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教育に期待(してもいいのか)




わたしも親の端くれなので、こんなことを考えなければならない日がやって来た。

「学校にどういう教育を期待しますか」

学校関係の密室インタビューで答えなければならないのである。


こういうことを考えるのは比較的好きな方なのでいろいろ考えてみた。
車を運転しながら、料理しながら、犬を散歩させながら。


わたしの考えでは、まず、学校では知識や技術よりも、知性を身につけて欲しい。
うむ、分かりにくいな。

説明しよう。

娘のクラスメイトのお母様がこう言った(以前にも書いた)。
「この学校、コンピューターのクラスでMacを使っているのよ。でも世界の主流はウインドウズでしょ?だから将来役に立つように、ウインドウズを使っている学校に行かせたいのよ。」

わたしはほとんど20年前、当時50万円だったMacのラップトップを手にしてから一途を貫き通しているので、ウインドウズの使い勝手のようなことはよく...いや全く分からない。
が、娘たちが社会に出る時、ウインドウズが世界の主流でなくなっているとか、今とは機械がすっかり変わってしまっている可能性はある、ということは分かる。
だからわたしが子どもに身につけて欲しいのは、ウインドウズを操る技術ではなく、どんなタイプのマシンを使うことになったとしても、対処することのできる能力の方だ。

このコンピューターの話は例にすぎないが、つまり、技術よりも、自分が解決方法を知らない問題に直面した時にこそ解決方法を探し出せる、という能力を身につけて欲しいのである。

思えば、英雄簟を下敷きにした人気映画や童話には繰り返しこのネタが出てくる。
おそらく、「今まで解いたこともない問題に直面した時に解決法を繰り出す」能力は、人類存続の歴史の中で重要だったのだろう。


先生方に同調してもらえるかどうかは分からないけれど(それは現場で調整)、「将来役に立つ技術」というものを身につけさせようとする教育方法にはわたしはあまり関心がないのである。
ほら、日本で新たに始まった英語教育の方法とか...


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