まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

携帯二宮金次郎

2010-02-24 23:15:34 | 社会問題
携帯画面を見ながら歩く人が何と多いことか。
女性に多い気がする。
仕事の帰り、地下鉄の乗り換えコンコースなど、見渡すと必ず何人か見かける。
本人は大丈夫と思っているのだろう。
まだ、電車の中で操作をするのは判る。オフィス内で携帯を操作するのは憚られるのも判る。でも、歩きながらの携帯はどうかと思う。
イヤホンで音楽を聴いたりするのとは根本的に違う。本を読みながら歩くのと同じだと思う。行儀がいいとは思わない。
転んだり、どこかにぶつけるのは自業自得なので仕方がないが、問題は周りの人が危機回避のために神経を使わないといけなくなることだと思う。
本人は問題ないと思っているが、周りの人が気を回して避けているだけのことが多い。
多くの小学校で二宮金次郎の銅像がある。
本を読みながら薪を担いで歩いている姿は本来、誉められる行為ではないはずだ。
しかし、彼の姿は賞賛と共に語られている。
携帯を見ながら歩く人も、無意識に本を読みながら歩く二宮金次郎の姿と自分をダブらせているのかもしれない。
目的地までの歩く時間が待てないような緊急な内容だとは思わない。
操作しながら歩くのであれば、急いで目的地へ行き、携帯を操作する方が数倍いいと思う。
先日、自宅の近くで、自転車に乗りながら傘を差し、携帯画面を見ながら操作している器用な男子高校生を見かけた。
事故を起さないようにね!


男子校

2010-02-21 20:35:26 | 過去の出来事

高校の3年間は男子校だった。
浜松にあるその私立高校は当時は県下でも有名なツッパリ高校。
滑り止めで受けることの多いこの高校は頭のいい奴もいたが、何故かみんなガラが悪い。
やくざの予備軍のような連中もたくさんいた。
根はみんな良い奴だったが・・・
トイレで煙草は当たり前。
万引きやバイク事故などで、停学処分者は後を絶たなかった。
掃除はみんなサボってほとんどしないので、教室はメチャクチャ汚い。
エロ本は当然のようにみんな学校に持って来て、それは特に先生も注意しなかった。
とても勤まりませんと辞表を出す先生もいて、残った先生は腕っ節の強い先生ばかりだった。
それでも、卒業式のあとは、お宮参りを恐れて先生たちはそそくさと帰って行く。
そんな中、見かけは大人しそうな国語担当のN山先生がいた。
大人しそうな先生なので、生徒は最初舐めてかかって、ある生徒がひどくバカにした発言をした。
怒ったN先生はその生徒の足くびを拙み、なんと、2階の窓から生徒を逆さ吊りに・・・
今、そんなことをしたら大問題になるところだ。
N山先生は見かけによらず国士舘出身で、あとでいろいろな武勇伝をきいた。
生徒がやくざから生徒手帳を取り上げられ、金を要求されたことがあった。
N山先生は単身乗り込んで行って、やくざと話をつけて生徒手帳を取り返して来たそうだ。
ちょっと恐かったけど、なかなか楽しい3年間だった。
みんな女子とはほとんど交流もなく卒業するので、女心は分らない生徒が多かったと思う。


卒業してから何年かして、3年の時の担任のI井先生と会う機会があった。
そのときは、母校はすでに共学になっていた。
「女の子は何かあるとすぐに口をきいてくれなかったり、やりにくいよ。男子校の方がよかった」
I井先生はそうおっしゃってました。
女心がわからなかったのは生徒だけではなかったようだ。


料亭の女将と亭主

2010-02-17 19:02:37 | 過去の出来事

母方の祖母は名古屋では少し有名な料亭の女将だった。
跡継ぎがいないため、店を閉めて隠居したが、96歳まで生きた。
10年ほど前に他界したが、体に良いと思われるようなことは全くしていなかった。
ずっと煙草を吸っていたし、塩辛いものが大好きだった。
ただ、職業柄なのか、よく動いた。
遊びに行って食事を出されると、空いた器はその傍から片付けていく。
ちっとも座っていないおばあちゃんで、よくしゃべる。
母の兄が早くに他界したので、その子供(僕の従兄弟)の父親代わりも勤めた。
料亭を切り盛りするだけのことはあって、祖母は気が強く、少しおっかない。
「こん、たわけの子が!」
子供の頃、僕も容赦なく叱られた。


