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Brugge Style
ひとつの世界が消滅する
一昨日の記事「さらばブルージュ」に対して多くのメールを頂いた。恐縮です。発表するのが早すぎたかもしれない...
わたしには「パリに引っ越す」とかいう前科もあるの(笑)。
でも、「Moetがブルージュにいるうちに行って案内してもらわないと」と思う人がいるかもしれない(いて欲しい)ので決行した。
「ブルージュのガイドブックを作る気になられたのは、ブルージュを去るからではないかと」メールでご指摘頂いた。
その通りである。
ガイドブック作成は、あるいはひとつの世界が消滅する(ブルージュに住んでいるわたしの世界の消滅)ために。
...ものは言いよう。大きい風呂敷を広げるのが好き。喫茶「もえ」の正体は風呂敷であったか。
事実、
最後の春、最後の復活祭
最後に見る満開の藤の花、つる薔薇
裏の運河に来る生まれたての白鳥の赤ちゃん
見慣れた朝の風景
普段の風景も、これで見納めかと思うと愛おしい。
前にも引用したが、ポール・ボウルズの「シェルタリング・スカイ」の
「人は自分の死を予知できず、
人生を尽きせぬ泉だと思う。
だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。
自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、あと何回心に思い浮かべるか?
せいぜい4、5回思い出すくらいだ。
あと何回満月を眺めるか?
せいぜい20回だろう。
だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。 」
最近、寝床に入ると、前知っていたけれど今は消息の知れない人たちの顔が次々と浮かんでくるようになった。
二度と会わないとは思いもせずに別れた人たち。
わたしもそういうことをしみじみ思う年齢にさしかかったのである。
そういう年齢...
つまり、もう他人から生かせていただく年齢ではなく、他人を生かせてさしあげる年齢...とか。
(わたしの想像の風呂敷って大きいなあ)
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