まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

築地場外市場

2019-11-23 14:30:42 | グルメ

久しぶりに築地場外市場へ行ってきた。
市場が豊洲に移転しても賑わいは変わらない。

外国人観光客が多く、英語、中国語などの外国語がそこら中に飛んでいます。




卵焼きは『丸武』と『山長』を食べ比べ。
『丸武』は甘くてスーツ的な感じ。対して『山長』はおかずとしていけそうな感じ。

サザエのつぼ焼き、ビールが飲みたくなります。

海鮮丼、探せば1600円くらいで美味しい店が見つかる。

 


ゴッホと言えば龍角散

2019-11-16 22:51:02 | 芸術


上野の森美術館へ『ゴッホ展』を見てきた。
20分ほど並び、館内へと入るが、中も人が多く、絵を真ん前で見るにはかなりの時間を要した。絵の鑑賞というより、他人の後頭部の堪能する時間の方がはるかに多い。
有名な絵はなかったが、時系列順にゴッホの作品や彼に影響を与えた画家の作品も展示されてあり、ゴッホの作風が変わる様子が分かりやすく展示されてあった。

ファン・ゴッホは、1853年、オランダ南部のズンデルトで牧師の家に生まれた。
ゴッホが生きている間、彼の絵はほとんど売れなかった。どうやってその間生活したのか?それは、画廊に勤める弟のテオが自らの給料の半分をゴッホに仕送りしていたからである。その代わりテオはゴッホの絵の権利を独占する契約を結んでいたのである。

展示会では、初期のハーグ派の影響を受けた暗い作風から、農民画家を目指す過程をえて、印象派に学び、明るい作風へとタッチが変わる様子が見て取れる。そして、やがて彼独自の作風を確立していく。

1890年、自らの人生を自らの手で終わらせている。

ゴッホは天才と呼ぶにはあまりにも紆余曲折が長かった画家ではなかったかと思う。新しいものを生み出すには、相応の努力と苦しみを引き換えにしなければならない。ゴッホの絵を見ながらそんなことを感じた。


父の幽霊

2019-11-10 00:26:37 | 怪談

今年何度目かの帰省で実家に戻った。その日は二人の妹と母と、久しぶりに4人揃う予定だ。
鍵を開けて家の中に入ると、死んだはずの父が居間のテーブルの奥に座っていた。

また来てる…

そう思って母に話しかける。
「お父さん、まだ自分が死んだことに気が付いてないの?」
父は死んでから間もなく2年になる。
「何も悪いことはしないけど…」
母は困ったような表情を見せる。

最初に父の幽霊を見たときは驚いたが、最近は見慣れてきた。
二人の妹も特に気にする様子もなく、座ってテレビを観ている。
母の話だと、先日父の幽霊が家の庭に現れて、隣の住人が驚いて家へ入ってしまったそうだ。
そりゃ、そうだろうな。僕は隣の住人に少し同情した。

僕も居間のテーブルの椅子に腰かけると、母が話題を変えた。
「最近、家にいたずらする人がいるの」
「どんないたずら?」
「貼り紙していくのよ」
母は毎日のように貼り紙を剥がすらしい。
質の悪いいたずらをする奴がいるもんだ。

次の日の朝、寝室の窓から、ぼんやり外を眺めると、家の門に貼り紙をする男が見えた。
スーツを着た若いサラリーマン風の男である。
とっちめてやろうと思い、家から飛び出して、男に声をかける。
「こら! 何してる!」
男は、悲鳴を上げて尻もちをついてしまう。
顔を引きつらせ、ガタガタと震えていた。
いたずらを注意されたくらいにしては、あまりの驚きようである。
「あなたこの家のご長男ですよね」男が言う。
「そうだよ、こんないたずらするなよ!」
「いたずらじゃありませんよ。僕は不動産会社の者です」
見ると、門に『売家』と書かれた貼り紙がしてあった。
「ここは母がまだ住んでる。今日は二人の妹と僕もいる」
「いい加減、自分たちが死んだことに気づいて下さいよ」
「死んだのは父だけだ」
「お父さんが死んでからしばらくして、お母さんが住んでいるこの家に娘さん二人と、あなたが帰ってきたところに強盗が入って、4人とも殺されたんですよ」
「?」
「強盗はお母さんの独り暮らしだと思って忍び込んだところにあなた方と鉢合わせして、ナイフで刺したんです」
気が付くと、家族全員が家から出てきていた。
みんな悲しそうな顔をして僕を見ている。
死んだのは父だけじゃなかったのか…


正倉院の世界

2019-11-02 20:25:09 | 芸術

上野の東京国立博物館へ『正倉院の世界』を見に行ってきた。
奈良では毎年『正倉院展』が開催されているが、東京で開催されるのは38年ぶり。正倉院に収められていた宝物の代表作が公開されている。
奈良、東大寺の横にある正倉院には9000点にものぼる文化財が収められている。そのうち国内で製造されたものは9割。1300年もの時を超えて文化財を現在に伝えているのである。

校倉作りと呼ばれる正倉院の建物は三角形の切り口の角材を横にしていくつも重ねて作られている。晴れた日には角材の間にわずかな隙間が生まれ、風通しをよくし、雨の日は角材が膨張して隙間を塞ぎ、湿気をシャットアウトする。保存技術の粋を集めたタイムカプセルのような巨大な防湿庫である。現在は昭和に建てられた防湿を完備した近代的な建物に文化財を移している。
展示会では正倉院実物大の部分模型が展示されていた。 床まで3メートルくらい、かなり大きな建築物だ。

今回の展示会の目玉は『螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんのごげんびわ)』
世界でも現存する五弦琵琶は正倉院に残されたものだけだそうだ。(写真は絵葉書)

この度、8年をかけて復元された『螺鈿紫檀五弦琵琶』も同時に展示されていた。実際に演奏された音を録音したものが会場で流されていてとても美しい音色である。明治にも一度復元されたことがあり、そちらも展示されており、撮影がOKだった。

大仏を建立した聖武天皇と光明皇后の思い出の品の一つ、平螺鈿背八角鏡(絵葉書)

銀薫炉(絵葉書)

紺牙撥鏤碁子(絵葉書)

螺鈿紫檀阮咸(明治に復元されたもの)