祖母の旦那、つまり僕の祖父は仕事をしないでぶらぶらしていた。
僕がまだ小さい頃、当時住んでいた伊丹から名古屋へ遊びに行くと、祖母は仕事、祖父は庭の池の横の椅子に座って日向ぼっこをしていた。
祖父は、僕が幼稚園の時に亡くなった。
連れ合いを亡くしても祖母はそれから30年以上生きた。
そんな仕事もしない祖父を母は大好きだった。
知識が豊富でいろんなことを教えてくれたそうだ。
祖母も、祖父が死んでからもずっと祖父の写真を部屋に飾っていた。
僕は祖父の記憶は小さいときのかすかな記憶しかない。


仕事をしないでぶらぶらしていてもみんなから愛された祖父は、いったいどんな人だったのかとても興味がある。
長生きしていれば、その極意を訊いてみたかったなあ~


路上で倒れていた人

2010-02-12 23:46:00 | 日記
先日、会社のある都内のJRの駅近く、商業施設の横の歩道を歩いていると、自転車が並ぶ一角に、若い男性が倒れているのを見つけた。
午前中なので、酔っ払いではない。
身なりもちゃんとしていて、スーツにトレンチコート、ビジネスバッグを手にしている。
近寄って行って、声をかけてみる。
返事はない。
ポンと体を叩いてみるが、やはり何の反応もない。
完全に気を失っているようだ
人通りは頻繁というほどではないけれど、道行く人はけっこういる。
みんなチラリと男性の方は見るけれど、そのまま通り過ぎてしまう。
救急車を呼ぼうかと思ったが、近くに交番があるのを思い出し、全速力で走って行き、お巡りさんを呼びにいく。
交番には中年の巡査が一人いたが、持ち場を離れるわけに行かないと言う。
ちょうど若い巡査が巡回から戻ってきたので、その若い巡査を連れて、駆け足で倒れている男性のところへ行く。
女性が、倒れた男性を覗き込んでいたが、知り合いではなく通りすがりの人のようだった。
巡査に住所氏名をメモするように言われたので、メモを渡し、仕事の約束があるので、僕は巡査にあとを託してその場を立ち去った。
僕が声をかけるまで、若い男性はどれくらい倒れていたのだろう?
何故、みんな人が倒れていても平気で通り過ぎてしまうのだろう?
関わりあいになりたくない気持ちは判るけど、もし、自分が同じように倒れたときのことを想像してみてほしい。
夕方、社に戻ってこの話しをすると、若い男性社員のお父さんは、脳溢血で倒れて、路上に3時間も放置されていたそうだ。夜だったので酔っ払いだと思われたらしい。
お父さんは助かったから良かったが、もう少し遅かったら命はなかったかも知れなかったそうだ。
路上で倒れていた男性がその後どうなったのかは確認してない。
回復してくれていればいいんだが…


人生の扉

2010-02-10 19:22:30 | 音楽

竹内まりやのアルバム『デニム』を気に入って何度も聴いている。
その中にある『人生の扉』という曲の歌詞は、かみ締めるように聴いています。

歌詞を一部引用する。

気がつけば五十路を 越えた私がいる

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう

どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ。

これ、よく分かります。
まだ五十路にはなってないけど、人生の折り返し地点はとうに過ぎています。
大学で専攻していた心理学で、ある先生が言ってました。
7歳の子供と70歳の老人では、時間の感じ方はおよそ10倍違うという説があると。
歳を重ねるに連れて時間の感じ方は早くなる。
竹内まりやの言葉を借りると、
信じられない速さで時は過ぎ去る。
だから、できるだけ今を大切にしたいと思う。