き、評価をしてから結論は最後に出す方がいいのではないだろうか。
現在と大学生当時と違う点は自然エネルギーが実用化されていることと、二酸化炭素の排出が深刻な問題になっていること。
反原発の一番の理由は言うまでもなく事故による放射線放出のリスク。これは絶対にゼロにはならないと思う。確率論的に一万分の一まで対策をたてるのか、あるいはそれでも不十分で一億分の一まで確率を減らさないといけないのかということであって、決してゼロにはならない。当然確率を低くすればするほどコストはかかる。
航空機による自爆テロなどには、根本的な対策が立てられない。
そして、推進派にとって難問なのが核廃棄物の処理問題。一部は再処理してリサイクルされるが、地下に埋めて半永久的に管理し続けなければならない。
ランニングコストは原発が安いと言われているが、核廃棄物の処理コストや事故のときの補償コスト、廃炉にするのにもコストがかかる。
それらを含めると膨大なコストになる。
一方火力発電は依然化石燃料の枯渇問題はある。ウラニウムも限りある資源ではあるが、化石燃料に比べれば遥かに長い期間供給できる。
二酸化炭素の排出問題もあり、排出権を他国から莫大な金を払って購入しなければならないというコストの発生も予想される。
火力は発電所そのものは安全でも、採掘に危険が伴う。石炭の採掘現場では粉塵被害により毎年作業員が亡くなっている。
太陽光発電のランニングコストは今のところ原発の10倍。米国では2020年には太陽光発電と原発のコストを同じにすると発表されたが、雨の多い日本ではどうだろう?
土地の確保という問題もあり、何より太陽光発電は雇用を生み出さない。コスト削減にはパネルの寿命を大幅に向上させる必要がある。
風力発電は風向きがころころ変わる日本には不向きだし、低周波発生の問題もある。波力発電もコストがかかる。自然エネルギーは安定供給が出来ないので補助的な発電に留まるのではないだろうか。
地熱発電はもう少し見直していいと思う。日本は火山国なので、国産の資源と言える。安全性も高く、発電量も多いが、試掘を繰り返すため、膨大な初期コストがかかる。しかも、設置可能な地点の多くが国立公園内にあるため、なかなか許可が下りない。
現在7ヶ所が稼動し、国内電力供給量のわずか0.2パーセントに留まる。新規建設の予定もないという。
国内電力の3割を供給する原発の発電量にこれらの自然エネルギーの発電で置き換えることが果たして可能なのだろうか?
二酸化炭素の排出の問題がさらに深刻になった場合、火力の割合は減らさざるを得なくなり、ほんとうに原発なしで電力は供給できるだろうか。
そして、やがて化石燃料が枯渇したとき、自然エネルギーと水力だけで全電力を供給できるのか?
できるかもしれないし、できないかもしれない。
どんなに推進しても自然エネルギーで賄える電力は5パーセントまでという試算もある。
原発にもリスクはあるが、原発がない場合も、相当リスクを伴うのだ。
100年ほどのスパンで考えると核融合も有力なエネルギーであると思う。核融合は核分裂と違い、放射線は放出しないクリーンなエネルギーだが、超高温に耐える金属の開発など越えなければならないハードルは多い。
福島第一原発の事故後、現在稼動可能な原発の安全性の見直しは当然行わなければならないとしても、新規建設をしないかぎり、やがて原発は無くなっていく。耐用年数は小泉政権のとき60年に延長されたが、40年がいいところだろう。
ただ、今後は原発の新規建設は難しいと思う。
新規建設しないという事は、いずれなくなるという事になる。
もし、それまでに自然エネルギーによって十分な電力が賄えない場合は、原発の新規建設は必要になってくるかもしれない。
少し時間がかかっても、政府は電力供給のグランドデザインを示す必要はある。