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鉄琴や木琴や








学校ではもうクリスマスの準備が始まっているらしい。
寒いはずですな。

この学校の備品の鉄琴、年期もの、かわいいでしょ?音も天上の振動、という感じ。
鉄の板を取り替えるとシャープやフラットも演奏できる。演奏中に換えるのだろか...


そういえばわたしは学校音楽会ではよくマリンバを演奏した。本格的なヤツ。小学生ながら暖かい響きにしびれたものだ。


今、BGMにFrits LandesbergenのCD、Alone Togetherをかけた。
レーベルもホッパーのナイトホークでかっこいい。


鉄琴や木琴の音、好きだなあ。


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バイリンガル能力




複数言語を操る人の頭の中は人それぞれどうなってるの?という好奇心から、あれやこれや(「ポチ」「バイリンガル教育」「娘とわたしの外国語」)素人の駄法螺を書き記した。

そして先日、こんな記事が目に留まった。



カナダ・トロントにあるヨーク大学のバイリンガル能力研究者、エレン・ビアリストク博士によると、

「バイリンガル能力の強みは、具体的には、抑制制御ないし認知制御と呼ばれる脳の機能に関係していると考えられている。これは(中略)集中する能力だ。複数の言語を流ちょうに話す人は、ある言語でコミュニケーションをとっている間、もう一つの言語を黙らせておくために絶えずこの技能を使う必要がある。」(ヤフーニュース 「バイリンガルは認知症になりにくい」)


この研究が、

「わたしは(映画などの)内容を日本語に訳しながら見ているわけではない。
しかし、後日、登場人物の発言などを思い出して発言する段になると、日本語で思い出してそれを英語に訳して発話するから、実際の文とは細部が微妙に変わっているのである。

娘も訳しながら見てはいない。
そして、後日内容を思い出すとしても、英語の記憶を英語で思い出しているから、たいてい元の文そのまま復元できるのである。」(9月9日のブログ)


というわたしの疑問に答えを与えてくれたのではないか、と思ったのだ。

博士の研究をわたしの駄法螺レベルにに引きずり落とすのは、「龍をも化して豚にする」(ハイブラウなものを低俗化すること)、という感じだがまあ聞いて下さい。


つまり、わたしはバイリンガルといっても相当与太なので、英語で聞いたり話したりしている時に日本語を完全にシャットアウトできないが、娘は英語で話している場合はオランダ語や日本語を完全にシャットアウトすることができ、それで上記の体験談のような技が使えるのか、と。
うーむ。



お付き合い下さり、ありがとう存じます。
生まれ変わったらもっと賢くなりたいです(わたしは転生を信じていない、というところがミソ。つまりわたしが賢くなることは金輪際ないということだ)。


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リオデジャネイロ!




10代で一人旅を始めてから、結構いろんなところへ行ったが、米大陸はメキシコより南下したことがない。


パリでリオデジャネイロから来たお嬢ちゃんからこんなかわいらしい招待状をもらった。







その場で来年の夏はリオで過ごすことに決定。

招待状の贈り主のパパは「Moetのためなら、ホテル、夏休み2ヶ月分用意するよ!」と気前も景気も調子もいいんですぜ。しょぼい中年女に対して。絶対に断れません。人生最後のあだ花を飾りとう存じます。
(本当は夫とのビジネスを順当に進めるための接待だということくらいわたしにも分かってるってば)

お嬢ちゃんとうちの娘は同い年で、言葉が全く通じないにもかかわらず、一緒にお絵描きしただけですっかり仲良しに。最後は抱き合って離れなかった。



ボサノバ、ビーチ、目の覚めるような美女にオヤジさん(わたしは若い男性には全く興味がなく、おっさん好きなのである。特にブラジルのオヤジさんたちが魅力的だということをこのたび知った)。ああ、わたしってブラジルに関して何も知らないんだなあ(笑)。
半年後に楽しみがあるというのは人生にハリがでるなあ。
これで今年の冬を無事越せそうだなあ。
ボサノバのCD、大量買いしそうだなあ。




リオと言えば口ずさんでしまうコパカパーナやイパネマがらみの名曲がある...今はLeblonというエリアがシックなのだそうだ。また、リオのホテルと言えば有名なファッザーノを思い浮かべるが、わたしが泊まりたいのはここ



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とんがりくん




10月12日の記事に、村上隆「とんがりくん」の写真を載せました。


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今年のコート




毎年、その年初買いのコートだけはここで喜々として報告しているような気がする。


なぜコート...理由は、わたしがコートが大好きだからだ。
どんなに脇の甘い服装をしていても靴とコートさえ変えればあら不思議、マダムに変身できるお手軽アイテムだからだ...たぶん。
まあこの忍法にも弱点はあって、何があってもコートは脱げないわけですけど。



今年初のコートは、オーダーしてからというもの、自分がこのコートを着ているところを妄想するのを止められないほど中毒症状が出たアントニオ・ベラルディのシルバーグレーのコートだ。中毒の度合いは、わたしはアカーキイ・アカーキエウィッチか?!というくらい。

アントニオ・ベラルディはここ何シーズンかわたしの贔屓、最近買った服の中でもこのコートは特に特に気に入っていて、おそらくこれ以上好みのコートに出会えることはこの先もないかも...とまで思えてくる。

先週末はパリで時期的にファッション関係の人に何人も会ったが、みな揃って誉めてくれたし、一昨日はディナーを終えてレストラン(また木曜日からパリへ行っていたのだ)を出ようとしたところ、見知らぬマダムがわざわざレセプションまで来て、素敵!どこのブランドか教えて下さい!と聞いて行ったほどだ。

どうです、読んでいるあなたは白けてきましたか(笑)?


本当に「外套」みたいなオチがつきそうなくらいの入れ込み様、自分でも怖いのでここらで止めておこう。










ほうら、先週末の25度の空とは空の色が違うではないか。
リュクサンブール公園をぶらぶらするにもコートが必要だった。


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