まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

登呂遺跡

2014-08-31 14:00:49 | プチ観光名所

先日、静岡市内にある登呂遺跡を訪れた。

弥生時代後期の集落・水田の跡である。

再現されている竪穴式住居に入ると、外は真夏の炎天下にも関わらず、ひんやりとして心地よい。床は土間なので、ここへ敷物を敷けば、キャンプ感覚で一晩泊まるのも悪くない。蚊の対策のために締め切ったとしても、それほど寝苦しい夏の夜ではなさそうな住居である。藁は保温性も高いときいたことがる、冬は暖かいのだろうか。

藁ぶきの家屋は案外快適な空間を提供してくれていたのかもしれない。

住居に隣接して建てられている高床式倉庫もよく考えられていると思う。米などを保存するための倉庫だが、背丈より高い位置、柱の上に倉庫を建設してあり、湿気やネズミなどから作物を守っている。

稲作が行われるようになってから、人々の生活はずいぶんと変わっただろう。

主食を確保できるということは、飢えから解放され、それまで一日の大半を狩猟のために費やしていた時間が他のことにも使えるようになるからである。

哲学的なことを考えた人もいたかもしれない。歌を歌った人もいただろう。様々な遊びを考案した人、物語を考えた人もいたかもしれない。葉っぱを使って工作を楽しんだり、土に絵を描くのが得意な人もいただろう。

考えてみれば、農業の発明がその後の文化を創り出した根本なのではないだろうか…

だが、副作用もある。

保存された作物を狙い、村を襲う人間が現れたからである。

様々な調査から、狩猟時代より農耕が始まってからの方が武器は進化したという結果が得られている。

それが発展して戦争になり、今に至っている。

 

 


あきらめの夏

2014-08-23 22:36:00 | 音楽

82年のアルバム『NUDE MAN』に収録されている桑田佳祐の名曲である。

最初、この歌の意味は恋人と折角海に来たのに、雨に降られて、楽しい夏をあきらめるという内容だと思っていた。でも、もっと深い意味がありそうな歌である。

以下、僕なりの歌詞の解釈をしてみる。

彼女と海に来たのはいいが、思いがけない雨でホテルへと駆け込むことになる。

でも、実はこの彼女は彼が本当に好きな女性ではない。

本当に好きな女性と海へ来たかったがそれは叶わず、あまり好きでない女性とのあまり楽しくない夏の海。そして、追い打ちをかけるように急な雨が降ってくる。

ほんとうに好きな彼女の水着を見ることは出来ず、岩影に見えたのは好きな彼女のまぼろし。

好きな女性をあきらめるための夏の時間を別の女と過ごす男の、ある意味身勝手な気持ちを歌った歌ではないかと思う。

意味シンなシャワーのあとに恋人も泣いているという歌詞がある。

連れてこられた彼女は自分が本命でないことに気付いているのではないだろうか。

それでも男の事が好きで、表面上の楽しい時を過ごす健気な彼女だったが、思いがけない雨に降られる。見せかけの彼との楽しい時間もあきらめなくてはならなくなり悲しい気持になる彼女。うらめしげに渚を背中で見ている。でも、正面では一生懸命に作った笑顔を彼に向けているのだろうか。

雨は二人の気持ちを象徴している。

 

英語の部分は、そんな彼女の心の叫びのように思える。

 

Darlin' can't you see?

ダーリン、(私の気持ちが)分からないの?

I'll try to make it shine

(あなたの気持ちを)晴れさせてみせるわ。

Darlin' be with me

私と一緒にいて

Let's get to be so fine

(気持ちが)晴れるまで


うれしい悲鳴

2014-08-16 20:35:40 | 笑える話

ニュースなどで、よく「うれしい悲鳴」という言葉を聞く。

普段、身の回りではあまり使わない言葉である。

 

うれしい悲鳴・・・

どんな悲鳴のことをさすのだろう。

 

ちょっとやってみた。

 

「ぎゃあ~」

 

こんなもんだろうか・・・

 

せっかくなのでいろんな悲鳴を上げてみた。

 

ロッカーを開けたら中にのっぺらぼうがいたときの悲鳴

 

「ぎゃあ~」

 

海水浴をしていたら、目の前に大王イカが現れたときの悲鳴

 

「ぎゃあ~」

 

朝、起きて、ふとベランダを見たらワニがいたときの悲鳴

 

「ぎゃあ~」

 

立ち食いソバの汁を飲み干したら、中からゴキブリの死骸が出てきたときの悲鳴

 

「ぎゃあ~」

 

どれも同じような悲鳴である。

 

つまり、

うれしい悲鳴=ソバの中からゴキブリが出てきたときの悲鳴

ということになる。

 

つまり、

うれしい=ソバの中からゴキブリが出てきたとき

 

ということになるのかな?

