頑張ろうかな!

趣味が多すぎて、どれも関連性がなく困っています。

パエリア

2008-02-12 00:20:14 | 日々
本日は建国記念日で世の人は休日かつ大安でした。
知り合いの息子さんが結婚式を挙げられた方も、
いたように思います。おめでとうございます。
いいお天気で良かったですね。

私は家中で一人出勤でした。
出たら出たで、一仕事ありました。
介護保険利用工事の申請準備等でした。

帰宅してバタバタと食事の仕度も煩わしいので、
ご近所のスペイン料理を食べに行くことにしました。

久しぶりに旧家族4人揃ってパエリアを囲みました。
もう顔なじみになった店長・スタッフが暖かく迎えて
くれて、とてもおいしかったです。
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雪景色

2008-02-11 00:03:38 | 日々
先週に続いてまたも日曜日に雪が積もりました。
我が家のベランダからデジカメして見ました。
これも、水墨画の画材になりますか?な!

思ったより気温は高くなり、道路の雪は溶けま
したので、午後は日野のチョコレート工場に、
でかけました。
ずいぶん大勢の人達が車で来ていました。
もちろんバレンタインデイ用の様々なチョコを
買うためです。私もいろいろ味見をして、買い
もとめました。たっぷりと!
付き合わされた主人はうんざりしておりました。

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倉敷8

2008-02-09 23:55:00 | 墨画
「つね家」を描きました。

「倉敷考古館」並び、「旅館くらしき」の向かい、
重要文化財「井上家住宅」の前、江戸時代の商家を
レストランとして活用しています。
ここもN氏の設計によるものでしょう。
重厚でシックな雰囲気の中で瀬戸内海の肴を食しました。

ここで”懇親会”を持ったのです。
N氏は私の高校時代の3年間同級生でした。
「ずいぶんの出世ね!」と言ってみました。
実際、彼の主宰する設計事務所は大きくて、
その姿は作品の一つとして町家に溶け込んで
いて、主張を貫いているかのようでしたから。

「でも50歳には胃も膵臓も取ったんだ。」と。

どおりで昔の面影よりずいぶんしぼんでいました。

でもでもきっと充実したいい時を過ごした人生で
あったのではと言ってあげたかったけど、もう
何も言いませんでした。

私もまたがんばろうかな!と思ったから・・・




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倉敷7

2008-02-08 23:02:19 | 日々
「倉敷町家トラスト」の活動を知らされました。

トラスト活動とは、本来「広く市民や企業から寄付を
募って自然地や歴史的建造物を買い取る、または所有
者からの寄贈をうけることにより、 これらを後世に
残す活動」です。

平成18年にNPO法人格の取得と同時に全国都市再生
モデル調査に選定され、さっそく倉敷の今後の在り方
を考えられる体制ができ活動に弾みをつけられたとか。

写真はトラストの第1号物件として昨年再生なった、わずか
10坪の平屋の「御坂の家」です。
鶴形山の南東に位置し日当たり、見晴らしは抜群です。
長年空き家となり朽ち果てた状態から、保存地区補助金
とN氏の設計や倉敷を愛する方々の手によっての施工で
「宿」に再生され、さらなる活動のために、泊まり客を
待っています。

中に入ってみました。6帖一間と一坪の浴室一畳のトイレ
その間の空間にDK。シンプルでモダンで居心地の良い
宿になっていました。とても廃屋から再生と考えられない!

人がふれあい、考え、風通しをよくしていくことで町家が
活性化し、まちに「灯」がともり続けると念じているとか。

まだ始まったばかりのこの活動に、参加したい気持でいっぱいに
なりました。それは誇りに思う倉敷への郷愁かもしれません。

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倉敷6

2008-02-07 01:38:41 | 日々
サルトルが訪れたと言う町家があります。
明治10年に建てられた「楠戸家」です。
商家で今でもずっと呉服屋さんを営んでおられます。
道路から道路のまたがる大家です。
明治時代そのままの玄関から見せていただきました。
文化財登録の岡山県第1号だそうで、お座敷は圧巻でした。

