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さらばブルージュ




今年いっぱいで、13年住んだブルージュを去ることになった。



思えば13年前、「毎週末パリに遊びに行ける距離」「ただの仮住まい」「(旦那の仕事の関係で)いつでもどこでも住みたい国に引っ越しできる」と、深く考えもせず、

絶対引き止めてくれると思ったわが恩師には「Moet、勉強はどこにいても続けられるんですよ」「ピアノに集中したいならそれもいい」(ピアノがやりたいなんてのはただの方便だったのに・笑)と言われ、

日本出発後、カナダとアメリカ各地を1ヶ月かけて経由し、99年の11月にブルージュへ到着した。


行き当たりばったりの上、外国で生活するのは慣れていたため、生まれ育った神戸のとなりの市町村へ引っ越しするかのような感覚で、「とりあえず」ブルージュの住民になったのだ。

住民になってからも、出張の多い夫に伴って毎月外国へ出かけた。
ブルージュに落ち着くなぞ考えられもしなかった。この小さい街。保守的な人々。


そのうち義務教育を受けなければならない娘のために、母親としてブルージュに残るようになった。心地悪さとともに。
普通はこの時点で土地に馴染むように努力をするのだろうが、わたしは土地に馴染むことを拒否し始めたと思う。なぜだろう。一旦日常に馴染んでしまったらもうどこへも行けないような気がしたからか?あるいは自分の限界を予感したからか。

「ボヴァリー夫人はわたしだ」(わたしはエンマのことが双子の片割れのように大好きである)。
ドレスとハイヒールで生活し、「文化」を渇望し、イライラする、深いボヴァリズム。



住めば都という名言しかり、自分の心ひとつの置き所で世界は違って見えるのである。
住む場所を変えたとしても自分自身が変わらない限り何一つ変わらない。

わたしは愛する神戸に住み続けていたとしても、憧れのパリや、楽しいシンガポールや極楽ハワイに住んだとしても、たぶん「ここではないどこか」へ行きさえすればもっともっとすばらしい日々が待っている、と考えるタイプの人間なのだ(青い鳥は自分の家の中にいる、と言った人はそういえばベルギー人でしたな)。

なぜ「ここではないどこか」へ行きさえすればもっとすばらしい日々が待っている、と予感するのか。
そう言い続けさえすれば自分を完成しなくてもいいから。努力しなくてもいいから。
自分が一人前に完成されていないのはここに住んでいるからだ...もっと都会に住みさえすれば、わたしは能力が発揮できるはずなのだ...と。


エンマのような「悪徳」をはたらきもせず、またエンマのように「死」を選ぶこともなく、わたしは生き延びた。




というわけでブルージュスタイルはあと半年で終了いたします。

これまで本当にありがとうございました。
ブルージュが大好きな方、「同じようなものが好き!」とおっしゃって下さった方、生暖かく見守って下さった方。
最後にブルージュで地ビールでもごちそうしたいです。いえ、マジで。


来年からはブラッセル・ノート(タイトルだけマルクス)として続けようかとは思っています。内容は全然変わらないでしょう。バカは少しずつ治療したいですが。
また、中東で何年か住む可能性もあり、その時はアブダビ蜃気楼とか、カタール千夜一夜とか、そんな能天気なタイトルで書くでしょう。


いつの日か「ブルージュってとこはええとこやったねえ。また住みたいねえ」と言えたら本望である。あと半年、二度と戻ることのないブルージュ時間を楽しもう。

娘が初等教育をこの街で終了することは大変有り難いことだったと思っている。
良い学校、代わり映えのしない日々、灰色の空、平穏な雰囲気、古い街角、庭の薔薇の成長、朝のパン。
そういうことに幸せは宿っているのだ。


ああ、青い鳥、飛んで行った。

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