まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

自衛隊音楽まつり

2012-11-17 15:01:07 | 音楽

会社での朝、「自衛隊音楽まつり」のチケットをもらった。
その日の夜7時から。
どんな内容か知らなかったけど、絶対に見て損はないと言われた。
仕事を早く切り上げて、武道館に出かける。
チケットは自由席、ぎりぎりだったので、座った席は端っこの後ろの方。
客席は満員、人気の高さが伝わってくる。
料金は無料だが、はがきで応募する必要があり、競争率は10倍ほどだそうだ。
防衛大臣の挨拶、国歌斉唱のあと、プログラムが始まる。
ロンドンオリンピックでメダルをとった自衛官4人も挨拶に駆け付けてくれていた。
各地区の音楽隊が順番に演奏を披露していく。
一糸乱れぬ吹奏楽のグレードの高さに、まず驚かされる。
米軍の音楽隊も参加し、場を盛り上げてくれる。
ロンドンオリンピックに因み、「炎のランナー」から始まり、知っている曲も多いので、すんなり入っていくことが出来た。
沖縄のエイサー隊のパフォーマンスもあり、「涙そうそう」などの曲目も。
案外、ボーカルがしっかりしていることにも驚かされる。
一番驚いたのは自衛太鼓と呼ばれる和太鼓の演奏。
大小の和太鼓が会場いっぱいに埋め尽くされ、その迫力には圧倒される。
武道館の天井が落ちてくるのではないかとおもうくらいの迫力がある。
最後はゆずの「虹」で締めくくられ、プログラムは終了。
とっても、楽しめる内容で、人気の高さにもうなずける。
「行って損はない」という言葉に、まったく嘘はないと感じた。
あっという間の2時間だった。





一人称

2012-11-10 20:35:42 | コラム

俺、僕
気分によってはその中間のこともある。
その中間の言葉はないので、使うときは過半数的な気持ちや立場を代表する一人称を選ぶことになる。


学生時代、一人称を自分と言ったり、わしという人がいた。
広島ではわしと言うらしいが、東京ではそれは抵抗がある。
かと言って俺や僕はもっと抵抗があるので、自分と言っていたらしい。
わしと言っていた人は、抵抗があっても使い続けたわけである。
一人称で、最初に僕という一人称を使った人は高杉晋作だと言われている。
上品で当たり障りはないけど、何となく意思を通す力強さに欠ける感じがある。
対して、俺という言い方は中のいい友人にはいいが、少し上から目線な感がある。
日本語は時と場合、あるいは気分によって様々な一人称があり、難しくもあるけど、面白くもある。
英語では全て「I」 簡単でいいが、微妙な一人称のニュアンスは伝わりにくい。
日本語は普段使わなくなった言葉も含めると、実に多くの一人称が存在する。


ざっとあげてみると…
わたし、わたくし、僕、自分、俺、わし、あたし、あたい、わい、わて、
わだす、うち、おいら、おら、おい、おいどん、うち、ぼくちゃん、ぼくちん
おれっち、おりゃあ、わたしゃ、あたしゃ、わしゃあ、おらぁ、当方
吾輩、それがし、朕、麻呂、われ、余(予)、小生、あっし、あちき、わっち
拙者、みども、やつがれ、手前、こちとら、こなた、俺様 等


昔より、日本では自らの気持ちや立場などを一言で言い表す様々な一人称が使われてきた。
こんなに多くの一人称の言葉が存在する国は、恐らく世界でも日本だけではないだろうか。


埼玉の逆襲

2012-11-02 18:22:22 | 書評
谷村昌平著『埼玉の逆襲』という本がある。
わざわざ逆襲が必要なほど、普段は下に見られているということだろうか?
特に首都圏では千葉県と並び埼玉県は東京や神奈川から、あたかも片田舎であるような扱いを受け、埼玉に至ってはダサいという語源にまでなった。
だが、この本を読めば、埼玉県人であることにちょっぴり誇りが持てる。
日本列島のほぼ中央、人間の体でいうと心臓にあたる位置に埼玉県はある。いにしえより、大災害の影響を受けにくい土地だった。台風も少なく、なにより海がないため津波の心配もない。
関東大震災後は、被害の少なかった埼玉に東京や神奈川から多くの人が移り住んだそうである。
奈良時代は高麗人の集団移住があり、彼ら渡来人の活躍もあって、国内でも最先端の文化を誇る地域だった。
いまでも高麗という地名が残っているし、新座という地名は新羅から変化したものらしい。
県庁所在地はさいたま市、2001年に浦和、大宮、与野が合併して誕生した政令指定都市である。人口は122万人、みなさんは埼玉県に100万都市があるなんてご存知でしたか?
京都市や福岡市とも肩を並べる大都市なのである。
埼玉県には、全国一というのがけっこうある。
川の流域面積は日本一だし、1年間の快晴延べ日数も全国一、市の数も日本一、アイスクリームと洋菓子の出荷額も一位、若年層の割合も全国一で老齢人口は最下位だから、日本一若い県と言える。
医薬品の生産も日本一、浦和所沢街道両側に並ぶケヤキ並木の長さも日本一。
ケーキやパスタの消費量も日本一だ。
行田市にある丸墓古墳は円墳としては日本一の大きさを誇る。
日高市にあるサイボクハムは国際食肉プロフェッショナル競技会をはじめ、世界の食品コンテストで実に700個以上の金メダルを獲得した世界一のハムなのである。
埼玉発のチェーン店もけっこうある。
ファッションセンター「しまむら」、「かっぱ寿司」に「サイゼリア」ラーメンチェーンの「日高屋」焼肉の「安楽亭」など。
また、歴史上いち早く埼玉に導入されたものとしては、人力車や英語教科書、理髪店、図書館、西洋医学の病院などがある。
埼玉県には、何々の街と冠した個性的な都市が多い。
鋳物の街川口、小江戸川越、お茶が有名な狭山、煎餅が有名な草加、日本一の葱の産地深谷、人形の街岩槻、鯉のぼりとうどんの街加須、古墳の街行田、和紙の小川、箪笥の春日部、足袋の行田、首都圏でも有数の繁華街を擁する大宮、日本有数の文教地区浦和は、芦屋、田園調布と並び、日本三大高級住宅地として知られている。
そして、日本一暑い街熊谷。
埼玉県出身の有名人も多い。
『のぼうの城』で一躍有名になった成田長親。彼の守る城、忍城は豊臣秀吉が唯一落とせなかった城である。
忍城は現在の行田市にあった。
実業家の渋沢栄一、江戸城を築いた太田道灌も埼玉出身である。
芸能人では、竹内結子、菅野美穂、反町隆史、竹野内豊、YOU、所ジョージ、太田光、オードリーの春日俊彰、草なぎ剛、山口達也、森田剛、本木雅弘等。
歌手では、尾崎豊、CHARA、高見沢俊彦等。
文化人では、蜷川幸雄、森村誠一、久米宏等。
スポーツ選手では中澤祐二、川島永嗣、F1の鈴木亜久里、そして石川遼。
埼玉は水田地帯、畑作地帯ともに生産性が高かったこともあり、突出した大土地所有者が少なく、激烈な階級対立とは無縁の土地であった。
そのことが没個性的な県民気質と見られがちだが、実は何事にも動じないマイペースさと柔軟性を持ち合わせている。
石川遼くんが持つバランス感覚も、埼玉の風土が育んだものかもしれない。