ところが、裏に廻るとN氏が旧米蔵を「夢空間はしまや」
という喫茶店に、また道具蔵を貸しギャラリーに再生して
いました。まだこれからもその再生は継続中とか。
写真はその再生ギャラリーです。
新しく再生した倉敷を見た気分でしたが、
これは早島町の「いかしの家」そっくりと思いました。
そう言えば、あれも彼の作品でした。

ただただ古さと新しさに感じ入ってデジカメしました。

         
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倉敷5

2008-02-06 01:36:12 | 日々
美観地区から本町通りに入りました。
いわゆる「町家」が続きます。
美観地区より倉敷らしい通りです。

倉敷の江戸時代の町家には二階の低い造りが
あります。厨子二階とよばれます。
二階の天井は張らずに物置にしました。
使用人の部屋にもしました。
厨子とは仏像、舎利、お経などを収める容器とか。

この写真は元々倉敷紡績の寮を名ばかりの「旅館」に
していたものをN氏が有名旅館として、再生した
吉井旅館です。外からの見栄えは「厨子二階」ですが、
玄関からして素敵な、泊まってみたい雰囲気の旅館です。

そう言えばアイビースクエアも倉敷紡績の工場をホテルに
確か浦辺氏が設計したものでした。
父母のいた実家しか泊まらなかった私は興味が沸いてきました。
また「泊まり」に来ようと。

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倉敷4

2008-02-05 00:34:04 | 日々
それから現地視察をすることになった。

まず美観地区。
倉敷は港町だったんですね。
美観地区はもともと瀬戸内海に浮かぶ島の
小さな漁村だったということ。

江戸時代の始め頃に干拓が進んで、次第に
周辺が陸地化していったようです。
高梁川上流の物資が集まる集散地でもありました。

宝永7年(1710年)に描かれた絵地図をみると、
現在美観地区に残されている水路と町割りは、
この頃にできあがっていることがわかります。
ニューヨークの古地図のも似ているうそうです。
倉敷、高梁川、瀬戸内海を見る目も変わりました。

商人の町として発展してきた江戸期と、維新以後
明治、大正、昭和、急に市街化した町家建築の
現状を次にみることになりました。


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倉敷3

2008-02-04 01:37:09 | 日々
次に向ったのは倉敷公民館でした。
この建物も浦辺鎮太郎氏設計で有名です。

主人は「都市と住宅を考える会」に参加するため、
私はその企画の今回の講師に選ばれたN氏に会うため、
ここにやってきたのでした。

倉敷市役所の方から景観施策について。
NPO倉敷町家トラスト代表から、その活動について。
建築家N氏から古民家再生について。
公民館の1室で興味ある講演を受けました。

講演の内容もメモに取るほど仕事に参考になりましたが、
私はN氏の「常にプロと言うプライドと、経済性を持って、
質のよいものを追求して行かねばならないと思っている。」
と言う姿勢に実感し、又激励されたように感じました。




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節分会

2008-02-03 14:06:10 | 日々
朝、起きると一面の雪でした。
去年の2月3日は晴れでしたのに!

「今年でなくて良かったね。」と何段もの
階段の上にある神社で結婚式を挙げた娘ちゃんに
言いたくなりましたよ。
”結婚記念日”おめでとう!

ご近所の高幡不動尊の節分会に行ってきました。
由美かおるさんや、つのだ☆ひろさん達が、
出ていました。彼らがお立ち台に上るまで、真近で
デジカメできました。雪のためにいつもより人出が
少ないとのことで、私達にはちょうど良かったかも。

主人は紙袋を広げて豆を受けていました。
近くに住んでいるのに初体験の節分会でした。
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倉敷2

2008-02-02 00:17:41 | 日々
倉敷に着いたころは昼食時でした。
美観地区の倉敷川畔にある食事処カモ井で
おいしい「てんぷらうどん」を食べました。

以前も、子供達とも入ったところでしたが、
古民家を再生した建物であり、私の大学時代の
友人宅の一部でもあると確認でき、思わず、
今回の旅のワクワクが掻き立てられました。

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