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ナポリを見てから死ね



Vedi Napoli, e poi muori
左手の山はヴェスヴィオ火山、対岸はソレント半島、写真には入っていないが右手にはカプリ島



ナポリ、と聞いて一番に何をイメージするだろうか。

カンツオーネ、ピッツア、マカロニ、マフィア、オペラ・ブッファ、カプリ島、ポンペイの遺跡...あるいは「悪魔の住む天国」。


ナポリ旅行をする旨を人に話したら、どの人も打ち合わせたかのように、とにかくとても危険だから気をつけるように、と言った。
夫は、そういえばカプリやアマルフィ海岸を旅行する人は多いけど、ナポリに遊びに行くという話は自分の周りでは全く聞いたことがない、と。それなのにみなさんまるで知ったかのように忠告してくれるのはなぜなのか。

カモッラ(マフィア)、ゴミ問題、貧困、汚れた街、移民、軽犯罪...

わたしが最初にナポリ旅行をした80年代にも全く同じ警告を受けたのを覚えている。
(当時に比べたら比較にならないほど綺麗になっている)


「盗みとはナポリにあって歴史であり、フォークロアであり、文化であり、神話でさえある」と書いているのは、ナポリ旅行中に読んだ田之倉稔著『ナポリ バロック都市の興亡』という超おもしろい本だ。

現実も比喩的にも「演劇都市」としてのナポリの過剰性、バロック文化の頂点としてのナポリを、音楽の歴史を通して説明してあり、ガイドブックよりもおすすめだ。

「ナポリは矛盾に満ちた都市である。いたるところに死への親近感が露出しているのに、ことあるごとに生の歓喜が噴出する」(P159)

「美しい歌を歌う人魚の街...カストラートの都、オペラの、あるいはオペラ・ブッファの都、プルチネッラ(伝統的な道化師)の都」(P266)

「ナポリの大衆こそプルチネッラ...いたずら心、滑稽なふるまい、我慢強さ、生きる歓び」(P70)


民衆がその人生の悲惨さ過酷さに対して身につけざるをえなかった、真剣になりすぎず、禍はやりすごし、起きてしまったことはしょうがないとか、まあこんなもんでとりあえずという知恵、忘却の力、不幸は無効化するかのように笑い飛ばし、歌にして、そして最後は聖母に身を委ねると。

過剰と素朴、聖と俗、美と醜、生と死、光と闇、つまりアポローン的な美とディオニソス的な美が分け難く共存し、人々はいい具合に諦観している。

それはナポリ三カ所で見たカラヴァッジョの3枚の絵そのもののようだった。



カラヴァッジョ『慈悲の七つの行い』 ピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディア救貧院
特にカラヴァッジョの宗教画は、もともと描かれたその場所で見なければならない。場の力はあなどれない。



これからナポリ行きを考えている人に書いておくと、ナポリは汚くもなければ、気をつけていれば襲われるということもない。
最終の周遊電車(これはソレントやポンペイに行くのに観光客が乗る電車だ)に乗り、ナポリ駅も深夜近くに降り立ち、日が暮れてからドゥオモや下町方面も歩いたが、常識を持って行動すれば恐れる理由はないというのがわたしの印象。

想像通りウーバーはこの街には導入されていない。今後もされることはないであろう。
タクシーに関してだけはコンシェルジェ氏が「ボられないようメーターを使わせるように!」とおっしゃっていた。

女性は得である。女性が男性に質問したり頼みごとをすると、こちらがどんなに年増でも「いいところを見せずにはおられない男のサガ、すなわちマチズム」が働くのだろう、大変よくしていただける。わたしは全然高潔な女じゃないので、こういうところで女っぽくして見せるのはおやすいご用である。

もちろん危ないエリアというのはどんな都市にもあり、暗くなってから単独で行動しないとか、君子危うきに近寄らないのは当然のことだ。
今までの人生、いろいろなところを旅し暮らして、わたしは軽犯罪などに遭った経験も一度もないので、きっと弱い生物特有のセンサーを持っているとは思う。そういうセンサー、大事。

いわずもがな食べ物美味すぎ!!

人は親切で、こちらのことを自分のことのように考えてくれる。自分のことのように...というのはつまり「まあなるようになるよ」という感じ(笑)。

他には...いい店でサンゴやカメオを買うべし。
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