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the sleeping beauty rehearsal 王子は何者か




ロイヤル・バレエ『眠れる森の美女』のリハーサルへ。

その話の前に...

今日は別に書きたいことがあるのだ。
『眠れる森の美女』の登場人物に関しては、カラボスは何者かとか、オーロラ姫は何者かなど、今までにわたしの思うところを書いてみている。

今回は、100年の眠りについているオーロラ姫を口づけで目覚めさせる王子は何者かという話。彼はデジレ王子やフロリモン王子と呼ばれる。デジレは希望、フロリモンは富の守護、くらいの意味だ。


今、とてもおもしろい本を読んでいる。
高階秀爾著『ルネッサンスの光と闇』。
ルネサンスを、その精神風土としての新プラトン主義をキーワードに解き明かしていくのだが、高階先生の碩学に案内されて魔法の絨毯に乗って世界を眺めているような気持ちになる。楽しすぎ。

その第3部では、ボッティッチェリの『春』(上写真)がくわしく解説されている。

はっとさせられたのは、ボッティッチェリの『春』の一番右手に描かれている青い身体の「西風ゼフュロス」と、彼が捕まえている右から二番目の大地のニンフ「クロリス」の話だ。

現実に、西風は西欧に春を運んでくる暖かい風である。毎年春になると西風が吹き、死んだように凍りついた冬の大地は息を吹き返す。

西風ゼフュロスに追いかけられて捕まった大地のニンフ・クロリスは、西風ゼフュロスの花嫁になると花の女王「花の女神フローラ」に変身する(右から三番目の人物。彼女は確かに花嫁の冠をかぶっている)。

春になって大地の上に暖かい西風が吹くと、冬が終わり、死んだようになっていた大地が蘇って草木が茂り、花が咲くというメタファーである。

人間が古代から自然をどのように観察して解釈していたかが分かるとても興味深い話だ。


わたしは常々、オーロラ姫はプリセルピナ(ペルセポネ)であると考えていて、冥界の王プルートー(ハデス)の花嫁になった彼女が一年の半分を地上の母(ケレス・デメテル)の元で過ごすとき地上は豊穣し(つまり春)、地下の冥界にいる夫の元で過ごすとき地上は死んだようになる(つまり冬)と。

つまり、オーロラ姫の100年の眠りは冬の期間である。カラボスは彼女を地上から連れ去る冥界の神なのである。冥界の神は、元々は一年のサイクル、生と死を司っていたことから、わたしはカラボスとリラの精を同一人物と見ている。

そこに登場するのが西風としての王子で、王子はオーロラ姫を目覚めさせ、彼女を花嫁にすると春が訪れ(花の女神に変身)めでたしめでたし...

王子は西風ゼフュロスなのだ。希望や、富を運んでくる西からの風。

「新しい生命の甦りは死の後にやってくる」という因果関係を古代の人たちも熟知していた。豊かな実りの春を迎えるためには、まずは「死」がなくてはならない。「ふたたび甦るためにいったん死ぬという思想」である。
「もし「死」がない時には、まず「死」を作り出さなければならない。つまり「殺す」ことが必要である。神に捧げられるこの「犠牲」とは、「死」を作り出し、それによって生命の復活を呼び寄せようという儀式」が要請された。

『眠れる森の美女』は、古い古い、人類の共通の、集合的無意識のようなお話なのである。


......


先日、あるロシアの方がロイヤル・バレエの公演を見、主役が良くなく、ひいては全体が良くなかったなどの感想を述べていたという話を聞きとても残念だった。
なるほど、どのダンサーが主役を演じるか、どの公演を見るかによってロイヤル・バレエ全体への印象が変わるのだ。

昨日のリハーサルも、わたしは本番では選んでは見に行かないだろうという配役の回(主役のオーロラ姫を演じるダンサーは9人ほどいる)で、正直言うと、あまりいいとは思えなかった...オーロラ姫を踊るには今ひとつ役の方が大きすぎるというのか、締まりがないような感じだった。もしかしたらそのロシア人もこういった感じの回を見たのかもしれない。

しかしわたしは何度もリピートするロイヤル・バレエ地元民なので、期待されていないくても若手を応援するつもりではいる。
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