・・・ならないか?

 

まあ、どうでもいい話である。


アナと雪の女王

2014-08-10 15:26:52 | 映画

もともとミュージカルがあまり好きではない。

実写のミュージカルには2,3の例外を除いてどうしても作品に入り込むことができない。

映画というリアルな映像の中で、セリフを歌に乗せてしゃべるという非日常的なシチュエーションにどうしても違和感を覚えてしまう。

身の回りで、自分の気持ちを歌で表現している人はいない。もしいたら鬱陶しい。

演劇であれば、リアリズムとは少し違う表現方法としてミュージカルもあっていいと思う。

でも、映画ではどうだろう…

少なくとも映画で登場人物が歌いだすシーンでは僕は白けてしまう。

絵で表現するアニメではどうか。

日本では少ないがディズニーのアニメではミュージカルスタイルの作品が多い。

『アナと雪の女王』

松たかこが歌う曲はヒットし、作品の評判もいい。

だか、僕は作品としての完成度は高いとは思うが、歌が邪魔に思えて仕方がない。

ミュージカルという表現手法を無くして、もっと別の手法を使っていたら、もう少し心に入ってきたように思う。

CGの氷や雪の描写はすごいと思うし、絵も美しい。

キャラクターも日本人に受け入れやすいと思う。

ストーリーは良くも悪くもシンプルである。

アニメで登場人物に歌と踊りをさせるのは簡単なことではないと思う。

口の動き、体の動作、よく作りこまれているとは思う。

素晴らしさは認めるけど、やっぱりその世界に入っていけませんでした。


かごめ

2014-08-03 00:47:54 | 怪談

かごめかごめ

籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った

うしろの正面だあれ?

 

「絶対に後ろを見てはいけません」

 

小さい頃、加世は姉からよくそう言われた。目をふさいでしゃがみ、歌が終わった時の自分の真後ろの子が誰か当てる。

当てられたら鬼は交代

でも、後ろをこっそり見たら、大変なことがおこる。姉にはそう言われていた。

加世はこの遊びが怖くて仕方がなかった。 歌詞の意味がよくわからない。でも、なんだか気味が悪い。

 

うしろの正面だあれ?

その日、歌が終わるとうしろで声がした。

「加世ちゃん」

誰かに呼ばれたと思って目を開けて振り返った。うしろに姉がいた。

姉は加世を睨むようにして話す。

「うしろを見たわね」

加世は泣きそうになって答えた。

「だって誰かが私を呼んだ」

「誰も呼ばないよ」

「・・・」

「知らないよ、大変なことになるわよ」

 

それから何年も経った。加世が高校生になったある日の夕方、一人部屋の机の前でうとうとしてしまった。

加世は夢を見ていた。夢の中では、白い着物を着た女の人が竹の籠に閉じ込められ、板の上に乗せられて数人の男たちが板を運んでいた。

女は手足を縛られ、口の周りも縛られている。

時代は江戸時代だろうか。みんな着物を着て、男たちは髷を結っている。

薄暗い寒村を一行は進んでいく。

はっとして目を醒ます。もう夜になっていて、灯りの点いてない部屋は真っ暗だった。

 

「加世ちゃん」

 

うしろから誰かの声がした。あの時と同じだ。子供のときのかごめのあの声…

加世はゆっくりとうしろを振り返った。

 

「今度はあなたが鬼よ」

 

一瞬にして自分の部屋にいたはずの加世は竹の籠の中に閉じ込められていた。

手足を縛られ、夢で見た寒村の中を運ばれているのだった。

加世は何故か白い着物を着ている。あの女の人が来ていた着物だった。声を出したかったが、口も堅く縛られている。

 

え!? どうして?

 

何故か夢の中の女と入れ替わっている。きっと夢だ。そう思おうとした。でも、縛られた手足から痛みが伝わってくる。

夢ではない。

 

かごめは籠女のこと

籠に入れられた罪人は人に見られないように夜明け前に処刑場に運ばれる。

鶴と亀がすべる… 

それはもっとも最も不吉なことを表す。

籠の中から鳥が出やるとき、

それは処刑するときのこと。

 

そう、かごめは処刑の歌

 

処刑場で加世は籠から出された。

目の前には刀を構えた男がいる。

抵抗したが、数人の男たちに無理やり連れていかれた。

私は違う!そう叫びたかったが声は出なかった。

 

処刑場の柵の外から女が加世を見ていた。加世の前に籠の中にいた女だ。

うす笑いを浮かべてつぶやく。

 

「うしろの正面だあれ?」

 

処刑場で加世は男たちに押さえつけられ、地面に座らされた。

刀が振り下ろされる。

首が胴体を離れて地面に転がり落ちる。首を刎ねられた加世が薄れいく意識の中で最後に見たうしろの正面、それは首のない自分の胴体だった。