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ブルージュ 地名の由来




こちらにより新しい完結編「Brugge 地名の由来 完結編」があります(2015年5月12日)。

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ブルージュのグルトゥス美術館で、中世ブルージュが繁栄するまでの歴史を追った展覧会をしている。

「ブルージュにローマ人のキャンプはあったか」
「バイキングがブルージュを開いたのか」
などという副題がついていて非常に興味を誘う。


ブルージュらしいゆるい感じの展覧会を見て新発見。

前にも何度か書いた、「ブルージュ」の地名の由来についてだ。


日本の旅行ガイドブックには「ブルージュという地名は、運河に多くの橋がかかってることに由来している」と書かれていることが多い。今日現在のウィキペディアにもそう記載されている。何がソースになっているのだろうか。


ブルージュは土地の言語オランダ語で brugge であり、ブルッへェ(ルが巻き舌のルで、ルとラの間の音。gはガ行とハ行の間の音)と発音する。
オランダ語で橋は brug で、発音はブルッ(へ)に近い。
オランダ語には多くの方言があり、ブルージュ方言で発音すると、確かに地名の「ブルージュ」と「橋」は全く同じ発音になる。

似ていることは似ているが、だからブルッ(へ)がブルッへェの語源になったというのは、日本語の「橋」が「箸」と似ているから「箸」の語源は「橋」である、というようなものである。



しかしブルージュの語源は「運河にかかった多くの橋」の「橋」ではないということははっきりしている。

ブルージュという地名が現存する最古の文献に現れるのは、9世紀、ゲントの修道院の棚卸し文書*にであり、その当時の
ブルージュは、右の写真、10世紀のブルージュよりもさらに未発達だったからである。

ご覧のように10世紀になっても集落に毛が生えた程度の規模で、「街に橋がたくさんかかっている」という印象を与えるほどであったとは考えられない。

中世栄えたブルージュの発達は意外に遅いのである。
中世以前のブルージュは単なる貿易中継地点にすぎず、ブルージュから西へ10キロのオーデンベルグが栄えていたと結論されている。オーデンベルグには4世紀建設のローマ城壁跡が現存する。



これまでは、brugge は、バイキングが使用していたスカンジナビア言語の brygghia 、波止場、荷下ろし場に由来しているとされていたが、最新の結果では、「バイキングの入植によるという説は弱いか、証明不足である。bruges や brygghia は北海全エリアで使用されており、それはゲルマン言語の brugj、単に波止場に架かる橋という意味である。」(展覧会のテキストより)なのだ。

つまり、bruges や brygghia というのは波止場や波止場に架かる橋という意味の一般名詞で、ブルージュの街の名前の由来になったという証明ができるだけの証拠が今の時点ではでていない、というわけだ。


もちろん「今日からこの土地をブルージュと呼ぶことにしよう」という公式の合意がある以前から何らかの呼称はあったわけで、その初めの初めは昔の闇の中に失われており、われわれに知るすべはない。ないけれど知りたい。調べたい。

わたしはものの由来とか、もともとの意味とかを調べるのが大好きなので、こういう話を聞くとわくわくするのだ。
今後も何らかの研究結果が出るのが楽しみだ。自分で研究できたら一番いいんですけどね...頭がね...






*この棚卸帳の話はちょっと愉快なので紹介する。
ゲントの聖バヴォ修道院の宝物棚卸帳にこう記されている。この辺りをたびたび攻めて来たバイキングから宝物を守るために、「ブルージュ」に黄金の十字架をかくまってもらった。しかしその十字架は二度とゲントに戻ることはなかった。うむ、なんという華々しい歴史登場の仕方。さすがブルージュ、ポッポナイナイ(笑)?
これが851年から864年のことである。
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