まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

人間は何故恋に落ちるのか

2017-02-19 17:24:17 | 雑学

マサチューセッツ工科大学に利根川ラボという研究機関がある。ノーベル賞を受賞した利根川進が所長を務めている。そのラボの研究者の一人、奥山輝大は恋愛のメカニズムを解明する研究をしている。

男と女が互いに惹かれあう時、匂いというファクターが重要であることがわかっている。
免疫分子の一つである『MHC』のタイプが違う相手を人間は好きになる。すなわち遺伝的に遠い人を結婚相手としてふさわしいと判断する。その方が自分の免疫学的な欠点を補いあい丈夫な子孫を残すことが出来るためである。
異性と付き合う時、相手の匂いをかいで好きになるわけではない。当人同士は気が付いていないが実は人間はそれを感じることが出来るのではないかと言われている。恐らくその感覚は鼻で感じているのだろうけど、それを意識することはなく、それは我々がまだ解っていない感覚なのかもしれない。

恋愛のメカニズム研究が進むと究極の媚薬を作ることが可能になるかもいれない。その媚薬を使うと特定の相手に自分を好きにさせたり嫌いにさせたりすることも可能である。利根川ラボではすでにマウスを使った実験を成功させており論文も発表されている。
さらにラボでは記憶をコントロールする技術が使われており、人工的に記憶を書き変えたり思い出させたりするということが可能になっている。ある特定の人の記憶を刺激と共に思い出させ快楽や恐怖などと関連させることにより、特定の人を好きにさせたり嫌いにさせたりすることもできるという。倫理的な問題はあるが、人間の感情をコントロールすることが可能なのだ。


公園のベンチに似合う人

2017-02-11 23:14:03 | コラム

公園のベンチを見て、ふと考える。
ここへ座ったとして、風景の中で僕はどんな風に他人の目に映るだろう。
こんなおっちゃんだし、絵になる風景とは思わない。
全身から人生の深みを滲み出すような渋さは全くなく、中年男が少し疲れた雰囲気を漂わせながら、風景との違和感を少し醸し出す様な残念なビジュアルになるだけだと思われる。
スーツ姿のサラリーマンは職場や移動中の電車や車が似合っている。普通に考えると無縁である公園のベンチには似合わないのも道理である。
公園のベンチに座って絵になるのは、例えば小さな子供を遊ばせながら、優しい微笑を浮かべて見守るような母親。例えば、木陰のベンチで読書を楽しむ若い女性。
案外、老人もベンチと合うのではないかと思う。特に何をするわけでもなく昔をふと思いながら、余生の時間を噛みしめるようなまったりとした時間を過ごす。
これは絵になると思う。
アベックはどうだろう?
ゆっくり話ができるかもしれないが、喫茶店でなく何故その公園なのだろう…などと余計なことを考えてしまい、風景として二人が溶け込んでいるかどうかは二の次になってしまうように思う。
今では公園のベンチは、腰を下ろしてスマホをするために使われるのがほとんどであるように思う。
公共のモノではあるのでどのように使うかは自由だし、公園のベンチはみんなのモノなので、誰が使おうと構わない。
だけど、ベンチに座って絵のなるような人が座っている場面は少なくなったようにも思う。


冬の木々

2017-02-04 22:39:36 | 写真

冬の木々は枝が主役
春から夏にかけて葉が枝を隠してしまう。 
枝が見られるのはこの時期だけ
枝はちょっぴり寂しい感じがする。
ちょっと怖い感じもする
優しい感じはしないけど
葉っぱを作り花を咲かせる
そっと春を待っている